インタビューシリーズ「市民の科学をひらく」(8)NPO法人サイエンスコミュニケーション

投稿者: | 2006年5月1日

2006年2月15日
東京大学駒場キャンパスにて 
聞き手:上田昌文(当NPO 代表)

代表理事: 榎木英介さん(医師・医学博士)
顧問: 林 衛さん(富山大学助教授)
理事:富田悟志さん(タイテック株式会社)

pdf版はinterview_004.pdf

NPO 法人サイエンス・コミュニケーション(略称: サイコムジャパン)について
(ウェブサイトhttp://scicom.jp に掲載の事業案内をもとに作成)

2003 年12 月26 日設立

代表理事: 榎木英介(医師・医学博士)、事務局長: 春日 匠(大阪大学研究員)、顧問: 林 衛(富山大学助教授)、理事: 檀一平太((独)食品総合研究所研究員)、奥井隆雄(博士の生き方管理人)、富田悟志(タイテック株式会社)、浜田真吾(科学社会論研究者)

【活動主旨】(抄録)

 NPO 法人サイコムジャパンでは、三つの方向性の活動を行います。一つは、「研究問題」、二つ目は「科学コミュニケーション」を推進する活動、そして三つ目は「科学技術政策シンクタンク」です。これらはすべて、「科学技術の知を駆動力とした社会づくり」につながります。

【主な活動】

 メールマガジン・メーリングリスト:さまざまな科学技術情報をメールマガジンなどに集積し、提供しています。

 また、メーリングリストにて研究者や科学ジャーナリストの交流の場を提供しています。
出版  大学院生や若い研究者向け、一般向け等の出版物を通して、広く議論を喚起していきます。現在「大学院ガイドブック」を作成しています(近刊予定)。

政策研究・提言:科学技術や高等教育に関する政策を研究しています。成果の一部はこれまでに、Nature、朝日新聞、毎日新聞などに掲載され、現在は月刊『Bionics』誌(オーム社)に連載中です。また、主要政党のマニフェストや選挙公約のうち科学技術政策に関する部分を比較評価し、ウェブページに公表しています。

シンポジウム等:シンポジウム等を通じて広く議論の場を創り出していきます。毎日新聞「理系白書」シンポジウム(03年7月6日)、STS Network Japan シンポジウム(04 年3 月20 日)に協力団体として参加しました。

「サイエンスライティング講座」:科学の面白さを伝えられるジャーナリストの育成を目指し、科学ライティングの講座を開催しています。現在、教材開発プログラムも進行中です。

サイエンスショップ研究会:サイエンスショップとは、市民からの要請を受けて非営利の研究を行うシステムです。これを日本で設立すべく先行事例などを研究しています。

「培養.jp」:タイテック株式会社様と共同で、バイオプロセス分野の情報を定期的に掲載し情報発信するホームページ「培養.jp」を運営しています。

インタビュー

上田──最近「サイエンス・コミュニケーション」というものが政策的にも注目されていますが、そうした中で皆さんの「NPO 法人サイエンス・コミュニケーション」(以下「サイコム」)もステップアップしつつあるように拝見しています。私たちの「市民科学」と皆さんの「サイエンス・コミュニケーション」とがどう接点をもつか、あるいは研究者の視点を足場にその問題をどうとらえていくか、という点について今日は考えたいと思います。

 最初に、この活動をどういうところからスタートし始めたかということ、おそらく個人的な経緯が絡んでいると思うんですが、簡単にお話しいただけますか。

榎木:まず代表である私個人の活動から説明しましょう。私は生物系学部の大学院へ進みましたが、そこで「生化学若い研究者の会」という集まりに出会いました。院生や学部生などの若手が集まっていろいろ議論する場で、そこには隈藏康一さん(現:政策研究大学院大学助教授)のような科学と社会の関係に興味を持った先輩たちがいまして、シンポジウムなどを開いていました。一方で、自分が大学院生として研究を進めるうちに、封建的な研究室の体制に疑問を持つようになりました。具体的には、カエルの発生を研究していたのでカエルの世話当番があったのですが、当番は必ず若い人がやることになっていて、3~4人の修士学生が週2~3回、持ち回りで掃除や餌やりをしていましたが、当番日は研究などできないくらい時間がかかって…。今考えれば修行だったかとも思えますが、当時は理不尽だと感じていました。研究ってこういうのでいいのかな、と。だから、科学と社会について考えようという人たちとの出会いと、自分が研究を始めて感じた矛盾との二つが、活動のそもそもの発端です。

