欧州環境省、過去の教訓からナノリスク規制を強く警告

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1. 社会正義と企業そして環境

人間は高度の学習能力を持つ動物といわれている。しかし、その反面、多かれ少なかれ、必ず過ちを冒すことも、残念ながら事実である。これらを総合すると、場合によっては、人間以外の動物の方がむしろ賢明であるともいえるであろう。人間の失敗の多くは「邪念」に兆し、個人と組織とを問わず、自己利益第一や拝金主義、すなわち、「救いがたい欲望」に根ざしている。環境問題もこの例外ではない。動物には邪心がない。

今回、欧州環境省 (EEA)から、過去における環境問題への対応の誤りを反省したリポート「早期警告を生かせなかった教訓」が発行された。これは自己の「非」を絶対に認めない権威主義の悪弊が通例といわれている官僚主義の跋扈する環境行政機関としては、他の国々とは全く異なる立脚点である。もし、有害性の警告を生かしたならば、多くの死傷者を出さないで済んだであろう世界の環境災害-いわば人類の大失敗-を例示し、時には国の責任にも言及した画期的な「反省の検証」「懺悔録」である反面「警世の書」でもある。

このリポートには、1) 加鉛ガソリンによる精神障害誘発 2)水俣病における民主主義と正義の挑戦 3)タバコ産業による有害研究結果の隠匿や操作 4) 50年を経過したDDTによる「沈黙の春」 5)殺虫剤によるミツバチの激減 6) チェルノブイリの教訓をムダにした日本の原発事故などが含まれている。

さらに、これらの惨事の根底をなす「社会正義とイノベーション」の分野では、単なる「環境白書」の域から先行して1)不作為のコストと損益勘定 2)早期警告提起者に対する社会的ハラスメントからの保護 3)警告無視による犠牲者の救済 4)早期警告を拒否する企業の体質 5)予防原則をどうするのかなど、「よくぞ書いてくれた」といえる、重大であるにもかかわらず、かつて、各国政府のメスが加えられなかった「秘部」の実態を白日の下に曝している。

この EEAの勇気ある快挙は、志ある科学者らにとって絶賛されるであろうことは確実である。「過ちを繰り返すな」とのEEAの悲願にも似た正論には熱烈な声援こそあれ、反対することは不可能であるに違いない。しかし、環境規制分野で、いわゆる「社会正義」が確固たる地歩を確立するには、なお多くの困難が待ち受けている。特に、よく言われる「企業の社会的責任やコンプライアンス」は「言うは易く、行うは難し」で、資本主義の牙城に対しては、世論の風潮は半ば諦めの傍観状態を余儀なくされている。

2. ナノテクノロジーのあり方

EEAは、発足以来既に10年以上を経たナノテクノロジーの現状に対して、次のような勧告と評価を示している。

1) ナノテクノロジーは、過去のニューテクノロジーの過ちの例を繰り返すな。
2) ナノテクノロジーの開発のスタートにおいては、化学者と物質開発者のみが、EHS(環境・健康・安全)問題を考慮せずに、明確なデザインルールなしに強行した。それを補完するためには、遅まきながら、積極的な「グリーン・ナノテクノロジー」の導入が喫緊の課題である。
3) 現状では、政策決定者はナノリスクに対応できていない。
4) 予防原則の採択を妨げる状態が継続している。
5) 現状のままでは、ナノテクノロジーの発展は保証されない。

3. ナノテクノロジーに対する早期警告

超微小物質の毒性研究は、ディーゼル排気問題に触発されて急速な進歩を遂げたが、ナノリスクに対する最初の警告は、イノベーションとしてのナノテクノロジーの浮上直後の1986年、Drexler による先見の明として「創造のエンジン、来たるべきナノテクノロジーの時代」(Anchor Books社)において、実に 27年も前に予言している。

その後、カーボンナノチューブ類 (CNTS) については、2004年、米国航空宇宙局 (NASA)が革新的材料の宇宙科学への利用に際し、その毒性について事前評価を行った。そのNASAの中正かつ卓越した着眼点と実行力は賞賛に値する。この重要課題は、ジョンソン宇宙センター・ワイルラボラトリー毒性部長ラム博士(筆者の長年の友人)らにより、マウスに対する気管内注入法で行われ、呼吸器毒性として肉芽腫・繊維症の誘発という画期的な成果として発表された。ナノマテリアル (NM)の毒性に対する警戒の気運は、これを契機として、さらに急激に高まっていった。

