市民科学史家・笹本征男さんを偲ぶ

投稿者: | 2010年6月20日

上田昌文(NPO法人市民科学研究室・代表)

市民科学研究室の低線量被曝研究会は『ECRR報告書』を読み解きながら放射線防護のあり方の問題点を探っていくことから活動を開始したが(2004 年4 月)、当初から参加した数人のメンバーの中に笹本征男さんが含まれていた時点で、この研究会が日米原爆合同調査を歴史的にも(それがいかにして成立しどう実施されたか)、科学的にも(現在の防護体系の基礎データとされてきた調査内容をどう評価し得るか)今一度深く検証することへと向かっていくのは、必然だったと言えかもしれない。畢生の歴史研究であり執念の著作である『米軍占領下の原爆調査』を生み出したその人の存在感は大きかった。在野にあって何らの安定した報酬や見返りも望み得ないかわりに、「大量虐殺を受けた側が、それをなした側に全面協力して、その大量虐殺兵器の効果を徹底的に科学調査し、その成果を余すところなく提供する、という転倒がなぜ成立したのか」という根源的な問を手放さず、それを学問的に、そして自身をも含めて背負うべき倫理・責任の問題として、執拗に追究する笹本さんの姿--自由な批判精神を体現したその姿に、やはりメンバーの皆が圧倒されていたのだと思う。

『米軍占領下の原爆調査』で提起した問いを年下の世代の仲間と一緒にさらに深く検証する作業がまさに軌道に乗ってきた時期に(その成果の一端は今年の8月6日の広島放送局のNHKスペシャルに反映されるだろう)、そして英語圏での学術発表によって(2009年英国ケンブリッジにて)幾人もの有力な海外の研究者の注目を集め始めた矢先に、急逝されたことは、かえすがえすも残念であり、笹本さんの胸中、その無念さはいかばかりであったろうか。研究会で、持ち寄った資料を手に延々と議論を続けながら、笹本さんが私たちに伝えたのは、「隠蔽されたかに見える支配者層や科学者コミュニティの真意や駆け引きの真相をあぶり出すためには、小さな事実を緻密に発掘して積み上げていく努力を怠ってはならない」ということだったと思う。そして私たちメンバーは、”市民科学史家”笹本征男の薫陶を受けて巣立とうともがいている雛鳥の群れだった、と言えるのではないか。

笹本さんは、ガンを患っていることからくる障害により生活保護を受けておられた。自身の身体のつらさのことはほとんど口にされることはなかったが、収入のあまり期待できないNPO活動に専念する私の身を人一倍気にかけてくださって、活動をとおして少しまとまったお金が入ったりした時に、それをお伝えしたりすると、「よかった、よかった」と我が事のように喜んでくださった。あの澄んだ大きな瞳、あの暖かい微笑みを二度と目にすることができないのか、と思うと、悲しくてならない。

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