 そこで、「生化学若い研究者の会」の中で、こうした問題について考える「研究問題メーリングリスト」というメーリングリストをつくりました。それがサイコムの胎児のようなもので、スタートと言っていいと思います。1998年2月頃です。そのときから、すでに科学ジャーナリズムの世界で活躍されていた林衛さんにも入ってもらっていました。林さんは当時いろいろなメーリングリストで積極的に討論をしていたので、われわれの議論にも加わって欲しいとお誘いしたのです。最初は、自分たちに身近な研究者問題――当時増えつつあった院生、任期制の導入といった時代の流れもあって、われわれはこのままでやっていけるんだろうかという議論を少しずつ始めて、2年くらい続けました。ただ、だいたい院生が不満を言って、こうしなければ、こうするべきだと言って、言いっ放しになってしまい先に進めないという停滞感もありました。そうした中、また隈藏先生から誘いを受けて、理工系研究者の新しいキャリアパスを考えるシンポジウムをやろうということになり、2000年3月にそれを開きました。そこでは、理工系の厳しい就職問題を踏まえて、それは政策的なものでもあるけど、ある程度自分たちで視野を広げていかなければいけないのではないかという視点を提示し、隈藏先生、東工大の梶雅範先生、日経BP 社の宮田満さんらを招いて、「理工系の進路」について議論しました(注)。そこで初めてメーリングリストから一歩飛び出し、まだ社会とまでは言えなくても、まずは研究者の中に働きかけていこうという活動の第一歩が始まりました。

注:第一回研究問題メーリングリスト・シンポジウム「広がりつつある理工系出身者の活躍の場」2000 年3 月4 日
内容・パネリスト( 肩書きはシンポジウム当時)
「東工大に見る若手研究者の諸問題」梶 雅範( 東京工業大学大学院助教授)
「知的財産マネジメントの現状と将来像」隅蔵康一( 東京大学先端科学技術研究センター助手)
「科学ジャーナリズムからみた研究成果の社会還元――市民と研究者の共存共栄のための戦略は成り立つか」林 衛( ジャーナリスト、『科学』編集部)
「米国NIH の科学運営官制度に何を学ぶべきか」白楽ロックビル( お茶の水女子大学助教授)
「簡単になれる科学ジャーナリスト」宮田 満( 日経BP 社バイオセンター長)
※詳しい内容はサイコムHP でご覧になれます(http://www.scicom.jp/research/sympo.html)

──研究者が今置かれている環境や、研究労働の条件、就職などを含めたいろいろな問題を、社会に向けてアピールする場をつくったということですね。

榎木:ただ、その段階ではまだ、いわば業界の内輪の話にとどまっていて、自分たちの立場改善が主眼でした。社会と科学との関係を考えるまでには至っていなかったです。もちろん、シンポジウムで林さんに代表していただいた科学ジャーナリズム等には関心はありましたが。

 その後、私が神戸に移ったりなどしたため議論はまた停滞気味だったんですが、2001年の小泉内閣誕生を機に、研究者は自己責任で、自分で金を集めて行くべきだという、そういう流れを感じて、またひとつのきっかけを得ました。例えば日本育英会をなくすという話に、衝撃を受けたのです。そこで諸外国について調べたら、むしろ大学院生の生活費を援助する制度が当たり前だということ知って、黙っていてはいけないんではないかと。そして、研究者の仲間内だけで議論していてもいけないだろう、ということで、まずは投書でもしてみようと考え、朝日新聞やネイチャー、日経サイエンスに投書しました。それが紹介されたのは良かったのですが、そのとき医学部に研究生として所属していた私は教官にとがめられてしまって、そんな暇があるなら研究するべきだと研究室を追い出されてしまいました。そこで、一人で発言してもだめだ、もっときちっと、仲間と発言しければと考えて、NPOをつくろうと思い立ったのです。NPOならば信用も得られ、個人が矢面に立たされることもないですから。

 2002年の1月くらいから準備を始め、富田さんや林さんをはじめ何人か集まって議論していたんですが、そのうちに、自分たちの研究者としての立場を主張するだけでは到底社会には受け入れられないという議論が出てきました。待遇を改善しろとか、院生に手当てを払えな
どと一方的に言っても、ではそうして給料を得て社会でどういう役割を果たしていくのか、という点を示さないと、受け入れられないんではないかということになったわけです。研究者の待遇という問題は、社会と科学の関係がどうやって位置付けられるかという問題の一部分でしかない、という視点になり、そういう方向で考えるような団体にしようではないか、という方向性が決まってきたのです。

 それで、NPOの名称を考える段階で、メンバーの春日匠(事務局長、大阪大学コミュニケーションデザインセンター研究員)が「サイエンス・コミュニケーション」という名前を発案し、それに決まったわけです。単なる待遇改善ではなく、研究者がのびのびと活躍できる場をつくる。ボスに奴隷のように使われるのではなく、もっときちっとした待遇と、各自が主体性をもって研究できるような場をつくる、そのための運動をしようと。さらに、当時ようやく「科学コミュニケーション」という言葉が耳に入るようになっていましたが、そういう「市民と科学の関わり方」についても何かやっていこうと。実を言えば、まだ明確な活動内容は固まっていなかったのですが、それでもその二大柱をやる団体を何とか立ち上げたわけです。手続きに時間がかかりましたが、2003年12月に法人格をとり、現在に至っています。

◆「研究者問題」から「科学と社会の問題」へ◆

──おそらく一般の人には、研究者の待遇や研究環境は「研究者だけの問題」と見る向きが多いのではないかと推測するのですが。おっしゃるように「研究のあり方を改善することが社会にプラスになる」ということを、どうアピールされているのでしょうか。

