開かれた理科教育に向けて

土曜講座の活動に取り組むまでの経緯

(1) 大学時代の専攻と市民運動とのかかわり

まず、私がどのような経緯で今やっている活動に取り組むようになったのかをお話します。

私が大学で専攻したのは生物学で、時期は1980年初めでしたから、分子生物学が学問として一般社会にも定着し、そのターゲットを真核生物といういわば高等な細胞の方に向け始めていた頃です。その頃はちょうど「地球規模の環境の危機」がクローズアップしてきて、「エコロジー」という言葉がいろいろなところでさかんに使われるようになってきた時期です。

私は初め微生物学を学び、その後、植物の遺伝子工学−−今で言うところの遺伝子組み替え食品の開発の基礎となるような実験−−にも少しかかわりました。その後、やはりもっとダイナミックな生物現象を扱ってみたいなという気持ちがあって、高等動物の発生生物学の方に移りました。発生は非常に多様で面白い現象ですけれど、個々の動物の発生を詳しく調べるよりもなんとかしてもう少し原理的な問題を一般化して追及できないかなと思いまして、どちらかと言うと生物物理に近いようなところを勉強しました。つまり、生物の形態がどのようにしてできるのだろうかという問題を数理的な側面から明らかにするという研究です。したがって数学とか物理とかも、必要なところは勉強したという感じです。ひとことだけ言うと、生き物の形作りという問題は生物のいろいろな現象の中でいまだに非常に未知の部分なのですが、生物の持っているいろいろな多様性とか複雑性というものを統一して理解する鍵になることがらではないかな、と思っています。いわゆる複雑性(Complexity)という概念と深く関係するので、純粋に実験的なアプローチだけでなくいろいろな分野からアプローチが試みられている、大変面白い問題です。

私はそういう生物の勉強や研究を非常に面白いなと思いつつ、大学の3年生の時から大学を離れたサークル活動に偶然のことからかかわるようになりまして、そこで社会問題に目を向けさせられました。それ以前も家庭の問題をとおして、あるいは書物をとおして、社会のいろいろなことを漠然と考えてはいましたが、仲間とともに"活動"をとおして目を向けたのはこの時が最初です。

最初のきっかけは次のとおりです。「アジア太平洋資料センター」(PARC)という今も盛んに活動しているNPOが開いている英語教室があって、「ちょっとは英語をしゃべれた方がいいかな」という単純な動機で入ったのですが、そこで知り合った同世代の友人の紹介で、その学外サークルに参加することになったのです。その学外サークルは「日本とアジアを考える会」という名のグループで、そこで知り合った友人たちとは今でもつきあいがあったり、活動をともにしたりしているわけです。

私が学生時代をとおして主に取り組んだ社会問題は何かと言うと、それは反原子力とか、その当時世界的に非常に高まってきていた反核運動とかでした。特に太平洋地域のいろいろな核の問題、皆さんはビキニ事件(1954年3月1日)のことでご存知であろう太平洋の小さな島々、ミクロネシア、ポリネシア、メラネシアなどと呼ばれる地域のことでした(私がそのボランティアスタッフの1人としてかかわった市民団体は「反核パシフィックセンター東京」)。当時日本との関係で最も注目されていたのは、中曽根政権のもとで実施されようとしていた、核廃棄物の海洋投棄という問題でした。日本の原子力発電所から出る低レベルの核廃棄物を、太平洋の深いとこへ捨ててしまおうという計画のことです。その計画に大反対している太平洋の島々の人々を支援しようと運動を進めていたわけですが、1984年にグアムやサイパンといった島々の住民、小学生から大人まで含めて大勢の人が、日本にやって来る機会がありました。私はその方々と一緒に一週間ほどを過ごして、日本での彼ら・彼女らの滞在の世話をしたのです。科学技術庁の官僚と会って陳情し交渉したり、東海村の原子力発電所を見学し地元のグループと交流したり、といったことにずっと同行し、まだそんなに上手ではなかった英語を使って、彼らといろいろな話をしたわけです。

