農薬って何?

投稿者: | 2008年9月6日

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第27回市民科学講座(2008年6月28日)講義録
農薬って何?
講師:西田立樹さん(「農薬ネット」主宰)

今日話をさせていただきます、農薬ネットを主宰しています西田と申します。よろしくお願いいたします。

食の安全・安心と言いましたら農薬・食品添加物・食中毒などとそういったものすべてが含まれるのですけども、あまりにも取り上げすぎると考えにくくなりますので、今日は農薬で一つ食の安全と食の安心について考えてみようという主旨となっております。
 私の自己紹介をさせていただきます。大阪生まれの大阪育ち。39歳です。本業は農薬会社です。約19年間勤めています。研究職を14年間ほどと本社職を5年ほどやっています。またインターネットで11年前からやっているホームページで『農薬ネット』というものをやっています。農薬に関して非常に多くの情報を載せていますし、掲示板で書き込みをしていただきますと専門家からのレスポンスもありますので是非活用してみてください。また農薬に関して情報が簡単に取れるようにトップページにはリンク集を載せていまして、それを活用して調べてみればたいていのことが分かると。また、農業や食の安全についてインターネットではあちらこちらに散らばっていて、良い情報にアクセスできないたどりつけない際に「2チャンネルニュース速報+ナビ」と言うところを活用されたらよいと思います。

 農薬の話は科学的な話になりますので、なかなか面白くないとかとっつきにくいなど思われますが、分かりやすくお話したいなと言うのが私の考えているところです。
 初めに農薬についてたいてい見たことがない、自分で散布したことがないという方が多いかと思いますので基本的なところからお話をさせていただき、その後に食の安全・安心について話したいと思います。
 大規模な農薬散布の風景となっています。中央はブームスプレアーと言いまして長い腕が出ていまして、白い煙のようなものが出ています。これが農薬ですね。右上は無人ヘリコプターと言いまして写真では小さいですが1~2m程度のおもちゃのヘリコプターとは違いかなり大きいです。左下が有人散布と言います。だいぶ有人ヘリコプターは減っていますが、まだまだ東北や山陰、九州とかで行われています。右下が農薬を散布する専用の車です。スピードスプレアーといい、主に果樹園で活用されています。 もう少し小規模な農薬散布ですとリュックサックのような背負い式道具がありまして、それで撒くようになっていますね。

 次に農薬の見た目とか値段、一体日本ではどれだけの農薬を使われているのかと言うお話です。農薬は、東京のホームセンターではあまり売っていませんが、地方のホームセンターでは農薬コーナーがありましてごく当たり前に売っています。値段は1000円とか2000円、高いと1万円する場合もあります。一年間の農薬出荷量は平成18年度で27.5万トン、金額にしますと国内では3733億円ほど使用されています。世界では約3兆円となっています。農薬の単価を計算しますと1kg1400円ほどの代物となります。

 農薬の分け方としては、殺虫剤・殺菌剤・除草剤ですね。農薬は有効成分と補助成分でできています。有効成分というのは農薬そのもので、農薬業界では原体と言います。原体を撒いても、使い物になりませんので補助成分と言うものを足しています。たとえばダイアジノン3%粉剤と書いてありますけどもこちらですと有効成分が3%で残り97%が補助成分と言うことになります。先ほど27.5万トンと言いましたが有効成分、補助成分を足した出荷量でして、有効成分だけですと1/10程度になります。日本には4700種類の農薬がありますが有効成分は470種類ぐらいと言うことになります。

農薬はそのまま散布する製品もありますし、また水で薄める場合があります。水で薄める場合は100倍から10000倍までと農薬の種類によってさまざまです。一回の農薬散布で一体どれくらいの量を撒いているのかということですが、大体有効成分が10%の農薬を水で1000倍ぐらいに薄めて10アール、およそ30m四方にドラム缶1本分程度の200リッターぐらいを撒くのが一般的です。有効成分だけで20gぐらいです。一平米、1m四方でしたら耳かきの先程度の0.02gとなります。一平米の中には多くの作物が生えていますから、それに0.02gを薄く広く撒くことで、虫が死ぬとか病気が防げるとか、そういう効果があるということになります。これを多いと見るか少ないと見るか人によってさまざまだと思いますが、私はわずかな量で効くというので高性能なのだなと思っています。
 農薬は性能に選択性があるということが最大の特徴です。殺虫剤の種類によって選択性の指数が異なります。昔は選択性の指数が小さく、撒いている人が吸い込んでしまい虫も死ぬが人間も死んでしまうことが実際に起こっていました。現在は選択性の指数が大きくなりました。この選択性の数字の割り出し方は半数致死量、これはねずみにある殺虫剤を食べさせ半分くらいのねずみが死んでしまう量を計りそれを体重あたりで割ります。これを半数致死量といいます。また草食性の害虫でも体重あたりの半数致死量を計算します。その割り出した数値をねずみ割る害虫で計算し、出た数値が選択性の指数です。数字が1だとまったく選択性がなく、大きいほど選択性が高くなります。なぜ選択性が出るのかと言いますと、たとえば殺虫剤でしたら哺乳類と虫では神経は同じようにありますが、神経のつくりが違いますから、その差を利用しています。殺菌剤でしたら、カビと動物の構造が違いますので選択性が出しやすくなっています。除草剤では光合成の邪魔をするとか、発芽を邪魔するなど植物が持っている成長ホルモンの邪魔をするようになっています。

この選択性にも問題点はあります。選択性が大きいものほど抵抗性の発現がしやすい傾向があります。選択性が大きいと言うことはある特定の部分にしか効かないので、抵抗性を獲得しやすいのです。非常に選択性の大きいものを開発していても、抵抗性がつきやすくすぐに実用性がなくなることもあります。選択性が最大の特徴と言いましたが選択性の大きいものだけが農薬として使われ続けているわけではありません。新しい農薬がすぐに姿を消してしまっても、古くから使われている農薬が未だ使われているというのは珍しいことではないのです。古くからの農薬は選択性がないため抵抗性がつきにくかった、また、抵抗性がついてもしばらく休ませたらまた元に戻ったりしたと考えられます。
 抵抗性と世界でバッタが大量発生したなどの一種類の害虫が猛威をふるうとの関係はあるのかということについて質問がありましたが、抵抗性も考えられますが、多くの場合、大量発生の原因は気候と何年かに1度おとずれる大量に発生する昆虫の周期です。ただ、今まで農薬で抑えていたのに抵抗性がついてしまって、抑えられなくなり大量発生するということは局地的にあります。

農薬の法律に関する話をします。農家に正しい使い方を提供するのは農水省が管轄の農薬取締法、食品残留農薬の監視では厚生労働省の食品衛生法、環境中の農薬監視は環境省の環境基本法やPRTR法、農薬の製造管理に関しましては経済産業省の化審法、消防法などいろんな役所が法律を作っています。農薬と言う言葉には定義がありまして、田畑はもちろん、ゴルフ場や街路樹、山林、道路や鉄道に撒くのが農薬です。また家庭園芸で使用するのも農薬となります。一方、ハエやゴキブリ、シロアリなどに撒くものは法律上、農薬となっていません。それから衣類や畳の防虫剤、ノミとり剤なども範疇ではありません。ポストハーベスト農薬も農薬に含まれません。つまり作物を保護するものや構造物に生えてくる雑草を処理し、構造物を保護するものを法律上では農薬としています。ただし、範疇外と分類される殺虫剤などの有効成分が農薬と同じと言うものが多いのです。ですから農薬類として扱ってお話を進めたいと思います。
 