榎木:主に若手研究者や女性研究者を念頭に置いているわけですが、我々の思いとしては、例えば女性研究者が子どもを持ったとたんに研究室を追い出されるといったような、結構ひどい話がある現実をまずどうにかしたい。子どもを持って辞めざるを得なかった女性が、女性だからといって能力がないというわけではない。非常に優秀でも辞めざるをえない状況があります。それを考えると、何らかの形で研究成果を出して社会に貢献できるであろう人々が、旧体制的な制度や封建的なシステムの中で活躍の場を与えられないことは、まず社会にとって損失だろうと考えます。特に女性研究者について――女性研究者の割合は分野によってだいぶ違いますが、おしなべて20%くらいでしょうか――ポテンシャルをもった人たちが研究できないのは、おおいに損失でしょう。

 もう一つは奨学金問題と絡んできますが、例えば東京大学に進学する学生には裕福な家庭に育った人が多いという調査結果がありますが、しかしそうした家庭環境や親の経済力にかかわらず非常に優秀な人がいるはずで、そう考えると、本来ならば場を与えられれば活躍できた人たちが、そういうチャンスも与えられないのはおかしいだろうと。これも人材が有効活用されていないということです。社会のいろいろな場で――国とは言いませんが――プラスになったはずの人たちが機会を与えられないことはおかしいという、この発想がベースになっています。決して、単なる研究者の待遇改善運動ではないのです。

──微妙な問題も生じてくると思うんです。いま国が「科学技術立国」を掲げて、優秀な研究者を育て、研究のレベルをあげ、生産力を上げようという方向で進んでいますよね。そのことと、今おっしゃったような問題は必ずリンクしていて、単純に言えば、研究者をどんどん鍛え上げて能力を発揮する人にはお金を与えれば、そんな問題は解決する、という具合に捉えられやすいと思うのですが。

榎木:確かに微妙な問題ではありますね。「裾野が広くないと頂上は高くならない」と言う人がいて、人がたくさん増えてもいいけど、ピックアップするのは少数――いわば「多産多死」のような――という風潮があるのが現実だと思います。もっとも、研究はある程度競争がないと停滞するという点は、認めざるを得ないことでしょう。ただ、その競争には、一部が勝ち組になってしまえば「残りは捨ててしまえ」という面があるように思います。つまり、研究者になれない人には「ダメ人間」のレッテルを貼り、「勝手に生きろ」というようなところがあって、それはよろしくない。もちろん、全員を研究者にして研究者人口全体を増やせばいいということではないんですが、研究者になれない人たちもさまざまな能力を持っているでしょうから、社会でしっかり活動してもらうという方向に持っていかないといけないはずです。国の「科学技術立国」に乗って研究者として自分でどんどんやっていける人は、国も面倒を見るし、私たちが対象にする必要もなくて、そうではない「捨てられかねない人たち」に、もっと生き生きと活動してもらいたいという思いがあります。

富田:私の主観も入ると思いますが、具体的な政策に関わらせて言いますと、やはり「大学院重点化計画」や「ポスドク等1万人支援計画」の影響を考えなければならないと思いま。二つの論点があって、一つはインフラ整備(研究室・研究機関を増やすこと)、要するに大学院生をたくさん採るから研究室などを増やすという状況に、教育研究体制が対応できているのか、ということ。もう一つが、大学院重点化計画の結果として必然的に要請される「ポスドク等1万人支援計画」の実態です。

 教育機関としての大学において最も重要なはずの教育プログラムが、大学院生を増やすにあたって本当に改善されたのか。私はこの部分が一番大きな問題だと思っていて、いわば文科省が笛を吹き、大学院生は踊った、太鼓を叩いたのは大学の教員ですが、この政策によって大学院生が増えれば教職のポストは増え、その大学の教授から大学院の教授になれるといったメリットを大学の教員は享受している。ではその代わりに、少数の院生に「徒弟制」で教えていたこれまでの教育を、より幅をもった院生たちが皆きちんと大学院生として成果を出せるような教育体系に変えたのか。たぶん変えていないんですね。「科学コミュニケーション」の大学院を作ったり、付け焼き刃で物事を進めている。もっと本質的なのは、大学院教育のプログラムに欧米化したものを導入するなりして、論理思考力が強く、かつその論理思考力を汎用的に使える大学院生を作ることです。この部分に対しては政策がまったくない。

──なるほど。昔からよく「つぶしのきかない人間になってしまう」という言い方をされていますが、今でもその傾向はあるということでしょうか。

富田:先ほど榎木がお話したように、大学の研究室はきわめて特殊なコミュニティーだと思います。例えば、3年間という任期でポスドクとして研究をする時に、仮に自分のボスが他の機関への異動を考えていた場合、たいていは部下の転職先までは探してくれないでしょう。面倒見の悪いボスであれば当然のこと、面倒見のいいボスであっても、例えば自分がやって欲しいと思っている以外の研究を部下が自分の研究室でやっていることを知ったりすればその人の次のポストは用意しない。部下はそういう見えない恐怖感をもっているのが実情です。また3年間という任期に関しても、3年間でオフィシャリティの高い研究をペーパーとして出せるところまで持っていける人は、かなり少ないと思います。5年あれば、研究論文を業績として本当に就職活動できますが、3年だと、一応の成果が出て、それを論文化するためのコミュニケーションをしている最中に出て行くケースが多いだろうと思うんです。したがって、そのポストが終わった後も、そのボスにある程度の忠誠心を持っていないと、自分の研究成果が自分の業績にはならない可能性もある。だから大学院生が最初に覚えないといけないことは、ボスに忠誠心を示すことです。

