エッセイ「手作りから始める暮らしのエコ」(連載4回分)

投稿者: | 2024年12月24日

東京都目黒区の「エコライフめぐろ推進協会」が発行する 賛助会員・協力会員向け情報紙『かたつむり通信』(年4回発行)に、市民科学研究室の上田が4回の連載を書かせていただきました。
この情報誌は紙媒体で配布されると同時に以下のサイトでPDFでも公開されています。
ここには、そのリンク先とともに、元の文章をまとめて再掲しておきます。

・『かたつむり通信』が掲載されている「エコライフめぐろ推進協会」ウェブサイトのなかの「会員ページ」
・「手作りから始める暮らしのエコ」の4回の連載

 令和6年度第1号 PDFを見る
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 令和6年度第4号 PDFを見る

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手作りから始める暮らしのエコ ①

発酵食が面白い

上田昌文(NPO法人市民科学研究室・代表理事)

“エコ”を実現するために暮らしのなかで手がけていることの一つや二つは、誰にもあるだろう。「食」はエコの大きな柱の一つだが、多くの消費者は「安全で、できるだけ安く、美味しくて、健康によくて、手軽に作れて……」という、全部が満たされることなどおよそありそうにはない望みを持っている。買い物の際にどれを優先するかで毎日悩んでいる。

その悩みを一挙に解消してくれるのが発酵食だ。

私は味噌、ヨーグルト、ぬか漬けをずっと長く手作りしてきた。甘酒と塩麹も、麹が余った時に手作りする。キムチと納豆も欠かしたことがない。

例えば味噌で言うと、私は毎年20名くらいの大人や子供たちを集めて「味噌づくり講座」を開いている。高度成長期以降、家庭での「手前味噌」が姿を消し、いまや大半の日本人はビニールのパック詰めをスーパーで買っている。この講座はその手前味噌を復活させる試みだが、やってみるとわかる驚きの事実がある。

1年1回10kg(夫婦2人で毎日2杯のお味噌汁を飲むことで消費できるくらいの量)を仕込むのに要するのはたった数時間。最上級の大豆と麹と塩をそろえても材料費は5,000円ですむ。手作りは至極簡単で、できあがった味噌はじつに美味しい。

塩麹も簡単で、麹に塩と水を加えて発酵させるだけ(乾燥米麹と塩と60度ほどの湯を4:1:5くらいの重量比で混ぜて1日1回かき混ぜて1週間ほど常温で寝かせる)。見た目は甘酒に似ていて、味はほんのりと甘辛い。肉や魚や野菜といったほぼどんな食材にも使えて常温で保存ができる。コウジカビの働きで食材に含まれるデンプンやタンパク質が分解され甘味と旨みが引き出されるので美味しくなるし、肉を漬けると軟らかくなり食感もアップする。焼いたり炒めたりすると、綺麗な焼き色に仕上がり、照りや艶も加わって食欲をそそる。言うことなしの万能調味料だ。

発酵食品は保存も効く上に、元の素材にはない栄養が加えられ、含まれる微生物の働きでヒトの腸内環境を整えるなど、生ける健康食品そのものだ。発酵を担うコウジカビ、酵母、乳酸菌などは私たちの生活環境中でごく普通に生息しているので、好みの環境さえ整えてやれば、勝手に集まってきて勝手に増える。生ものを放置しておくと腐ってしまうが、その腐り方をひとひねりすればたいてい発酵に持ち込むことができる。

手作り発酵食の魅力は、“再発見”ブームを繰り返しながら、脈々として新たな愛好者たちを生み出している。あなたもその流れに乗ってみてはいかがだろうか。■

 

 

手作りから始める暮らしのエコ ②

スマホをエコの味方に

上田昌文(NPO法人市民科学研究室・代表理事)

今や小学生からお年寄りまで、持っていない人は珍しいと言えるくらいに普及したスマートフォン。通話やメールだけでなくネットの記事や動画の閲覧、音楽の視聴、SNSなどに大いに使われ、学生もPCではなくスマホで課題のレポートを書く人が多いらしい。