ポストハーベスト農薬に関して少々話をさせていただきますと収穫後の農作物に使用する殺菌剤、防かび剤などのことで農産物の品質の低下を避ける、無駄をなくし、安価で高品質の農産物を供給することを目的としています。長期間の輸送に関して使われている農薬ですので、国内で消費する分には使用されません。使う必要がないというのが正しいかもしれません。では長期間の輸送の際に使われているポストハーベスト農薬に基準値があるのかということに関しては、あります。ただこの基準値があることに世間がとやかく言っているわけではありません。発ガン性があるのに使っていることに危惧されている方が多いのです。アメリカと日本では発がん性についての考え方がまったく違います。アメリカでは発ガン性の確率が100万分の1人以下であれば良いという見方がされるのです。しかし日本では100万人に1人の人がガンになるようなものをアメリカが扱っていて日本に持ってきているという見方がされるのです。それは見解の違いであって、どこの国でも発ガン性の認められるものが使われることはありませんので、表現の違いが問題を起こしていると言えます。

作物を収穫する際にどのくらいの農薬を使っているのかの調べ方ですが、慣行栽培の農薬使用回数は各県のホームページに出ています。農薬使用回数は作物の栽培される期間によって異なります。また、夏ですと比較的害虫が多いので、夏場の作物には農薬使用回数が増えます。逆に冬場は害虫が出ませんので冬場の作物には比較的少ないです。路地栽培とハウス栽培でも違いがあり、ハウス栽培だと半分くらいになります。たとえば千葉県の場合、促成栽培のトマトですと10月ごろに植えて6月ごろまでの長い期間育てます。この期間58回。キュウリでしたら1年間通して栽培するので66回。こんなに使っているのと思われますよね。そもそも回数とはどういう意味かと言いますと栽培期間中に使われた農薬の成分数のことです。たとえば水稲では14回となっていますので14成分使われたと言うことになります。この14成分使うと言うことははたしてどれくらいの意味があって、どれくらい多いのか、あるいは少ないのかと言うことですが、私の知り合いの農家で白菜を植えてから収穫するまでにどんな農薬をいつ撒いたかという記録です。これを防除歴といいます。これによれば、白菜を7月14日に種を植えて、9月28日に収穫したわけですから、育てるのに2ヶ月半かかっています。この間に使用している農薬の成分数は22回です。千葉県の慣行栽培も同じくらいです。ところが回数のところには8回と書いてあります。なぜ成分は22回なのに8回なのかと言うと、混ぜて撒いているからです。たとえば8回目でしたら農薬の商品名アミスターとポリオキシン、アファール、アドマイザーという4種類を混ぜて撒いたということになります。ですから、散布回数は1回ですが成分数は4種類なので農薬使用回数は4回となるのです。一般的に農家では1週間から10日に1回農薬散布がされています。では、こんなに農薬を撒いていて大丈夫なのかと言う話になりますが、たとえば梨で話をさせていただきますと28成分を16回に分けて撒いています。花が咲くのが5,6月ごろになります。そこから小さな実ができ、9月の末ぐらいに収穫となります。前半の農薬は葉を正しく育てるために使われていて、最終的に食べる梨そのものに農薬がかかる回数と言うのはせいぜい最後の2回ぐらいです。梨の場合、袋がけとかもしていますのであまり直接農薬はかかっていないのではないのでしょうか。しかし、先ほどの白菜の場合でしたら、葉を育てて葉を食べるわけですから農薬がかかるところイコール食べる部分と言うことになりますので特に農薬をはずしたいと気になるところですよね。ただし、成長して、最後にかけた農薬が残留農薬の対象になります。なので、それ以前にかけている農薬に関しては残留農薬と言う観点から外れることになります。
ところで減農薬栽培というものがあります。千葉県のキャベツで見てみますと18回で行うところを9回で行うことで減農薬と表示することが出来ます。農薬は成分によって異なりますけど、農薬は葉の上に付着しているだけなので紫外線で化学構造が分解されたり、水で流されたり、分解されたりし、また蒸発してしまうなどさまざまですが1週間から2週間ほどで検出されなくなります。しかし残留農薬として出てくるのは収穫前の最後に散布した農薬なので、減農薬と言いましても最初のほうの農薬を少なくし、最後のときに農薬を使っていれば残留農薬と言う観点から考えますと意味がないのですよね。
農薬の使用回数は皆さんが想像したよりもはるかに多い回数となっていますが、収穫される直前に撒かれる農薬の回数は1~2回で一概にこの農薬使用回数が大きいと農薬のリスクが高いと言うことではないのです。また、県の慣行栽培の農薬の回数は多く設定されていて、実際にそれだけの量を使っている農家はいないです。農薬代だけでばかにならないため、目安程度となります。

次に農薬の安全性についての話をさせていただきます。
まず安全と言う言葉の意味をもう一回考えてみたいと思います。安全と言うものは相対的なものであるということ。そこで農薬を使うのと農薬を使わないのとではどちらが安全かというのは、たとえば農家の人の足腰の負担だけを考えたら除草剤を使ったほうが安全なのです。なぜなら毎日毎日、炎天下でかがんで草引きをすると言うのは腰が痛くなるとか、日射病になるとか、蛇にかまれるとか非常にリスクが高いのです。しかし一方で眼だけを考えますとたまたま除草剤を撒いていたら眼に入ることもあります。食卓でしたら、たくさんの農作物を用意すると言う意味では安全かといえますが、川の魚の場合、農薬によって死んでしまうこともありますので川の魚にとっては農薬を使わないほうが安全であると言うことになります。つまり対象・目的によってどっちが安全かは変わると言うことになります。

しかし、安全と言うのは大前提で重要なのですが、必ずしも世の中それだけで決まるわけではありません。最終的には何らかの目的があって、乗り物であり、道具であり、それらを選ぼうとして必要性を判断していきます。そのためには、コストとか労力とか、当然安全性とかありまして、人の気持ちや国策などがあり、必要性を判断していきます。リスクベネフィット論という言葉があります。どんな判断にも損得勘定が入っているということです。
農薬に関する法律とかもリスクベネフィット論に基づいて必要性を高めましょうと言う発想ですべて決まっています。これは農薬に限ったものではありません。農薬のリスクとベネフィットを表にまとめてみました。農薬のリスクですと散布中の事故だったり、自殺に使われたりします。あるいはアトピーになるのではないかとか癌になるのではないか。それから自然環境が悪化するのではないかとかそういったリスクが考えられます。一方で、ベネフィットですと農薬を使ったほうが使わないよりも大量の農作物が採れますし、安定して採れますし、コストダウンもできます。さらに農作業労力を低下させることで健康になったり、農家の余暇の拡大などがベネフィットとなります。その損と得を天秤にかけまして得が十分大きければ、農薬を使っていく農業をすると言うのもいいのではないかと言う結論になるのではないかと考えられます。