林:競争の作用の仕方がおかしいんです。皆が自由にやりながら成果が出てきますよ、就職先も生き方も多様に見つかりますよ、という形に競争が作用してないんです。

 研究者なら誰でも、自分のアイディアがどこまで通用するか追究してみたいでしょう。自分のアイディアを実現してみたい、他のアイディアと競争してみたい、皆そう思っているはずです。ならば研究費に関しても、本来はアイディアに応じて多様に使えるようにしておくべきで、その方が本当の意味で競争できるはずでしょう。

 でも、日本の研究者は自分の分野への思い入れが非常に強いこともあって、非常に視野が狭い。それは科学雑誌の売れ方などにも現れています。例えば雑誌『科学』などは、1年生が読むのはいいけど、3、4年生で読んでると「サボっている」と見られ、すぐに「専門誌を読みなさい」と言われるでしょう。そういう世界なんですね。そうして育てられた学生でも、研究者としてその道に残れればいいですし、勢いのいいときは問題ないです。ところが教授がいなくなり、その分野が廃れてきたりすると、とたんに何か意味がなくなってしまうし、他に活躍もできない。現状では、どうしてもそういうことが起こります。大学に残るにせよ、研究分野を変えていきながら、蓄積を生かして新しいことに取り組んでいける研究者になるなど広く活躍をするためには、視野を広く持つことは欠かせない。大学院に行くと本当にピンポイントで、ひたすら最先端を研ぎ澄ますだけで「科学は素晴らしい」と言っている……。

──共感できます。科学研究というと大体のパターンは、研究室に入って上から課題を与えられ、先生の研究の一部をこなして、論文を書いて…という印象が強いですが、ではどこの段階で自分のオリジナルな問題を見つけ、それを発見解決していくのか。研究で大事な問題発見能力は、どこで築かれるのだろうか、疑問が生じるわけです。林さんがおっしゃったような、何でも来い、という知的タフさ、あるいは好奇心がベースになっていないと、なかなかそうはならないように思いますし、それが育つ環境になっていないことがつらいところなのでしょう。しかも、知的好奇心、可能性、優秀さをそなえた人が、狭いところに閉じこめられたような息苦しさの中で研究し、そうでないと生き延びていけないという切迫感を持っている。

榎木:私の場合も、「生化学若い研究者の会」なんていう場に行くような輩はいかん、という感じだったので、隠れてやっていました。専門以外のことに興味を持つ人は、隠れてやらないとつぶされちゃうんです。もちろん以前よりも変わってきてはいると思いますが、まだまだでしょう。

◆サイコムの活動の枠組み◆

──榎木さんたちの活動は言ってみれば、そうした息苦しい研究環境におかれた人が、もう少し窓を開いて、研究の問題点を他の人とシェアして良くしていこう、という貴重な活動
になっているんでしょうね。

富田:ここで活動の枠組みを整理して示しておきますと、まずサイコムのゴールは、知力を労力とする社会の構築に貢献することです。サイコムの活動を通して最終的に、知力・労力社会が構築される状態を目指しています。そのために必要なのものとして――ターゲットは特に若手の研究者ですが――3つのコミュニケーションを想定しています。1つめは、研究者内のコミュニケーション。ボスと若手研究者のコミュニケーションがうまくいかないとか、分野の違う研究者同士のコミュニケーションがないといった問題です。2つ目の切り口は、市民と研究者のコミュニケーション。3つ目は、政府や行政と研究者のコミュニケーションです。それに対してそれぞれのアクションプランを作っています。もっとも、マンパワーの問題もあってすべて同時併行は難しいですが、それぞれの軸においてプロジェクトの形で活動をしています。榎木はサイコムニュースや政策提言を主に統括し、これは行政・政府と研究者とのコミュニケーションという位置づけ。私や林で取り組んでいる「サイエンスライティング講座」は第2の軸。もう一つは、後で紹介しますが、研究者と研究支援業界とのコミュニケーションについても取り組んでいます。

──その「科学技術コミュニケーション」について、概念的にもうちょっと整理する必要があると私は感じるのですが。

 まず誰と誰のコミュニケーションなのかを考えたときに、明らかに研究者同士のコミュニケーションをもっと促進した方がいいですよね。またキャリアパスで考えると、狭い専門から研究者を解放する一つの手立てとして、いろんなことにアプローチする能力を身につけるその基礎に「ライティング講座」のような取り組みを位置づけられるのであれば、それはやはり研究者と社会、あるいや研究者と異分野とのコミュニケーションなんだと思える。あるいは、政府が決める政策に対して、それを受け止める側の研究者が政策決定にどこまで介在できるかというと、そこでもコミュニケーションが決定的に不足していると思える面がある。いろんな側面があって、それを整理しつつ、かつどんなところをどう重点的にやっていくか、それを探らないといけないのでしょうね。