2005年以降においては、Oberdorster教授ら(ロチェスター大学環境医学部)の一連の超微小粒子類の呼吸器毒性を含む健康影響についての多数の論文により、その広範囲で強力な危険性が実証され、NMの毒性研究について「ナノトキシコロジー」の研究領域が確立されるに至り、その有害性データは蓄積の一途を辿っている。

その間に日本発の画期的な研究として世界的に注目されたのは、国立医薬品食品衛生研究所の菅野らによるCNTのマウスの腹腔内注射による中皮腫(肺ガンの一種)の誘発(2008)、さらには、東京理科大学武田らによるチタンナノ粒子類の妊娠マウスへの皮下投与における産仔オスの精子生産能力の20%以上の低下および脳の病理学的変化と異常挙動の誘発など、新次元の「次世代影響」が2009年に報告された。このナノ毒性が被暴露者のみでなく、コドモの世代にまで悪影響として伝承される事実は重く受け止めるべきである。さらに、今後においては、3世代以降多世代にわたるリスクについても検討が求められるであろう。

4. ナノマテリアルの発ガン性の確定

発ガン性は、一般的な生体毒性とは全く異なり、許容量が認められないため、最強の毒性と見なされている。ナノサイズ二酸化チタンのラットにおける2年間の慢性吸入暴露による肺腺ガンの統計学的に有意の増加(Heinrichら、1995)の結果評価により、米国国立労働安全衛生研究所 (NIOSH) は、2012年に至り、それらを職業性発ガン物質と認定するに至り、NMのリスクの重大性は確立された。因みに、 IARC (国際ガン研究機関) は、既に、2010年、二酸化チタンを「ヒトに対して発ガン性を示す可能性がかなり高い」として発ガン物質2Bに分類している。

さらに、欧州議会科学技術評価委員会は、2012年3月、NMの毒性についての報告書「ナノセーフティ:ナノ粒子製品のリスクガバナンス」を発行し、次のような見解を示し、NMは発ガン物質であるとの明確な決定を下している。

5. ナノマテリアルの毒性プロフィル

NMは、吸入・経皮・摂取などの経路により、体内の種々の血液バリア(肺胞・脳・胎盤その他)を通過して、標的臓器に沈着蓄積し、体内濃縮による活性細胞の放出増加を来たし、生物体はそれらの除去能力を喪失し、酸化ストレスは細胞を損傷死滅させ、各臓器の機能低下のほかDNAにダメージを与え、遂にはガンまでも誘発する。これらの毒性発現機序と評価手法について、図 1~4に示す。

図1 生体内メカニズム

図2 細胞影響

図3 生物学的動態

図4 毒性評価手法

6. 欧州環境省リポートの「忠告」

今回の欧州環境省のリポートには、従来のいわゆる「勧告」以上の熱意が感じられ、ここでは、あえて、その「忠告」を列挙し、読者諸氏のご参考に供したい。

● ナノ規制の欠落。米英での自主報告制度の大失敗は企業の利己的本質を露呈。
● 規制担当者には専門家を充当。被規制者(ナノ企業)と同レベルの知識が必要。
● ナノマテリアルの研究・生産部門の安全衛生環境は劣悪(メディアの報告)。
● ナノ開発研究者自身にリスク無視の風潮あり。
● ナノ企業による規制機関への不当な圧力の証拠あり。
● リスク軽視のベネフィットの追求者には再教育が必要
● 現在の知識レベルによる予防的規制が必要。「麻痺状態」を回避せよ。
● ナノ企業による過度の利益追求は、リスク研究を阻害。
● 規制の独立性を維持せよ。推進派の政府・企業の影響を排除せよ。
● リスク警告者に対する社会的ハラスメント(論文発表拒否など)からの保護。