では実際にどれだけの得があるかといいますと、一つは増収です。日本の米の自給率が100%になったのはこの50年ですし、あと楽になった。それから安定生産などが農薬の得になります。ではどれくらいの農薬を使うと増収するかというと、農薬を使わなかった場合の減収率を見ますと、桃とかリンゴでは商品価値があるものが100%採れなかったということになります。トマトとかキャベツとかの野菜ですと4~5割程度減ります。大豆とか小麦とか穀物ですと3割程度減りますと統計的にはなります。ただし、これはいきなり農薬をやめてしまった場合であり、無農薬でさまざまな工夫を凝らせば、決してこのような結果になるとは限りません。ここで考えていただきたいのが、水稲の部分を見ますと3割程度減ります。米あまりで減反政策のため、日本の4割程度の水田が何もやっていないのです。ですから3割減ったとしても今、4割の田んぼが寝ているのだからそれを復活させれば、日本全国、無農薬の米ができてしまうのではないのかと言えるのですけれども、そうではないのです。日本が社会主義国で日本がすべての土地を管理しているのであればそうなるかもしれませんが、一人ひとりの農家が田んぼを経営していますから、見方を変えれば、30%減収すると言うことは10年間のうち3年は採れないということになるのです。つまり、誰かの田んぼの収穫が0%で他の誰かの田んぼの収穫が100%だったとして、われわれ消費者にとっては米不足になりませんでしたと言うわけにはいかないのです。ですから、この減収率というのを見て個々の農業とか考えた場合、減収率が10%になった場合その農業経営は成り立たないです。限りなく0%に近くなければいけないのです。次に楽になったと言うことですが、田んぼを例に出します。10アールあたりの除草労働時間は昔除草剤がなかったときは一人の人が50時間くらいかかったのです。今は除草剤を撒くだけですから、1時間程度から3、40分ぐらいです。一般に1ヘクタール程度行いますので50時間×10で500時間ほどかかっていたのでそれが浮くと言うことはすごいことです。その浮いた時間に何をしているかと言うと兼業農家さんが多いですね。

今までは得した部分を見てきましたが、ではリスクはどれだけ背負っているのかを見てみます。農薬のリスクで一番は残留農薬ですね。先ほども申し上げましたが、農薬の利用回数は多く、食べ物に付いてくるのは当然あるわけでして、そういうものを食べていて大丈夫なのかと言うのが一番のリスクですね。それから二番目のリスクとして自然界に蓄積してよからぬことをすると、そういったことがリスクとして考えられます。

それから農家の健康リスクですね。これらのリスクがどのくらいの大きさで管理されているのかが重要になります。農家の健康被害についてですが、農薬散布によって眼が痛いとか気分が悪いなどの何らかの中毒症状を出したかと言うアンケートをしてみると大体2、3割の人があると1976年の統計で出ています。今とってもこれくらいはあるのではないかと思います。普通に扱っていれば中毒することがほとんどない普通物での被害が増えていますけども8割程度を占め、よくよく注意しなければならない劇物と最も厳しく管理する必要がある毒物がいまだに2割程度の健康被害を出していて、農薬と言うのは決して安全なものではないと言えます。ただし、ここでいう農薬と言うのは原液です。原液を扱う農家や散布する際はゴーグルをしたり、マスクをしたりして十分体を守ると言うことが大事なことになります。

残留農薬についてですが、たとえば残留農薬が残っている野菜などを食べて直ちに中毒になるということは実際にはないです。日本においてそういった事故の報告はされていません。しかし、食べてすぐに中毒になるかどうかに興味があるわけではなくて、毎日、毎日食べていていずれは何かおきるのではないかということに興味があるのではないかと思います。それについてどのように調べるかと言いますと、まず動物実験。この場合の動物実験の対象はネズミとか、場合によってはサルになります。それらに農薬を混ぜた餌を一生涯食べさせます。そして、一生涯食べても毒性が出ない量、これを無作用量といい、もっとも大きい量が最大無作用量といいます。人間と他の動物とでは違いますので、動物実験で求めた最大無作用量に安全係数1/100を掛けて求めた数字と言うのが許容一日摂取量。通常ADIと言われます。これは、体重1キログラムにつき1日○○g食べても健康に被害が出ませんよ、大丈夫だろうと言う意味の数字です。このADIと言うのが安全性を考えるのに最も重要な指標になっています。これは農薬だけでなく、食品添加物や薬品などのさまざまな化学物質の安全性をADIで考えるのが基本になっています。

次にわれわれの摂取している量がADI以下の数値になっているかが重要になります。それをどのように調べるかと言いますと、日本人がどんな食物をどのくらい食べているのかを調べます。それらの食べ物に農薬が残留していると仮定して、すべて残留量を合計した量がADI以下になるようにしましょうとなっています。食物以外にも水とか空気からもとってしまっている可能性がありますので、食物からはADIが8割を超えないようにしましょうと決まっています。残留農薬基準値とか残留農薬基準を超えたから回収しましょうとかよく耳にするかと思いますが、残留農薬基準値とはこういった考えから決まっています。農薬の種類によってADIの数値を越えてしまうのではないかという疑問をもたれるかと思いますが、日本の場合は、農薬の種類によってADIの数値を超えると言うことがありませんので種類については考慮されていません。

残留農薬基準値はADI以下の数値と決めましたら、本当に残留農薬基準値は守られているのかと言うところが問題になってきます。まず農作物にどれくらいの農薬が残留しているのかについてですが、厚労省から年に一度発表されるデータを見ますと平成14年の国産の農作物に対して11万8千回の検査をして、703件農薬が検出された。割合として0.59%。そのうち、残留農薬の基準値を超えたのが0.02%と発表されています。そして輸入はおおよそ同じ結果となっています。しかし、検査件数とは検査作物数×検査対象農薬の種類となっていまして、農薬とは470種類ほどありまして、そのうち化学農薬として使われるのが200種類くらいで、一つの農作物を分析して、200種類の農薬に関して検査したら、検査件数は200件になるのです。一般的に一つの検査作物に対して20~250の農薬に関して検査をしますので、検査件数は非常に多くなるのです。しかし、一般の人は一つの作物に対して検査した農薬の数を検査件数とみなさず、一つの作物は1件の検査件数と判断します。その考えに基づいて計算しなおしますと、野菜は442個の野菜を分析した。そのうち何らかの農薬が検出されたのは84個で、検出品目の割合は19%になるのです。果物でしたら検出品目の割合は50%。玄米でしたら検出品目の割合は20%程度となります。輸入に関しましても国産とあまり変わりません。平均しますと25%ほどの農作物から何らかの農薬が検出されると言うことです。先ほどの数値とだいぶ異なり、先ほどの数字ではあたかもまったく検出されないかのように見せかけていたのです。
3,4年ほど前に中国の冷凍ほうれん草から農薬が検出された問題についてですが、日本の農薬の法律では残留農薬基準値を越えたら輸入させません。しかし、実はあの農薬について日本では残留農薬基準値がなかったのです。ですから回収はされましたが、法律上、取り締まることが出来なかったのです。それでは問題がありますので、平成18年5月にポジティブリスト制といわれる新しい法律ができました。残留農薬基準値がない場合、一律基準値0.01ppmと最も厳しい基準値以下であればよいと法律が変わりました。

