エンハンスメント論と先端生命科学の現在・近未来 ―欧米圏におけるエンハンスメント論争の構図―

投稿者: | 2007年10月3日

写図表あり
csij-journal 010 tsuchiya.pdf
エンハンスメント論と先端生命科学の現在・近未来
―欧米圏におけるエンハンスメント論争の構図―
土屋敦
(東京大学大学院博士課程、北里大学臨床遺伝医学教室研究員)
■はじめに
近年―ここ10年前後の間に―特に欧米圏で遺伝学やナノテクノロジー・脳神経科学などの先端生命科学技術の近未来的な利用をめぐってエンハンスメント論争が盛んに行われています。
エンハンスメント(Human Enhancement)は、先端生命科学技術を、治療目的を超えて、「より望ましい子ども、優れたパフォーマンス、不死の身体、幸せな魂といったものに対する深くてなじみある人間的欲望を満たす」ために用いること(Presidential Council 2004=2005)であり、また、「健康の回復と維持という目的を超えて、能力や性質の「改善」を目指して人間の心身に医学的に介入するということ」(松田 2006)であるといった定義が与えられます。またエンハンスメントは、日本語で「能力増強」と訳したり、「増強的介入」と訳したりすることもあります。こうしたエンハンスメント的な、治療を超えた領域を対象とした先端生命科学技術の利用の是非を論じる論争をエンハンスメント論といい、近年欧米の生命倫理の中では大きな主題の一つになっています。また特に米国共和党ブッシュ政権下の生命倫理大統領委員会で作成された報告書『Beyond Therapy』(2004)の公表以降、エンハンスメントに関する議論は、特に欧米圏の生命倫理学分野では一つの分野としての地位を確立した感があります。
 ただ、エンハンスメント論自体の対象は極めて多くの科学フィールドに横たわっており、その全体像があまりよく見えない、という現状があります。また日本では現在まで欧米圏に比べるとそこまで多くの議論がなされてきていません。ここでは、このエンハンスメント論に関して、特に欧米での先端の議論を追いかけて、その全体像を追いかけます。また、その現在のエンハンスメント論争を歴史的視点から検証するとともに、エンハンスメント論の中でも遺伝学に関係する領域と優生主義との関連を整理します。
■エンハンスメントとは?エンハンスメント論争とは?
 図1は、現在エンハンスメント論で特に主題に挙げられている技術をまとめたものです。図の上の部分にあるものは、現在すでに社会に出ている技術、下の部分にあるものは、現在マウスなどの実験段階にあるもので、ある程度将来的に現実化の見通しがあると思われている技術です。(中には、臨床化までにはかなり時間がかかると思われているものもあります。)
 現在既に臨床応用段階にある主題には、より美しくあるために美容整形手術を受けること、うつ症状の治療のために向精神薬を服用するのではなく、軽微な気分の浮き沈みを改善したり、集中力を高めたりするためにプロザックやリタリンなどの薬を服用すること、あまり高くはない身長をさらに伸ばすためにホルモン治療を受けること、などが含まれます。特に美容整形市場や向精神薬市場は、ここ10年前後の間に米国を中心として爆発的に拡大していて、その利用が一部で社会問題になっています。
            図1 エンハンスメント論の主題
 一方、現在はマウスなどの実験段階にあるものの、将来的な利用に関して多くの議論がなされているものには、よりよい子どもを授かるために生殖細胞系列遺伝子治療や着床前診断を用いること、よりすぐれた身体能力などを獲得するために遺伝子治療を用いること、そして、認知能力や視覚能力を向上させるために、コンピューターとのニューラル・インターフェースを利用すること、といった主題群が挙げられます。また中には、先端の老化学上の見地の延長に、人間の平均寿命を200歳まで延ばすことや、受精卵段階の生命体に生殖細胞系列遺伝子治療を施すことによって、より高い知性やよりよい記憶力・絶対音感・朗らかな気質・大望を抱く意思などを持つ子どもを出生すること、など、「デザイナー・ベイビー」出生の実現可能性を積極的に論じる論者もいます。
