歴史は誰のものか―A ・パリス著『歴史の影』を刊行して

投稿者: | 2004年3月30日

歴史は誰のものか―A ・パリス著『歴史の影』を刊行して

徳宮 峻(社会評論社)

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今日は「どよう便り」の紙面をお借りして、この夏刊行した『歴史の影 恥辱と贖罪の場所で』(原題 L o n gShadows Truth, Lies and History)についてお話しします。

著者のアーナ・パリスさんはカナダ人で、1 9 6 0 年代にトロント大学からパリ大学に進んだ折、各地に残る元ナチスの収容所を見学、強い衝撃を受けました。その後ジャーナリストを経て作家活動に入りましたが、この『歴史の影』では、人々が歴史上の事実をどう記憶し、どう記録してきたのかを、自ら現地に赴いて、一つ一つ確かめてゆきます。訪れた国はドイツ、フランス、日本、アメリカ、南アフリカ、旧ユーゴの各地と、いずれも偏狭な民族主義・人種主義が歴史的惨状をもたらした場所で、アーナさんは出会った人々と、丹念に対話を繰り返します。

たとえばドイツ。ドイツが国の方針として、ナチスとの訣別を毅然たる態度で断行してきたのはご存じのとおりですが、ではその政策の影で、人々は元ナチス高官の子孫にどう接し、また子孫たちはどのような葛藤を生きているのか。大音楽家R ・ワーグナーはまた反ユダヤ主義者として知られていますが、彼の一族で唯一音楽家になった彼の孫が、数年前にエルサレムでコンサートを開いたのを覚えている方もいらっしゃるでしょう。アーナさんは彼に会い、そしてインタビューします。そして彼、孫ワーグナーが、時に罵声を浴び時に侮辱を受けながら、必死になって祖父の反ユダヤ主義を断罪し、ヒトラーに協力したワーグナー一族の非人道主義を暴く、反ナチスの孤独な活動家であると知ります。

あるいは旧ユーゴ。廃墟と化したサラエボで、アーナさんは案内役の3 0 代女性、フェリダと瓦礫の中を歩きます。フェリダはかつて「狙撃通り」と呼ばれた道を歩きながら、こともなげに言うのです。「以前はそこにカメラマンたちが居並んで、私が撃たれる瞬間を待っていた」と。「民族浄化」の名の下に残虐行為がまかり通った町。荒廃極まり、精神病が蔓延して自殺者が増え、フェリダもまた生きる意味を見失い自殺を考えていたそうです。彼女が悩み抜いた末に見出した生きることの手応えはたった一つ。「子どもを生むこと」。絶望の淵からの、力強い生への意志ではありませんか。

アーナさんはこのように、大きく歴史が動いたその場所を訪れて、有名無名にかかわらず、政治的か非政治的かにとらわれず、多くの人に接し、生きた言葉を捉え綴ってゆきます。しかし、この書は単なる聞き書きの紀行文ではありません。私は原題の『Long Shadows』の邦題をあえて『歴史の影』としましたが、それというのも、タイトルの頭にどうしても「歴史」という言葉が欲しかったのです。歴史―それを私たちは往々にして、書物の中に記載された事項の連なりとして、公式に承認された殿堂の中の展示物として、みなしてしまいがちです。しかしその展示物は、誰が、何のために、どうやって作り上げたのでしょう?

あるいは一言でいいかえて、歴史とは何なのでしょう?

私には、私たちの日々の営みと歴史とが隔絶しているはずがない、という確信があります。ではいったい、日々流れていく時間の、どこから歴史が始まるのか。誰の記憶が、どの記録が、歴史とみなされるのか。アーナさんの本は、その問いに答えてくれるものではありません。むしろ、そういう問いを喚起する本なのです。

第二次大戦時の南京虐殺を「なかった」とする集団のメンタリティーを、私たちは身近に感じることができます。一つの共同体の中で、願望と恥辱が入り混じり、噂と神話が形作られ、誤解と記憶が残滓を残す。そうして保存された「記録」が、はたして歴史の姿といえるのかどうか。アーナさんはまさに、その記憶と記録の混淆の中に飛び込み、歴史を織りなす言葉が人々の間で泡立ちそして歴史として生まれるてくる現場に、立ち会おうとします。集団的な欺瞞と真理への努力とのせめぎ合いの中で、音を軋ませながら痕跡を残す真実と虚偽。その斑模様をあるがままに伝えつつ、その向こうに希望を見出そうとする。そんな彼女の視線は、学者のそれでも運動家のそれでもなく、一人の生活する人間としての、一人の母としてのまなざしに他なりません。その目に浮かび上がる歴史の制作者とは、神でもなければ歴史家でもない、そこに暮らし言動を繰り広げる私たち一人ひとりなのです。

去る8月5日の宵に、アーナさんを東京に招いて朗読会を開催しましたが、彼女の包容力のある優しい人柄が遺憾なく発揮された催しとなりました。雑談の折に、各地での朗読会の逸話を聞いてみますと、大阪で彼女への質問状を回収した際、「正義とは何ですか」という質問があったそうです。彼女は会場を見渡し、もしよかったら質問者、挙手して下さいと告げると、手を挙げたのは十代の学生だったとか。アーナさんは、そこに希望を見出したと言っていました。

歴史の影
―恥辱と贖罪の場所で
アーナ・パリス著
篠原ちえみ訳
社会評論社
A5 判★ 5600 円

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