その時に私が痛感させられたのは、「自分の政治意識のレベルが彼らと比べて何と低いのだろうか」ということでした。理科系の学生というものは得てして、大学で一生懸命学問をやっていればいい、一生懸命やれば道が開けるのだ、と単純に信じ込んでいるのですけれど、ところが一旦社会に出れば非常にいろいろな問題が自分を取り巻いているし、日本を外から見れば、私たちが置かれている政治的な位置というのが全然違って見えたりするという事実があるわけです。当然見えていなければいけないことが見えていない、私たちが持っている政治的な意識のレベルが低いままに、学生時代を過ごし、そのまま社会人になっていくという現実がある、と私はその時、気付かされたのです。特に太平洋の島々の中学生や高校生たちが自分たちで一生懸命ポスターを書き、スピーチの文句を考え、日本の大臣や官僚の前で切々と訴える姿を目にして、「自分は一体今まで何をしていたのだろうか」という気になったのです。

このことがきっかけになって、反核・反原子力の運動に熱心に取り組むようになりました。原子力資料情報室などの市民グループやNPOといろいろな交流をし、ともに行動することになりました。私自身は「反核パシフィックセンター東京」のスタッフとして、太平洋地地域の核被害の救済を訴え、大国(米国やフランス)の核支配・植民地支配に反対する運動を、主に国際的なネットワークの中で進めていくという活動を担いました。

(2) 研究者の道をなぜ断念したのか、大学はなぜ息苦しかったのか

こういう活動に取り組んでいると、大学の中にいて「はたしてこのままでいいのかな?」という疑問にかられようになるわけです。いろんな人がいろんな生き方をしているという現実が"外"にはあるのですが、大学の中にいったん入ってしまうと、ある目に見えない「こういうふうに生きるのが当然なんだ」という不文律のようなものが自分を縛りつけるようになっているという感じがしたのです。社会問題や個人の生き方を自由に語り合うことへの拒絶の雰囲気を感じました。それは、「やっぱりノーベル賞を取るような人が一番偉いんだ」「そのような研究を進めていくことが、世の中にとって一番いいことなんだ」という考え方とでも言えばいいのでしょうか。

私自身は、「いや、そうじゃないだろう。なぜそんなふうにしか思えないんだろう」という疑問を抱きつつ、でも生物の勉強は面白いので続けていたわけです。しかしいよいよ自分の道を決めなければいけないという時期にさしかかって、「まあ、私と同じような生物の勉強をしている連中が1000人いたとして、そのうちの1人くらいちょっと変わったことをしてもいいのではないか」と割り切って大学を離れてみた、そして今のような活動を始めてみた、ということなのです。

ここでは詳しく分析しませんが、大学持っている、社会に対する"閉じこもり"と内部の人間への"囲い込み"の体質−−大学が社会に対して開かれていないことからくる、学生への閉じこもりの強制、とでも言えるでしょうか−−は、社会が抱えてしまった大きな問題の一つの現れである、と私は理解しています。これを何とか変えたいということで、今私は大学の人たちと一緒にどうすれば大学が市民社会とうまく連携できるかという模索を始めているところです。

(3) 自然科学を専攻したことを別の形で生かす方法とは

以上のような経緯で、私は「科学と社会を考える土曜講座」の活動を1992年の夏から始めました。初めは目的意識もそれほど明確ではなかったのですが、やはり10年近く続けていますと、ある形が見えてきます。

一つは、専門性への挑み方です。科学技術というのは専門性が高いので、それがいくら生活に浸透しているといっても、普通の市民がその問題を自力で知り自力で解決しようとしても非常に大変なわけです。そういう場合に"専門性の壁"をどうやって乗り越えたらいいのか。こういう問題を普段から戦略的に考えていかなければなりません。この問題に挑む一つの方法として私が大切にしているのが、「専門家に頼ることもあるのだけれど、自分たちで疑問を持ったのなら、自分たちでできるところまで調べてみようじゃないか」ということです。それが2ヶ月かかっても3ヶ月かかってもいいから、とにかく仕事の終わった後にでも皆で集まって勉強を続けていく......というようなスタイルを確立したいな、と思いました。結果的にそのやり方は今、かなり組織立ったものに成長してきています。