 現在エンハンスメント論で大きな主題の一つとなっている、ヒト成長ホルモン(HGH)投与による身長の向上を事例にみてみよう。以下の表は、日本におけるヒト成長ホルモン投与における保険適用領域と自由診療領域の範囲を図示したものです。
図2 20-24歳男性の身長に関する標準正規分布表
ヒト成長ホルモンの投与は、例えばメンデル劣性遺伝病であるターナー症候群の子どもなど、先天的な理由で身長が低くなる疾患を有する患者に対して、その身長が同世代の身長に対する標準正規分布曲線における標準偏差マイナス2.5以下の対象者(成人男性で約156cm以下、成人女性で145cm以下)において、治療目的で投与されることが多くあります。この領域におけるヒト成長ホルモン投与は「治療」目的の処方であって、保険適用範囲である一方で(疾患によってこの保険適用範囲は多少前後します。)、それを超えた領域に対する投与に関しては、自由診療領域なので、自費でのホルモン治療が求められます。この「治療を超えた領域」へのホルモン投与に対する是非論は、エンハンスメント論の枠組みの中で議論が行われることが頻繁にあります。
■正常/異常、医療技術/非医療技術の境界線―線引きの困難さとカテゴリーの構築性
 以上のエンハンスメント領域に関する主題群を、正常/異常のカテゴリー区分で図示したものが、以下の図2です。
           図2. エンハンスメント領域の定義
 総じてエンハンスメントとは、平均的な「正常性」の範囲内に人々の能力、気質、身体能力などを「回復」させることを目的とするのではなく、その「正常性(正常値)」の範囲を積極的に飛び越えて、より優れた能力獲得のために、人間の組織に対する医学的介入を加えることである、ということが出来ます。
他方で、通常「疾病」と「正常」の範囲自体は不確実であり、その間には多くのグレーゾーンが存在しています。また、特定の身体的・精神的な状態が「異常」であるか否か、といった、正常/異常のカテゴリー自体も、社会の中で文化的に構築されている側面が多々あります。またそれゆえに、「エンハンスメント的なもの」と「そうでないもの」の間の領域確定作業自体は困難な場合も多く、またその境界には多くの曖昧な領域を残しています。また、例えば抑うつ症状の「治療」のために開発されたプロザック・リタリンなどの向精神薬が、必ずしも疾病とは定義しがたい軽度のうつ症状や集中力の「向上」のためにも効用がある場合など、特定の技術ないし手段の存在でエンハンスメントを定義付けることも困難です。
また、「医療技術」と「非医療技術」の間の境界線自体も、場合によっては曖昧な状況が多くあります。最近むくみがちな体型を引き締めるためにサプリメントを服用することはエンハンスメントなのか。仕事中すっきりしない目を覚まさせるためにカフェイン入りのコーヒーを飲むことはどうなのか。エンハンスメント論自体が内在的に抱える困難の一つは、その概念の汎用性の広さ・定義域の曖昧さにあり、またこの定義域の曖昧さが、エンハンスメント論自体の焦点を見えにくくしています。
エンハンスメントは、特定の医療技術や症状の診断結果を受けた措置というよりもむしろ、「正常」の範囲を超えて「より優れた」能力向上のために向けられた、技術利用の「ベクトル(方向性)」のあり方であると考えた方が適切かもしれません。エンハンスメント論に共通して見出されるのは、我々が今後どのような社会で生活し、我々の身体や精神に対するいかなる技術介入が選択可能になるべきなのか/べきでないのか、といった主題群をめぐる論考です。
■遺伝学的エンハンスメント(Gene Enhancement)と優生主義-生殖技術と遺伝学の過去と現在-
 以上これまで概観したように、近年のエンハンスメント論(特に近未来における先端生命科学のエンハンスメント的な利用をめぐる論争)は、特に先端遺伝学及び脳科学の臨床応用に関する近未来的予測に関してなされる場合が多くみられます。遺伝学・脳科学がエンハンスメント論の主題として焦点化される理由には、DNA(遺伝子)及び脳内構造が、現在社会において、人間存在の生物学的根源ないしその設計図的な意味が付与されていること。そして、その両領域の研究の劇的な進展が、今後の「人間」概念の定義を動揺させている/させる可能性があるとの予測/危惧感が表明されやすい、という背景があります。