残留農薬についてまとめますと、ADIを求め、その数値以下の残留農薬基準値にしましょうと言うことになります。それをふまえたうえで、残留農薬基準値を超えた作物がどのくらい出回っているかというと、全量計算をしているわけではないので、限りなく0には近いのですが0ではないのです。実際、市場で収去検査を行いますと残留農薬基準値を超えた作物が検出されることもあります。しかし、ある一つの残留農薬基準値を超えた作物を口にしたとしてもADIを越える可能性はないのです。農薬分析結果から日本人の残留農薬摂取量はADIの500分の1以下になります。つまり、残留農薬による健康被害は科学的な見地からは考える必要はないのです。スーパーなどで残留農薬基準の超えた農薬が検出されましたと、直ちに回収命令が出ましたと。そのときに、ただし直ちに健康に被害がでることはありませんと通達がでます。なぜそのような通達が出るかと言うとADIなどを用いた科学的根拠に基づいて言っているのです。ちなみに残留農薬基準値を超えたものは出回ってはいけないと言われていますが、これは日本だけの考えでヨーロッパやアメリカとかでは残留農薬基準値を超えたからと回収とかではないのです。モニタリング検査を行い、残留農薬基準値を超えた農作物の割合が一定以下であれば、ADI等の考え方に基づいて健康被害がないと考えているのです。

発ガン性・催奇形性についてですが、動物実験により調べられています。日本の場合、発ガン性がまったく認められないと言うのが農薬使用の条件になっています。欧米ではリスク管理となっていまして、どれくらいの発ガン性リスクがあるのかというのを調べて、一定のリスク以下であれば、使用を認めていると言うことになります。アメリカでは発ガン性が認められているのに日本では使われているとかありますが、考え方や基準がまったく異なるために使用されることがあります。
アレルギー・アトピーについてですが、動物実験ではおこらず、農薬が関与すると言う明確なデータは実はないのです。しかし、無農薬作物でアレルギーが軽減した例はあります。ですから農薬とアレルギーがまったく関係がないかということにはなりません。最初に述べましたように農薬と言っても500種類あるということ。無農薬野菜=農薬を使っていないわけではないこと。アレルギーの悪化要因はストレスが大きいこと。などを考慮しますと、精神的な要素が関与しているという学説が多く出回っています。
続いて、自然界への悪影響について話をさせていただきます。DDTなど塩素系農薬は自然界に蓄積し、悪影響を及ぼしたということが報告されています。この報告を世に知らしめたのが『サイレントスプリング』という本です。この本が最初に出版されたのは1962年です。この本で検証されたことがありまして、日本では法律の改正で蓄積性のある農薬は使わないようにしましょうとなりました。また、土壌残留性や水質汚濁性が試験項目に入り、生物濃縮性も調べられるようになりました。しかし、世界中どこでもDDTが使われなくなったわけではなく、使われている国もあります。それについて問題として取り上げられていますが、『サイレントスプリング』で指摘されたDDTの使い方について、アメリカでは一定基準の使用量よりも非常に多くの農薬を使用するなどと、現在の使われ方では考えられないような使われ方をしていたのです。そういった使用方法をしていたら問題は起こっていたとも考えられます。ですから現在このような使われ方をされず、使用されているDDTが発展途上国でどのような悪影響を及ぼしているかと言いますとそれほどまで悪影響を及ぼしていないのではないだろうかと思います。
ダイオキシンは農薬に含まれていないのかと言う問題ですが、現在では検出に関して厳しくなっています。現在ではppbオーダーで検出されるものはなくなり、これ以下のオーダーになると自然界に普通に存在しています。ダイオキシンの話をすると必ず枯葉剤とかベトナム戦争などと話が出てきますが、あれも使用方法が問題なのですよね。農薬を撒いて残土が真っ白になってしまうような使われ方は通常はしません。農薬は用法を守って、きちんと使うと言うのが大事であって、あのような無茶な使われ方をすれば、環境に影響を及ぼすのは言うまでもありません。
環境ホルモンについてですが、スピード98と言うのがありまして、頑張って認識評価しましょうと言うことでしたが、欧米含めて問題があると思って調べたものの結局、リスクはなかったのです。しかし本当にないのかということに、改めて実験しようと言うことになり、まだまだ調査は続いています。

われわれには生まれてから死ぬまで健康に寿命を全うしたいという願望があります。そのためには、さまざまなリスクがあります。われわれが生まれてから死ぬまでに死亡リスクが高いのはタバコで危険度1/200であります。これは200人中に1人が死ぬと言うことではないことをご了承ください。またアルコール1/250でしたり、原付自転車の運転1/250などがあります。そういった危険度を比較して残留農薬・食品添加物のリスクは1/500000以上と桁違いに少ないのです。だからといって、気にしなくてよいと言う意味ではありません。また、桁違いに気にしなければならないものもあるということでもあります。

農薬を使うことで成長を促進しています。それによって作物に何か悪影響、たとえば人間が薬を飲むことで自然治癒力を弱めてしまうことがあるなど、があるのではないかということを気にされているようですが、農業を行っていて、どんどん農薬を撒けるほど、一つの作物に対して金額がかけられていません。また病害虫が発生しないようにすることを怠る。病害虫が発生しない旬でない時期に作物を作ってしまうなどがありました。たとえば、大根。冬野菜ですが害虫の影響などにより作ることができなかったのです。それを農薬が使われることで本来作れない作物を作れるようになる。本来作れる能力のない人でも作れるようなりました。それをリスクとみるかベネフィットと見るかは人によります。本来食べられない時期に食べられる、生産能力を高めたことにより、価格を抑えることが出来ているということをベネフィットと受け取っている人が大多数であります。何か悪影響があるのではないかというリスクよりもベネフィットのほうが大きいと思っているのでしょう。また栄養と農薬は関係がないと言われています。それよりも品種、作る季節、肥料などのファクターが大きいので農薬はあまり関係ないといわれています。