もう一つは、専門家の利用の仕方です。市民は生活の中でいろいろな問題に直面します。その時にただ本を読んで知識を得て理解しようとするだけではなくて、せっかく専門家がいるのだから、専門家自身に積極的に問いかけて利用するのがいいと思うのです。専門家自身もじつは市民の抱えている問題が、自分のフィールドからは見えていないということがあるわけです。ですから、市民自身が問題を提示し、その問題の面白さや意義深さを専門家と共有して、専門家に働いてもらう。そういう方向がある。

このようにして市民自身が自分の力を使い専門家の力を借りながら問題を解決していこうとする、そのこと自体が、市民の生活を面白いものにするという面があるのです。私は今のような活動をしていてつくづく感じるのですが、いろいろな職場で働いている大人たちが、その職場の人間関係は持っているけれど一歩そこからはずれてしまうと、たかだか昔のつきあいのある友人とのつきあいくらいしかなくて、地域の人々とのつきあいだとか、あるいは地域を越えた活動の機会をなかなか持てない、ということが大きな問題だと思うのです。何か共通の問題を抱えているとき、別に市民運動という政治的な枠に縛られる必要はないのですが、一緒に相談でき活動していける仲間がいることで、すいぶんと生活が前向きになる。そういう楽しさを持つことができるかどうかが、大きな意味を持っているのです。言ってみれば、市民の側の"あきらめ"を、知的探求のおもしろさと仲間との交流の楽しさの体験によってどう克服できるか、です。

私たちはこうして10年ほど活動してきて、専門家といろいろな"回路"を作ってきました。彼らの発表の場に出かけて行って、いろいろな質問をしたり、あるいは私たちの講座に来てもらって議論したり、ということを徐々に積み重ねていて、その回路がいろいろなところで利用できるようになってきています。それが強みではないかなと思います。

後でもふれますが、私は自然科学というものは知的な活動として大変面白いものだと確信しています。その面白さというものは何も社会から"浮いて"存在しているわけではなくて、じつは人間が生きていくときの生きがいとか自発的な探究心だとかの根本的なことがらとつながっている。そうした生きがいや自発性がないがしろにされてしまっては、社会のいろいろな問題を解決するときもうまく解決できない、と考えています。ですから皆さんは理科の授業で子供たちに、自然の現象は面白いのだ、それを理科という形で学んでいくことは楽しいのだ、ということを日々伝えようとされていると思いますけれど、その楽しいんだ、面白いんだというところは、もっと強調していい、と思います。それは何も単なる知的な遊びではない。じつは社会の問題を解決していくときにも重要なのです。知的探求としての科学の面白さ・価値をよりよい社会の形成にどう生かすことができるか、を探ることが大事なのです。

(4) アカデミズムとの新たな関係の創造に向けて(土曜講座などの活動を通じて)

(1)"理科離れ"の意味と問題

「理科離れ」が言われてもうずいぶん経ちます。本当にどれだけの人が理科が嫌いになって離れていくのかを、毎年統計をチェックしているわけではありませんが、確かに子どもたちを見る限り、すすんで理科を好きになる子はごく一部なんだろうな、毎日の理科の授業を「楽しい」という子は少ないのだろうな、という印象を持ちます。なぜそういうことが起こるか? それは「理科教育が悪い」からということではない、と私は思っています。

もちろん理科教育に責任があるという部分もあるのでしょうけれど、より大きな構造的な原因が他の世界にある、と思うのです。その原因があるからこそ、理科教育をとおして見た時に「理科離れ」として現れてくる、と見るべきなのです。

今の情報過多の世の中で、何が一体自分にとって必要な情報なのかを判断できないで、ぼんやりしてしまっている、というのが私たちの置かれた状況ですが、まずこのことが関係しています。