◆研究者内部のコミュニケーション◆

──そこでまず、先程から出ている研究環境について、具体的にサイコムはどのような面でサポートできるのでしょうか。研究室の院生と指導教官とのコミュニケーションができていないといった問題も、実は個々の研究室の問題ではなく普遍的な問題ですよね。それをサイコムの活動によってどうやって解決するか、あるいは前進させていくか、そのあたりの見通しをお聞きしたいのですが。

榎木:まずはこういう問題があるということを世に知らしめ、解決へ向けての提案を不完全ながらもこれまでやってきましたし、これからそういう取り組みを強化していきたいと思っています。具体的には、若手研究者をボスから離して――建物ごと独立させるとか――精神的支配から独立させようとか、指導教官を複数にすべきだとか、そういう提案はすでにしているんです。もっとも今のところサイコムの力も全く弱いですし、なかなか具体化していくのは難しいのですが。でも、サイコムニュースもふくめて、少なくとも情報を大学院生たちに向けて提供したいとは思っています。例えば『オルタナティブ・キャリアズ・イン・サイエンス』(Alternative Careers in Science: Leaving the Ivory Tower, 2 edition, by Cynthia Robbins-Roth, 2005)という本がありますが、これは多彩な進路に進んだサイエンティストを紹介する本です。コンサルタント、政府職員など、アメリカの現状についていろんなパターンが見られます。こういう情報を知らせることもすごく重要かと思っていまして、サイコムニュースも科学のニュースだけでなく、進路問題の情報を提供していきたいです。

 その流れとして、今年出る予定ですけど、大学院進学本というのがあります。そもそも大学院に進学するに当たって、多くの学生は不完全な情報やイメージだけしかもっていないことが多いと思うのです。我々も大体大学院を経験した人が多いので、その経験の中で、ここをこうしていればよかったんではないかとか、こういう道もあったんではないかとか、後悔がいろいろある。そういう先輩の思いを本にして情報を提供するということです。「こういうことになってますけど、あなたはきちっとした進路を歩めますか」と。自由選択というのは情報がきちっと与えられていなければ成り立ち得ない、と思っているので、間接的ではありますがそういう形で支援して行こうと。直接的に支援していくのはなかなかできませんので。

──メーリングリスト(ML)に私も入れていただいてますが、日々何通も議論や意見がやりとりされて、とても活発ですよね。問題に関する意識が共有され、誰かの発言にすぐ反応するという姿勢がつくられている。そして、いろんな経験を持った人が集まっていることで、やはり思わぬ情報が飛び交ってきます。そういう具合に、多様な人々が多様な問題を共有し、意見を出し合うというボトムアップ的な面も、サイコムの活動のカギかと思うのですが。

榎木:そうですね。もちろん問題に対する捉え方は、参加者の間で完全に一致しているはずもありませんし、むしろいろんな考えがあっていいわけですが、その中で問題を絞り、提言などをつくり、人々にフィードバックして意見を聞いて、それを練っていく。そうしたプロセスがないと単に好き勝手を言っていることになってしまうので、そういう意味でML という、雑多な多彩な集団の中で反対意見もあって叩かれることもあるけど、そういう人たちとつながっていることは非常に重要です。もちろん、どこかで錯綜する意見をまとめなければいけないので、そこを今後は強化していきたいと思っています。

富田:おそらく他の団体と差別化できるポイントして、MLというものをフル活用している。特におもしろいのが階層型のML です。1100人くらいの階層があって、その上にサイコムアソシエイツ、さらにその上に理事のML、その横に、それぞれの分科会、案件ごとのML があるんです。そういう形でML が一般の組織の「○○部」「○○課」になっていて、バーチャル空間で人のインフラが明確になる。これは一朝一夕にはできなくて、何年も前から少しずつ積み重ねてきた財産だと思うんです。

◆「サイエンスライティング講座」~研究者と社会のコミュニケーションへ向けて◆

林:社会と研究者のコミュニケーションについて言うと、最近「科学コミュニケーション」の取り組みがいろんなところで広がって、大学自身がやっているところもあれば、我々に声をかけて協働する大学もあります。我々の「サイエンスライティング講座」はその協働の一例ですが、これは教養教育だと私は考えているんです。サイエンスライティング講座での参加者の取り組みはさまざまです。ある人は、自分の専門の微生物についてストーリーを書きたいという。「微生物日本紀行」といった感じで、いろんな場所で、どんな微生物を使って、どんな産業が起こされているのを、旅行記のように書こうと。あるいはSTS を指向する人が、核に関する博物館の展示が広島とネバダではこんなふうに違う、というプレゼンテーションをしたり。またある人は、自分の専門分野を正面から説明する、といった具合です。最後の例について言うと、これが単にライティングのスキルを学ぶものではないことがわかるんです。自分の研究について、全く分野の違う、関心の違う人から見てもらうと、「どこがおもしろいの?」なんて言われてショックを受けるような場合もあるからです。同じ大学院生でも違うことに関心を持っている人がいるんだ、ということに気付くことが、一番大きな意義だと思います。書くスキル自体は訓練すれば伸びるわけですが、それだけでは意味がないと思っています。つまり、この講座は狭い意味でのジャーナリズムやキャリアパスを目的としているのではなく、本当の意味での実践的で多様な教養教育をやるものなんだと考えているんです。そのためにも、多様な人々が集まり、討論し、そして実際に書いてみて発表することが必要だし、やはりお互いおもしろいからやろうというのが一番の狙いだと思います。もちろんその中で、市民科学的な視点が必ず入ってくるでしょう。