生産者側からと消費者側から見たリスク・ベネフィットの感じ方がまったく違います。新しい農薬を許可する場合、生産者側を優先するのか消費者側を優先するのか、どうやら聞いていると生産者側を優先しているような気がしてならないと意見をいただきました。新しい農薬を許可する、しないについて管理しているのは農水省の農薬取締法です。そもそも農薬というのは基本的には農作物を生産するための手段の一つなのです。どこに重きを置いているかといいますと生産になります。ですから、生産をしやすいように新しい農薬を入れましょうというのが根本にあります。次に新しい農薬を求められる性能は何かということです。これだけの多くの農薬が出回っているのになぜ新しい農薬が出回るのかと言いますと、一つは農薬メーカーが儲けるためです。二つ目には農薬には抵抗性がつくときがありまして、同じ害虫に同じ農薬を使い続けると効かなくなってしまいます。3つ目がより食品安全性の高い農薬が求められているからです。このように確かに生産者が主になっています。しかし、その生産者が受け入れる農薬は何かと言いますと消費者に対して食の安全性がより高いものであると言うことを生産者は見極めているのです。だから生産者が主軸といえ、消費者が置いていかれているということはないのです。
遺伝子組み換え作物と農薬の使用の仕方と現在の農薬の使用の仕方がどんどん変化してくるのではないか、それについてどう考えているのかと意見をいただきました。これについてまず、世界の農薬は約3兆5千億円です。日本では3700億円。つまり世界の農薬の約10%は日本で使用されているのです。生産量から農薬使用量を考えると日本が世界1なのです。逆に言いますと世界では日本に比べてあまり農薬を使用されていないのです。それは、日本はとても病害虫が多発しやすいとか日本人が見た目を非常に気にするからなど理由はさまざまですが、日本の農業と言うのは小さな田んぼを先祖代々受け継いできたとかとても情緒的なのです。しかし、世界の農業は商業的なものです。何百ヘクタールもある農場の中から如何に収益を上げるかを考えています。だからとうもろこしが売れると思えばとうもろこし。サトウキビが売れると思えばサトウキビ。ですから遺伝子組み換え作物を使うことで除草剤の使用回数が減り、使用金額が減るなどを重視します。日本だとそれよりも安全性はどうなのか、世界中が自由化でやるのであれば自由化でやったらいいのではないのとか、日本は本当に独特な農業なのです。世界的な流れで穀物需要が高まっていますし、穀物の値段も2倍、3倍と跳ね上がっていますから、どんどん作れ、作れ、作らないと間に合わないと言う状態で、遺伝子組み換え作物を拒絶している国は日本と韓国くらいなものです。ですから、農業に関するスタンスとか見方がまったく違いますので、外国の農業と日本の農業はまったく別物であり、同じ目線で考えることが出来ないと思います。逆にそれが日本の農業の生き残る道なのかもしれません。アメリカ等と同じことをしても勝てません。そういった農業に対する考え方の違いが農薬の使用の違いが出てくるのでしょう。
日本での農薬の使用の仕方は他の国々に比べ、非常に肌理細やかにおこなわれているという印象を持たれたようですが、良く言えば、そうかもしれません。悪く言えば、多くの農薬を使用しているといえるのです。農薬とは値段が高いのです。最終的に農作物が高く売れなければ、農薬を買うことができないのです。世界の農業と言うのは、たとえば日本の米はタイの米の20倍の値段で以前は売られていたのです。タイの米の相場が高まって日本の相場が低くなってその差が今では2、3倍となっています。高い農作物を生産すると言う状況でなければ農薬を買って使うことができないのです。だから日本は農作物を高く買ってくれるし、高く買ってくれる消費者の目は厳しいのですから逆に農薬をたくさん使うことができるのです。世界の農業は付加価値が高くないので、農薬が安いのです。安いと言うのは安物の農薬を使っているということです。日本の農薬の品質が高いともいえますが、外国の農薬の品質が低いわけではありません。しかし中国などの農薬の品質は低いです。ダイオキシンが混ざっていませんとお話をさせていただきましたが、それは日本の農薬であって、中国などで勝手に物流している偽物農薬、正規品でない農薬は品質が保証されていません。

先ほどにも少しお話をさせていただいたポジティブリスト制についてもう一度お話をさせていただきます。中国の冷凍ほうれん草に残留農薬が残っていた事件が起きた際、ある特定の農薬に関して取り締まる基準値がないという状態でした。それが2年前に法律が改定され、基準値のない農薬には一律0.01ppmにし、規制が強化されました。農作物によって農薬の基準値は大きく異なります。たとえばメトプレンという品目の農薬ですが、コメの基準値は5.0ppmですが、ホウレンソウの基準値はありません。ないということはポジティブリスト制により、0.01ppmと言うことになります。逆に作物側から見たときに、たとえばホウレンソウという作物で考えると、メトプレンという農薬では0.01ppm、キャプタンは5ppmが基準値になり基準値が500倍違います。なぜ基準値がそれほどまでに違うのかと言いますと、これは農薬取締法により決まっているホウレンソウという農作物に使っていい農薬というのがありまして、キャプタンと言う農薬は使って良いのです。またメトプレンはホウレンソウに登録がない、つまり使ってはいけないということになります。これは禁止されているのではなくて、ホウレンソウに出てくる虫などに対してメトプレンは使う必要がないのです。使われることもなく、検出されることもない農薬だから基準値が低く設定されています。またキャプタンやアゾキシストロビンはホウレンソウを栽培するにあたり、ベネフィットがあるから5ppmまでのリスクは認めましょうということになります。
日本で起こった残留農薬基準値のオーバーの集計表を見ますと、小かぶ、スナップエンドウなどマイナーな作物が多いのです。農薬と言うのは作物ごとに登録をするので、通常、キャベツなどメジャーな作物から登録をとっていきます。メジャーな作物に対しては大きな残留農薬基準値が割り当てあれます。しかし、マイナーな作物は農薬登録をとるのに後回しになったり、とられなかったりします。また残留農薬基準値が極端に低いのです。ですから残留農薬基準値をオーバーする農作物と言うのはこのようなマイナーな作物が多いのです。中国から輸入されたホウレンソウからある農薬が0.02ppmあるいは0.06ppmの農薬が検出されました。基準値が0.01ppmですから2倍あるいは6倍の農薬が検出されたと報道され、回収となったのです。その検出された農薬は日本ではホウレンソウに使われない農薬だったので基準値が0.01ppmでして、ホウレンソウに似ているキャベツではその農薬の基準値は5ppm。一方、中国ではホウレンソウを育てるときにその農薬を使用することが認められていたらしく、中国では使われていたので検出されたのです。ですから中国製の野菜が特に危険ということがないのです。日本と中国での農薬に関する基準が異なったために起きた問題だったのです。こういった問題は頻繁に起こっています。世界的に残留農薬基準値を統一しましょうと掛け声が上がるのですが、残留農薬基準値と言うのは食べ物の量に割り振っていますので、コメが多い民族、小麦が多い民族などと民族ごとに食べる割合が異なりますので統一すると言うのが無理なのです。構造的な欠陥と言うものを抱えていて、今後も残留農薬基準値を超える作物が検出されることが頻繁に起こるとは思われますが、一概にも外国製の農作物が悪いとは言えないのです。

輸出作物にも問題があります。日本から梨やリンゴなどを輸出しようとしています。その中でお寿司がブームになっているので緑茶は世界で需要がどんどん増えています。ところがヨーロッパやアメリカでは緑茶を飲む習慣がなかったので、緑茶に対する残留農薬基準値がないのです。ところが日本では緑茶の栽培面積が非常に大きく、残留農薬基準値がたくさんあります。ですから日本で作った緑茶をそのまま輸出しようとすると、ヨーロッパなどでは一律基準値が適用となっていて、落ちてしまうのです。日本で輸出が盛んに叫ばれていますが、リンゴや梨も同じ状況でして、日本の政府が日本の残留農薬基準値をきちんと他国の政府に認めさせるという作業をしなければならないのですが、まったく行われていないので、掛け声だけでなかなか輸出量が増えないだろうと農業の現場では見られています。実際に中国製の緑茶をアメリカが完全にストップしていまして、中国とアメリカで2国間協議が行われています。なぜ政治家が食の安全性について国と国で話し合うのだと見方もありますが、こういった背景があるからです。残留農薬基準値を如何に認める、認めないかが政治問題であるというのは、食の安全性を軽視しているというわけではなくて、国同士で話し合わなければならない状況であると言うことです。