 上記の無数のエンハンスメントをめぐる論の中でも遺伝学に関係するエンハンスメント論(遺伝学的エンハンスメント論:Gene Enhancement)に関しては、よりすぐれた子どもを出生するために遺伝子技術を用いる優生主義との接点が議論に挙げられることがあります。以下では、この遺伝学的エンハンスメントをめぐる現在的な主題と、それが過去の優生主義・優生政策上の歴史的系譜と有している接合点と相違点を整理します。また、その将来的な技術利用に関する問題点を取り上げます。
■選択/操作的選択―生殖技術論上の主題のシフトをめぐって―
 現在の遺伝学的エンハンスメント論の主題である生殖細胞系列遺伝子治療(体外受精で受精させた胚に遺伝子操作を加えて母体に戻す技術)や着床前診断のエンハンスメント的適用と過去の生殖技術との分岐点を端的に言えば、そこには「選択」から「操作的選択」という、技術の一連の方向性を見出すことが出来ると思います。またそこには、出生をめぐる操作が一段階高まった位相を見出すことが出来るかもしれません。
従来、胎児診断や着床前診断論争の中で問題の遡上に挙げられたのは、元来両親が有している遺伝情報を共有する胚や胎児を受精前もしくは出生前に検査することによって、その中から「よりよいもの」を選択する/「望ましくないもの」を廃棄することをめぐる論争でした。またその限りにおいて、技術利用の論点は、あくまで両親の有する遺伝情報を共有した胚や胎児からの選択という、「両親から出生可能な胚や胎児」という限界内部での議論であった、ということが出来ます。他方で、遺伝学的エンハンスメント論で論題に挙がるのは、生殖細胞系列遺伝子治療や精子選択・卵子選択を通じた体外受精や着床前診断等、胚の誕生過程自体に操作を加え、両親から共有される遺伝情報の限界を超える形で操作的に選択される次世代出生のあり方である、という差異がそこにはあります。
以下の図3は、過去の優生主義・優生政策論の中で主題として挙げられた論点と、現在における遺伝学的エンハンスメント論における主題との時系列的展開を図示したものです。
欧米圏において特に1920―40年代に(日本社会においては1950年代をピークとして)展開された優生政策は、「遺伝性」と見なされた「疾患」や「障がい」を既に発症している人々(親側)への優生不妊手術を主要な手段として、彼等の現在の状態とその子どもの将来的罹患可能性との間の遺伝確率の考慮下に、国家による強制を含む形で行われたという歴史がそこには存在します(図1-1第Ⅱ象限)。他方で、1960年代末以降成立した、胎児
   図3 遺伝学的エンハンスメント論の主題と従来の生殖技術との差異
に対する染色体検査及び遺伝子検査とその結果に伴う選択的人工妊娠中絶は、その対象を胎児側へその焦点をシフトさせると共に、強制ならぬ妊娠女性やそのカップルによる自発的選択を伴うかたちで作用するというかたちで論じられることがあります(図1-1第Ⅳ象限)。1980年代以降の英国における二分脊椎症児出生数の激減や、ダウン症スクリーニング等に関する議論は、この第Ⅳ象限の位相をめぐる議論に該当します。また、1990年代後半に日本で盛んに議論された優生主義研究の焦点は、優生学・優生主義の第Ⅱ象限から第Ⅳ象限への移動を中心に行われた、ということが出来ます。
 他方で、現在遺伝学的エンハンスメント論において議論の焦点となるのは、胚もしくは胚の誕生過程における「操作的選択」の位相(図1-2第Ⅳ象限)に関する主題に該当します。またこの位相は、従来の生殖技術論との関係下においては、両親の遺伝情報が共有された胎児や胚からの「選択」(図1-2第Ⅱ・Ⅲ象限)という遺伝学的限界を超えて、その限界に操作を加えながら、良いものを「作成」するという「操作的選択」の位相への議論のシフトとして把握することが出来るかもしれません。
