【書評】『あの日、東海村でなにが起こったか ルポJCO臨界事故』

投稿者: | 2001年9月30日

粟野仁雄 著
『あの日、東海村でなにが起こったか ルポJCO臨界事故』
(七つ森書館2001年、1600円)

 JCO臨界事故は日本の原子力史上最大級の事故であった。事故がもたらした被曝・被害の程度についてだけでなく、今後に残す教訓の大きさから言ってもそうであろう。事故の原因、発生経緯、住民避難と屋外退避に関する行政の指揮や意思決定、住民を襲った恐怖やパニック、事故を終息させるための”決死隊”的な作業、重篤な急性放射線障害の治療、住民の被曝状況の調査、健康障害への対応や経済的補償、事故の原因調査、刑事責任の追求……など、数十万人を巻き込んで、極めて多方面にわたる問題が一挙に噴き出した。そこには、「想定外」の事態に国が右往左往し、その右往左往に住民が翻弄される姿がある。原子力の「安全神話」が崩壊し、その激震が今も国のエネルギー政策や危機管理体制を揺さぶり続けている様がある。
 
 本書はじつに多方面に渡る取材によって、臨界事故の全体像とそこから得られる教訓を浮き彫りにしようとする。取材対象は、歴史に残る退避要請を断行した村上村長をはじめ、周辺住民、臨界の終息作戦を指揮した原子力研究所の指揮官、救出にあたった消防隊員、逮捕されたJCOの所長らにも及ぶ。「”裏マニュアル”さえ守らぬ、ずさんな”バケツ作業”」によって原子力史上の”戦犯”の烙印を押されてしまったJCOだが、本書によって私は、バケツのイメージからくる「レベルの低さ」でもってJCOを断罪してしまうことは決してできないこと、核燃料を自前で作るという重要な仕事を担った存在であったことが、よくわかった。国際競争にさらされつつ発注者側(核燃機構、旧・動燃)からの度重なる納期の迫り上げ要求に応じようとした末の、製造現場における必死の”創意工夫”が、あの裏マニュアルであり、バケツだったのだ。著者は、社会からの非難の嵐に晒されたJCO社員たちの正直な心情を引き出しながら、事故の責任が誰にあるのかを改めて社会に問いかけている。人為ミスで済ませてはならない構造的な問題があり、国に重大な管理責任があることを私たちは見過ごしてはならないのである。

 本書は通り一遍の取材の集成ではない。取材から浮かび上がる様々な問題の関連を示し、その問題が生まれる背景を分析している。認可された工程からJCOが逸脱していく経緯は原子力推進体制のひずみの反映ではないかと思わせるし、科学技術庁・事故調査委員が中性子線の周辺線量値を下方修正したことは、「想定外事故」の幕引きのめのシナリオがあったことを推測させる。また、住民に襲いかかった風評被害は、行政がリスクへの適切な対応をなし得ていないことの現われであると痛感させられる。原子力行政の根幹にかかわるこうした問題を平易な語り口によって想起させてくれるところが、本書の素晴らしい点である。■

(上田昌文、『週刊読書人』所収)

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