残留農薬基準値を越えやすい作物と言うものがあります。残留農薬と言うのはppmで表わします。100分の1が%でして、ppmとは100万分の1ですね。農作物の重さに対して農薬がどれだけついているのかと言うことですから、%で表わしますと100gの農作物に1gの農薬がついていれば1%。それと同じ考え方で100万gつまり1トンの農作物に1gの農薬がついていたら1ppmとなります。つまり軽くて、表面積の大きい作物は残留農薬が検出されやすいのです。具体的に言いますと、小松菜、チンゲンサイ、水菜などがあげられます。また、同じようにぶら下がって実がつき、同じように農薬がかかっていてもナスとピーマンを比べると重さが軽いピーマンのほうが10倍も20倍も農薬が検出されるのです。しかし残留農薬が検出されやすいからと言って危険な農作物と言うわけではありません。また、日常生活の中でそういった作物の1人の人が一度に食べる量が意外と少ないのです。食の安全性という面よりも食の文化と言う面から危惧されています。たとえば、パセリ。パセリは重さがほとんどないが、表面積は広いので残留農薬が非常に検出されやすい作物でして、食べるものではなくてほとんど飾りのようなものです。正直、あってもなくてもよいのです。しかしあってもなくても良いですが、あったほうが良いので実際に使われています。残留農薬が検出されやすいパセリを育てる農家は非常に大変な思いをしています。残留農薬基準値をクリアするのが難しいのです。パセリだけでなく、シソなど摂取量は非常に少ないが、なくてはならない農作物は農業として成り立たなくなっています。そういった作物を扱っている農家は悲鳴を上げています。また消費者に対して必要ないのではないかと訴えています。必要なら法律で作れるようにしてくれ、いらないのであればいらないとはっきりと言ってくれというようなところまで追い詰められています。パセリは食文化なのか必要のないものを作っていたものなのか、同じ理由で桜餅の桜の葉をなかなか作れなくなってしまいました。では桜餅の桜の葉がなければないで、生活を脅かすことはないと思うのか、日本の文化として残すのか。農業の現場と言うのはそこまで追い詰められています。
ここまで食の安全について話をさせていただきました。続いて食の安心について話をさせていただきます。現在は食の安全・安心と言われ、安全兼安心である、安全と安心が一括りされています。そもそも安心なものとは一体どういうものなのか。安全=安心と考えるのであれば、食品工場で作られたもののほうが安全なのです。なぜなら手作りに比べて、清潔であり消毒がゆき届いているなど安全性が高いのです。しかし食品工場のほうが安心できるのかと言うと人それぞれになります。食品工場のほうが安心する人もいれば、往々にして手作りのほうが安心する人もいます。手作りのほうが安心と考える理由として、一つは楽しいということではないでしょうか。手作りだと作っているところが見えるとか、珍しい、変わっているとか、気持ちの部分で楽しいと言うのは安心する上で必要なのではないでしょうか。もう一つは慣れですね。おふくろの味とかふるさとの味、海外旅行で大しておいしくなく高いのですが日本食レストランでなんだか安心できるとか、そういった慣れが安心するためには必要なのでしょう。またもう一つは安心するためには安心感が必要である。安心と言うのは不安がないということなのだろうと思います。不安がない状態になっている、不安について考える必要がない状態が安心でして、自分で自分を安心させるために安心感が必要であり、安心感を得るためには安全であることを証明して欲しいのです。証明してくれた人やデータが信用できるのか。あるいは何か疑問を持ったときにきちんと説明されるのかなどこういったことがないと安心ができないのです。食の安全・安心という中で安全だったら安心という単純なことではないということをここで伝えたいです。
今、食の安全・安心という中でみなさんが一番興味をもたれているのが農薬や食品添加物などでしょう。実際問題で、農薬が使われ始めたから50年以上経っていますがその中で問題があったのかということです。それはまだ気づいていないだけで、これから先問題が起きるかもしれません。しかし、特別目に見えて問題が起きたというものがないのです。安全については科学的に実証されているので問題ではないのです。それといままでの実績の話を考えると残留農薬による食の安全を脅かされたことがないのです。ただ何が脅かされているかと言うと安心できないと言うことです。問題は安心ができないということなのです。鳥インフルエンザやBSE問題がおきて安全だと思っていた鶏肉や牛肉が安全ではないのではないかと不安になるとか、いつも入っているお風呂で入浴中に停電になり、お風呂の電気が切れたからといって安全には変わりはないが環境が変わるとなんとなく不安になるとかあります。住んでいる部屋の前に住んでいた人が自殺をしたことが判明。何も変わらないが考えただけで不安になります。これらの例を見ると安全と安心は関係がありそうですが実は関係はないのです。問題が起きたら人が不安になるのは早いのです。しかし一度不安に思ってしまったら問題が解決されても不安をなかなか取り除くことができず、月日が経つにつれてなんとなく不安が解消されていることもあります。ただ不安のままであることが多いのです。つまり安心というのは一瞬で損なわれてなかなか元に戻らないという特性があるといえます。ですから食の安心というのは非常に難しい問題なのです。
食の安心を確保するために農業の現場では何が行われているか、また消費者の中で気にされる方は何を行っているのかと言いますと、安心を得るために必要な楽しい、慣れ、安心感を含ませているということです。農業で楽しいというのは家庭菜園、有機栽培、契約栽培などほかとは違い、消費者から作っているところが見え、珍しく、わくわく感があり楽しいと言うことになります。慣れで言いますとブランドですね。中国産のイチゴよりも栃木産のイチゴのほうが良いとか、タイ米よりはコシヒカリのほうがいいのではないか。これらは慣れになります。次に安心感ですが、安心できるお店で購入するとか、農家から直接買うとか、よく宣伝されているものや評判の良いものなどにより安心感を得ています。日本中や世界中の農家がこれらのうちどれかを行うと言うわけにはいけません。その妥協点としてGAP Good Agriculture Practiceが注目されています。日本語では農業規範といわれます。信頼できる農家から栽培された農作物であれば安心できるのではないか、とれたものが安全かどうかではなくとれるまでのプロセスが安全・安心であるかどうか、農家が信頼できる農家であるかを考えましょうと言うことです。EUREPGAP(ユーレップギャップ)という欧州小売業者を中心に定められたGAPもあります。この10年ばかりで注目されている考えで、日本でも去年あたりからさまざま団体からGAPで皆さんに安心してもらおうと活動されています。GAPの理念とは難しくなくて、とれた農作物を食品としてしっかり管理しましょうと言うことです。他の業界を見ると、たとえば自動車であれば、原材料から店頭販売まで品質管理に隙がなく、工場周辺の環境や住民にも配慮し、トータルのイメージを作り、最終的には生産物もこれなら安心して使用できますよということになります。農業においてもおなじ理念でやらなくてはならなくて、難しいことではないのです。今までの農業と言うのは、農家が農協や市場に持っていって販売し、最後に取れた作物がおいしければなんら問題がないという考え方でした。それでは問題があって、服装にも気を遣ったり、安全指針や宣言をしたり、イメージ戦略を大切にするなど、当たり前で基本的なことをしっかりとしている農家であれば皆さんが安心して購入ができるのではないかと、生産者サイドと消費者サイドで折り合いをつけましょうということが食の安心というものの落としどころになると農業の現場では考えています。ところがその落としどころをあっさりと破ってしまう人たちがいまして、先日、中国産のうなぎを国産うなぎと偽って販売したり、牛肉の産地偽装をしたりとみんなの努力をあっさりと踏み潰す人たちが出てきます。99%の人が努力をしても、たった一人の人かもしれませんが、そういった問題が出れば、安心が損なわれてしまうのです。損なわれた安心は元には戻らない特性がありまして、いつになっても消費者の安心を得られなくて、むしろ不安ばかり増幅しているというのが現状なのです。だから皆苦々しく思っているのですが、消費者として安心したいのです。そのためには努力している農家もいるということを知り、安心するためにはある程度の安心する努力が消費者に今の世の中では必要であるのではないかと生産者サイドとして思います。

