◆ 特別寄稿◆ 飢餓と飽食

投稿者: | 1999年4月16日

◆ 特別寄稿◆ 飢餓と飽食

色平 哲郎

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世界食糧デー(10月16日)にあたって、飢餓と飽食を考える。
内部のことが外から伺いにくい朝鮮民主主義人民共和国の食糧事情について、以前からさまざまな議論があった。十年程前中国東北部を旅した時既に、「かなり苦しいらしい」との風評が伝わっていた。はっきりしているのは、95年夏の大洪水以降慢性的に食糧不足が伝えられていること。そして今年(98年)夏の天候異常はアジア全域にわたるもので、もちろん北朝鮮も例外ではなかったことである。

一方8月31日「テポドン」事態が起こった。そして一週間後、K新聞社社会部に以下のような電話が入ったという。
――ミサイル発射、紙幣偽造、女性拉致、覚醒剤密輸等々をしかけてくる北朝鮮に抗議するために、10名程で「朝鮮人狩り」の組織を作る。自分たちは死んでもいい。「一人一殺」とする考えだ。――との内容で、60才位の男性の声であったという。
数週間前に友人から、医療NGO「国境なき医師団」が北朝鮮から引き揚げた、ときいて自由な救援支援活動が制約されているのだろう、と想像した。そして9月の末になり、おつきあいのあるA新聞社の方から「可能なら上京されたい。御紹介したい方が来日する。」とのfaxをいただき、久しぶりに信州の山里から下山して東京へ向かった。

御紹介いただいて、韓国の仏僧、法輪(PomNyun)師におめにかかった。法輪師は韓国ソウルで「民族相互助け合い――仏教運動本部」を主宰している45才の僧侶である。「実践仏教」を信条に数年前からインドで学校や病院建設に駆け回り、中国に住む朝鮮族の人々のために、人権保護活動にとりくんできた。2年前の冬、中国吉林省で北朝鮮を脱出した少年に出会ったのが、難民救援運動を始めたきっかけだったという。今回の来日は北朝鮮の「食糧難民」救援を訴える旅だった。師は高等学校1年の時、故郷に近い寺で高僧に「どこからきたか」と問われた。「学校から」。「その前は」「家から」―――「母の胎内から」。その前は「知らない」。では、「どこへ行く」。行きつく先は「死」。その先は「?」。
勉強だけでは人生わからない、と父母を説得して高卒後、仏門に入る。経読みより「他人のために生きよう」と、新聞配達や練炭売りをして市井に生きる人々の悩みを知った。独裁政権下で民主化運動に参加したが為に拷問を受けた体験をお持ちになるという。

師のご報告、基調講演をうかがい、愕然とした。北朝鮮ではこの2年9ヶ月間に既に350万人が餓死しており、この冬にむかって更に350万人がなくなるだろう、との師の予測だった。人口2200万が1500万になってしまう。1日あたり1万人規模の餓死者となる。日本の天明飢饉の死者が30万人、ときいているが、一桁違うではないか。
法輪師は語る。
「この報告は、過去のことではなく現在のことです。民族の子孫が滅びていきます。飢えは待っていません。飢餓は共和国の体制のせいだ、と放置はできません。民間の力こそ命を救う、と訴えたい。難民たちは今この瞬間も、食糧、医薬品、毛布、燃料、できたら学用品を求めています。」
「かつて植民地支配をした日本が北朝鮮からの難民を助けることは、日本が”道義国家”としてアジア各国の信頼をかち得る道となりましょう。北東アジア地域の混乱を未然に防ぐことで、安全保障面でも日本の国益にかないます。」暗然とせざるをえなかった。十数年前私は中国側から白頭山(長白山)に登ったことがある。国境に聳えるこの聖なる山とその周囲が餓死地帯と化し、30万人からの食糧難民が歩き回っては、軍警に追われているというのだ。

まちがいであってほしかった。しかし千人規模の細かなきき取り調査が中国と北朝鮮の国境地帯でなされていた。今回法輪師から手渡された98年6月付「最近北朝鮮食糧難の実態」と題するレポートがある。この「仏教運動本部」発行の詳細な報告書(韓日英版)について、以下しばらく引用することにしたい。

「この報告書は死に直面した数百万の人々を救うために発行した。冷戦終結以降の多くの紛争と飢饉で数百万人の人々が犠牲になった。彼らの命を救いえなかった人類共同体にぶつける、20世紀最後の警告の書です。」
97年9月30日から98年5月19日までの8ヶ月間に合計1019人の北朝鮮食糧難民にインタビューがなされた。調査員9名と補助者23名によるききとり調査で、対象は「北朝鮮から越境して中国領に来ている北朝鮮の食糧難民」。調査地点は中朝国境の鴨緑江、豆満江沿いの中国領、吉林省長白及び延辺地域。
越境者本人を除く家族構成員の計5512人について、95年8月以降の2年9ヶ月の間に発生した死亡事例をききとり、データが集積分析された。続柄と年齢、死因、死亡月、食糧配給中断の時期、当該越境者の出身階層と越境時期、越境の動機、北朝鮮内での生活条件、経済難の原因に対する北朝鮮住民の認識等が主な調査項目。
避難している場所を個別に訪ねてインタビューしたり、軍や警察を避けることのできる安全な場所に招いて、何日間かをいっしょに過ごしながらのききとりであったという。「朝鮮からの食糧難民を助けるために来て、努力している。」旨を伝え、可能ならば友人になって、越境者本人の方から事実を話すようにうながす、との調査原則。
越境者1019人の居住地域は咸鏡北道606人、咸鏡南道218人、南浦市36人、慈江道31人、平壌市31人、平安南道27人、平安北道21人、両江道21人、その他28人であった。
家族構成員5512人の性別は、男性2669人、女性2780人、無回答63人。このうちにしめる、当該2年9ヶ月間の死亡者が計1488人で27.0%!9歳以下の死亡率は26.1%、10代は14.9%、20代の死亡率9.8%、30代6.9%、40代10.6%、50代28.5%、60代69.3%、70代88.2%。死亡原因の43.7パーセントが「餓死」とされ、疾病によるものは50.6パーセント、うち肺結核は5%、パラチフスが6%をしめた。コレラによる死亡例はなかった。
調査の限界として、標本抽出にあたっての問題が指摘できよう。「無作為」の原則を守ることが不可能な状況下で、脱北住民の中で接触可能な住民に限って調査が遂行された点である。
(引用以上)

共和国内部の客観的統計情報が皆無な中、今回の調査は北朝鮮住民を直接対象とした史上最初のものであった。種々の制約と調査進行の難しさにもかかわらず、結果からみると、現在北朝鮮内部では人類史上最悪の飢饉が進行中である、と考えざるをえない。インタビューの個々の内容からは、到底信じられない、しかし信じるほかはない、惨澹たる民衆の悲劇がうかがい知れる。私のタイビルマ国境での医師としてのつたない経験からみても、残念ながら信憑性の極めて高い調査内容となっている。接触し得た「食糧難民」5千5百余人での死亡率27.0%を、単純に敷衍こそできないものの、たとえば1千3百万人に掛けてみると「既に350万人死亡」との推計となろう。

人間として最悪の条件下に子どもを亡くし、親の臨終を看取った人々である。そして死を覚悟して越境せざるをえない状態になっている。「家族を失った苦しみをインタビューによって再び想い起こさせるのは、胸中の家族をもう一度殺すことのようでした。しかし私たち調査員は残酷な食糧難の被害実態を広く世界に知らせることで、生き残った人々を守ろうと考えインタビューを続けました。」
いつも恐怖で逃げ回っている脱北食糧難民を探し出して、詳しいインタビューをとることは現実には至難のことであったという。「彼らは私たちに会いながらも周りを見回し続け、いつもはらはらした表情でした。」
「彼らだけではなくインタビューする私たちも、繰り返される見えない身辺の脅威に苦しめられました。」
「調査の場所は頻繁に移り、時には数日間も調査を中断せざるを得ないことがありました。難民一人あたりの調査時間は、短くても一日二日、長ければ三日四日かかります。困難な、しかも不安と緊張が交錯する、劇的な瞬間の連続でした。」
「私たちと難民との出会いは、予定されていたことではありませんでした。特に難民たちが”調査者たちも監視者追跡者なのではないか”と考えてしまうため、調査に入ること自体が容易なことではなかったのです。」
「私たちはまず難民達が空腹を満たせるように、もてなすことにとりくみました。そして食後にからだを休めているところにあわせて、状況にあった質問を設定することにしました。簡単に会話した後、彼らに見えない場所で記録をとらなければならない難しさがありました。調査時間は無限定に長くなりがちで、制限された状況下でできる限りの人数からインタビューを集める以外にはありませんでした。」
「10人いると3人は死にました。おおぜい死んで、今も死んでいます。到底信じられないはずです。私たちもこの様なことが起こるとは考えもしなかったんですから。まる3年間食糧配給が全然なかったというのに、どうやって生きられましょう。やっと生きていたというのが不思議なほどです。ところがもう生きられなくなってしまい、死を覚悟して国境を超えて来ました。北朝鮮で生きられるならば、どうして祖国を裏切って異国に来ましょうか。到底生きられなかった。祖国への忠誠を続けたい。でも生きなければならないでしょう。ただ生きるため、越えて来ました。」
「北朝鮮では本当に生きられないのですか。」
「生きるために死力をつくしました。売れるものは全部売りました。しかし結局、妻が死に、息子と父親、兄弟も死んで、もう生きられない状況なので、死ぬ決心で越えました。北朝鮮で生きられるならば、どうして母親を棄てて私たちだけが越えて来るでしょうか。」

 

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