「ユビキタス」って何だ? 懸樋哲夫(ガウスネットワーク代表、電磁波プロジェクトメンバー)

投稿者: | 2003年4月9日

「ユビキタス」って何だ?
懸樋哲夫(ガウスネットワーク代表、電磁波プロジェクトメンバー)
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 『ユビキタス・コンピュータ革命』(坂村健著 角川書店2003 年)を読んだ。
 著者の坂村健氏は先日NHKの「プロジェクトX」でトロンの開発者として登場した人。また日本でのユビキタスの提唱者とのことである。
「ユビキタス」とは近代ラテン語で日本語にすると「遍在」。ユビキタス・コンピュータは「どこでもコンピュータ」となる。日常のあらゆるモノにコンピュータを埋め込み、それらをネットワークで結ぶことにより、人々にコンピュータを意識させない環境を作り出す、という。
著書では、現在のコンピュータ社会の諸問題を指摘している。パソコンの使いにくさ・分りにくさ、マイクロソフトのOSに関する情報の非公開の問題、極端な商業主義により自由さが失われている点などに言及し、その後にユビキタスの具体例を次のように紹介している。
〇家の扉や壁、窓、床にもコンピュータをつけておけば、今どこに誰がいるかがわかる。外にセンサを設置して天気や不審者の有無などがわかる。
〇二つの薬品の(飲み合わせの)禁忌を知らせる。
〇廃棄される物が「私を燃やすと有毒ガスが出る」「こういう処理をしなくてはいけない」「○△工場へ持っていけば、この部分が再生できる」などとしゃべることにより、「インテリジェント・ゴミ」ができ、機械での分別が可能になる。
〇棚にしまった高価なもの(絵など)の位置がわかる。またその購入の経緯なども。〇携帯電話がすべての家電のリモコンになる。
〇コーヒーカップにチップを付けて各人の好みを記憶させ、それにしたがってコーヒーを入れるコーヒーメーカー。(MITメデイアラボのTTT)
このように便利さを列挙している一方、課題についても以下のように記述されている。
◆誰でもが使える状態になっていなければ遠隔操作や医療面などで深刻なトラブルにつながりかねない。
◆セキュリテイに関してはお風呂やキッチンにもコンピュータが入るのだから、愉快犯がハッキングして突然シャワーから熱湯を噴き出させたり、外出中にキッチンを火の海にするなどということが行えるかもしれない。
◆ふだんの生活習慣から健康状態まで個人データのすべてが盗み出される可能性がある。
◆スマートダスト計画では空中に浮くほどの微細な粒子上にコンピュータやセンサ、太陽電池などを積み、多数の粒子が通信しあって……という未来図を描いているが、これらは超小型無人機に搭載されるなど軍事色が濃い。(DARPA:米国防総省の開発部門Defense Advanced Research Projects Agency がこの計画に資金を出している)
◆ 電波が相手なので、誤動作が多い。完全な非接触にして高信頼性を得るのは易しくない。
「ユビキタス」社会は何をもたらすのか
枠組みとしての社会がどのようなものになるのか、この書の中に全体像が明確に示されているわけではない。
コンピュータ社会については「みんな画面を見つめてばかりいる。社会性がずいぶん損なわれている。」「コンピュータに詳しくないエンドユーザーと詳しい悪人の組み合わせは一方的かつ最大の効率、最低のリスクで悪人がエンドユーザーをターゲットにできるという望ましくない状況を生み出している。」として問題を指摘しており、次にこれをどう解決していくのかのアイデアが出てくるのかと思えた。
「『ユビキタス』では、人間が仮想世界に入るのではなく、コンピュータを現実世界に持ち出そうという思想に基づくものだ。」と言い、オープン・アーキテクチャがユビキタスの成否として強調されていく。問題の解決をユビキタスによってできるかのようなつながりになっていながらこれらを解決するものとしての具体的提示はないのである。「どのような形態のコンピュータが理想的なのか。モノ側に組み込まれたコンピュータとヒト側が用いるコンピュータは、どのような関係が望ましいのだろうか。一つは、携帯電話を使うことが考えられる。」と記されている(p 44)。
いきなり出てくるのが「携帯電話とのつながり」なのだが、「道ばたの自動販売機から小銭なしでもコーラが買える」ことのどこにコンピュータの問題を解決する手段となりうるものがあるのだろうか。まったく理解できない。コンピュータの諸問題よりも携帯電話の諸問題も大きいわけで、諸問題の倍または二乗になるだけではないのだろうか?