では日本の農家は本当に農薬を正しく使われているのかという実態についてですが、農水省がまとめている農産物安全対策業務における農薬の不適正使用状況の抜粋を使って見ていきます。これによれば、3800件の農家を調べ、その農家らで総使用回数26000回ほど農薬が散布されています。そのうち厳密に決められている農薬の使用方法を守れなかった、不適正使用のあった農家数は2.1%ありました。やはりここを0%にしなければ消費者に安心してもらえないのではないかなと思います。農業の現場では7、8年前までは不適正使用のあった農家数は10%近くありました。それが度重なる規制強化で法令遵守がされるようになり、2%まで下がり、こちらは平成15年の統計ですから近年の統計を再度見直せばもう少し下がっているかと思います。しかし、0ではありません。では、農薬の使用方法を守れないのは意図的にやっているのかと言うことですが、不適正使用の合った農薬のうち誤った作物に使用した農家数、誤った時期に使用した農家数、誤った回数で使用した農家数とありますが、どれも数値が低く、意図的にやっている農家は少ないと思います。ただ、本当にいないかと言うと残念ながら0ではないでしょう。また作物によって農薬の不適正使用状況が異なります。もっとも不適正使用農家数の%が高い作物と低い作物を比べてみますと稲の農家の不適正使用農家数は0%なのです。稲は日本では基幹産業なので、農薬の種類がたくさんありまして使用方法を破る必要がないのです。しかし、ホウレンソウは使える農薬が限られていて農家も困り、使用方法が不適正だと分かっていても使ってしまう農家もいるといえばいます。あるいはその他の農作物に比べて稲の農家は広い面積を使い、農薬を買っても農薬が余ることがないのです。単作でホウレンソウしか作っていない農家というのはいなくて、いろんな農作物をつくっている中で一部ホウレンソウをつくっている農家が大半なのです。たとえばキャベツ用に農薬を買って、余ったと。それをホウレンソウに使ってしまおうと言うことになってしまうこともあります。ですから不適正使用農家数がマイナーな作物ほど高くなってしまう傾向があります。だからといって一概にホウレンソウの農家がいいかげんというわけではないです。しかし、それは生産者の理屈であってそれを消費者にアピールしても意味がないと思います。困っているのは分かるがきちんと使用して欲しいと思うのが消費者の気持ちであり、不適正使用農家数を0にするのが日本農業の宿題だと思います。これを0にしてはじめて消費者と対等に話をすることができると思います。日本の農業はまだ完璧ではないのです。

生産者に農薬に関して教育をしましょうと言うのは都道府県単位で行われているものです。農薬を使用するには免許などは必要がないので誰でも使えるのです。一応講習会などは行われていまして、たまに名前を聞かれるかと思いますがエコファーマーとか、講習を受けて取ることができます。しかし、エコファーマーなどやっている人は少なくて、実際は農協の職員とか近所の農薬に詳しい方とか農薬メーカーのセールスマンから教えてもらうなどとレベルが非常に低いのです。農薬には使用方法などがしっかりと記載されています。その使用方法をよく読んでその通りに使用してくださいと指導はされていますが、それから先は農家の善意に頼る部分が大きいのです。本当に使用方法を読んでいますかとか使用方法に沿って使用していますかという部分をまったくチェックしていないのです。
農家としてコストのかかる農薬をできるだけ少なくしたいという考え方をしたり、自分たちの安全性に関わるのでその辺りが手薄なのは意外に思われたと思います。各県に公的な指導機関、JAの指導機関とか多くありますのでやっていると言えばやっているのですが、一人ひとりの農家に講習を受けさせたり、テストを受けさせたりしていないので、農薬を使用するのが上手な農家とそうでない農家がいます。上手な農家というのは農薬の使用量はとても少ないのです。そうでない農家ですと使用量が非常に多いか使用方法が分からなくて使用量は少ないが収穫量も少なくなってしまいます。ですからそのあたりも農家の腕前となってしまうのです。

余談になってしまいますが農薬と言うのは予防的に使うものなのです。虫が大量に発生してから、病気が発生してからでは、せいぜい止めることが出来ても効果が期待できないのです。ヒトでしたら病気が治れば元に戻りますが、作物ですとカビが発生したり、虫にかじられると元に戻ることができないのです。ですから農薬は予防的に使うことで効果が出ますし、予防的に使うことで使用量も少なくなるのです。しかし、間違った論調がありまして、最初に必要最小限の農薬にしてくださいと言うのは、消費者も望んでいますし、農家も望んでいることなのです。ところが消費者感覚から言いますと虫も出ていないのに農薬を撒いているのはけしからんではないですかと。あるいは実際予防的に撒いたのですが、その年は天候などの影響によりその虫の発生が少なかったと言うことあります。それをまた消費者から無駄な農薬を撒いたという言われ方をされたりします。そのほかにも無農薬でやりたいとか減農薬でやりたいと言われる方の中にはできるだけ農薬を使わずに、虫が発生したら仕方なく農薬を使用するというスタンスの人もいます。そういった農業は間違った農薬の使い方をしているのです。残留農薬と言う観点から言いますと長い栽培期間のうちの最後に使った農薬について検査されるのですが、減農薬という表記のある野菜は最初の農薬を少なくしただけで減農薬と表記できるようになってしまう場合もあるのです。それでは農薬の使い方も間違っているし、残留農薬が検出し易くなることがあります。たまたまその年、害虫の発生が少なく最初の農薬を飛ばすことができる場合もあるかと思いますが、害虫が大量に発生しやすい年であれば、虫が発生してからでは後手、後手で農薬を投入していかなければならなくなります。それよりは適正な農薬を少しずつ使い、予防に努めて、最後収穫する際には残留農薬がないきれいな状態で収穫するようにすると言うのが良くて、農薬の使用量が半分だから減農薬でそれが良いとか慣行栽培だから良くないと言う価値観で判断してはいけないのです。