次に、学校をはじめいろいろな所でシステムとして非常に長く採用されてきたために私たちの身体に染み込んでしまっている、点数評価主義が関係しています。どういうプロセスを経たのかということを重視するよりもその結果を重視するという考え方です。「結果を出せばそれでいいじゃないか」という考え方は抜き難く私たちにあります。

そしてもう一つは、専門的な細分化が極端にすすみ、どこがどういうふうにつながっているのかが分からないということ。生活を見渡せばわかるように、いわゆる「文明の中の野蛮人」という現象、つまりハイテクの機器が溢れているけれどどれ一つとしてまともにその原理、動くしくみを説明できるわけではないという状態に私たちは置かれています。なんだか難しいことばっかりが生活の中にいっぱいあって、でもそれらがなくては生活が成り立たないようになっていて、そのためによけいに反動として無関心になってしまう、ということが起こってくるのです。

これらが全部合わさって、結果的に「理科離れ」が生まれてくることになるのです。科学教育や科学研究(研究開発)の担い手とそれの受け手の乖離がどんどん進んでいる。そのために、受け手の側はますます無関心に受動的になってくる。担い手の側は自分の専門の仕事に精一杯で、自分の仕事が社会にどういう意味を持ち人々にどう影響するかを考える余裕がない、つまり視野が段々狭くなっていく。この2つの立場をどこかで結ばなければならない。学校の先生の立場というのは本来それを結ぶ立場だと思いますが、やはり両方の立場に目配りして一人できちんと対応するなどということは非常に難しく、四苦八苦してしまうという現状があるのではないかと想像されます。

もう一つ私は「理科離れ」が語られる文脈で気をつけたいなと思うことがあります。

科学技術が日本の国力になるという発想があります。それから考えれば、「理科離れ」で皆が自然科学を学ばなくなり、そのために研究者の質が落ちて、将来的に国力が落ちる、という見方が成り立ちます。私はこうした発想は非常に貧しいというか、ちょっと危険だと思っています。そうではないでしょう、では何のために科学をやるのかを考えれば、本当にこれまでとってきたような国力とか経済力とか成長とかの路線で行けるのか、ということを再検討しなければいけない。ですから、「理科離れ」というものを「国力」に即した方向で考えるのではなくて、もっと人間性に即してとらえることが大事です。つまりこの世の中で何を知ることが大切かという観点からみて、知る必要があるにもかかわらず受身的になってしまっている、そして世の中を自分の力で良くしていく意欲とその力量が減退してきている、ということが問題なのです。

では、どうすればいいのか? 基本的に私は、理科という枠組みの中でできることと、その枠を超えたところで対処しなければならないことを分けて考えてみたいと思います。

枠組みの中で、ということになると、皆さんが日々努力されているように、従来の授業システム・内容・方法の修正とか再編、豊富化、洗練など、いろいろな工夫が積み重ねられていると思います。現場での子供たちの反応を見つつ、いろんな工夫を共有していくという方向で開けてくるでしょうから、それはそれでいいと思うのです。ただし枠の中でできることは限界があるので、枠の外がどうなっているのかとか、枠の外とどう連携していけるのかということに、もっと注意を向けていく必要があるのです。これが私の言う"開かれた"ということの意味です。

ではこの観点から、理科教育に実際何が求められているのかを考えてみます。

(2)理科教育に何が求められているのか

1) 自然の"力"、科学的探求の魅力の再発見・再認識・追体験

まず、自然というものをもっとダイレクトに見てそれに触れる機会を提供しなければならないのではないかということです。教室の中でなされる実験というものは、ある意図を持って、自然の中に存在する再現性を切り取ってきて加工したものです。そうした自然の見せ方だけで満足するというのはやっぱり変でして、特に低学年になればなるほどできるだけ生の自然の姿に触れる機会を多くするということが基本ではないかなと思います。

それに触れてどう思うかは子供たちに任せる、彼らにある問いかけが生まれてくるならばそれを尊重する、というくらいの余裕を持った受けとめ方でいいのではないかなと思います。先生たちには、可能な限り自然の生の姿(その荒廃した姿も含めて)に触れさせ、子供の心に問いを"点火"させるようにしていただきたいのです。