富田:サイエンスライティング講座の特性というのは、わかることではなく、できるようになることなんです。すなわち「コーチング」です。わかるというのは、本を読めばたいていの人はわかります。特に研究者が陥りがちなのは、自分の分野に関しては手を動かして実験しないといけないから重要だと考えますが、他分野に関しては本を読んだ程度で「わかったわかった」となってしまう。それが教育にも反映されるので、博士号を持つ人も、せっかく高度な専門能力を身に着けてきたのにそれが極めて狭いところのみで発揮され、その高度な専門能力を身につけたプロセスについて本人の意識が全然ない。したがって水平展開できない。違う分野に対しては2 通りの行動パターンがありますが、ひたすらその分野の本を読んで評論するか、もしくは、何かやらなきゃと取り組むけど失敗ばかりして、こいつは使えないやつだと見られてしまう。どちらかになるんですね。そうした部分をどうスキルトレーニングしていくか。サイエンスライティング講座もそうですし、それ以外のスキルトレーニングを開発しているところです。

──それは面白いですね。研究を志す若い人たちもみな自分なりのサイエンスのイメージを持っていると思うんですが、でもそれを他人にぶつけてみないと、そのイメージが社会の中にどう位置づけ得るかは見えないでしょう。自分のものとは違うイメージがぶつかってきて、そこですり合わせを生じさせることが重要なんでしょうね。

林:そうですね。例えば大学院生が、研究内容について市民に一般公開で説明をすると、全然わかっていないとしか思えない説明をしたりするんです。人に説明できるということは、やはり科学史的な背景とか、研究上のブレークスルーの重要ポイントなどを十分に知った上でできることなんですね。そういうことを確認することがサイエンス・コミュニケーションの場ではないかと思います。一般の人に話す方が大変なんです。何が本質的に重要なのかわかっていないと、理解してもらえませんから。

 研究室の中で話すのはそれに比べれば楽です。先輩たちは自分より長く研究しているし、そのテーマを考え出した教授は10年、20年とやっている。つまり相手が内容を全部知っているわけです。だから、その分野の常識をわきまえているかどうかはチェックされるかもしれませんが、基本的には、今までの積み重ねにどれだけ「プラスアルファ」できたか、という点しか問われない。わかっている先生たちに話すのは、それでいいんです。でも、社会ではそれだけでは通用しないわけです。

──以前ある研究者に、あなたは税金を使って研究しているので納税者に対する説明責任が生じるでしょう、とぶつけてみたことがあります。その時の返答は、研究というのは社会から委託されてやっているという面もあるし、自分の能力を活かすなり独創性を活かすなりという面で貢献している面もあるから、一つ一つの研究に説明責任を求められても応えきれないというものでした。ただし、その人も悩んでいて、自分の研究が社会にどう生かされているのか自分でもよく見えていないし、もっと見えるといいなという気持ちもあるようです。では、どうしたらいいのか。そのとき、年に一回でいいから、研究室から離れた場で自分の研究について素人に話す機会を作り、それを全ての研究者に義務付けたらどうですか、と言いました。そうなれば、説明する必要が生じるし、相手の反応も見えるので、思うところも出てくるのではないかと。

 実際に、特に理科系の研究者について一般の人は、白衣を着て、非常に専門分野の知識が豊富で、すごい技術を持っているすごい存在だというイメージが強いんですね。研究者も、本当ならば一歩踏み出さねばいけないところを、社会が持っているそのイメージの中で安閑としている感じも受けるんです。本当だったら今おっしゃったようなサイエンス・コミュニケーションの中で、一緒にやれる課題、解決して行くべき問題はいろいろ見えてくるはずです。研究者が真剣に手伝ってくれたらもっと問題解決がスマートにいくのに、ということを結構感じるんです。

林:アカウンタビリティを説明責任と訳して、結果をわかりやすく話せばそれが説明責任を果たしたことになるんだと思っている研究者がいまだに多いですね。新しいテクノロジーの需要を妨げるから、正しい知識を伝えなければいけないと。その発想で解決できると思っているんです。

榎木:小林傳司さん(大阪大学コミュニケーションデザインセンター教授)が言っていましたが、研究者が専門家として説明責任を果たさねばならない、という発想に凝り固まっているのは、実はそういう役割ばかり負わされているからであって、いったん自分が素人になって研究者そのものや他分野を眺める体験が必要ではないかと。例えば市民に説明する場を義務的に設けたとしても、専門家と市民という上下関係を抱えたままになるわけです。本来は、専門家と市民の「共同作業」として、自分が専門家としてスピーチすると同時に、素人して質問するという、互いの関係をごちゃごちゃにさせる場が、科学コミュニケーションにとって重要だという気がします。

林:京都教育大学でのサイエンスライティング講座では、ある女子高校生が、幼稚園や科学館で自分たちが行っている実験教室についてプレゼンテーションしてくれたんですが、その実験について大学院生が熱心に質問したりしていて、とても印象的でした。

榎木:そういう場は非常に大事だと思います。役割を解体して、大学教授や院生も、楽しむ側や質問する側に回る。そういうコミュニケーションが重要でしょう。

──私たちのJST 研究で、生活者の視点から、生活に関する伝統的な技術や知恵を改めて評価し、捉え直していこうという研究を進めていますが、衣食住に関することを毎日やるのは家の中に住んでいるその人ですよね。生活の中で具体的に出会うものを通して、なぜそうなっているかという仕組みや、自分でこんな風に工夫してみたらいいんじゃないか、といった発想さえ持てると、科学がぐっと身近になってくるという面があるんですね。私はそれがボトムアップの鍵じゃないかと思っていて。

 だから今の理科教育も、生活と切り離して教えているところが非常に残念で、むしろ初等教育の段階から生活と密着した科学という捉え方ができたら、子どもたちが科学者となって研究に取り組むときにものすごくいい影響を与えるんじゃないかと。サイコムの「サイエンスライティング講座」にもつながりそうな気がしますが。

林:サイエンスライティング講座は母と子の水泳教室をやっているようなつもりでやっているんです。もちろん実際にライターを育てられるでしょうが、毎年何100人というライターを社会に送り出すということが本質なのではない。書くこと、表現することはコミュニケーションの基本ですし、いろんな人と触れ合うことができ、いろんな分野の知識を身につけることができる。むしろそういう「アマチュアを育てる」という面の方が微妙に大きいと思います。それが、さまざまな問題に対応できる社会を生み出す入り口でもあるだろうと。

榎木:「我々は委託されて研究しているのだ」といった研究者の特権をまず剥がさなければいけないのではないかと思うわけです。生活者、アマチュアの視点で研究はできるはずであって、かつ社会に溶け込んだ様々な形で研究が行われるべきだと思います。科学カフェなんて、研究者を呼んできて市民と語らせるなんてやってますけど、逆に市民の話を研究者に聞かせることも可能なわけで…

林:科学カフェは本来そのための場なんですよ。講演会とは違う。でも今の科学カフェは講演会に戻っている。

榎木:サイコムとしては、そういう市民――「市民」というのも差別的で、「生活専門者」と呼びたいくらいですが――の経験知や専門性をもっと評価して逆に研究者にぶつけ、その「特権階級」意識を変えたいですね。──そのために有効なのは、疑問をきちんと作ることだと思うんです。実際に、これはどの専門家に尋ねたら答えてくれるのか、と思う疑問が生活の中にはたくさんあるんです。具体的な例で言うと、今すごい勢いで普及しているIHクッキングヒーターについて私たちは調査していまして、これを開発した研究者もいるはずですが、生活で使われることでどのような影響をもつのか、エネルギー効率は実際にどうなのか、といった疑問に応えられる人が現実にはいない。消費者の関心とのギャップを痛切に感じています。本来なら、そうした生活者の疑問を受けて研究していくという方向性が見られていいはずですよね。

林:本当にそうです。そういうことは、産学連携とか、政府が旗振りしているようなところでもいっぱいあるんです。みんな置き去りにされたまま進んでますでしょう。

榎木:そこに見えてくるのが市民科学なのではないかと思うんです。市民科学研究室さんが自ら研究していることも非常に重要だと思うし、サイエンスショップ、第三の研究機関のようなものも必要で、市民がイニシアティヴをとって研究できるインフラを整えるべきではないかと。我々の必要な研究を自らやってしまおう、というような。そのインフラとして大学や科学館といった施設を開放し、研究ができるようになったら非常におもしろいかなと。

富田:サイコムもサイエンスショップ的な事業をやっているので紹介しますと、一つは、「培養.jp」というWebサイトを運用しています。これは、研究財源を増やすプロセスを必要としている生命科学系の研究者たちに対して、支援産業と若手の研究者がパートナーシップを結べる場をつくる取り組みです。もう一つは、私はタイテックという会社に勤務していますが、その会社のラボの実験責任者になっているので、その場をNPOサイコムとタイテックの共同名義の体制にして、大学院からのインターン生受け入れの場として開放しています。そこで、企業の研究開発を体験してもらうと同時に、より広く共同研究のための場に展開していこうと考えています。

◆科学技術政策への批判的対抗軸をつくる◆

──最後に伺いたいのが政策提言についてです。国の科学技術政策の根幹にあたる科学技術基本計画――現在「第三次」として動き出していますが――に対して、いまサイコムなりの見方、提言をまとめようとなさっていますが、それは私たちとしても、市民が科学技術政策をどう捉えていくかという重要な課題だと思っています。そこでサイコムの皆さんから見て、日本の科学技術政策でどのあたりが一番ポイントで、どこが問題になりそうか、何をどう変えていきたいか、といった点についてお聞かせください。