食糧自給率に関しまして今後どのようになっていくのかと言う質問についてですが、日本は自給率を上げたほうが良いと当然話が出ています。しかし、自給率を上げるのは難しいと思います。日本の自給率は40%といわれていますが、これは日本人が食べている目先のものが40%であって、狩猟作物などについて考えると20%もないのではないでしょうか。ですからそれを100%にしようとしても単純に考えて農地を5倍にしなければならないのです。で、今の農地を5倍にすることはできません。日本の自給率を1%上げるためには琵琶湖1個分の農地が必要と言われています。100%にすることは非常に難しいのです。100%にしたいなら日本人が輸入作物をすべて拒否し、日本国内でとれないものだけを食べればそれは100%になります。農水省が自給率100%の場合のメニューとして、ご飯とお芋と魚と卵のメニューを提案しています。確かにそれを消費者が受け入れれば自給率が100%になります。しかし、そのメニューを受け入れられることは考えられません。自給率を上げようとして何十億円、何百億円も税金を投入するのは私の意見では意味がなく、無駄に思います。実際、そのようなことをしても農家の現場の人々が次第に減っていますし、ますます自給率は減っていきます。日本がアメリカなどと同じ農業体制を持つことができませんので高付加価値のある農業を目指していくしか日本には残っていないのではないかと思います。農水省は世界中でしっかりとした日本食になっているか調査をしています。これは一般的には無駄な税金を投入していると考えられますが、日本の食材が日本食に適した食材であり、現地で作られた食材を使った日本食は日本食ではないと世界中に知らせていくと言うことは日本の食材の価値が上がるということにつながります。税金をそういった現場に投入するほうが価値はあると私は思います。
この先5年、10年先インドも中国も人口が増え、日本に食材が入ってこないと言う状況になると考えますと、今、遊休農地を解消し、農作物を育てなければならないとなりますが、人がいません。若手の農家はいることはいます。その若手のやる気のある農家に農地を集中して日本農業を立て直そうと言うのは、10年20年かけてまとまり、基幹農家に税金をかけるとまとまったのですが、そのような考えは良くないとなり、全員に均等に税金が行くようにもう一度、ばら撒き財政をしてくれと民主党が掲げて参議議員の選挙で民主党が勝ちました。それによってまた流れが変わってしまったのです。私自身、政治的な話をしたくないのですが、参議議員の選挙でなぜ民主党が勝ってしまったことは農業としてマイナスだと私は思っています。
今、日本の農地管理がネックになっているように思われているようですが、その通りなのです。これだけ中国産の野菜は嫌いだと買いたくないと言っていて、日本には余っている畑や田があるのですから、わざわざ中国から野菜を輸入するのではなく、日本で作ったらいいのではないのかと誰もが思うでしょうが、日本ではできないのです。なぜなら規制が多くて土地を取得できないからです。ある商社やスーパーなどがある1種の野菜を何百トンと確保したいというときに中国では規制が少ないためできることが、日本ではできないのです。ですから日本の農業に誰も投資をしないのです。投資をしているのは税金だけなのです。しかし中国や中東などは商社などの民間が投資をしています。規制とはどのようなものがあるかというと、株式会社は土地を持つことができません。規制緩和されたといわれていますが土地を取得するためにはものすごくハードルが高いのです。もう一つは日本の農地は余っている農地があるように見えていますが、誰かが所有しています。その所有している農地を売ることは基本的にできません。農業地として取得した土地を他人に転売することは法律上できないのです。なぜなら農業をしていると言うことでたくさんの税金を免除してもらったり、たくさんの補助金をもらったりしていて、農地を補填するために農地をやりなさいと促されているものを勝手に売ることはできないのです。買うこともできなければ手放すこともできないので流動性がないのです。実にもったいないのですが、仕方ないと言えば仕方ないのです。規模によって購入することもできます。趣味として何坪かの農地を購入してやるとか借りるということはできます。しかし何ヘクタールもの土地を扱うことはできません。また土地を手放し、土地を有効活用することで自給率を高めると言うことにはなりません。土地の転売をすることを規制緩和することで資本力のある東京や外資などがどっと押し寄せ、田舎の農地などは非常に価格が低いので、簡単に1反2反と購入することができてしまうのです。そんなことが起きると農村が崩壊すると思います。そういったことが恐れられています。購入された人が永久的に農業をしてくれれば良いのですが3年ぐらいして農業では儲からないので平地にして、パチンコ屋にしたりしたら農村は崩壊します。ですから土地は動かないのです。しかし、農地は農地として使うと言う約束の下購入することが許可されるようになり、株式会社が一定の条件を守ることで土地を購入することができるようになりましたが、まとまった土地をまとまった場所で購入しなければ、集約的な効率の良い農業は望めません。10ヘクタールや20ヘクタールの土地を購入するためには何十人の農家から土地を購入しなければなりませんのでとても難しいのです。何十ヘクタールの土地を購入するのは飛行場を作ると同じくらいの動力が土地取得するのに必要になります。

食の安全・安心ということで農薬の話をしてきましたけど、一般的に人々は農薬と言うものに対して不安を持っています。農薬と言うのが非常に不安に思われているのはさまざまな理由があると思います。一つはアンケートでやっているからと思います。食の不安は何かありませんかという質問のアンケートを配られて1番、農薬、2番、食品添加物、3番、食中毒、4番、その他と言うアンケートを配られて丸の数でパーセントを調べるアンケートがあるとすると、70%が農薬と答えます。しかし、70%の人が農薬に関して不安に思っているのであればスーパーで購入することもできませんし、外食することもできません。実際はそこまで不安に思っていないと思っています。とはいえ、不安に思っていると言うのは現状にあります。と言うのも不安をあおっている人間がいるためです。この不安をあおっているのはマスコミ、テレビや雑誌などになります。ではマスコミが悪いのかと言えばそうではないのです。マスコミがしっかりと情報を収集し、取材したものを流しているだけですからと言われてしまいます。マスコミに対して非営利団体や学識経験者・食品メーカーなどが不安をあおるようなことをするのだと訴えるとそうではないと、マスコミも聞いたことを報道しているだけだと言うことになります。マスコミは誰から話を聞いたのかというと一つは利権がらみでして、自分たちの食品を売るために他の食品の悪口を言っている。もう一つは正義感です。農家に聞いたら自分たちの食べ物には農薬は使わない。出荷するものには農薬を使うよと言う農家が多い。あるいは農薬を使っている作物を食べて体を壊したので農薬を使った農業はやらないと言う農家がいて、農薬を悪者のように扱ってしまうのです。自分たちの食べ物には農薬は使わないという農家はいることはいますがほとんどいません。しかし、農家は自給自足ができているわけではなくスーパーなどから買ってきています。また、農家が出荷している農作物以外の作物に関しては、余っている場所で他の作物を作る程度の作物であれば農薬を必要としないで作ることができるのです。なぜなら大量に作ることでえさがあると害虫が寄ってくるのですが、少々の作物に害虫がつくことが少ないのです。また大産地ですと何月何日何時にこの規格で何ケース収めなさいと契約されているのです。その契約を守れなければ契約違反で罰金になったりするのです。そのためには確実に生産を安定させなければならないので農薬を使っているのです。農薬の使用量のうちのいくらかはこういった理由で使用されています。ですから出荷しないものに対して規格がないので、きれいなものを作るとか期限中に出荷させる必要がないために農薬を使うということがない、もしくは農薬の使用量が少ないのです。つまり農薬と言うのは農家が目の前で虫がわいたら虫を殺すために農薬を撒いているわけではないのです。農薬は種を畑に蒔いてから食品として口に入れるまでのトータルシステムの中で農薬を使用することで食を安定させることにつながっています。ですから農薬を減らせとか減農薬にしろと言うのは簡単ですが、今の社会システムの中ではとても難しいことなのです。このように不安をあおる人がいるとか、アンケートで何割かが不安に思っていると言え、実際のところ有機栽培は0.02%くらいしかなく、ほとんどが一般慣行栽培になっています。みなさんが不安だと言っていますがそれを買っていますし、消費行動としてできるだけ安い作物を購入することがあります。これらを考えると実際は不安に思っていないのではないのではないかと思っています。消費者が農薬を使っていたら絶対に買わないと言うことになり、大規模な運動が起きれば、農家もおどろいて農薬を減らそうと努力されるかと思いますが、そういった運動は小規模では起きますが、大規模に起こりません。大規模に起こらないということは、誰もそれを望んでいないから起こらないのです。また社会的に農薬を使用した今のシステマティックな農業はみんなが望んで出来上がっているものなのです。ですから不安に思っているが農薬は嫌々使われているものなのではなく肯定的なものなのです。むしろ農薬を使って今の豊かな食生活を守るほうが価値は高いと社会全体では思っているように感じられます。そのことが良いか悪いのかと言う点では私は良いと思っています。1年間で3700億円の農薬を日本で使用することで、今の豊かな食生活を1億2千人が享受できているのですから3700億円くらいのコストとして安いものではないかと思いますし、私自身は安いものだと思います。■

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