 また、上記の「選択」から「操作的選択」への位相の移動がエンハンスメント論において生じる理由には、従来の胎児診断・着床前診断をめぐる議論の多くが、胎児段階・胚段階における染色体もしくは遺伝子検査と、その結果による胎児の中絶もしくは胚の廃棄をめぐって展開された「消極的優生主義(Negative Eugenics)」をめぐる議論であったことに対して、遺伝学的エンハンスメント論自体が、より優良な胚の作成・着床・出生をめぐって展開される「積極的優生主義(Positive Eugenics)」の系譜の延長に位置づけられる議論である、という差異による、という経緯がその背後にはあります。
■積極的優生主義(positive eugenics) / 消極的優生主義(negative eugenics)
 以下の図4は、上記の遺伝学的エンハンスメント論の議論領域を、「積極的優生主義」の
歴史的系譜の中に位置づけたものです。
 かつて行われた優生政策においては、積極的優生主義の実現は、社会内で「優れた」能力を有するとされた人々同士の結婚奨励と出産促進というかたちでの「優生結婚」奨励(第
Ⅰ象限)がほぼ唯一の実質的な手段でした。ナチス政権下のドイツにおいて、「生命の泉」
     図4 積極的優生主義/消極的優生主義をめぐる歴史的構図
と言われたナチス将校と優秀な女性との間の出生奨励政策など、各地で様々な形での積極的優生政策が試みられた歴史がそこにはあります。
他方で、近年のエンハンスメント論で議論の遡上に挙げられるのは、よりよい身体能力・気質・絶対音感・記憶力など、ある割合で遺伝的要素が関与しているとされる諸特性に対する受精卵段階での精子選択・卵子選択や遺伝子操作などが含まれます。またそれらの手段が、親側の資質の「選択」から受精卵や胚の作成に対する「操作的選択」という位相へと議論の水準がシフトしている点に関しては、上述の通りです。
またその限りにおいて、現在の特に遺伝学をめぐるエンハンスメント論は、積極的優生主義の系譜の延長に描かれうるものであり、またその系譜は、次世代の特性への介入が飛躍的に高まった技術への移行として捉えることが出来ると思います。
■「エンハンスメント論」の歴史的源泉―論争の「古さと新しさ」-
 先に述べた通り、エンハンスメントに関する議論興隆には、遺伝学分野におけるヒトゲノム計画の進展・完了とその後の研究動向、ナノテクノロジーの急速な発展、人工知能や脳神経科学分野における研究などの、科学技術の急速な進展がその背後に存在します。また同時に、1990年代以降特に欧米圏で増加する、美容整形市場の急激な拡大や向精神薬服用者数の急激な増大など、より美しく、より気分よくあるために、そしてより集中力を高めるために、治療を超えた領域において、医療的手段や生命科学技術を利用することに向けられた社会的需要の高まりがあります。その意味で、現在展開されているエンハンスメント論争は比較的新しい研究領域であり、現在的な問題に対する主題群であるといえると思います。
 他方で、よりよい身体能力や知的能力などを享受するために、先端生命科学技術や医療技術を活用し、近未来予測的な人間の理想像を論じる言明自体は、特に近年に固有の言論ではありません。かつて新たな生命科学技術の開発とその応用可能性が開かれるたびに、その技術の先にある「エンハンスメント」的な応用可能性がつとに言及され、多くの議論を巻き起こしてきた経緯がそこにはあります。また、人間の生殖過程に人工的な操作を加えることで、次世代の子どもにより優れた能力や資質を付与しようとする試み自体は、優生主義との密接な関連の下に、歴史的には「積極的優生学(positive eugenics)」の枠組みの中で主張され続けてきた主題でもあります。その意味で「エンハンスメント論(能力増強論)」自体は古くて新しい議論であり、その問題構成の論理(あり方)自体に限って言えば、新規な議論はあまり見当たらない、ということも出来ます。
 以下では、1920-30年代英国において、「人工授精」「体外受精」の近未来的展望をめぐって展開された「エンハンスメント論(能力増強論)」及び、1960年代末に「遺伝子工学」の近未来像をめぐってなされた議論を紹介したいと思います。また、その作業を通じて、現在展開されているエンスメント論の「古さと新しさ」を歴史的に検証してみたいと思います。上記の年代は、欧米圏における優生主義の系譜を通時的に概観した場合に、積極的優生主義に関する議論が特に興隆した時期に該当しています。また後に論じるように、同時期は、特に遺伝学が急速に発展し、その将来的利用が盛んに論じられた時期でもあります。