そんなスマホは一見エコとは何の関係もないようにみえる。だが、使い方によっては、環境を知り環境を守るための有力な道具となる。例をあげてみよう。

・夏の暑い盛り、大都会は恒例のようにヒートアイランドと化す。でも歩いていると思わず、「ここはちょっと涼しいな」と感じる場所がある。街路樹のためか、道の両脇の壁が高くて日陰ができるからか、あるいは風がうまく通り抜けるからか……その場所をスマホのカメラで写し、その時の体感をメモしておく。

・イノシシやアライグマやハクビシンなど、農村だけでなく都会にも出没するようになって問題となっている獣害。目撃したらスマホで撮り、出没状況を記録し、住民らで共有する。

・街のなかに所々、空き缶や吸い殻やレジ袋などがいつもポイ捨てされている箇所がある。スマホで記録を残して蓄積していけば、ポイ捨て対策に生かせそうだ。実際、漂流ごみに悩まされている沿岸地域を対象に、このやり方でデータをとり、AIを使ってごみの量や種類を判別するという調査がある。

・カタツムリ、シオカラトンボ、カマキリ、メダカ……昔は当たり前に目にした動物が激減している。それらを絶滅から救うには、生息している姿を見かけたらすぐさま記録に残し、そこがどんな場所・環境かという情報とあわせて、皆で共有することが第一歩になる。

じつは現在、スマホやネットをうまく使って、研究者だけでなく多数の市民が参加して進められる科学的な調査「シチズン・サイエンス」が世界中で活発になされている。

今までの科学の領域には収まらないけれど、エコにつながる面白い活動もある。

NHKの「ブラタモリ」よろしく、地元のまちの地理と歴史を歩きながら探索するのだが、「ここの景観が変わったな」「こんな所が傷んでいる」「ここは交通事故が起こりやすいのでは」……といった意識をもって、写真を撮って記録を残す。多くの市民がこうした「まち歩き」に赴くようになれば、そこから、まちづくり、インフラの老朽化対策、事故防止などに役立つヒントが得られ、市民自身のエコの意識も高まる。

スマホを持つあなたにも、今日からできるエコを目指した小さなサイエンスがあるはずだ。■

 

手作りから始める暮らしのエコ ③

ごみを減らすための想像力

上田昌文(NPO法人市民科学研究室・代表理事)

「エコ」とは何かを、ひとことで言うとしたら? それは「ごみを出さない」ことだと私は常々思っている。出るごみ(廃棄物)が少なければ少ないほど、よりエコな生活になっている、ということだ。

自分が出しているごみの量をきちんと知ることは意外と難しい。もしその記録を多くの人が作るようになれば(自分の出すごみの重量を毎回測るだけでもいい)、それはエコに向けての大変な前進になると思われる。

ただ、そもそもごみを「ごみ箱に入れるもの」「廃棄物として(処理場に)運んでもらうもの」という捉え方だけでいいのか、という問題がある。

電気や水を無駄使いしている場合、その無駄な分を「ごみ」とは言わないけれど、下水処理の負荷を加えることになるし、使用した電力に伴って生じる排熱も「熱のごみ」と言えなくもない。この見方からすると、大量の家庭ごみを焼却する時に発生する大量の二酸化炭素も「(温暖化をもたらす)気体のごみ」だ。ごみがごみを生んでいる。こんなふうに考えると、ごみを出さないことと「省エネ」はいろいろなつながりがありそうだ、と気付かされる。例えば、人口・面積比率で日本が世界一の自動販売機(224万台ほど)も、大量の電気を食いつつカン・ビンの処理コストを強いる存在になっていると言えるだろう。

