地域で創る精神障害者への福祉活動

投稿者: | 1999年2月10日

北川侑子

第97回土曜講座では、「地域で創る精神障害者への福祉活動」と題して「野方の福祉を考える会」の北川侑子さんと世田谷区サービス公社で指導員をされている後藤高暁さんにそれぞれの実践活動についてお話いただきました。たくさんの参加者があり、この問題に対する関心の大きさを知るとともに、お二人のお話は今後の地域を拠点とした市民の活動についても貴重な示唆を投げかけるものでした。お二人の原稿とともに、参加いただいた方の感想を掲載します。

東京都中野区野方の地域に四季子さんという48歳の女性が暮らしています。四季子さんはこころの病を抱えていて、発病したのは29歳の時でした。お母さんが元気な頃は四季子さんのお世話をしていましたが、高齢と共に四季子さんのお世話ができなくなりました。見かねた親戚の人が、いやがる四季子さんを入院させてしまったのです。保健所の保健婦さんが面会に行くと、四季子さんは「家に帰りたい」としきりに訴えたそうです。
保健婦さんは四季子さんの希望を何とか叶えてあげたいと思いました。保健婦さん一人では四季子さんの在宅を支えることはできません。そこで、地域の人たちの支えがあれば、四季子さんは家で暮らしていけるのではないかと保健婦さんは考えました。その頃、私が所属している住民組織の「野方の福祉を考える会では、「誰にとっても住みよい地域づくり」を目的に在宅福祉サービス活動を開始したばかりでした。
保健婦さんから事情を聞いた私は「誰にとっても住みよい地域」と嘔いながら、精神障害者のことを考えていなかったことを恥ずかしく思いました。それと保健婦さんの熱意が伝わり、何とかしたいと単純に思ったのです。当時は精神障害者のための福祉法がないため、福祉行政が関われなかったのです。ですから、先駆的にサポートをしながら制度化を促していくことと、四季子さんに関わることで医療・保健・福祉のネットワークができるかもと考えました。
そして「野方の福祉を考える会」として、精神障害者のサポートを進めていくための手順を考え、先ずは保健婦さんと精神科の医師と会の中心メンバーで話し合う機会を作りました。長い話し合いをしたにもかかわらず、結論はなかなか出ませんでした。結局、難しそうだからということだけでお断りするのではなく、ともかくやってみましょうということになりました。そして引き受ける条件として次のことを保健婦さんにお願いしました。

(1)ボランティアは数人が交代で関わる。
(2)保健婦さんとの定期的な連絡会の開催。
(3)緊急時には保健婦さんが対応。
(4)精神科の医師を交えての学習会の開催。
(5)新しい場面では保健婦さんが同行。

この要望に対して、保健婦さんは「この機会を逃したら四季子さんは一生病院で暮らすことになる」と考え了承したと言っています。こうしてサポート体制を整え、平成2年1月に面会から始めていったのです。退院後のボランティアの役割は(1)四季子さんと一緒に昼食をすること。(2)服薬の確認をすること。(3)四季子さんが身の回りのことが自分でできるように援助することの三つでした。
サポートを始めて今年で9年目になりますが、その間、試練は次々に出てきました。退院後間もなくお母さんがボランティアを拒否するようになりました。そこでボランティアは訪問回数を減らしたり、外で会うようにしたりと工夫しながら関係が切れないよう努力しました。それから間もなくお母さんは心臓発作で突然亡くなりました。四季子さんはショックで夜も眠れず、食事もほとんど採らず、心配な状態が続きました。幸いなことに四季子さんは1ケ月ぐらいで立ち直ることができました。お母さんが亡くなって半年目に近隣の人たちから、精神障害者の一人暮らしについて苦情があった時には、近隣の方々と話し合いをもち関係づくりを諮りました。

こうして何度かの聞きを乗り越え、四季子さんは再入院することなく今も家で暮らしています。四季子さんは保健婦、主治医、ケース・ワーカー、親戚の人、ボランティア、近隣の人たちに支えられているのです。立場の違ういろんな人たちが、それぞれの役割を持って四季子さんと関わっています。
四季子さんの病状に大きな変化はありませんが、生活力はついてきました。デイケアに通えるようになれば人間関係も広がるのでしょうが、まだまだ時間が必要のようです。関わっている人たちも変わりました。近隣の人たちは、四季子さんが家で暮らすことを積極的ではないにしても受け入れてくださるようになりました。道を歩いている四季子さんに声をかけたり、お茶に誘ってくださる方もあります。ボランティアも精神の病気について理解できるようになりました。ボランティアの一人は「いつの間にか私の気持ちが四季子さん一人にとどまらず、多くの精神障害の人々へと広がっているのを自分でも不思議に思っている」と言っています。

時代は変わり、精神保健法が精神保健福祉法に改定され、法的に福祉が関われる体制がやっとでき上がりました。不備な点はあっても立ち遅れている精神障害者に光が当てられ始めたのは確かなことです。精神障害者のヘルパー派遣制度も間もなく始まることでしょう。
ボランティア活動は「おかしい」と疑問をもつことが第一歩です。その疑問を深め課題をはっきりさせます。一人でできない場合には仲間に呼びかけます。活動を広げながら問題解決をしていく。その課程で自分自身も変わる。と、このように私は考えています。そしてボランティア活動が人として当たり前のこととしてなされるようになれば、ボランティアという言葉も必要ではなくなるのではないでしょうか。「野方の福祉を考える会」の活動の方法は、身近な問題から取り組み始め、活動を積み重ね記録としてまとめ、まとめる課程で次の課題を見いだし、その課題を掘り下げ検討し、次なる活動に取り組むというサイクルでやっております。
活動を通して一番大変だと感じていることは、目に見えない偏見という壁を崩すことです。人の見方、考え方、意識を変えることは容易なことではありません。でも、四季子さんに関わっている人たちが、関わりを通して変化した事実があります。人は活動を通して、人と人との関係において変化する可能性を秘めています。一人ひとりが変わり、やがては社会が変わることを私は信じます。その一歩が大切なのです。ボランティアという言葉が死語になる時代がやってくることを願って、今後も活動をしていきたいと思っています。
「四季子さんはいま」というサポートの記録を冊子としてまとめました。詳しいことをお知りになりたい方はご連絡ください。

 

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