次に、理科を教えるわけですから当然、自然の法則性を示す必要があるわけですが、その示し方が問題です。特に物理の方は、物理という学問が演繹的にできていますので、どうもその演繹性をいろいろな教科書や教え方の中に反映させないとダメなのではないかと思っていらっしゃるようなのですが、じつは私は必ずしもそのことに囚われる必要はない、と考えています。

要するに、いろいろな物理的な現象がたくさんあるのですが、それらを全部網羅的に扱う必要はなくて、子供たちにとって面白いと感じることのできるものを選び取ってうまく組み合わせ、その組み合わせの中から背後にある共通の法則性を抽出していく、という方法があり得ると思います。つまり通り一遍の体系立ったものに即して理科を教えるのではなくて、今目の前にいる子供たちが何に関心を持ってかということを軸に据えながら、必要な現象を拾っていって、そこから見えてくる法則性を子供たちと一緒に探りあてていく、というやり方です。まあ、これは非常に観念的に言っているわけですが、そういう"編集作業"的なことができるのではないかな、と思うのです。

そういう編集作業が先生の大きな役割の一つであり、何も大学の教科書を中学生・高校生向けに易しく書き直して教えることができるというだけが先生の役目ではありません。

2) 科学技術成果物の総合的集積としての「生活」の捉え返し

次に、「生活」というものをもっと基本に置いたらいいのではないか、ということです。これだけのハイテク社会ですから、生活の至るところに科学技術の成果物が溢れかえっています。たとえば電子レンジ一つとっても、電磁波のこと、熱のこと、消費している電力のことなどなど、一つのモノをとおしていろいろな物理の側面がかぶさって見えてくるということがあるわけです。そういう点を生かしたい。「なぜあるものは電子レンジで調理できるのに、別のものはできないの」という素朴な疑問は、生活の中から生まれてきて、非常に奥の深いところにまで及ぶだろう問いです。生活の中には、ある"総合性"のようなものがあって、その総合性を見失わないように理科の教え方を組み立ててみる、ということをもっと尊重していただければと思います。そうした生活の中からの実感がないと、たとえばいきなり"地球規模の環境問題"と言われても、今ある自分の生活とそれを結ぶことができず、問題の実感ができないということになってしまうのです。

今私の手元に『"循環型社会"を問う 生命・技術・経済』(エントロピー学会編、藤原書店2001年)という本がありますが、この中で、エントロピーという概念を使って、種々の環境問題を横断して論じることのできるある論理性が追求されているわけですが、じつはこうした横断の仕方とういものは、物理をやっている方の強みだと私は理解しています。生活の中でパッと見には断片的に現れてきている様々な現象を何か一本の糸でつなぐような論理を見出し、その論理を追求することで法則性とか科学性とかを自ずから体得できる−−そんな授業をもっと考えてみてもいいのではないかと思います。

何も理科ということに限らず、生活の中にあるモノの背景を調べると非常に面白いということがあります。たとえば私たちがこうして使っている紙、この紙がどうして出来上がるかを説明できる人はそんなに多くないと思います。それは森林破壊の問題にかかわっているのだけれど、実際のところ割り箸一つとっても、それを使うことがいいことなのか悪いことなのか、調べてみなければなかなかはっきりしない。こうした生活の中に入ってくるモノをとおして、実際にそのモノがどう作られどう変わっていくのか、あるいはどう変転し流通していくのかというフローの問題をしっかり見ていくというのは、じつは子供たちにとって最も面白い問題設定の仕方なのです。そういう方向を、物理の授業ももっと取り込んでいっていいのではないかな、と思います。

3) 「問題認識から問題解決へ」の演習モデルとして、知識の生かし方を提示すること

次に知識の習得の仕方に注目してみます。

あることを教える、知識として修得させる際に、そのことを「解」として導き出せるような「問題」を作ります。つまりそれを解かせることで正解に至りつき、それによってある知識の定着をはかるという、学習の設定の仕方をするわけです。私はこのやり方は、学習というもの一面にすぎないということを認識していただきたいな、と思うのです。

