インタビューシリーズ「市民の科学をひらく」(2)鈴木賀世子さん

投稿者: | 2005年7月1日

鈴木賀世子さん(babycom代表)インタビュー

2005年5月23日、babycom officeにて
聞き手:上田昌文(当NPO代表)

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●私自身にとっての必要性から

上田──まずはbabycomの生い立ちからお話しいただけますか?

鈴木:1995年にwebの企画を考え、96年10月にスタートしています。きっかけは、私自身が妊娠した時に自分の求める妊娠出産情報がなかったことです。いわゆる型にはまった妊婦のイメージを押し付けられるのではない情報が欲しかったのですが、ありませんでした。そこで、自分で妊娠出産に関する情報を調べて、それらを出していくということを思いつきました。つまり自分にとっての必要性があった。そしてちょうどインターネットの商業利用が始まった頃だったので、この新しいメディアで情報を出していけたらどうだろうと考えたのです。

──鈴木さんにとって、その頃の妊娠・出産の雑誌などには何かが欠けていたのですね。

正直言って高齢で妊娠した女性が見られる代物ではありませんでした。私自身30代後半での妊娠でしたが、20代前半で初めて子どもを産む女性を対象に書かれていたという状況です。内容的には医療的なお産情報と読者の体験談が中心で、読み手の女性のアイデンティティが無視されていると感じましたね。といって初めての妊娠で専門書などを読み解く能力もなく、ちょうど良いメディアがなかったというのが一つ大きな理由です。

──妊娠を迎えて初めて自分に必要になる知識が見えてくる、ということがあるでしょうが、それ以前にたとえば学校や母親からもらった知識なりで、妊娠とはこういうものだよ、こういう風に準備しなさい、といったことはある程度形成されているものと思っていたのですが…。

ほとんど形成されていないと思います。たとえば、出産はすごく痛い、といった部分的で偏った情報だけが伝わっているのではないでしょうか。それと、いま出産適齢期にあたる人の親の世代、つまり団塊の世代は、内的な体験となるようないいお産の経験をしていないのです。さらに、自分自身はやりたいことがあってもそれを抑えながら専業主婦として子育てに邁進してきて、企業戦士の夫はほとんど家にいないという中で、いい子育てをしていないですし、いい家庭を築いていない、自分自身の歩んできた人生に満足していない。つまり、いい出産をしていないから、娘には自分のような道を歩んで欲しくないという思いを潜在的に持っている人がけっこう多くて、「あなたは自由にやりなさい」と言う。それでますますお産の情報は伝わらない、という構造があると思います。

──でも、新しいメディアを立ち上げるといっても、難しかったと思うのですが、実際に始めるにはどういうことが必要でしたか。

babycomの立ち上げから一緒にやっているスタッフに、20代に助産院で自然出産し、そのときの経験がきっかけで出産準備教育のクラスを20数年続けている者がいます。私自身も妊娠中に彼女のクラスに参加し、そこでお産についての情報を得ましたが、まさに今必要としている情報がここにあったという思いでした。そこで、本当のお産の知識をインターネットで伝えていこうと思ったわけで、まずはすでに彼女のクラスで蓄積されてきた情報を上手にまとめて提供していこう、というところから始めたのです。

──IT技術の利用に関してはどうでしたか?

私たちは発想だけが先にいって、今のブロードバンド時代ならできるようなことを当初からできるもんだと思って始めてしまったものですから、サーバーレンタル料の見積もりで3000万円と言われて驚いたくらいでした。それでも当時プロバイダー事業を始めようとしていた企業に出会い、サーバーをお借りして、エンジニアにもついていただいて、幸運にも始められました。先方の担当者は私たちの仕事に個人的に共感してくれたと思いますが、一つは先方の新事業のメリットになるという点で合致したんですね。

●個人的な課題をパブリックなところに広げる

──もともとは情報提供のためだったと思いますが、それがどんな風に広がったのですか。
インターネットは双方向性がありますから、情報を求めて集まってきてくれた人たちがそこで出会う場を作りたいという思いがありました。情報提供しつつ、みなさんで議論したりとか、自分の悩みを相談したりとか…。今では、特に不妊や高齢出産の問題で、自分では解決できない問題を解決していただく場になっています。もう一つは、女性が自分のやりたい仕事や人生の目的と出産子育てのバランスをどうやってとるか、ということも重要なテーマにしています。働きながらの子育ては女性にとって非常に大変なわけですが、このような状況にある女性たちの生の声がどこからも出てこない。ですから、個人的な問題を解決することが大きな目的の一つであり、さらにその個人的な課題をパブリックなところに広げ、多くの人に知ってもらう、そして社会や企業に何ができるか投げかけるという目的がもう一つなんです。