7. ナノテクノロジーにも「安全文化」を

先般の原発事故以来、その「安全文化」が注目されている。原子力規制委員会は、高速増殖炉「もんじゅ」に関し、電力会社や原子力ムラの「安全神話」に対して、「安全文化の劣化」を厳しく批判している。この状況はナノテクノロジーにおいても「酷似」しており、次頁の参考資料「原子力の安全文化」の「原子力」を「ナノテクノロジー」と読み替えると、そのままナノ産業にも適用できるほどである。

特に、ナノマテリアル開発の第一線で活躍する研究者や管理者らは、高等教育を受けた優秀な人々であるにもかかわらず、現状では安全第一の意識が極めて低いと批判されているが、将来のナノテクノロジー発展のため、ナノ安全の先頭に立って頂くよう強く要望する。ナノ関連作業(研究開発・製造等)の環境についても、ワシントンポスト紙の現場取材から、最先端科学とは裏腹の極めて劣悪な汚染状態と厳しく非難されている。

ナノテクノロジーが、「第二の原発」のような安全軽視に陥らぬよう、関係者の努力が問われている。ナノマテリアルの毒性は極めて慢性的に推移し、その発ガン性は数十年の潜伏期間が予測されている。今こそ、早急に徹底的に予防対策を取らないと、将来、かつてのアスベストの惨事のように、一斉に「ナノ肺ガン」の大量発生が勃発する可能性が否定できない。

電気事業連合会
原子力の安全文化とは
安全文化(セイフティカルチャー)
社会全体の安全確保のための努力
付記:「民間提言」に経産省が関与原発の再稼働や輸出求める(朝日新聞デジタル5月19日)

ナノテクノロジーは、世紀のイノベーションといわれている折から、ナノ企業は安全文化の構築に努力すべきで、政府としては国民に対して、ナノリスクについての説明責任があり、丁寧な解説を行い、十分な情報開示に徹すべきである。

適正な規制は、国民、ナノ産業、政府のすべてが必要としている。それはナノイノベーションの大成にも不可欠である。企業側はこの点を理解すべきである。

原発事故の責任は、東京電力のみでなく、政府も分担するとしている。ナノテクノロジーについても、その安全責任は企業のみでなく、政府にもあると考えるべきではないか。

ナノテクノロジーの重大人身事故は、2009年、中国において発生し、世界のナノ産業を震撼させたが、その後においても、ナノ労働環境は、さほど改善されていないとの報告が多いのは極めて残念である。このような大事故が、もし、日本において発生した場合には、ナノ産業は一挙に信望を失い、壊滅的な打撃を蒙るであろう。しかし、この種の可視的な急性毒性よりも恐るべきは、徐々に確実に進行する慢性影響である。

ナノマテリアルで懸念されている吸入発ガン性は、数十年の潜伏期間が予想されている。ナノテクノロジー全般とナノ作業者(研究者を含む)の安全を確保するには、①作業規範の整備(責任者の指名やアクセス規制等)②作業環境の完備(衛生工学的密閉構造、特定清掃方式など)③個人衛生(全身的保護具システム、ナノ作業衣の隔離管理)④健康管理(就業者の登録、健診システムの導入)⑤労働基準監督署の指導監督を要請するなど総合的な対策が不可欠である。
最後に、ナノリスク警告者に対す社会的ハラスメントは社会正義上大きな問題である。例えば、筆者は、ある大学の環境機関誌から、ナノリスクに関する原稿を、著者の意見は尊重するとの前提条件で依頼されたが、脱稿後に、約束に反して、内容に異論を唱えて収載拒否を行うなど、産学癒着の「利益相反」と編集権乱用の不条理を経験している。

参照文献:欧州議会は、NMの発ガン性の重要文献として、特に次の3件を挙げている。

Petersen & Nelson (2010):「ナノマテリアル誘発の酸化性メカニズムと測定」
Kovacic & Somanathan(2010):「ナノ粒子類のバイオメカニズム(毒性物質・抗毒性物質・治療)」
Becker et al. (2011):「ナノ粒子類の発ガン性:それらの製品からの放出と調節」
欧州環境省リポートには、参照文献として、実に138件を挙げているが割愛する。

小林 剛(カリフォルニア大学環境毒性学部元客員教授)