生活の中で遭遇し経験することを考えると、解につながる形で整理された問題を解くということよりも、むしろ何を問題として認識するか、どんな疑問を持つかということの方が決定的に大切です。疑問をぼんやりとした形で置いておくのではなくて、ある言葉で表現するとか、定式化するとかの作業そのものが非常に重要なのです。こうした疑問の発見、その定式化という作業を理科教育の中でどうしたら実現できるのかを考えて欲しいのです。

いろいろな知識の詰め込み、「解」のある知識の詰め込みは、その知識がその人にとって"生かせない""使えない"限り、その人を精神的窒息させ無気力を生んでしまうのではないかなと思います。知識を教える限りは、それがどう生かせるのか、どうやったらそれを使うことができるのかを、特に子供と接する先生は鋭く意識する必要があります。

思えばあたりまえですが、学校の中で学んだ知識というのは知識そのものが後の人生でそのまま生かせるということは少ないわけです。知識を扱う一部の職業に就く場合を除いて。むしろ大切なのは、自分が直面することになる問題の解決へ向けて、その方法のようなものを体得しているかどうかです。したがって私は、学校の中では、現実から切り出してきた問題を、自分の関心に応じて自分なりに試行錯誤しながら「認識→考察→方法の探求→解決」の流れを体験できる演習としてモデル化すること、そしてそのモデルをとおして知識そのものというよりも知識を獲得する方法やそれを生かすことの面白さを疑似体験的に体験するということが、本来目指すべきことではないのかな、と思っているわけです。

以上、三つに分けて掲げたことのイメージを今の理科教育の中にもっと強く持ちこんでもらえるといいのではないでしょうか。

では、こうしたイメージを具体化するときの手がかりのお話をします。

(3)"開かれた"理科教育のための方法的原理

1) 知識と体験の統合をさまざまなレベルで指向すること

一つは「知ること」と「経験すること」の統合の仕方、そのバランスを、低学年の児童から大学生にいたるまで順次うまく保っていけるような流れを作り出さなければならない、という点です。

幼い子供に対しては生の自然に触れ合うという体験重視型でいく。ただし今は身のまわりのいろいろな自然が破壊され消滅していっていますから、その点は意識的に組み込んでいかねばなりません。子供たちが次第に大きくなるにつれて、「知識」の割合を大きくしていくことが、まあ単純に言うと想定できます。次のように図式化できるかもしれません。

★年齢 小学低学年 ←← →→ 大学
★体験/知識の比重 実体験(実感的・無目的的)から ←← →→ 研究デザイン、調査、現場取材(目的化)まで
★表現の指標 問いの豊富さ、空想・イメージ重視から ←← →→ 言葉・表現の重視、方法の意識化まで
★評価のあり方 評価なし(楽しければOK)から ←← →→ 自己評価(何を得たいか、得られたか)まで

小学校の先生から大学の先生までが一緒になって相談しながら、こうしたことの適切なバランスや比重を見つけ出していく必要があります。

2) 「正解提示/解法理解」型から「問題発見/解決の自己選択」型へ

次に、先ほどの言いましたように、「正解のある問題を設定し、その解法パターンへの習熟をとおして学習する」というのは、極めて一面的な「知」の発動でしかありません。そして子供も何も社会から切り離されて生きているわけではなくて、いわば子供なりに社会問題に囲まれて生きているのです。そういう状況のなかでは、自分の持っている科学的な思考方法を使って、どうやって問題を切り出してきて言葉に置き換えるか、どのような問いを作り解決の糸口を探ってみることができるか、という「知」の働かせ方が重要になります。「解を求めること」が、紙の上で正解を出して先生にマルをもらうことに留まってしまってはいけないのです。「解を求めること」は、自己の選択で何等かの対策を立て、行動し、結果を吟味すること、という主体性を投影した行為であるべきで、その行為をとおして充実感を感じ取れるようにすべきなのです。

