翻訳論文 有機農業は世界を養えるか

投稿者: | 2007年2月5日

写図表あり
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翻訳論文
有機農業は世界を養えるか
テウォルデ・B・G・エグジアベル、スーザン・バーネル・エドワーズ
(『リサージェンス』233号2005年11-12月)
CAN ORGANIC FARMING FEED THE WORLD?
Tewolde B. G. Egziabher Susan Burnell Edwards
“Resurgence” No. 233(November – December), 2005
(http://www.resurgence.org/selection/egziabher1005.htm よりフリーでダウンロード)
翻訳:杉野実+上田昌文
◆2005年7月に土壌協会のためにおこなわれたこの講演は、農業における持続可能な未来への潜在力について論じている。◆
1.序説
 「有機農業」という用語は、1万年にわたって世界に栄養を供給してきた食糧生産体系を特徴づけるために、20世紀の後半に作られました。この用語は、化学的に改良された工業的農業と対比するために、必要とされました。有機農業の信頼性はすでに証明されているので、ここで本当に問題とすべきは、「工業的農業は世界を養い続けられるか」ということだと思われます。
 もちろん、工業化以前の人口よりもずっと大きい現在の人口を、有機農業で養うことはできるのかと、問うことはできます。有機農業が工業的農業と同等に食糧を生産できるのかという問いは、正当なものであって、答えられなくてはなりません。しかしもっと正当な質問は、「工業的農業という新参者は、今後1万年以上にわたって世界を養い続けられるのか」ということなのです。将来を確実なものにするためには、これらすべての質問は同時に答えられなければなりません。それにはまず、農業と生態学的安定性について考えねばなりません。
2.農業と生態学的安定性
 地球の自然の生態系は、生産者・消費者・分解者・土壌・水・空気・温度といった要素が外部からのよくない影響に反応するので、不安定になることはほとんどありません。農業生態系においては、作物と雑草が生産者です。人間と家畜と、それから土中に多数いるものも含めた動物の、少なくとも一部が消費者です。土中の菌類と細菌類が分解者です。土壌の組成を決定する無機要素も、人間によって加えられます。空気と水は、土壌組成に応じて、作物の根の近くで最適に供給されます。土壌要素、とりわけ腐植土はまた、水素イオン濃度を保ち、植物に栄養分を供給します(注1)。生態学の初歩を説明することをお許しください。重大で複雑な問題に答えるためには、生態学的安定性の単純な要素を思い出すことが大切だと思うのです。
2.1農業とニッチの単純化
 生態系の情報管理がきちんとなされないならば、有機農業でさえも、これらの生態学的安定性に完全に保つことはありません。あらゆる形態の農業はニッチ(生態学的地位)の単純化をひきおこします。だが工業的農業はそれがはなはだしいのです。工業的農業では商品が市場で売れるかどうかが優先されますが、このこともまた包括的な生態系情報管理とは相容れないのです。
 農業においては、食糧やその他の用途に用いられる作物や家畜の生産量を最大にすることに、関心がおかれます。そこで農業では、農場に生育する生物種の数を減らそうとします(注2)。ところで自然においては、一緒に生育する種はしばしば、一つの生態系のなかで、全部または一部が異なるニッチを利用しています。このようなことは、森林において、高さや大きさや形や葉のつき方がちがう植物が、強度の異なる光を利用していることなどからわかります。ニッチの特定化は、ほかの環境的要因、例えば土の深さをめぐっても起こります。ところが単一耕作農業においては、ただ一つのニッチだけが利用され、すべての動植物個体がその同じニッチをめぐって競争する一方で、生物が利用できるはずの他のニッチは、まったくないし一部しか利用されずに放置されるのです。
