科学は100% ではない(1) 着床前診断の技術的危うさ

投稿者: | 2006年7月8日

科学は100% ではない 着床前診断の技術的危うさ
講師: 宗田聡さん(産婦人科医・パークサイド広尾レディスクリニック院長)
報告: 渡部麻衣子
PDF版はこちら→bio_009.pdf
■はじめに
 去る4 月28 日、生命操作プロジェクトでは、産婦人科医の宗田聡先生を迎え、着床前診断に関する勉強会を開催した。宗田先生は、筑波大学医学部を卒業した後、同大学大学院の遺伝医学研究室に入り、長年出生前診断の研究に携わってこられた。研究は、当時日本ではあまり盛んではなかった、母体血中から微量の胎児細胞を取り出して行う遺伝子診断や出生前診断をテーマとされていた。1999 年から2000 年まで、当時タフツ大学にいた、この研究の世界的権威であるビアンキ教授のもとに留学した。帰国後は筑波大学で講師を務め、3 年前に茨城県の周産期医療センター長に着任。2 年間務めた後、去年の夏に広尾に開業した。現在は産婦人科全般に関わっており、お産に関るセカンドオピニオンの提供も行っている。最近は、こちらも日本ではあまり研究のなされていない<産後うつ病>の研究にもフィールドを広げている。『産後うつ病ガイドブック -EPDS を活用するために』(J. Cox, J. Holden 著、岡野 禎治, 宗田 聡、南山堂、2006)という翻訳本を出版されたところだ。勉強会では、研究者としても医師としても豊富な経験をお持ちの先生から、わかりやすく、なおかつ非常に示唆に富んだお話を聞くことができた。今号から二回にわたって紹介する。
■着床前診断の技術
 着床前診断の「診断」という言葉には、いたって断定的な響きがある。普通、あなたが「なんだか熱があるぞ」と思って病院に行き、「はい息すって~、止めて」という一連の行為ののちに、お医者さんが、「あなたの病気は○○です」と断定してくれることを「診断」と呼ぶはずだ。しかしどうやら、着床前診断の場合の「診断」という言葉は、そんなに単純な意味ではないらしい。その理由は、普通の病気の場合の「診察」にあたる部分が、着床前診断の場合、技術的に非常に難しいことにある。
着床前診断:
 体外受精した受精卵が8 個に分裂した段階でその染色体や遺伝子を調べる診断法。受精卵診断とも呼ばれる。日本では1998 年10 月より、申請された症例ごとに、各病院の倫理委員会と日本産婦人科学会の審査小委員会が適用の可否を決定してきた。これまでにデュシャンヌ型の筋ジストロフィーを対象とした診断が認められている。2005 年12 月19 日、日本産婦人科学会は着床前診断の対象に、新たに「習慣流産」を加えること発表し意見を公募した。公募は2006 年1 月31 日に締め切られ、計78 件の意見が寄せられた。2 月18 日には、『習慣流産に対する着床前診断についての考え方』を発表している。 習慣流産とは、3 回以上の流産を繰り返すことを指す。習慣流産は、およそ200 組に1 組の割合でおこるが、今回新たに着床前診断の対象に加えられた、染色体転座iを原因としておこる習慣流産はそのうちの約1 割にあたる。
 最初に説明したように、着床前診断は分割した細胞のうち一つを取り出して、その遺伝子から診断する。「テクニック的にはどんどんレベルが上がってきていますけれども、やっぱり一つの細胞の遺伝子情報で診断するというのはものすごく難しいわけです。」
 何が難しいのかといえば、例えば取り出した細胞の遺伝子のコピーを作って増やしてから行うPCR 法という技術の場合はこんな風だ。「DNA は四種類の塩基(A、G、C、T)が連なった長大な二本鎖からなる分子で、必ず一方の鎖のA と他方の鎖のT、また一方のG と他方のC が対合しています。例えば、その二本鎖をそれぞれ白、黒とすると、まずそれをばらばらにする。白と黒はくっつくので、黒は白のものでコピーさせてあげる。白には黒のコピーをつけてあげる。そうするとDNA は2本になりますね。それをまたばらすと黒白黒白とできるから、それぞれにペアのコピーをつけてあげるわけです。これを繰り返して、何十万倍にして、それでやっと診断するんです。そうするとよく考えて欲しいんですが、コピーの連続なんですよ。だから問題がおきるんです。まちがったデータでポジティブに出たりネガティブに出たりする。」
 それからFISH 法という技術の場合だと次の通り。
 「FISH 法ってのも原理的には似てるんですけど、細胞の遺伝子が2本なのでそれをばらしてあげるんですね。そこに、さっきみたいに黒のものにくっつく白を用意するんですが、その白に明かりをくっつけておくんですね。それでその白がくっつくと明かりがつくのでわかるんですね。ただ、白は黒に一番くっつきやすけれど、ここにある机や床にくっついたっていいわけですよ。それがいっぱいくっつくとみんな光っちゃってわからないので、FISH 法では最後に洗うんですね。ウォッシングと言います。洗いが強いと全部流れちゃいますし、弱いと残ってしまう。イメージとしては、絵のところに糊をつけて砂をばらばらまく感じ。思いっきりやると全部とれちゃうし、かといって弱いと余分なものが残ってしまって何の絵かわからないですよね。だからほどよくっていうんですか? ほどよくやるとちゃんと文字が浮かび上がったり絵が浮かび上がったりするという。そこがテクニックなわけです。だから人間のやることに100%正しいなんてことはもう幻想でしかないですよね。」