以下では、上記の作業を通じて、現在のエンハンスメント論と過去の優生主義的発想との接合点と分岐点とを、科学技術の進展に伴う「生得概念」/「習得概念」との揺らぎや「人間」概念の動揺に向けられた「文化的期待」という観点から見ていきます。
■1920-30年代英国:「人工授精」「体外受精」をめぐって
先に述べたように、「エンハンスメント(能力増強)」をめぐる生命技術論の興隆過程は、歴史的には、1920-30年代英国にその一つの契機を見出すことが可能です。
この1920-30年代英国は、当時主流派であるとされた優生学・優生政策の疑似科学的あり方に対して、科学的妥当性の観点から異議申し立てをするかたちで、多くの遺伝学的研究が蓄積された時期に該当しています。また、それらの研究成果は、特にフランシス・ゴルトン優生学研究所を中心として、J.B.S.ホールデン、D.フィッシャー、H.ブルーア、J.ハクスリーなどの遺伝学者を中心に蓄積され、それらの研究は、第二次大戦後の人類遺伝学の設立に大きく寄与することとなります。
また1920-30年代英国は、国内における出生率の低下が問題化された時期に該当しており、特に上層階層における出生率の低下が顕著に問題化された時期でありました。またこの時期は、そうした社会状況の中で、従来あまり声高に論じられることがなかった積極的優生主義に関する議論が興隆した時期でもありました。以下では、上記の状況下で、特にH.ブルーア・J.B.S.ホールデン等の遺伝学の改革者たちによって、特に人工授精技術の近未来をめぐって展開された「エンハンスメント(能力増強)論」に関して論じたいと思います。
1920-30年代における人工授精技術は、まだ技術的には確立されたものではないものの、一部の家畜飼育者の間では、生産性の高い家畜の生産に関してその利用に対する注目が注がれ始めた時期に該当していました。その人工授精技術を人間にも発展的に活用することを提唱した人物に、当時の遺伝学における改革者の一人であったH.ブルーアが挙げられます。ブルーアは、当時の「先端生命技術」であった人工授精を人間に対しても応用することによって、胎児の発生段階に人工的な操作を加えながら、優れた子孫の誕生を促進すべきことを提唱していました。また、その未来的な展望を論じてブルーアは、その第一目標として「普通人と劣等者から成る大衆を、現存する最良の人間の水準まで引き上げること」、第二段階として「現存する最良の人間を、スーパーマンにまで発展させること」の必要性を提唱していました。このブルーアの発想は、彼の社会主義・社会改良構想との関連下において、1920-30年代当時著名な集団遺伝学者であり、また遺伝学の改革派の代表者の一人でもあったJ.B.S.ホールデン(1892-1964)の「体外受精構想」「精子バンク構想」との接点を深めていくことになります。ブルーアの議論にも明確に読み取れるように、哺乳類その他に対する実験段階にある「先端生命技術」を人間にも応用することを企図しながら、人間特性のエンハンスメント(能力増強)を近未来に実現させるべきである、という発想そのものは、決して新しいものではありません。
また、上記のJ.B.S.ホールデンの著作『ダイダロス、あるいは科学と未来』(Daedalus or Science and the Future)の影響下に書かれた同時代の有名なSF小説に、オルダス・ハクスリー(1894-1963)の『すばらしい新世界』(1932)があります。生まれながらに遺伝子操作による人工授精技術で、しかも社会階級ごとにあらかじめ遺伝子操作を加えられた上で人間が誕生するシーンから始まるこの未来SF小説には、遺伝子操作による能力増進を受けた上層階級と、同様に遺伝子操作による能力の減退を受けた(身体の酸素運搬量の抑制や身体能力・知的能力の抑制など)下層階級とからなる徹底的に管理化された「すばらしい未来社会」がシニカルに描き出されています。またそこには、向精神薬や試験管受精、代理母懐胎など、我々が現在直面しているところの多くのエンハンスメント技術が登場します。1930年代という時期に書かれたこのSF小説の中で描かれる「発想」自体が、現在社会に対するあり方への問いかけとしても十分現実性を持っていることはいうまでもありません。