──掲示板を作って、いろんな人たちの書き込みがあり、意見交換がされていて、そのことをいろんな人たちが見ることによって社会に対するインパクトも与えるという流れ…。実際に始めてみて感触はどうでしたか。

予想以上に反応があったと思います。97年に掲示板の機能を作り、その頃は女性のユーザーはまだ少なかったのですが、それでも予想以上に書き込みや反応がありました。見つけて読んでくれる人がいたわけですね。それは個人であったり、医療者が妊婦さんの考えを知るため、ニーズを知るために見たり。厚生労働省の人が一般の人たちの考え方を探ったり、マスコミが番組に生かす目的で見ているなど、思った以上に波及効果があって驚きました。

──サイトを拝見すると、いろんなことを調べていますよね。どうやってテーマを見つけられるのですか?

理論的に考えているわけではなくて、集まってくる「声」を今何が問題か聞いているとポイントが見えてくるんです。だから、ユーザーの問題と自分たちの興味に合致したものを追いかけてきました。

──今のお話で出たのは不妊治療でしたが、他には?

生命倫理というと大げさですが、高齢出産の人が多いですから、やはり出生前検査を取り上げています。それから、仕事と育児の両立。不妊治療・出生前検査・両立という3つが大きなテーマですね。

──実際にたくさんの声が寄せられ、アンケートなどもなさっていますが、最近の結果からどんな傾向を見ていますか?

アンケートといっても頻度が多いわけではないですが…。最近驚いたのは、子どもが育つ環境についてのアンケートで予想以上にアレルギーのお子さんが多いということです。私たちが青山で開いている教室でも、これは1年半前からやっていますが、そこでも目に見えてアレルギーやアトピーのお子さんが増えている。これはここ何年の現象かわからないが、非常に増えているということが見えてきた…。だから前々から子育てをする上でエコロジーの問題を扱いたかったのですが、上田さんにご協力頂いてコンテンツを作って改めて、必要性を感じています。エコロジーというカテゴリーで子育てを見ると何がポイントなのか、見えてきたところです。

──では、教室の方はどうですか。妊婦さんを相手にしていて、鈴木さんの目から見て今の妊婦さんがどんな問題を抱えているとお感じですか?

お産の情報もそうですが、育児も初めての人が多いので、赤ちゃんと接したことのない人は育児に不安を持っているからその不安を取り除いてあげるためのクラスが必要なんです。中には赤ちゃんを抱っこできない人もいる、まるでモノを持つように接したり…。昔なら家族の中で経験するようなことも消えてきていて、自分の育つ環境の中で自然な形の子育てが伝わっていないということでしょうね。

──お産は病院が受け持つことになり、毎年たくさんの女性が妊婦さんになることはわかっていて、でも家庭環境が激変している中で本来伝わる情報が伝わらなくなってきている…。雑誌など妊娠を扱うビジネスはその辺をフォローアップしなければいけないはずなのに、今おっしゃったように本当に必要な情報が抜け落ちているように感じる。鈴木さんがそこにインターネットを使って入り込んで、活動を展開されているという、そこは先見性なのでしょうね。

●納得のいく選択を取れるように…

──高齢出産と不妊治療についてお聞きしますが、高齢出産は目に見えて増えていて、特有の問題も生じているように見えます。具体的にはどんな問題があって、高齢出産しようとする人はそうでない人に比べてどんな問題を抱えているのでしょうか。

高齢出産と不妊の問題はペアになっています。妊娠しにくければ不妊治療が絡み、それと健康な赤ちゃんが産めるかということとの2点が大きな問題です。日本では一人目の子どもを産む年齢がどんどん上がってきていて、特に都会に住み、仕事を続けようする人は先延ばしにしがちですしね。babycomに集まる人は高齢出産希望者も多く、不妊治療を受けている人も同様に多いです。高齢出産では妊娠・出産以前の問題がすごくいっぱいあって、妊娠に至るまでの長い期間がある。そこに不妊の問題があり、妊娠すれば今度は出生前検査の問題が入ってきます。そのまま何も知らないで健康なお子さんを出産する人も多いと思いますけど、特に高学歴の人はいろんなことを調べるので、どんな検査があり、自分の年齢だとどのくらいリスクがあるかなどを情報として得ているので、出生前検査を受けるかどうかという問題に直面してしまう。その辺が高齢出産の特殊性になるんです。

