住環境革命のために・第3回 日米住宅融資制度比較

投稿者: | 2011年2月21日

リレー連載「住環境革命のために/第3回
日米住宅融資制度比較

平松朝彦
(サステイナブルマンション研究会・代表/市民研・住環境研究会メンバー)
pdfはcsijnewletter_06_hiramatsu.pdf
 住宅は土地なくして建つことはできない。都市の時代になるとますます家はその建つ土地との関連が深まることになる。今から100年以上前の1898年、イギリスの都市計画家エベネーザー・ハワードが田園都市論を発表し、1903年にロンドンの北の郊外のレッチワ―スに実際に作り出したことが理想都市の具体化、建設の試みの端緒といえようが、その土地は利用権の借地権であり賃貸であった。
 
 分譲住宅の端緒は1920年代のニュージャージー州のラドバーンである。それは歩車分離の計画ということでも世界で最初の分譲地であったがその区画は200坪で、建て坪は大体42坪だから建ぺい率は20%位で、さらに外構のフェンス禁止など環境的配慮をうたった。(実は1920年代に箱根土地開発の堤康二郎は東京国立の街づくりを考え当時の谷保村に提案を行っている。詳細はふれないが、やはり200坪区画の分譲地で、安普請の建物の禁止など地域協定としての取り決めを行おうとした画期的な計画であった。さらにヨーロッパの住宅をモデルとした住宅の展示場を作り、これからの日本の住宅地設計の規範としたかったようだ。)
 ところでラドバーンは670世帯で2800人が居住したがそのポイントは単なる分譲地ではなく、20年間スラム化を防ぐための地域管理の仕組みを取り入れたことである。それはその後アメリカ全土に広がったHOA(ホームオーナーズアソシエーション)の制度設計と、その規約に発展するのであるが、具体的な設計、つまり住宅地の建物高さ、形態、様式、色彩、植栽などが規定され、さらに月ごとの管理費の支払い等の義務がある地域の自治組合組織となっている。
 このように土地と家を一緒に考える分譲住宅が生まれると、当然だが同時にそれを売る仕組みが求められ、そのための住宅金融制度も同時期に整備された。1929年の大恐慌(実はこれも不動産バブルも一因であったが)の後、1933年、F.ルーズベルト大統領によるニューディール政策により今まで5年だった住宅ローン期間を20年と長期化しラドバーンに適用した。それはノンリコースローンであったといわれる。
 具体的には20%の頭金と80 %の融資額で、融資についてはノンリコース(有限責任)である。そのために金融機関にとって担保にとった建物が、本当に転売できるのかが問われた。つまりその住宅建築費用が適正か、という建築審査体制と、さらに建物が経年劣化しない品質が求められ建築仕様の品質確保のための法整備(建築基準法も建築士法、建築業法)がなされた。また、そのための不動産鑑定評価(アプレイザル)が法制化されたが建物の意匠デザインも重視された。
 また、ノンリコースつまり債務免除した理由として、銀行側の理屈もあった。当時の住宅の価格の上昇つまりインフレによって、建物が順調に売れたという時代背景がある。また無理に返済義務をたてに訴訟を起こしても個人破産などされては回収できない。さらに回収するための費用、つまり弁護士費用や社内経費が高くなってしまう問題がある。
 
 さらに1930年の住宅バブル崩壊と同時に不動産融資で家を失った人たちが多発したことを受けて、「担保物件競売後の不足額の請求を制限、阻止する法律(アンチ・デフィシエンシー・ロウ)」がカリフォルニアなど一部の州で施行されたこともあり、そうした州を中心にノンリコースが普及した。
 ノンリコースローンは金利が高いともいわれるが、アメリカではそもそも金利が所得から控除されているから、高金利でも影響は少ないともいえる。さらに銀行は債務免除した場合、その分を損失として計上できた。各州で様々だが以上を総合的に勘案したことにより実質的ノンリコースが広がった。
 一方、日本ではその逆となってしまったのである。終戦直後マッカーサーはアメリカの住宅、融資制度をそのまま導入しようとしたが、戦後の資材不足もあり、一般庶民はアメリカのように耐久性の高い住宅を作ることができなかった。1950年に建築三法が生まれたもののやはり、当時の建築資材の不足、高騰により実質が伴なわれず、ノンリコースローンの基本である「住宅ローン債権の証券化」はできなかった。
 結果として生まれたのが、建物を担保としたにもかかわらず、連帯責任としての連帯保証人、保証金、生命保険が求められるリコースローン(無限責任の遡及融資)となった。
 
 そして日本の建築評価は公的になされず、建築品質は低く、デザインもレベルが低く、建物管理の発想はなく、将来、建物の劣化が進むだけでなく地域スラム化につながる現実が生まれた。
さらに、融資側の事情もある。日本の金融機関は債務免除すると国税から贈与とみなされ課税される。銀行が課税されないためには借りた人が公的に破産しなくてはならない。一方、融資の保証会社は借りる人の返済保証ではなく、銀行のための保証に過ぎないばかりか、融資銀行の天下り先となっており、銀行の回収コストを下げるという役割をになっている。
 こうしたアメリカの例から学ぶのは、単純にノンリコースにすればいいという問題ではないということだ。住宅と引き換えに債務免除する制度がやはり必要であるが、単なる金融の問題だけではない。住宅のシステムの大幅な見直しをしなくてはならない
 この数年前のサブプライムローンは様々の教訓を与えた。それは過度の融資ということもできよう。つまり一般的なプライムローンにおいて問題はなかったが、モラルを失った金融業界の融資競争の果て、住宅価格のアップ、地価のアップという問題が生まれ、貧困家庭までが無理な住宅ローンをした。それについてはローンをさせた側、した側の問題がある。いずれにせよ、まさに日本のバブルが残念ながら再現されてしまった。それは人々の投機熱に起因したものであるが、では貧困家庭は住宅を持てないのかという問題も提起する。
 さらに、住宅が過大供給された後の、需要と供給のバランスが崩れ、住宅価格が下落した状況において本来的にノンリコースという仕組みが機能するのかが問われている。いずれも住宅が個人資産と考える限り解決は中々難しい。
また、議論はマンションに及ぶ。一般住宅とマンション所有の仕組みを同一とした住宅金融制度ローンでいいのか、という議論もある。マンションにおいてそれが何10年、200年、300年もつというものであればそれは社会的資産であり、それを個人ローンで造る発想も限界があろう。何らかのブレークスルーが必要だ。■
(この文は日経新聞に記載された渋谷征教氏の記事を参考にさせていただいた。
参考:日経ビジネスON LINE 澁谷征教の「日米住宅漂流記」

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