また、近年の一部のエンハンスメント推進論者が盛んに用いる「超人主義(trans- humanism)」という用語-現在ある人間の身体組織上の臨界点を先端技術の力によって超えることで、よりすぐれた能力を獲得した「超-人間」を目指すべきであるとする発想―自体は、オルダス・ハクスリーの兄であり、当時の遺伝学改革者の代表格でもあったジュリアン・ハクスリー(1887-1975)が、自らの著作Religion Without Revelation(1927)で使用したものが最初です。この1920年代から30年代英国における「先端生命科学論」の中に、エンハンスメント論的な議論の一つの興隆の歴史的契機を見出すことは難しくありません。
上記のH.ブルーア、J.B.A.ホールデン、A.ハクスリー等による発想自体は、我々が歴史を概観した際に、現在のエンハンスメント論の起源として措定しうるものであると同時に、その「発想」自体は、現在のエンハンスメント推進論者自身―特に世界超人協会(World Transhumanism Association)を主体とする論者―が自らのルーツとして位置づけている、彼ら自身のエンハンスメント運動の「先駆者」でもあります。H.ブルーア、J.B.A.ホールデンは当時の米国において著名な生物学者・遺伝学者であったばかりでなく、当時の主流派優生政策論者に対して、その科学的妥当性の観点から遺伝学を社会改良的実践へと結び付ける優生学者でもありました。現在のエンハンスメント論、特に遺伝子技術をめぐるエンハンスメント論自体の着想と、そこに付与されている「文化的価値観」の少なくとも一部は、優生主義的発想から導き出されたものであることは(それがよいものであるか、悪いものであるかは別として)まぎれもない事実だ、ということが確認できます。また同時に、現在の着床前診断・遺伝子治療技術の進展状況を鑑みるならば、我々はJ.B.S.ホールデン等が1920-30年代に構想した「未来学的思考」と現実との距離が限りなく短縮された地点にいる、ということも出来るかもしれません。
年表 人工授精・体外受精
1884年  ジェファーソン医科大学教授のウィリアム・パンコーストがクェーカー教徒で乏精子症の夫の代わりに人工授精を行う
1953年  アイオワ大学のシャーマン・ブンケにより凍結精子で初の人工授精児誕生
1978年  世界初の体外授精児誕生(ルイーズ・ブラウン)
1989年  シンガポールで世界で初めての顕微授精による新生児誕生
■1960年代後半米国―「遺伝子工学」「遺伝子治療」をめぐって―
次に、1960年代後半の米国をみてみます。フェミニズム科学史家であるE.F.ケラーによれば、1950年から1970年にかけて、米国遺伝学会会員は882人から3042人へと急増しており、またそれに伴って、この1960年代後半の時期は、遺伝学に関する多くの研究が積み上げられた時期でもあったことを指摘しています(Keller 1992=1997)。
またケラーは、1953年のワトソン・クリックによる二重らせん構造の発見以降の遺伝学の成果と今後を論じた米国科学アカデミー(NAS)報告書『生物と人類の将来』(1968)を紹介する中で、そこに遺伝学の未来に対する強い信奉と、「人間の進化の将来を決定することへの興味」や人間の「生得的なもの」に対する操作可能性といった、「人間」に対する認識の変容を読み取っています(Keller 1992=1997)。報告書内では、人間が将来的には「肥満か痩せ、青い瞳か黒い瞳か、ストレートの髪か縮れ髪、などの身体的形質を選択することが出来る」その可能性が語られ、また「立体認識能力、言語能力、協調性、破壊的行動、高い知能指数なども、自由に選択することが出来る」可能性とその必要性が期待を込めて語られていました。ケラーはそこに、遺伝学の未来に付与された、1920年代の議論と根本的にはあまり変わることのない「文化的期待」が含まれていることを指摘しています。