 問題は、途中に遺伝子のコピーという作業が含まれていることらしい。
「コピーが正しければいいんです。でもいつも正しくコピーされているとは限らない。もし仮に100 の遺伝子がコピーされていれば、そのうちの1 個がまちがってコピーされていても、他の99 個のコピーが正常なら『ほとんどが正常だから正常だよ』と言える。(しかし、着床前診断ように)1 個の細胞、シングルセルって言いますけれども、シングルセルで検査をするリスクというのは、例えばコピーに虫がついていたとして、この虫が最初からあるのか、途中でまちがってくっついた虫なのかがわからないということなんですね。」
 日本産婦人科学会の答申にもFISH 法の精度に限界のあることは記されているii。だからこそ染色体の検査である羊水検査では、細胞1 個で診断するというのは「ありえない」のだという。染色体検査の場合、
「たとえば何千何万という細胞からランダムに20 個とか選んで、その20 個が全部正常だったらその子は正常なんだろうという判断をする」
 この方法は、工場の生産ラインの考え方と同じだ。
「工場でテレビを作ってるとき、1 台1 台全部検査するよりは、アトランダムにぱぱぱっと5 台くらいテレビを見て、問題がないとなれば、基本的にはこの工場ラインで作ってるものには異常はないだろうという発想でやるんですよね。」
 しかし細胞一つだと比較のしようがない。そこが、着床前診断の難しさなのだ。そのため、診断を行う方も非常に気を遣うのだと言う。
「アメリカにいた頃、僕はPCR とかFISH とか自分でやってましたけど、日本なんかよりもっともう何百例とやっているアメリカのテクニシャンiii だって、やっぱり1 個のセルをやるときにはものすごく気を遣う。だってそれで判断が決まっちゃうわけですから。だから洗いの条件や環境なんかを確かめるために、別なサンプルで練習してから本番に入ってましたからね。でないと、実際の患者さんを診断する場合は一発勝負ですから。」
■「科学って、技術、テクニック」
 
参加者の一人が質問する。
「さっき”洗う”という言葉で説明していただきましたけど、実際にテクニックというのは上達していくみたいなそういう手わざ的なところがあるんですか?」
「もちろんありますよ。実験はもちろん。」
 しかし、そのこともまた、あまり表には出てこない。その理由は、
「まず、うまくいかなかったものはパブリッシュiv っていう問題がある。パブリッシュされるためには失敗したことは書かないですよね。100 回やって99 回は失敗して、これは最後の1回でうまくいったものですという書き方をしたら載らないですよ。」
 これは、パブリッシュされるためのテクニックだ。ここから、科学がいかに捏造と背中合わせであるかがわかる。
「今、韓国でも日本でも捏造が話題になっていますけど、捏造か捏造じゃないかって実はすごく紙一重で、嘘を書いたら捏造で、でも嘘を書かないで事実の一部を書くことはこれは真実ですから。そこが難しいんですね。だから、そのまま信じちゃうと、信じてそのままやって再現されないデータって一杯ありますし。だから、その辺りが難しいところなんですね。」
 書かない事実の中には、失敗したことだけでなく、実験のノウハウも含まれる。
「新しい技術ほど、ノウハウを論文でみんな隠すんですね。全部オープンにするとみんなに真似されちゃうんで。もしノウハウをオープンにしたら、みんなそのアイデアもらって、パワーのあるところにやられちゃいますから。弱小なところほどアイデア勝負ですから、この世界は。もちろん嘘は書かないですよ。50 度のところを70 度とかけばこれは捏造です。でも、実験の途中にあるエッセンスやワンステップが必要な時にそれを書かない。わざと。」
 そして隠すのは論文の中だけではない。共同研究先のアメリカの大学を表敬訪問した時のこと。
「こんな風にやってるんだって言うんだけど、行くと大事なところを全然見せてくれない。『これをこうこうこ
うやって、後はシグナルやって、フンフンフン♪』(机の下から何かを取り出して)『はい、これができました』みたいな感じ。『あれ、これって?』て思うわけですよね。『こんなにシグナルがきれいに』って言うんだけど、どうも怪しいんですよね。あたかも作ってあったような検体で。料理番組と一緒ですよ」
 たしかに実験は、料理のレシピを再現するのに似ているようだ。
「同じレシピで料理を作ったからといって、僕等がみんな陳健一のようにうまく作れるわけじゃないですよ。科学って、技術、テクニックだっていわれるのは、そういうところなんですね。」
 着床前診断は、そんなテクニックによって成り立っているのだ。
「結論から言うと、検査って、みなさんは結構、検査やれば黒か白かはっきりつくと思ってますけど、科学って人間がやってることなんで100%じゃないんです。そこでもう前提が違うんですね。結果が出ない時もあれば、まちがって出ることもあるし、色んなケースがあるんですよね。それがまずわかってないと、スタート地点がもう違うところからはじまっちゃってるんで。」
