専門家、使いこなそう

大学院で生物学を専攻したが、取り組む研究が細分化して全体が見えない感じがしていた。そのころ、チェルノブイリ原発事故(86年)が起き、市民団体で核被害や核廃棄物の問題にかかわった。その体験から「科学の研究の現場と社会との隔絶を何とかしたい」と、市民を交えて勉強会を始めたのが「市民科学研究室」の原点だ。

科学技術は生活の中に広く深く入り込んでいる。それが進むほど、例えばどんなリスクやトラブルを背負うのか知ることが難しくなっている。ガス給湯器やエレベーター事故のように、身近な技術がある日突然、命にかかわるトラブルを起こすことがある。微量でも常時摂取したり曝露(ばくろ)するものが健康にどう影響するかは、専門家でさえ判断のつかないものが多い。食や水、エネルギーや交通など巨大システムに依存することが、大きなムダと環境負荷を生む面があることも、個人では実感しにくい。

技術に対する自分と社会の選択が、どんな結果をもたらすのかを想像する力が私たち一人一人に必要だ。そのためには、問題に応じて必要とされる科学知識を取り込み、解決のために利用していかねばならない。しかし、私たちはこの「科学の主体的利用」が下手だ。「素人は科学をよく知ってから、科学技術に対して発言すべきだ」という風潮が長く続いたせいかもしれない。しかし、生活に入り込んでいる科学技術全体を見通せる専門家などいないから、生活者の側からの発言を有効に積み重ねて問題解決につなげるしかない。

「科学の主体的利用」には専門家のサポートが欠かせない。特に、市民が調べたことと企業の主張が食い違っている場合は、科学的に信頼度の高い情報が求められる。今の日本では、科学者と市民が必要に応じて対話できるような場がほとんどない。

本来、そのような役割を担うのは、企業や行政からある程度独立している大学だ。だが、現実はどうか。例えば、私たちが電磁波のリスクを調べる中で大学に協力を求めたが、腰が重かった。個人として協力してくれたケースはあるが、大学となると「政府の意見と食い違ったらまずい」という配慮が働くのだろう。

今回の連載で取り上げられたサイエンスショップのような取り組みが広がり、企業ともうまく結びつけば、新しい形の大学、市民、企業の連携が生まれるのではないか。

科学者側には、専門分野の研究を進めると同時に、研究成果が社会に出て行ったときにどうなるのか、自分たちでチェックすることを求めたい。何かまずいことが予想されるなら、早めに市民に知らせて対話してほしい。自分の研究がよい形で生き延びていくためにも必要だろう。遺伝子組み換え作物が社会に受け入れられないのは、研究者側にそのような努力が欠けていたことも関係している。

市民側には、対話を求める声が高まってきている。科学者のボランティアに頼るのでは限界がある。科学者が社会と交流することを評価する仕組みを設け、科学者が足を向けやすいようにいろいろなタイプの交流の場を用意することが大事だ。【聞き手・西川拓】

『毎日新聞』「理系白書2007」第2部・科学技術は誰のもの 私の意見/中

NPO法人市民科学研究室・代表
上田昌文