──出生前検査を受けてみようかと思ったときに、babycomサイトに意見を投げかけたとしたら、経験者も、経験していない人でも、いろんな考えを持った人が反応してきますよね。そういう議論が常に自然に繰り返されている状態でしょうか。

そうですね。常にそうした投稿がありますね。

──そうした議論についてbabycomの側は、議論は議論として放っておくのですか、それとも何かアドバイスを示すのでしょうか?

議論に関与はしません。ただ、掲載する/しないの関与はしていて、若干の文章の訂正などもしています。基本的に議論の中には入らないのが管理する側の鉄則で、入っていくと自分たちが精神的に疲弊してしまう。ああいう掲示板はものすごく感情が動かされて、自分が入り込んだら管理できなくなるんですね。だから削除や文章の訂正、用語の訂正のみ行ないます。

──babycomとしては、出生前診断を受ける/受けないということや、受けるならここまで、というような判断はしないんですね。

しません。でも、専門家の意見は詳細に載せていますし、babycomとしての意見もコンテンツとして載せています。それを読んでくださっていれば参考になると思います。

──具体的に大きな問題に直面している人が掲示板で話をして、いい先生に巡りあったりだとか、いい病院で結果がうまくいったとか、そういう成功事例は生まれていますか?

不妊治療に関してはあると思います。出生前検査については、成功事例というより、カウンセリングやセラピーの場にもなっているんです。

──以前に拝見した不妊治療のアンケートを思い浮かべると、どれも個人一人一人が抱えている問題のように見えていながら、全体を見るとかなり多くの人が不妊治療を必要としている現状がよくわかります。そうした中で、全体としてどういう治療の選択肢があるかといった情報提供について考えると、日本はすごく整っていないと感じます。babycomでは独自にいろんな議論も生まれていて、参考にできる意見なども出てきている一方で、でも社会全体のレベルから見れば、もっと不妊治療そのものに対する情報提供がいろいろなところでなされてよいと思うのですが。ご自身のやっていらっしゃることと日本の全体の状況を見比べたときに何が必要と感じられますか?

難しいですね…。不妊に関してはまだ取り組み始めて数年なので、やっと状況が見えてきたところですが、技術が日進月歩なのでどこまで理解できているかもわからない状態です。医療といっても病気を治す医療とは違う側面があって、一つのブランドビジネスになっている。たとえばあこがれのなブランド品のバッグがあって、それは今のお給料では買えなくても、ローンをしてでも絶対買うというような、そんな消費の感覚があるように感じます。必ず赤ちゃんができるというブランドイメージが確立されていて、確かな情報という実体が覆い隠されている。自分の赤ちゃんがほしいという欲望があって、それをかなえてくれるクリニックがあって、あとはそれを買うかどうか、そこに価値を見い出すことができるかどうか、自分だけの判断で…、ちょっと整理がつきませんが。

──一方で子どもがどうしても欲しいという人は、いい不妊治療はないのかという風に考え、他方で医者の側は、技術がどんどん出てくればそれを使ってビジネスができるわけで、両者が出会うわけですよね。babycomは言ってみれば隙間を埋める役割をされていますが、専門家、技術の開発者、不妊を抱えた人が出会うという場ができつつある中でbabycomはどう機能するんでしょう? ビジネスの後押しになってしまうのか、それとも違う方向を示す場になりうるのか、そういう難しい場に立ってしまうように思いますが。たとえばお医者さんの側から、不妊治療をしなくても幸せに生きていけるよとか、養子をとる方法もあるんですよ、といった意見はなかなか出てこないですよね。そうしたときに幅広い選択肢をどうやって見せていくかが問題になると思うんですが。

高度不妊治療だけが不妊治療の道ではない、ということは伝えています。たとえば、自分自身の体について違った角度から見直すこと、東洋医学的なことも伝えています。それと高度不妊治療の話もしているので情報は均一に出していますし、別にビジネスの後押しをしているわけではない。結局は、不妊治療では精神面でいろいろな出来事に直面するので、そういうものを共有する場になっているのです。そこで必要な情報を得るだけでなく、セラピーのような癒しの場になっている。人により問題は異なりますが、そういう問題をこのサイトに載せることで体験者からアドバイスも返ってくる。それを読んで、また一歩前に進める、というような癒しの場になっていると言えます。

