大川小事故検証委員会はなぜ混迷を続けるのか(その2)

2014年1月19日に第9回大川小学校事故検証委員会が石巻市内で開催され、本文と提言からなる「最終報告案」が検討された。しかしその内容は、検証委よりも詳しく調査をしてきた遺族やジャーナリスト、研究者を納得させるものではなかった。前号報告に続き、検証委員会が混迷する原因を探っていく。

あいまいな目的設定のため検証委は失敗している

2014年1月19日の第9回大川小学校事故検証委員会時に開かれた遺族との意見交換会は、最終というにふさわしくない浅い検証、大川小の事実とは直接関係のない提言に遺族から疑問、提案が続出した。委員会終了後の記者会見でも、30分の予定が1時間40分超に及ぶほどの質問が飛び交った。地元河北新報「惨事 疑問解けぬまま/大川小津波災害 遺族、最終報告案を疑問視」、朝日「大川小惨事なお未解明」、産経「遺族の「なぜ」に答えず」、読売「「不十分だ」遺族不満」といった見出しを立て、各紙が翌日朝刊紙面に複数ページにわたる長文の記事を掲載し、検証の不十分さを指摘している。

1月22日付ダイヤモンド・オンライン連載「大津波の惨事「大川小学校」〜揺らぐ"真実"〜」第34回では、「大川小検証委「最終報告書案」に落胆する遺族/委員長の「ささやかな達成感がある」発言に唖然」(>詳しくはこちら(外部サイト))とのタイトルのもと、「結局、目新しい情報は、何ひとつ出てこなかった。...たくさんの矛盾や疑問が解明されないままの曖昧な内容に、遺族からは批判や不満が噴出。心が折れて泣く人や、途中退出した人もいた。意見交換や記者会見を含めた最終報告書案を巡る議論は、7時間半に及んだ」(リード文)第9回検証委員会のようすを池上正樹氏が詳細に伝えている。疑問や矛盾だらけの最終報告案は、議論を受けて、どこまで改善されるのだろうか(検証委員会、遺族との意見交換会の議事録PDFファイルが、事務局の社会安全研究所が開設している大川小学校事故検証委員会サイト(>詳しくはこちら(外部サイト))で公開されている)。

1月26日開催の遺族への報告会(非公開)でも遺族側の用意した100点近い疑問、質問に検証委側は応えきれず、2月9日に回答、議論が持ち越され、1回の検証委員会(公開)に対し、2度の報告会(非公開)が設定され、あわせておよそ10時間のやりとりがされた。報告会の議事録は公開されないが、遺族らが開設した「小さな命の意味を考える会」ホームページ、くわしい現地報告1月29日付ダイヤモンド・オンライン連載第35回「大川小検証委、追加調査の可能性も?/噴出する疑問点を消化できず報告会は持ち越しに」(>詳しくはこちら(外部サイト))が参考になる。

このように、遺族からも、長期にわたり現地取材を続けているジャーナリストからも(上に例示はしなかったが筆者ら研究者から)も、不十分さが繰り返し指摘されているにもかかわらず、検証委はなぜ結論を急ぐのだろうか。

室崎益輝委員長は「今後の教訓となる提言を出すことを目指す検証委と、責任の明確化を求める遺族の間にギャップがあった。残りの時間は少ないが指摘された内容を踏まえ、できる範囲で改善や修正をしたい」(2014年2月10日河北新報)、「再発防止の観点を重視し、責任を追及しない検証委と、責任を明確にしたい遺族との間に溝があった。指摘された内容を踏まえ、改善や修正をしたい」(同2月11日産経新聞)との談話を残している。遺族は責任追及をめざし、検証委は教訓と再発防止をめざすという目的のちがいが強調されているのだが、ここで語られている委員長の目的意識、理解は正しいのだろうか。

検証委員の美谷島邦子氏は、1985年日航ジャンボ機墜落事故の遺族による「8.12連絡会」事務局長として、検証委員会の一員に文部科学省(担当は子ども支援対策室、室長前川喜平官房長)によって指名された。公開の検証委員会の席では終始うつむき加減で、大川小遺族と目を合わせる機会はないようにみえる。会議での発言は限られ、記者会見にあまり出席していないため、事故の検証を注視する側から検証する側に立場を変えた現在の心境をくわしくうかがうことはまだできていないが、墜落事故によって9歳だった長男を亡くされて以来の経験を語る著書『御巣鷹山と生きる—日航機墜落事故遺族の25年』(新潮社、2011)のなかで、美谷島氏は、事故の原因究明と再発防止を誰よりも強く願う遺族の気持ちを繰り返し語っている。

林 衛(富山大学人間発達科学部/ジャーナリスト/市民科学研究室会員)