 投入物を集約すれば、農業生産は一時的には向上するかもしれませんが、単一栽培では長期にわたって生産性を持続することはできません(注3)。それというのも、ただ一つの緑色植物ニッチだけに占有されているからです。恒常性、すなわち成長する環境を持続するために欠かせない均衡を維持するためには、どうしても必要になる最小限の緑色植物のニッチがあるのです。生産を最大化するのに必要な生物種の数は小さいのですが、恒常性を維持するために必要な種の数はずっと大きいのです(注3)。
 人類が生産量を最大化しようとする作物や家畜の種数は、その生態系に自然に生育している生物の種数よりずっと小さいものです。つまり、たとえ複数の作物が栽培されていても、農業はニッチの利用を減らすといえます。したがって農業は同時に全体の生産量を減らし、また、自然の自動調節過程を阻害することに対してそれを抑えようとする反応も減らしてしまいます。このような理由により、農業生態系は自然生態系と比べて調節の効率は劣っており、環境の悪化が始まることになります。これが、土壌の構成と豊穣性が損なわれる理由なのです(注4)。そして水の循環も阻害されて、しばしば塩害とか(注5)、土壌浸食さえも引き起こされるのです(注6)。
 多くの文明が、農業による荒廃がもとで衰退しました。たとえばチグリス・ユーフラテス渓谷での塩害や、ユーフラテスや小アジアの他の部分での土壌浸食・沈降のように(注7)。
2.2生態学的要素の損失をおぎなうために農業社会がもちいる技術
 数千年の歴史のなかで農業社会は、農業生態系の要素の損失に対処するための物理的・生物学的な技術、たとえば整地や休閑などを学んできました。しかしおそらく最も重要なのは、生態系へのダメージに対してそれを緩和するために、特定の性質をもつ生物種を意識的に利用することでしょう。例えば混合農業(注8)がありますが、これは作物と家畜の生産を組み合わせた施肥を可能にし、生物学的な生産と消費を効率よく均衡させようとするものです。施肥は、農業暦の始めから、作物に最適に栄養を供給する分解を可能にします。施肥はまた、分解しつつある有機物質を、農業生態系で最も必要とされている場所に置くことをも可能にします。病原体を除去した人糞を肥料として用いれば、生態系からの有機物質と栄養分の流失を減らすこともできます。堆肥にすれば、肥料から雑草・害虫および寄生虫を取り除くこともできます。根の深い作物は流出した栄養分を表土にとりもどし、そこから次世代の作物が栄養分を得られます。作物を含むマメ科植物は、脱窒により空気中に放出された窒素を固定します。ソルガムや類似の作物は、根が深くて栄養分を表土に引き上げるだけでなく、森林伐採により過酷になりがちな乾期にもよく耐えます。森林伐採はまた、湛水をも悪化させますが、テフや類似の作物は、湛水を生き抜くために生長速度を自らゆるめますし、イネでさえも、湛水の環境下でも最適に生長します。農業的生物多様性のよい影響は、多種類の作物を栽培すること、あるいは単一栽培であっても(多種類栽培でも)輪作をすることなどによって同時にえることができます。
 農業社会により開発された物理的方法により、土壌浸食や水の過不足を防止ないし緩和し、灌漑用水を遠方あるいは地下からえることも、できるようになりました。灌漑と排水は土壌の物理と化学に影響をおよぼしますが、その例として、たとえば塩害をあげることができます(注5)。物理的方法はそのように、良質の土壌と生物多様性の損失をひきおこしてきました。しかし適当な生物多様性と、必要な物理的構造とがむすびつけられるならば、それらは持続的に使用されるでしょう。
 これらの方法のくみあわせは、土壌中の腐植の割合を高くたもち、安定した土壌構造と肥沃度を維持します。腐植の比率が高いと作物の病虫害への耐性も高まります(注9)。
2.3工業的農業:生態系市場の形成
 工業的農業は、恒常性を得ようとすることを放棄しています。そのかわりに、既存の生態系の多様性に関係なく、市場価値のある要素からなる、均一な環境をつくろうとします。それを達成するために、必要ないところでさえ集中的に灌漑したりします。そうして揚水・灌漑機器のための市場もつくります。ダムや用排水路の建設契約をもつくります。こうして工業的農業は、灌漑に古くからともなっていた諸問題を地理的に拡大するのです。動物と人間の排泄物や植物の残渣は、まるで毒物であるかのように処理されます。単一品種が非常に広い地域にわたって植えられます。そして生態学的崩壊が不可避になります。