「100%正確な診断法はない」と、宗田先生は断言する。
■語られていない重要な事実:出生前診断と体外受精
 人間のやることに100%のことはない以上、着床前診断では確定できないので、着床前診断をやった後に、もう一度出生前診断として、羊水検査や他の検査をするというのがほとんどなのだそうだ。
「というか、やられていないと不安で意味がないんですよね。戻したぞって言っても、戻して産まれた子が異常だったら困るわけです。ですから間にどうしても出生前診断が入っちゃってるんですね。」
 宗田先生は、この点があまり語られていないということも指摘する。
「なんだかあたかも着床前診断すれば、妊娠中の胎児が大きくなってから診断しなくてすむから、結果的に無駄な中絶をしなくていいんだとか、卵だったら傷みをともなわないから、という論理が出てますが、それは一見すると事実なんですが、でも現実的には、もし15 週目の時に検査をやってもし異常が出たらそこで中絶されているわけです。そこの部分はあまり表だって語られてはいないですね。」
 もう一つ忘れてはならないのは、着床前診断にせよ、その前提となる体外受精にせよ、いまだ仮実験的な技術であるという点だ。この点があまり語られていないことも問題だと宗田先生は言う。
「だってたかだか15 年の歴史しかないですから。着床前診断をうけて産まれた人が40 歳になったときに、何の異常もでてこないのかということは誰にもわかってないですよ。体外受精だって30 年でしょ。これだって30年後、たとえば60 になったときにみんなアルツハイマーになるとかね、そういう事実があと30 年後に出てきた時にどうするのかなという問題はついて回ると思います。」
 不妊治療で有名なアメリカのパシフィック・クリニックでも、ホームページの中で治療の精度の問題に言及し、治療は仮実験的なものであると言い切っているv。特に着床前診断の場合、8 分割した細胞のうちの1 個を取り出す行程を含む問題点がさらに懸念される。
「大人の1 個じゃなくて8 個のうちの1 個だから」
という一人の発言で、この懸念はさらに現実味を持つ。
 この点についての研究はあまりなされていないと、宗田先生は説明する。あったとしても、まだ広く社会的に発表する段階にはないようだ。
「本当かどうかわからないですから。それを言うこと自体、おかしなことですよね。」
■ リスク管理の必要性
 しかし、リスクがあることは認識しておくべきだろう。そして、そのリスクにどう対処するのかを、個人として、社会全体として、考える必要があるのではないか。宗田先生は、お話の中で何度も「科学は人間のやることなので100%ではない」と繰り返しおっしゃった。その言葉を象徴するのが、診断途中の「コンタミネーション(汚染)」という現象だ。これが要するに「汗がポタリ」というような人間の失敗のことなのだと聞いて、一同はしばし爆笑。
「いや、でもね。」
と宗田先生は続ける。
「検査会社はないと思うけど、本当に大学だとね、大学1 年のやつが入ってきて、培養機とか開けるとまず全滅するんです。『僕何もやってない』って言っても、『お前しかいない!』ってことになる。これが不思議で。そいつがどっかからバイ菌を持ち込んでくるんですね。だからどこの研究室でも新人が入ってくるとやられます。」
 このような失敗を見越して、検査会社でも大学の研究所でも、検体を3つに分け、1つに異常があれば残りの2 つも調べるという体制を作って、リスク回避をしているのだという。
 では社会にも、人間の活動である科学技術のリスクを回避するしくみが必要なのではないだろうか? そのためにはどうすればよいのだろうか?
「僕はもう少しね、一般の方が主体性を持ってやるべきじゃないかと思う。厳しいかもしれないけど、女性が、というか妊婦さん自身が、どう思うのかというところをきちんとやっていかないと。」
 議論は、着床前診断を受け入れる側の人、社会にある問題についての話題にまで発展した。次回はそのことについて紹介する。
i: 染色体転座とは、染色体の一部もしくは全部がちぎれて、他の染色体に結合した状態を言う。遺伝子の情報量としては問題がないため、本人には異常はあらわれない。しかし、夫婦のどちらかが染色体転座だった場合、子の染色体が遺伝子の情報量としても異常となる場合があり、流産の確率があがる。
ii: 日本産婦人科学会『習慣流産(反復流産を含む)の染色体転座保因者を着床前診断の適応』, 2005 年12 月19 日[http://www.jsog.or.jp/kaiin/html/Rinri/announce_19dec2005.html](06/05/31)
「・・・・間期細胞核を用いたFISH 法の診断精度には限界があり、プローブによっても精度が異なるため・・・」
iii :テクニシャン: 実験の専門家。アメリカでは制度化され理学博士や生物博士がなる。
iv:論文として採用され正式に出版物として公表されること。
v: http://www.ifcbaby.net/n_program/program_pdg.html( 日本語での説明がある。)

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