──自分は出生前診断を選ばない、という人もいますよね。そうした「自分は受けない」という選択を自然にできるような状況になっているんですか。

なっています。こちらは誘導するのではなく、その人たちが納得した選択をできるようにさまざまな意見を掲載するようにしています。それでもたとえば、羊水検査で陽性だったときにその子を生まないという選択をとる、と書き込むのはとっても勇気のいることです。今は少しずつ可能になってきましたが、あきらめるという選択をそこで言いにくく、非難を浴びてしまうケースもあります。こちらとしては、そういう状況を作りたくないし、できるだけいろんな選択をした人の意見を対等に載せたい…。

●命の根源的なとらえ方を伝えたい…

──ところで『卵子story (ランコ・ストーリー)』を非常に面白く拝見しました。これを若い人を対象にしてお書きになったその意図は何でしょうか。

基本的に女性は、子どもを産むという暗黙のプレッシャーをかけられているものでしょう。誰が言ったわけでなくても、自分自身がプレッシャーを感じていたり、何気ない他人の一言がプレッシャーになると思いますが、にもかかわらず、妊娠や出産について学校でも十分に教わらないと同時に、じゃあ、いつ生もうかということの想定ができないものなのです。私自身が高齢出産になってしまって初めて、卵子は年をとる、しかも自分よりもものすごいスピードで年をとっているということを実感したんですね。これはもっと若い人たちに教えなきゃいけないと感じ、そのとき卵子の本を絶対につくりたいと思ったのです。卵子についてよく理解していれば、まだまだ先かもしれないけれども、子どもを持つということについてぼんやりとでもイメージはできると思う。今の若い人たちが置かれた状況ではそれができないんです。妊娠・出産・育児の情報は閉ざされていて、妊娠したら初めて「見てもいいわよ」みたいな敷居の高さですよね。生活の知恵のように伝えられる場もなくなっていますし。だから、むしろずっと若い人に伝える本が書きたかったという動機があります。これはbabycomの一つのテーマでもあるんです。妊娠しなくても妊娠・出産情報を集めてもいいじゃないか、という…。そして、そのためにはインターネットはすごくいいメディアなんです。

──それはとても大切な視点ですね。たとえば、卵子が思っているより早く年を取るという一つの事実、それを上手に女性が受け止めれば、不妊治療を受けなくてももっと自然な形で妊娠していけるということをイメージできる。もちろん男性も含めて。そういう知識をもとに、自分の一生の中での妊娠のイメージづくりを促すことのできる本なのでしょうね。一方で、高齢出産しようとしている人がこの本を読んで、「若いうちに出産したほうがそれはいのだけれど……」と思ったとしても、別にこの本は高齢出産を否定しているわけではない。そうしたバランスは、社会にも欲しいと思います。高齢出産でもいいけど過度に不妊治療に依存しないやり方があるのではないか、とか。

高齢で産む、医療のサポートを受けながら産む、その選択肢もありなんです。今では高齢でも産みやすくなっていて、不妊治療という選択肢もあるから、私は40歳過ぎで、と決めたのなら生殖医療の力を借りて産むこともできる。それはそれで私はいいと思っています。不妊医療を全面否定するのではなく、自分で納得していれば。つまり、何も「卵子ちゃん」だけに合わせていたら人生大変なわけですから、高齢になって不妊治療というのも、それに問題点やリスクもあることを納得していればぜんぜん構わないと思います。

──それからこの本を読むと、次の世代につながる卵子を、何で私たちがもっと体の中の大事な要素として見てこなかったのか、と痛切に反省されます。たとえば環境汚染問題の焦点の一つである、大人と子どもの汚染に対する感受性が違うといった部分をたどっていくと、元はこういう話になるんですよね。だから、自分の体というのは自分の個体がポンと存在しているように思えても、次の世代の種があるわけですし、それは自分が持ってきた種を引き継いでいくことなので、その連続性の中にあるということですよね。もちろんそこに環境とのいろいろなやりとりがあって。こう考えて初めて環境の意味がわかってくる、ということがあるわけです。そういうとらえ方をするためには、この本の話はものすごく重要に思えます。そのあたりをどうやって若い人たちに伝えていくか…。学校の性教育とこの本とは違うという感じを受けていますが、鈴木さんのイメージはいかがですか。

