環境エッセイ 第3回  レジ袋削減にみる環境対策のあり方

投稿者: | 2010年5月21日

上田昌文
 自分の家庭から出るごみの中身をチェックしてみればすぐわかることだが、その大半は容器包装の類である。中には捨てるには忍びない美麗なつくりのものや、何度も繰り返して使える頑丈なものも含まれている。
もちろん、包装紙を丁寧にはがし、折りたたんでおいて再利用している人もいるだろうし、容器をきれいに洗ってリサイクルできる分別ごみとしてこまめに出している人もいるだろう。しかし容器包装ごみがどんなに大量に出ようとも、まとめて”ごみ袋”に入れさえすれば回収してくれるのだから、自分にとって直接の”痛み”はない。ごみの量を減らそうと、容器包装類に関して自分なりの工夫をほどこしている人はわずかにとどまるだろう。工夫しようにも、たとえばお惣菜類を載せたプラスチックトレイを使いたくないなら、それを買わないという選択しか残されていないのも現実だ。
もともと日本人が容器・包装の美観や品物の初物感(?)(”未開封”であること)に相当なこだわりを持っていた民族なのかどうかは、なかなか面白い文化人類学的問題だと思えるが、高度成長期以降、その傾向が著しくなったのは事実だろう。買った品はきれいに厳重に包装されるべきであり、新品である限りどんなわずかな汚れやキズも見逃してはならない…という風潮が一般化した。今では、たとえば古新聞に野菜や魚を包んで渡すようなお店は、ひどく少なくなったし、「多少キズがついていますが、その分お安くしておきます」という柔軟なやりとりもあまり見かけない。
レジ袋はこうした趨勢と期を同じくして急速に普及した、きわめて便利な品である。強くて、軽くて、水もはじくし、保温性も高い。買い物をすればいつでもタダでもらえる。コンビニエンスストアが全国津々浦々に広がったのも、レジ袋なしでは不可能だったかもしれない。かつて買い物をする主婦の必須アイテムであった大きな口の買物かごはほぼ姿を消し、巻き方と結び方1つできわめて自在に包装や袋となるフロシキもめったに見かけなくなった(現在、フロシキのエコ的価値を見直して普及させようという運動がある)。
 レジ袋の現在の使用状況は、いかほどか。日本国内での年間消費枚数は約305億枚、乳幼児を除いた一人あたりで約300枚(これは約160枚の英国の2倍ほど)。製造時と焼却時の合計のCO2排出量は300枚分(一人分)で約18kg。これは、杉の木1本が年間に吸収できるCO2量を上回る。レジ袋生産で使われる石油は55万8000キロリットルで、確かに日本全体の消費量の400分の1程度にしかならないが、そもそも”石油の使いすぎ”の現状があること(一人あたりの石油消費が米国の約半分、中国の約5.5倍)を忘れるべきでないだろう。
 レジ袋削減のさきがけをなしたのが東京都の杉並区だ。2002年、レジ袋1枚に5円課税する「すぎなみ環境目的税」を制定。区民・事業者・行政の三者で「レジ袋削減推進協議会」を設立して協議を重ね、税徴収をにらみつつ(この時点では事業者の協力がとりつけられなかった)、実際には様々なキャンペーンによって削減を進めた。2007年には区内の3店舗でレジ袋有料化の実証実験を行い、2008年6月より全国で初めて「レジ袋有料化等推進条例」を施行。削減方法は有料化に限定しないが、レジ袋多量使用事業者には、マイバック持参率60%以上を達成するための削減計画の提出と実施を事実上義務付けている。
 こした杉並区の動きが全国の自治体を刺激したのか、この1年で有料化の動きが急速に広がっている。環境省の調べでは、全域でレジ袋有料化を一斉実施しているのが富山県、山梨県、沖縄県の3県で、2010年3月末までに、和歌山県、青森県、山口県など5県がこれに続く。市町村レベルでみると、名古屋市、仙台市、川口市など全国の約2割に及んでいるという。
 確かに事業者にとっては、客が持参したバッグに入るだけの分量しか買わなくなる、といった心配もあるだろう。しかし杉並区のように、行政や住民と協議を重ねることで、納得のいく乗り切り方を見出せるはずだ。たとえば、筆者の思いつきだが、店の一角に箱をおいて、不要になったけれどまだ使える買い物袋を客に自由に入れてもらい、使いたい人が自由に取り出して使う、というサービスも、有料化にワンクッションをおく手段として検討してみてはどうだろうか。
 「一度慣れてしまった便利さからどうじょうずに身を離していくか」――環境問題のかなりの部分が、この身の離し方・距離のとり方にかかわってくるが、レジ袋をどう減らせるかは、もっとも身近で、成果もはっきり見える格好の対象と言えるだろう。■

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