また、当時著名な遺伝学者であった人物に、R.シンシャイマ―(Robert Sinsheimer)が挙げられます。その後ヒトゲノム計画にも携わることになるシンシャイマ―は、1969年当時の遺伝学の急速な進展とその成果を強調し、遺伝学の近未来的展望の下に「新優生学」の登場を示唆しつつ、以下のように語っていました。
 古典的な優生学では、すでにある遺伝子の中から優れたものを選択することしか出来なかった。新優生学では、より優れた遺伝子を作成することが可能なのだ。・・・これは人類の新しい可能性なのだ。一部の人々はニヤリとして、人間の最適化という昔の夢の焼き直しに過ぎない、と思うかもしれない。人類の文化的な最適化というものは、常に、遺伝的な不完全さや限界によって妨げられてきた。・・・いまや、別の方法が見出されたのである。内面の限界を乗り越え、欠陥を直接直す、この200万年におよんだ進化の結果をはるかに凌駕する発展のチャンスが到来したのだ。(Sinsheimer 1969)(傍点:報告者)  
上記のシンシャイマ―の「新優生学」構想に、現在行われている遺伝学的エンハンスメント論の直接的なルーツを見ることは難しくないはずです。また、その「新優生学」の発想の中に、本報告冒頭で定式化した、遺伝学的エンハンスメントにおける「選択」から「操作的選択」へという一連の流れを読み取ることも可能かもしれません。
            年表 遺伝学(遺伝子工学)の歴史
1953年 ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックによる、DNAの二重らせん構造の
提唱。
1966年 B. Weiss, C.C. Richardsonによる DNAリガーゼの分離。
1968年 遺伝子制限酵素が、スイスのウェルナー・アーバー (Werner Arber) やアメリカのハミルトン・スミス (Hamilton Othanel Smith) により発見。
1973年 アメリカの生化学者Stanley CohenとHerbert Boyerは、アフリカツメガエル
の遺伝子をバクテリアDNAに挿入し機能させた。
1975年 アシロマ会議で遺伝子組換え実験の規制に関する議論が行われ、その後の自主的 
規制の基礎的枠組みが議論の遡上に挙がる。
1983年 キャリー・マリスによるPCR法(ポリメラーゼ連鎖反応法)の発明。
1990年 アメリカ合衆国で、世界初の遺伝子治療。アデノシンデアミナーゼ(ADA)欠
損症による重度免疫不全患者に対する治療
1990年 国際ヒトゲノム計画開始
2001年 国際ヒトゲノム委員会、全塩基配列の暫定版を公表
■遺伝学のパラダイム・シフトと「生得概念」/「習得概念」間の境界の揺らぎ 
過去のエンハンスメント論の興隆は、多くの場合、その時代における「先端科学の技術革新」のタイミングと、そこにかけられた「文化的期待」「社会的期待」とが同一のベクトルを向く際に生じることが多く確認されています。上記で検証した1920-30年代英国における議論及び1960年代後半米国における議論の共通点は、その両者が特に遺伝学のパラダイム革新や研究の急速な進展状況を受ける形で興隆した議論であるという点にあります。上記で紹介した1920-30年代におけるホールデンやブルーアは、当時社会階級や人種などと遺伝とを結び付けるなど、科学的妥当性を著しく欠いた形で展開された主流派優生学から決別し、より科学的な実証性・厳密性の追及から多くの科学的な知見を引き出した非主流派優生学の流れを引く遺伝学者の一派でした。また、1930年代という時期が遺伝学の科学的進展が大いになされた時期であったこと、そしてその学術的系譜が、戦後の人類遺伝学会の設立等、学術活動としての遺伝学進展の礎になっていくことも付け加えておくべきかもしれません。
また、1960年代末の米国における遺伝学の総括及び今後の発展に向けた思考が、ワトソン・クリックによるDNA二重螺旋構造の発見やDNAリカーゼ・遺伝子制限酵素の発見など、遺伝学のパラダイム革新と遺伝子工学の開始を受けて成立したという点は上述の通りです。