家庭ごみでもっとも目につくのが包装ごみだが、減らすのは容易ではない。食品トレイなどはその典型だが、60年前はプラスチック容器がほとんどなかったことを思うと、改善の余地がないわけではない(海外では容器持参や量り売りを奨励する国も増えてきている)。プラスチックの削減が世界的な課題になっているなかで、食品トレイも、例えば歯ブラシも、「使い捨て」が見直される時期が必ず来るし、(ポリエステルなどを多用する)衣類も例外ではなくなるだろう。

生活レベルでごみ削減と省エネをはかるには、「何がどの程度必要不可欠か」という「生存レベル」を想定して、そこから「(より豊かな)生活レベル」を逆算するのが第一歩だろう。その時の生存レベルとはおそらく、防災グッズや避難所生活での備品・設備類といったものになる。都会では「無理すぎる」と思われて話題にもならないけれど、個々人やコミュニティが「(食やエネルギーの)自給自足」にどこまで近づくことができるかを具体的にシミュレーションしておくことも、じつはとても大切だと私は考えている(予想される大災害を生き延びるためにも)。

ごみを減らすには大胆で緻密な想像力がいる―そのイメージとアイデア作りを一緒に行えるエコ仲間を増やしていこうではないか。■

 

手作りから始める暮らしのエコ ④

緑を探るまち歩き

上田昌文(NPO法人市民科学研究室・代表理事)

今の東京にみるような、人口が極端に集中する住まい方は決して持続可能ではない。そのことは皆がわかっているのに、止められない(大きな災害でも起こらない限り)。ただ、これだけ巨大な都市でありながら、そこここに「緑」が点在してはいる。そう、江戸時代あるいはそれ以前から残る神社やお寺、公園、緑地、そして23 区内やその近郊にもちらほらと見かける古くからの農家さんの田畑や市民農園などだ。

目に優しく心に潤いを与えるそれらの緑は、今後増えていくのか、それとも失われていくのか? 私はその行方がとても気になる。全体としてみると、私にはそれらが、私たちが生き延びられるかどうかの指標になっているように思えるからだ。

昔の田畑や雑木林がどう失われ今に至っているかは、自宅とその周辺のことさえも、残念なことに大半の人々は知らないし、知ろうとしない。それはじつは危ういことだ。そこで推奨したいのが「緑を探るまち歩き」だ。

まち歩きは、古地図やハザードマップ、時には種々のインフラや建造物(もちろん名所旧跡を含んで)のデータなどを携えて、数名の人々と連れ立ってできれば、こんなに楽しい身近な謎解きはない。ゆっくり歩を進めてじっくり眺めるほどに新たな気付きと疑問が次々と出てくる。そこで緑とそれを支える土にも着目してみよう。「この立派なお庭はいつできたの?」「この街路樹はいつまで持つかしら?」「どんな人がこの農場を経営しているの?」……あなたの町に一体どれくらい緑と土があるかを自分の目で確かめてほしい。

大雑把に言って、緑(=植物)は土で生かされ、土は微生物で生かされている。そして動物は植物(酸素の産生、食料)と体内・体表に住まう微生物(腸内細菌などの常在菌)で生かされている。最近の科学で「土壌を改良しさえすれば、農薬や肥料を使うよりも収量が増える」「人間の腸の中と植物の根の周りは栄養と免疫をもたらす類似した環境になっている」「アレルギーやメンタルヘルス障害が泥や土に触れることで改善する可能性がある」「森林では樹木同士が地中内の菌類によってインターネットのように情報を行き交わしている」といった土と微生物とヒトとの驚くべきつながりが明らかになってきた。土の喪失は生命そのものの喪失につながるのだ。

生ごみコンポストでの堆肥作り、家庭菜園、緑地や自然公園や雑木林の保護、農業への関わり、空き家の農地などヘの転換……あの手この手の土に戻す・土を増やす活動は、きっとあなた自身をも元気にする。

「緑を探るまち歩き」がそんな活動に加わる人を増やしていくだろうことを、私は期待しないではいられない。■

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