3) 教室と学校という場を「子どもが大人と交流する知の広場」に変えること

そして最後に、教室とか学校とかの物理的スペースを生徒と先生だけがいる場所だと、あまり固定して考えないでほしい、と思います。これはもちろんいろんな制約があって、いろいろ難しい面があることは私もある程度わかっているつもりですが、でもやっぱりその壁に穴を開けていくようなことをしなければ、教える側も教えられる側も息苦しい状態が続くのではないかと思います。

端的に言って、将来に科学者・専門家となるそのミニチュアを作ることを理科の授業の目標にしないで欲しいということなのです。ですから、あたかもそれを目標としているかのような文部科学省の官製カリキュラムにあまりこだわらないでいただきたい。もっと目の前にいる子供たちに即して、そして目の前にある自然の姿や社会の現実に即して知識を再編することを大胆に試みて欲しいのです。これができるのは普段から子供と接している先生だけです。そしてこのことは、学校が学校以外の場ともっと自由に交流できるということを確保しないと実現が難しいのです。

たとえばここに『微生物が未来を救う』(別冊「課外授業 ようこそ先輩」小泉武夫、KTC中央出版2000年)という本があります。私は何もNHK の宣伝をするわけではありませんが、NHKのテレビ番組の「ようこそ先輩」や「未来の教室」のシリーズや以前放送された「未来派宣言」などは非常に面白く、目から鱗が落ちるという体験をさせてくれるものが少なくありません。専門知と専門技能を極めている人たちの迫力というものはなかなかすごいものでして、これに触れてみる機会を提供することは、子供たちにとっては掛け替えのない体験になる可能性があります。これは無条件に奨励できることです。子供たちがそこから何を感じるかはあまり気にしなくていいのです。面白いことに専門を極めている人は、ド素人の子供たちを前にして、子供たちに通じる自分の語り方を自分なりに編み出してしまう、ということが起こります。まあそれが出来ない人もいるのかもしれませんが、この小泉武夫さんなどは、子供を前にしたパフォーマンスも一流ということができるでしょう。子供たちは一瞬にして激しく知的な興味を掻き立てられる。学校の先生は自分でそんなことをしようとしても無理があります。でもそういう"出会いの場"を作ることはできる。教師は子どもの立場に立った一種の"知のコーディネーター""知の演出家"としての役割をもっと担っていいのではないでしょうか。

ここで言う専門家とは何も大学の先生と研究者に限らず、高い技能を持った地域の職人さん、NPOの専門スタッフ、町や村の在野の研究者なども含みます。そうした人々とのネットワークをうまく作り、子供たちに出会いの場を提供するのも先生の大事な仕事だと思うのです。

このことをとおして、教科書に縛られない、教科に縛られない教育が生まれてくる可能性があります。地域の大人たちは地域の様々な問題に直面していて、それを解決するための様々な知のニーズを持っています。そのニーズに応じていろいろな場で学びが展開されるのなら、その学びの場に子供たちを居合わせ、そこでの学びを子供たちの知の体験に接続するような工夫があってもいいではありませんか。学校を拠点にして地域の大人と子どもが"対話"する機会を、私は夢見ています。

そうしたことが可能になれば、私たちのようなNPOも、これから育ってくる子供たちを、自然な形で共に活動していくことのできる仲間としてうまく受けとめることができるようになります。市民運動に取り組んでいると、非常に政治的な問題を扱うことになるためか、ある"党派性"のレッテルを貼られたり、そういう目で見られたりして、もっといろいろな若い人が自由に出入りできて欲しいのにそうならない、という悩みを抱える場合が多いのです。これも学校の先生とうまく結びつくことによって−−何も学校の先生を利用しようということではありません−−子供たち自身が生き生きと主体的に「自分の力で世の中を良くしていけるのだ」という感覚を、学校の内でも学校の外でも、培うことができるようにしたいのです。そのような意味でお互いの協力関係を作っていきたいなというのが、私の願いです。

ご静聴ありがとうございました。

『物理教育通信』2001年No.106より転載

NPO法人市民科学研究室・代表
上田昌文