また、「ユビキタス・コンピュータの話をすると必ず恐ろしいと感ずる人がいる。プライバシーを侵害されるのではないか、とか知らないうちに監視・盗撮されるのではないか、社会全体が監視社会になり自由が失われる、という恐れである。」それらについて、今のコンピュータ社会は「ほとほと困った状態である。」に続くのが、「しかし社会はますますコンピュータ化する。ネット上で不正や犯罪が蔓延しているからといって、我々はもうインターネットのない世界には戻れない。交通事故や大気汚染が深刻なのに、自動車を禁止しようとは思わないのと同じである。メリットがデメリットを上回っていると社会が判断しているためだろう。」と記している(p91)。
つまり「ユビキタス」がコンピュータ社会の諸問題を解決するなどとは到底論じ得ず、むしろ、「ユビキタス」の不安の構造をそれは昔からあったことだから「ユビキタス」のせいではないのだ、と予防線を張っただけなのである。
例えるなら次のように言えるだろうか。「マイクロソフトが作った”高速道路”は欠陥があるので、事故や火事場泥棒や伝染病までがまんえんしている。そうあってはならないので下町の路地裏にまで車が入れて高速で走れる道路を作ろう。それは高速道路につながっているが、でも車社会は安泰だ。高速道路に欠陥があるからといって車社会はすでに否定できない。事故は路地に道を引いたことではなく車社会のせいだ。道路作りは自由にしよう。」
ゴミの分別に役立つという話が現実的だとして出てくるが、ゴミ問題の立場から見ると携帯電話のような機器がよけいに問題を複雑にしており、有害物質の対策については生産の段階に焦点がある。これを放置しながらさらさらなる技術で対応しようとするのは、その場しのぎであり、ゴミ問題の根本的な解決にはなりえない。
環境問題についてもこの書で触れられている。しかし、「江戸時代よりも自立して社会参加したい障害者や高齢者にとって、科学技術の発達した現代ほどいい時代はかつてなかった」として「環境問題」が「社会的弱者」の問題にすりかわる。
マイクロソフトの市場独占に対抗するかのような記述があり、その点では期待したくなるのだが、その実は消費者に選択の余地を広げようとは考えていないようであるし、それが開発の理由ではないようだ。
むしろ消費者や市民の選択の幅を狭めようとする方向も見受けられる。坂村氏は、「社会全体で行うコンピュータ化であるから、軍も含めてバラバラに開発・管理するといったことは一層不適切である。(中略)みんながやるといった発想に転換する必要がある」と述べている。「市場経済にまかせていたのではうまく立ち上がらないかもしれない。国家が国策として行うべき事業だ。」と語るのである。
こうした提案に現実性があるのかどうかわからない。しかしすでにJRのスイカや回転すし屋の計算、図書館の図書の管理などに使われている装置にみるように、すでに「ユビキタス」社会の兆候が出てきたということかもしれない。
わたしたちの検討課題
次のような点を私たちの検討課題としたい。
・企業などが「ユビキタス」の考え、新しい技術を商業主義が勝手に拡大して坂村氏の考えを逸脱し、現状を解決できるかのように言葉を利用していく可能性。企業が言っている「ユビキタス」と自分の提唱しているものは定義が違うと坂村氏は語っている。
・技術者があくまでもマイクロソフトと対決し消費者の選択の幅を広げようという気があるのかどうか。
・技術者は「開発をやめる」ことができるのか。あくなき技術開発は不可避なのか。(マイクロソフトが不良品を改善する前に新製品を出すという構造)・我々はコンピュータを使いながらどこまでコンピュータ社会を否定できるのか。(この文書をワードで打って、アウトルックで送る現実。)
・国家的に進める必要がある、としながら利用するかしないかは個人の自由とも言っている。ユビキタス導入において市民や消費者の意思は反映されるのか。拒否する権利はどこまで通用するか。
・軍事利用に関して歯止めは。
・人体への影響。
電磁波問題でよく出くわすのが「ここまで広がっているものにいまさらやめろと言っても無理でしょう。あるいは、これだけ普及しているものが、体に有害なはずがないでしょう」というお言葉である。
その他の「ユビキタス」関連書には次のものがある(夢ばかり述べていて面白くないので読む気にならないが)。
*『ユビキタス・ネットワークと新社会システム』野村総合研究所
*『ユビキタス・ネットワーク』          〃
*『手にとるようにユビキタスがわかる本』(株)NTT データ

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