 そのような生態学的崩壊の指標のひとつは、病虫害に対する脆弱性からくる、作物品種の常習的で急速な壊滅です(注10)。そのことにより、育種業者はますます、多様性をさけて単一栽培を採用するように教え込まれることになります。殺虫剤や除草剤を製造する化学会社も魅力的な市場をえます。育種業者と農薬供給者とが同じ会社に属していることは、今日ではますます頻繁に見られるようになりました(注11)。それもそのはず、この2事業をあわせれば農薬に依存する品種の育成ができるのですから。種子と農薬の使い方を農民に説明できるようにするために、業者はその両方の特許をとります。特許されたパッケージにおしまくられて、集約的な単一栽培が確立し、生物多様性は損なわれます。伝統的な育種業者でもある農民は、生物多様性を最大化し、人類にさまざまな作物や品種と、それから、多様性を利用して病虫害を予防する生態学的方法をもたらしてきたのですが、彼らは企業によって周辺においやられようとしています(注11)。
 そのように追いやられてきた農民たちは、習慣的に獲得され効力を証明されてきたやり方に確信が持てなくなり、単一栽培に依存し、以前には有効に予防してきた病虫害に対して無力になるのです。栄養分は洗い流されてしまい、定期的に外から補給されなくてはなりません。このことは、肥料を生産供給する化学会社に魅力的な市場を提供します。土壌構造の劣化と単粒化が深刻な問題になります。そのことがまた、農業機械会社に魅力的な市場をもたらします。こうして、生態系の自然の要素は、市場で売買される人工的な要素におきかえられていくのです。習慣的に獲得され効力を証明された、土壌の品質と肥沃度を保持する生態学的方法に対する確信を、農業社会は喪失します。エチオピアではこういわれています。「土壌は賄賂の味をおぼえて、腐敗してしまった。なにを生産するにも、化学肥料という賄賂をやらなければならなくなった。」これがグロ-バリゼーションが地域農業に侵入するやり方なのです。
 そのように購入された要素で成り立つ農業生態系は、安定したものではありません。自然の要素とは違って、人工の要素は外部からの影響に効果的に反応しません。そのため人工要素が自然要素をおきかえればおきかえるほど、農業生態系は持続不可能で不安定になっていきます。自然土壌中の複雑な相互作用が再現されないからそうなるのです(注12)。そうして、人工要素は農業生態系の自然要素をたえず破壊し、劣化していく農場において、人工要素そのものをますます不可欠にしていきます。
 人工的要素の供給者らは利益をさらに増やそうとして、市場指向農業の生態系が持つ欠陥に対して、単純な応急処置をもってきたりもします。最新の応急処置ともいうべき遺伝子工学は、安定した農業生態系での恒常性と収量を増加させるためにではなく、劣化した生態系でも生育する作物をつくりだすために、発展しているのです(注13)。劣化の論理的帰結は破壊です。もし仮に遺伝子組み替え作物を破壊されつつある環境で生育し続けるとするならば、手遅れになるまでわれわれはそういう環境を受け入れるという最悪の状況を意味しないとも限りません。これまでのところ遺伝子組み替え作物は、農業生態系に一層の破壊的要素をもたらすことしかしませんでした。Bt組み替え作物のある種の無脊椎動物への毒性とか、除草剤耐性組み替え作物の広範囲の植物への毒性などが、例としてあげられるでしょう。ほかの特徴をもつ組み替え作物は、大量に栽培されてはいません。そういう作物は、いまのところインチキというしかないのです。
 遺伝子工学につづく応急処置はナノテクノロジーです。それがどれほどの応急処置になるのかはわかりません。それでは、解決策はなんでしょうか。
3.なにが解決策か