また、その歴史を踏まえた上で、現在におけるエンハンスメント論の興隆過程を鑑みるならば、そこには1930年代における人類遺伝学の興隆、1960年代末における遺伝子工学の開始、そして現在のヒトゲノム解析プロジェクトの終了とポストゲノム研究の本格化という、一連の歴史的系譜が描き出せます。
そもそも優生主義的発想は、19世紀におけるその興隆当初から、遺伝学に対する近未来学的な発想と、そこに抱かれる「生得概念/習得概念」の間の境界の揺らぎとをその駆動力として展開されてきた事実を、ここでもう一度思い起こしておく必要があるかも知れません。そこでは、従来「生得的」であり、不可変であると見なされてきた人間の多くの要素の改変可能性が、その時期その時期における先端の遺伝学的見地から予測され、その改変可能性に対して大いなる「文化的期待」が読み込まれます。過去のエンハンスメント論興隆には、この遺伝学的知見の刷新や研究の急速な進展状況が大きく関与しており、また、そこには「生得概念/習得概念」の間の揺らぎに対する近未来ユートピア的な人間の将来像・理想型が語られます。近年のエンハンスメント論興隆の背景には、言うまでもなく近年におけるヒトゲノム解析・脳神経科学などの急速な進展と、そこでの「人間」概念自体の動揺や「生得概念/習得概念」の間の境界の揺らぎとがあります。またその揺らぎの中に、この00年代の現在において、エンハンスメント論が興隆する時代的素地があり、また土壌がある、ということが出来ると思います。
多くの遺伝学者が表明しているように、現在遺伝学的エンハンスメント論の主題になっている、体細胞系列/生殖細胞系列遺伝子治療などの技術をエンハンスメント領域に利用することは、現在の遺伝学の到達点から鑑みれば、その実現には極めて多くの困難を抱えています。身体能力・気質・絶対音感・記憶力・認知能力といったエンハンスメント領域に関係する要素の多くは、多因子遺伝に属するものであり、また極めて複雑な遺伝要因と環境要因から成立していることが示唆されています。
 また、実際には遺伝子技術の臨床応用に関しては、さまざまな学会指針・見解等多くの規制がかけられており、仮にそれらの技術利用が可能になったとしても、そのことと社会的な普及の間には、多くの隔たりが存在することも容易に想像できます。
 他方で、かつての「エンハンスメント論」の下に議論されてきた多くの技術と主題群の歴史的検証から見えてくるのは、それらの技術には、現在当時の発想とほぼ予測どおりに社会的に普及したものもあり、全く的外れに終わったものもある、という事実であり、また現在においてはいまだ開発途上であるものの、近い将来、開発がなされるであろう可能性が高い技術も多数存在する、という事実でもあります。また「エンハンスメント論」の歴史を見ることで現在に反射的に見出されるのは、現在議論されている主題の少なくともいくつかは、将来一般的な普及がなされる可能性が高いという予測可能性でもあります。
エンハンスメント論を論じる際には、上記の技術の実現可能性を視野に入れながら、その技術利用の「ベクトル(方向性)」のゴールとして想定されている「より優れた状態」をめぐる文化的・社会的コード自体に対する踏み込んだ分析的考察が不可欠になるはずだと思います。心身に対する医療的介入が目的としている「より優れた理想像」自体が、いかなる文化的・政治的産物であり社会的な構築物であるのか。また、その「理想像」の裏側で前提とされている「逸脱概念」とはどのようなものであるのか。その「理想像」自体を、ジェンダー・子ども・世代といった社会属性に対して期待され付与される社会的諸特性との関係性下に注意深く見極めていく作業がそこには必要であるはずです。エンハンスメント論自体は、特定の医療技術利用や個人の選択の問題であると同時に、「正常性」や「より優れた能力」といった、エンハンスメントが目指す「ベクトル(方向性)」自体をめぐる文化的・社会的問題でもあります。■

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA