小特集:映画『オッペンハイマー』を語る
映画「オッペンハイマー」鑑賞記
吉岡寛二 (市民科学研究室 レイチェル会員)
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皆様ご存知のように、オッペンハイマーはマンハッタン計画=「原爆の開発製造」を指揮した天才物理学者として知られています。昨年度のアカデミー賞で圧勝した映画であり日本でも公開されましたが、市民研でも話題にするという話があったので、まずは見に行くことにしました。私の場合、シルバー料金ですので映画館に足を運ぶことが多くなりました。映画館側は少しでも売り上げを伸ばすためでしょうが、私にとっては非常にありがたいです。
映画を実際に視聴する前から、ある程度の歴史的知識があったこともあって、多くの方と意見が異なるだろうと想像しています。立場、視点、知識などによって、意見が異なって当たり前ですが、私個人の一つの意見ということで紹介させていただきます。私の意見のベースになっていることは
・最も重要なことは、「米国が原爆を日本に投下した」という事実。
・その結果、世界はどういう歩みをして現在に至っているのか。
・米国が日本への原爆投下に至るまでの歴史と、現在までの経緯。
映画というのはエンターテインメントの一つですから、観客(米国民)が受け入れられるように作られていますので、このような見方で感想を書かせていただきます。
[1]米国の映画として
2023年のアカデミー賞を席巻したことから明らかなように、「米国人から圧倒的な支持を得た」ことがわかると思います。確かに非常に優秀な作品だったと感じましたが、あくまでも「米国人による」「米国人のための」映画であり、日本にも配給可能なレベルになっていると考えたのでしょう。内容としては「原爆を日本に投下したこと」に関しては殆ど触れられませんでした。むしろ、「当時、日本に原爆を投下したのは正しい判断であった」という自己正当化に貫かれていますから、「米国人のための映画」だといえるわけです。
連想したのは映画「父親たちの星条旗」です。日本では「硫黄島からの手紙」をご覧になった方が多いと思いますが、視座・視点を変えると、1つの歴史的事実に対しても全く異なって見えるということだと思います。
[2]オッペンハイマー
日本ではオッペンハイマーは、マンハッタン計画を主導し原子爆弾開発に指導者的役割を果たしたことで有名であり、「原爆の父」として知られています。日本人からすれば、「原爆の父」ですから、悪魔と感じられてもしかたがないでしょう。オッペンハイマーが水爆には反対したことも知っていましたが、その程度しか知りませんでした。オッペンハイマーは、1954年に事実上の公職追放をされましたが、1963年に「フェルミ賞」受賞したことにより、アメリカ政府は、反共ヒステリック状態でなされた1954年の処分の非を認めて彼の名誉回復を図ったそうです。
ただし、米国の政府機関が真に名誉回復に動いたのは2022年12月16日のことです。米エネルギー省のグランホルム長官が、オッペンハイマーを公職から追放した1954年の処分は「偏見に基づく不公正な手続きだった」として取り消したと発表。オッペンハイマーにスパイ容疑の罪を着せて資格を剥奪したことを公的に謝罪したとのこと。この映画が米国内で配信される前に米国政府としての見解をはっきりさせたかったのでしょう。
[3]日本で公開されるようになった歴史的背景
1945年8月、広島・長崎に原爆が投下されましたが、当時の米国民の約9割は「正しい判断」であったと考えていました。米国政府は、真珠湾攻撃以来、日本の不当性と米国の正当性を国民に宣伝してきましたから、米国民の意識としては極めて当然のことだと思います。政府は、原爆投下によって日本の降伏を早めることで米国兵の命を救ったと、米国民に宣伝してきました。
昭和天皇が初めて訪米したのは1975年のことですが、終戦から30年を経てやっと仲直りができたとみることもできます。その後は日本経済が成長し続けましたが、1989年の三菱地所によるロックフェラーセンター買収によって、米国民の反日感情が非常に高まったと言われています。しかし、日本のバブルがはじけて「失われた30年」に至ったために、米国民の反日感情は殆どなくなったと思われます。
数年前の記事によれば、「原爆投下は間違っていた」と考える米国人が今では半数を上回るようになったそうです。反日感情が低くなったことや、オバマ大統領が2016年5月に広島を訪問したことも大きいと思います。
[4]マンハッタン計画はなぜ開始され継続されたのか
二年くらい前(?)だったか、NHKでマンハッタン計画についての番組を見たことがあります。そこでは、マンハッタン計画のトリガーに至ったアインシュタインによるルーズベルト大統領への手紙が取り上げられていました。その番組を見た人は、マンハッタン計画が始まった大きな直接的原因だと感じられたと思います。
原爆に関係する事項のみ抜粋して、時系列的に考えてみましょう。
1939年8月2日 アインシュタイン=シラードからルーズベルト大統領への手紙(世界大戦以前)
1939年9月1日 ドイツとスロバキアがポーランドに侵攻(第二次世界大戦勃発)
1939年9月3日 イギリス・フランスがドイツに対して宣戦布告
1940年4~5月 ドイツがノルウェー作戦によって、世界最大の重水製造工場を占領
1941年12月8日 日本が米国に対して宣戦布告
1942年9月1日 ルーズベルト大統領が、マンハッタン計画を承認
1943年2月27日 イギリス特殊部隊がノルウェーの重水製造工場を破壊
この時点で、ドイツが原爆を製造できる可能性は遠のいたと思うのですが、どうでしょうか。
[5]日本に投下することが決まった時期はいつごろか
映画の中では、「日本に投下することが決まったのはドイツが降伏したから」とか「京都に落とすことは計画初期の段階で除外されていた」という説明がありましたが、これらは全くのウソです。米国民に対する当時の米国の判断が正しかったことを印象付けるための脚色だと思われます。私の見方ですが、この二つがあるので、日本での上映が可能になったと思われます。
一つめのウソですが、日本に投下することが決められたのは、それよりもずっと早い1944年9月のことです。英米間での秘密協定(ハイドパーク協定)で、原爆が完成すれば日本への投下を行うという意志が示されていました。ルーズベルト大統領の心の中で、日本に対して投下しようという意識がはっきりしてきたのは、1943年2月27日イギリス特殊部隊がノルウェーの重水製造工場を破壊したという情報を得て、ドイツは原爆を開発できないだろうと考え始めた以降だと想像しています。
二つ目のウソは、「原爆投下する都市の候補は12都市だったが、京都は初期段階で除かれて11都市だった」という内容です。事実は、京都市、広島市、小倉市、新潟市の4都市が最終候補地であり、その後、広島市、小倉市、長崎市の順になったようです。「歴史ある京都を意図的に叩かなかった善良な米国」という印象を作り上げるためのウソです。
[6]原爆投下に至る真実は
原爆開発は、アインシュタイン=シラードからルーズベルト大統領への手紙がトリガーになった事実を皆さんはご存知でしょう。しかしその張本人であるシラードが、日本への無警告の原爆投下を阻止しようとしていたこと(1945年6月11日に提出されたフランクレポート)をご存知でしょうか。
また、トルーマン大統領が日本への原爆投下を決断したのであり、映画においてはオッペンハイマーに対して冷淡に接したように描かれていますが、本当のところはどうだったのでしょうか。トルーマンが副大統領になったのは1945年1月20日、ルーズベルトの急死により大統領になったのは1945年4月12日であり、マンハッタン計画のことも、日本に投下することがはるか以前に決定されていたことも知らなかったようです。
世間的には、オッペンハイマーが原爆を作り出し、トルーマンが無辜の民への大量破壊兵器を使用したように思われています。しかし私の感覚では、その首謀者はルーズベルトであり、その実行犯はグローブスだったと思っています。