性教育ってしているんでしょうか。どういうものなのか、私はそこはあまり見えていないんですが…。中学生くらいになると、いかにして安全なセックスをさせるかという、そんな教育の必要性はよく耳にしますが、根本的に命そのものをとらえた性教育はなされていないでしょう。

──中学や高校の生物の勉強でなされているかというとそうでもない。

「○○学」というカテゴリーに入らない部分だと思うんですね、それは。今の社会の中でスルッと抜け落ちてしまっている。それが少子化にもつながっているとても大きな原因だし、命が生まれるということに対してこの社会全体が優しくないことの原因にも、大きい意味ではそれがあるかなと感じます。上田さんがおっしゃったように、自分自身が「つながりの中の一つの場」だというとらえ方がない…。いかにして死ぬまでの間安泰で過ごすかとか、社会的に成功するかみたいな、この代のことだけしか考えていないですから、根源的な命のとらえ方が今の時代は欠落していると思う。卵子の話をしながらそういうことまで気づいてくれれば嬉しいですけど。

──生殖医療などの先端生命技術がどんどん進んでいくと、そういう問題が露骨に出てくると思います。不老長寿みたいなものがある程度可能になってくると、人生の意味が変わってくるはずですよね。そういう技術を受け入れることが良いのか悪いのか、考えなければいけないところに来ていると思うんです。さらに、子どもを持つだけにとどまらず、いい子を育てる、子どもをある程度デザインできる、という時代になって来ています。私たちが生命の連続性を断ち切ってしまって、自分の個的な欲望や、自分の産んだ子だけよくなればいいというように考えてしまうと、ますますそういう方向に加担してしまうことになるんじゃないかと思います。命のとらえ方を私たちの中でいい方向に変えていかなければならない。そうでないと、生命操作技術の開発の激しい流れに抗いきれない、という不安を覚えるんです…。鈴木さんの活動も、コミュニケーションを活発にすることによってさまざまな問題に気づき、自分で全部解決できるわけではなくてもその時ごとに自分にとって納得のいく選択をできる、そんな手助けをされていますよね。そういう中で、広い視野が形成され、次の世代につながるような流れが出来るのかな、と感じます。

●〈つながりの中の一点〉として自分をとらえること

──鈴木さんが、子育て・妊娠を迎えている方、これから迎えようとしている方に一番発しておきたいメッセージとは何でしょうか。

私は女性なので女性の立場で見てしまうんですけれども、たとえば、自分という個のアイデンティティだけでは語れない、とても素晴らしいものが実はあるんですね、体の中に。これを言うと「じゃあ子どもを産まない人はどうするんだ」ということになってしまうかもしれませんが、子供を産んで命をつないでいくということはかなり衝撃的で、人生を変えてしまうくらいすごいことなので、実はそれが素晴らしいっていうことを本当に言いたいんです。ただ単に子どもを産んで育てる、という現実的な話だけに終わるのではなくて、何か命の根幹みたいなものを伝えたいという思いがあるんです。私たち自身とても全体を伝えることはできないので、それをコンテンツの中でお産ってこうだとか、エコロジーの問題はこうだとか、自分が体験している部分をスポット的に少しずつ出していますが、一番の思いは、「つながりの中の一点だ」ということのすごさを味わって欲しいのです。女性はそれを体で味わえるのですから、妊娠・出産という体験を通してそういう部分を捕まえて欲しい。私自身は、出産したときに鮭のことがイメージに浮かんで――鮭は自分の川に帰ってきて、産卵して、そこで死んじゃうけど――自分が鮭だと思っちゃったんです。出産したとたんに、自分も鮭もほとんど同じで、何か一つ次世代につないだなという安心感があった。大げさに言うと自分の中の「精神的な死」みたいものをそこで体験したんです。そうすると、今まで個として存在していた自分が、命という脈々とした川の流れにポーンと入ったような気がして、すごくいい体験をした。今そういう体験は稀ですよね。ただしそこで、病院でいやな思いをしたりすると、出産のときにそういう気持ちが外に出てこないんだと思うんです。出産によって、今までの生活の中では隠されていた人間が持っている根源的な力とか、それによって得られる感情とかをうまく引き出してあげると、その後の子育てにもいいし、自分の人生の中のターニングポイントにもなる。もっとも、子育ては大変ですけどね、髪は振り乱すし(笑)。でも出産の瞬間の感動は出産以外では得られないんですから。

●自分の体や生活をきちんと見つめられるように…

──女性にとって、体の変化が起こり、生理が始まって、毎月のように繰り返されると、そのことをネガティブに受け止める人が多いように思うんですが、そうではなくもっとイメージを肯定的にするためには、自分の体の持っている意味合いみたいなものを吸収していく必要があるのでしょうね。そこは妊娠・出産だけにかぎらず、健康や環境の問題全体につながるものだと思います。そして、これは子どもを考える一つのポイントになりますね。今後、私どもと協働で「エコロジー」の問題を調査していくにあたって、たとえば赤ちゃんの食べ物のことを入り口にして体の話にもつないでいければ、babycomのサイトを見てくれている人にとって有益かと思います。先におっしゃったアレルギー問題にしても、なぜ解決しないかということの根本には、体の成長過程でどういうことが起こっているかについての認識が社会から完全に抜け落ちているからだと思います。だから、子どもが喜ぶ物なら何でも食べさせていいという具合になって、訳がわからない病気や症状がたくさん起こって、気づいたらアレルギーだったという状況になっているんじゃないでしょうか。そういう意味では、体のとらえ方や成長というものを見るための見方を、いっしょに築いていきたいですね。つまり、生命現象を通しての市民科学のアプローチによって、今あるような健康のイメージとはちがう、何か別の健康のイメージを持つことが出来るのではないかと思います。まだ漠然としていますが。

そうですね。食べ物もそうですし、自己管理というと変ですが、子どものうちから自分の体をきちんと見つめられるようになって欲しいという願いはあります。私の娘は8歳になりますが、「卵子ちゃん」が好きで小学校から読んでいます。先日「胸にしこりができている、これは大変だ」と大騒ぎしているので「保健の先生に聞いてごらん」と言ったら、同じようにしこりのある子がクラスに何人いるか調べてしこりがある子たちと一緒に保健室に行ったと言うんです。そして先生に「大丈夫ですか」と聞いたら、「成長の過程だから大丈夫よ」と言われたと、安心して帰ってきた。小学校2年生でも徐々に体の変化は始まっているから、この年齢から読めるものを作りたいと思っていたことが生かされた感じです。いきなり変化に直面するのではなく、こういう準備のような形が先にあるといい。食べ物についても、栄養の話しかしないのではなく、食べ物が自分の将来にいかに重要かということを、化学物質の問題や農薬などの問題も含めて語れる場があるといいですね。

──科学というと、私たちは専門家が発する情報をどう受け止めるかという視点で見ていた傾向が強いのですが、そうではなく、主体はこちら側で、自分の体を自分で観察し、自分でとらえていくことができる、そういうスタイルを作ることが科学の活かし方だという風に転換すべきだと考えています。「卵子ちゃん」の本は、科学の入り口を作っている本だと思いますし、私たちもそういう方向で仕事をしたいと思います。

そうですね。市民科学研究室がNPO法人化されたときに、初め私は専門的な情報と市民を結ぶことを目指すのかと思っていましたけど、実は違いますね。今上田さんが言ったように、もっと生活に根ざした、一般の生活者にとって生きたものにならない限り、意味がないですし、たとえば「お産についての情報が全然わからない」という人たちには、同じ物を別の視点から提供する場やツールを作っていくべきですね。市民科学研究室の「子ども料理科学教室」の展開も面白そうですね。親が料理しなかったらどうするんでしょうね。まな板や包丁をまず買ってくるんでしょうか…。

──その状況も、妊娠・出産の話と似ていますね。親が料理をしなければ子も料理をしないと思います。やはりどこかしら、見て、まねて、母親が作ったものを食べ、味わってという連続性が絶対にあるはずで、そこが抜けると料理しないでしょう。すると外食や加工食品に依存することになり、知らず知らずに化学物質を多量に摂取するという風になる…。それは、科学技術の進歩がよくないと言うのとは別の、むしろ自分たちが順応してしまって、できることをやらないで済ませているということに責任があると思う。そうした全体を変えていくものを、私たちのような仕事をしている者が提供していかなければいけないということですね。今日は興味深いお話をどうも有り難うございました。

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