榎木:科学技術基本計画を制定段階から追っていきますと、やはりトップダウン主導型により強固になりつつある点を押さえるべきでしょう。つまり、総合科学技術会議を中心に国が強力に主導するという方向に流れは向かっていますので、言わば一部の委員が国全体の政策の方向性を決めている。もちろんボトムアップにすると錯綜してしまう面はありますから、ある部分必要かもしれませんが、トップダウンに対抗するものとしてボトムアップの存在自体は必要でしょう。ところが、元々このボトムアップの役目を果たすべき日本学術会議のはたらきが非常によろしくない。分野ごとにセクショナリズムで分かれ、玉虫色の提言を出すだけだった、と。したがって、このバランスが崩れてしまうと、国主導のトップダウンでイケイケドンドンとなってしまう。対抗軸の不在状況が今の日本の科学技術政策かと思います。そこでサイコムとして取り組みたいのは、まずは科学技術政策に注目する市民団体自体が少ないということを踏まえて、ボトムアップの対抗軸として市民レベルからもっと見ていくという地道な作業です。それがないことは非常に問題です。

富田:具体的な政策の中身で言えば、第一期(基本計画)と第二期は重点を「インフラ整備」に置いていて、第三期では「人」が対象になっているのですが、サイコムではやはりその「人」に注目しています。第一期、第二期の施策は、要するに法律ができて税金が投下され、実験施設が多くなり、研究資金が出て、ともかくも研究業界にはプラスだったわけです。ところが、人を増やし、研究機関を増やしたところで――最初から言われていたことですが――、能力のない人はこの業界から出てくださいというわけですよね。それは先ほど出たようにある程度は仕方がないにしても、一方で、第三期基本計画で「人的資源」を充実をうたっているのに、問題の本質はなんら改善されてないのではないかと思います。結局のところ、インフラ整備によって「生産」された研究員や大学院生は幸せな人生を歩めないんじゃないか、と。そうした「人」たちに幸せになってもらうための提案が自分たちにできるか、ということに知恵を絞っています。政策を見るにしても、やはりこの問題は重要な焦点です。

林:より大きな研究のあり方の面から言うと、「トップダウン」については、トップダウンで決めるべきこともあると思うので、そういう点はさっさと決定した方がいいと思いますし、そのための枠組みができたこと自体はいいと思うんです。ところが、やり方が非常に乱暴というか、了見が狭いことは問題ですね。最近の例では、バイオ・ライフサイエンス分野の基礎研究に重点投資しようという方針になってきていますが、しかし、出口が全然見えていない。民間企業はこの分野に関して今のところ様子見の傾向がありますし。具体的に「創薬」の研究などを見ると、本当に医療現場で必要なもの、患者が求めているものは何か、現場でしっかり情報を研究すると。それを活かしてきちんとした治験を行い、副作用の問題も克服して、売れる薬にしなくては、「産業」としては意味がないわけです。つまり、市民の視点を取り入れて現場の実情をきちんと把握し、それをハイレベルな研究に結びつけなければいけないという、非常に高度な作業を求められるわけです。単純なトップダウンではできっこないんです。エレクトロニクスやIT 技術も同様です。世の中のニーズにあったものを作り出そう、そのために必要な研究をしよう、という形で動いていかなければいけないはずなんです。

 最近流行の「産学連携」も同じです。大学は産学連携によって、特許をいくつ出し、ベンチャー企業をいくつ起こしましたか、という具合に単純に評価されますが、新しい特許やベンチャーが増えたからといって新しい産業が育つわけではない。本気で成功させるような仕掛けにしていかなければ、やはり「出口」が見えないわけです。

富田:話が大きくなりますが、今の研究体制というのは、要するに世界大戦を機に、国家が科学技術に税金を投与して、戦争相手に対してどれだけ技術的な優位さを生み出すか、という発想を前提に作られている「発展」体制ですよね。本当は、冷戦が終わった時点でこの体制は必要ないんじゃないか、と。そういう意味では今、「パラダイム転換」を必要としていて、科学技術研究の体制を再構築しないといけない段階に来ているのではないでしょうか。

林:そうなんです。ところが今、逆に戻っていて、科学帝国主義的、国粋主義的な雰囲気も感じられるし。でも、そうしたテーゼでやっていると、自由にものが言えなくなりますよね。それよりもむしろ、NPO などを活用して研究体制をオープンにするといった方向の方が、基礎研究はやりやすいんじゃないか、真の意味で競争的にもなるんじゃないか、というふうに思います。

──そういう発想を社会に浸透させていくべきだろうと思いますね。お金がなければ科学研究できないというのは事実かもしれないけど、莫大なお金がないとできないというのはちょっと嘘かな、という気がするんです。だからこそ、新しい環境づくりのために皆さんにはぜひ頑張っていただきたいですし、私たちも協力していければと思います。今日は長い時間、本当にありがとうございました。■

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