【書評】 『反核シスター―ロザリー・バーテルの軌跡』

投稿者: | 2008年9月5日

写図表あり
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書評
『反核シスター―ロザリー・バーテルの軌跡』
(メアリー=ルイーズ・著/中川慶子・訳、緑風出版2008)
評者 ながのとしお(共同作業所非常勤)

 この本はロザリー・バーテルという、ナイチンゲールやレイチェル・カーソンと並ぶ、たぐい稀な女性平和運動家の波乱の人生を描いたものだが、放射線の危険性について基礎的な知識を得るのにも役立つし、アメリカを中心とする原子力産業とそれに対する市民運動の歴史としても十分に読める。

 ロザリー・バーテルは1929年、カナダとアメリカの二つの市民権を持って生まれた。彼女が16歳のとき、日本に二発の原爆が落とされ戦争が終わったことを知る。町中は喜びに溢れかえっていた。ところが家に帰ると母親が沈んだ様子で夕食の支度をしながらこう言うのを聞く。「あんなことはしちゃいけないことだったのよ」
 ――これが平和運動家としてのロザリーの原点である。
 彼女は子どもの頃から数学が得意で、宗教音楽にも深く惹かれた。大学では数学を学び、その後、戦争の灰色の影と向き合う時間の必要を感じ修道院に入ることを決心する。そしてそのための持参金2000ドルを用意するためにベル・エアクラフト社で誘導ミサイルの基礎研究をすることになる。

  「私は連邦捜査局(FBI)のセキュリティチェックを受け、机の間を武装した人たちが巡視している事務所で働きました。日中席をはずすときには、書類を机の引き出しにしまって鍵をかけなければなりません。夜仕事を終わって退出するときには魔法瓶の中まで検査されました。書類を持ち出していないかどうかを確かめるためです」

 そこで働く人たちは軍事目標だけを狙い撃ちし、病院や学校などは攻撃しないですむような〈安全な〉兵器を作ることで人類の平和に素晴らしい貢献をしていると思い込まされていた。ロザリー自身それをすっかり信じ込んでいたという。
 
そうした経験をした彼女は後に1995年北京で開かれた国際女性会議で次のように述べることになる。

   知的な若者は金と資源が注ぎ込まれる秘密の軍事計画に取り込まれます。そのような事業を行う国家は、世界支配のために「技術を利用」したいのです。頭脳流出は、医療や教育のサービスなどあらある民生の事業に悪影響を及ぼします。軍事的な利益が絡む領域と関係がなければ、研究資金を得ることはむずかしい。知的な努力を軍事優先に傾けてしまうのです。

 この軍事研究への〈頭脳流出〉という現象はアメリカという世界に冠たる軍事国家については特によく当てはまる話だろう。インターネットを支えるTCP/IPという技術が、非常時にも柔軟な通信を行うために、国防総省高等研究計画局からの資金提供を受けて開発されたものであることはよく知られた事実である。
 もちろん、アメリカと〈同盟〉を結び原子力発電を推進する日本にも多かれ少なかれ同じ図式が当てはまる。

 さて、皮肉にも軍事産業で働くことによって持参金を用意したロザリーは、22歳のときから5年間、修道院で宗教的な自給自足の生活を送る。健康上の理由で修道院を去った後は、高校、大学で教鞭を取り、やがて計量生物学の研究者としての道を進むことになる。
 そして「X線は白血病の罹患率を上げる」というある意味当たり前の事実を数学的に実証し、政治や行政が国民の健康に十分な配慮をしていないという現実を目の当たりにした彼女は、46歳のとき研究者としての職を一旦辞し、一年間の内省のときをすごした後、放射線の危険性を訴えることを中心に据えて、平和運動家としての人生を歩み始めることになる。
 彼女の研究に対する原子力産業からの嫌がらせ、果てには自動車を運転中に殺されかける。それでも彼女は放射線の危険性について訴えることをやめなかった。
 ウラン鉱山による労働者や地域の被曝、放射性廃棄物の問題、被爆兵士と広島・長崎、核実験後のマーシャル諸島の住民の被害、スリーマイル、チェルノブイリ、三菱化成の子会社ARE、ボパールの化学工場の事故、フィリピン・クラーク基地の撤退後の汚染状況、そして劣化ウラン弾・・・。ロザリーが関わった問題は、核兵器、原子力発電にとどまらず幅広く、また、深刻な問題ばかりである。

 ぼくたちが生きているこの現代社会は、確かに科学技術によって非常に便利な社会となっているのは間違いない。今この原稿を打ち込んでいるコンピュータの技術にしても、ほんの数年前とくらべてすら飛躍的に高度なものとなっている。しかし、そのコンピュータを動かしている電気が、かなりの割合で原子力発電に頼っているのも事実だし、コンピュータの内部の集積回路を作るためにどれだけ環境が汚染されているかもはっきりとは分らない。

 ぼくらは科学技術の便利さと引き換えに、どれだけの人々、どれだけの自然を犠牲にしているのだろう。科学技術の発展によって、人類は過去に抱えていた問題を解決し、輝かしい未来を築いていくのだと、ぼくらは思い込まされてきたのだが、実際には科学技術は、〈今〉の問題を未来に先送りし、〈ここ〉の問題をどこか目に付かない他人のところに持っていっているだけではないのか。
 ロザリー・バーテルの真摯で献身的な人生を知るとき、多分あなたも自分の人生を見つめなおす必要を感じるに違いない。■

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