 貿易を公正にし援助をふやし債務を帳消しにすることによって、「貧困を過去のものにする」ことができるようG8諸国に勧告することに、ここ数週間の関心があつまっていました。目的はおおいに結構ですが、援助がどういう形態をとるべきであり、アフリカ諸国はどういう経済・農業発展モデルを追求すべきか、という問題には十分な関心が向けられていません。豊かな国と貧しい国の両方で農耕の方法が根本的に再検討されないかぎり、公正で平等な資源の分配だけでは不十分です。工業的農業をもたらした文化は、全地球の気候を変化させ、わずかにのこった自然生態系さえも不安定化させています。そういう傾向が変えられなければ、持続可能な農業の復活が世界を長期的に養う可能性は、劇的に低下するでしょう。京都議定書は、気候変動の影響を減らすための控えめな試みです。しかしその控えめな試みでさえも、気候変動の4分の1をひきおこしているアメリカ合衆国に拒絶されているのです。われわれが生き延びる機会がどれほどあるというのでしょうか。きわめてわずかしかありません。
 もし気候変動をおさえることができるのなら、必要な生物生産量を最大化し、生態系の恒常性を強化するような農業体系を採用するだけで、持続的な食糧生産の問題は解決することができます。有機農業にそれができるでしょうか。
 できるはずですが、ただしそのためには、われわれが真剣に考えて、これまで利用されていなかった部分をもふくむ生態系全体の機能を改善する、自然の循環を阻害するのではなく助けるような、すべての研究開発と経営をおこなわなくてはなりません。
 それはできるのでしょうか。できないはずはありません。以前の農業社会は数千年もそれをしてきたのです。現在の知識があれば、もっとうまくできるでしょう。
 私たちは北エチオピア・ティグレイの農業地域でそれを始めており、心強い結果をえています。農業地域住民は荒廃地で、私たちと一緒に働き始めました。彼らは物理的な土壌浸食制御活動(テラス、排水溝をよこぎるチェックダム、壕堤防)を行いました。彼らは、それまで無制限であった放牧範囲を制限して、家畜を飼うために草や葉を切って運びました。そうして地表はまた草や木に覆われるようになりました。
こういうことはすべて彼らの伝統だったのですが、地域社会組織が壊れていたので、利用のために協同して行動することができませんでした。私たちは地域社会組織を再生するように勧告しました。彼らはそのために定款を定めました。これらの定款は地方政府により承認されました。私たちは、堆肥の製造と利用についても彼らを訓練しましたが、彼らはそれを習得しました。最近では、雨期が短くなっても十分に長い成長期を確保できるように、多年生の作物(フィンガーミレット、ソルガム、トウモロコシ)を導入しています。気候変動のために、雨期は短く不定になっています。
 かれらの生活と環境の変化は劇的です。以下の写真の対比がその変化を示しています。
荒廃と浸食が進んでいたアディ・ネファス,1997
地力が回復したアディ・ネファス,2003
 写真が示すものをより正確に反映する表もあります。エチオピアの山地的な環境において、化学物質を基本とする農業よりも有機農業の方が高い生産量をもたらすことを、表ははっきりと示しています。有機農業を採用したことによる収量の落ち込みはないことも、表からわかります。
表1 2003/4年のアディ・ネファスにおける穀物収量(ヘクタールあたりキログラム)、費用および収益(ビル)
穀物 投入物 収量 粗収入 純収入
ファバ豆 堆肥 4,391 13,173 13,173.00
照合基準 2,287 6,861 6,861.00
フィンガー・ミレット 堆肥 2,650 4,505 4,505.00
照合基準 8,33 1,416 1,416.10
トウモロコシ 堆肥 5,480 8,768 8,768.00
照合基準 7,08 1,132 1,132.80
テフ 堆肥 1,384 3,875 3,875.20
化学肥料 1,033 2,892 2,515.40
照合基準 7,39 2,069 2,069.20
コムギ 堆肥 2,250 5,625 5,625.00
化学肥料 1,480 3,700 3,323.00
照合基準 8,42 2,105 2,105.00
オオムギ 堆肥 1,633 3,266 3,266.00
照合基準 8,59 1,718 1,718.00
10ビルは約1ユーロ、あるいは15ビルは約1ポンド  *化学肥料の価格は100キログラムあたり377ビル
表2 2003/4年のアディ・グワエダッドにおける穀物収量(ヘクタールあたりキログラム)、費用および収益(ビル)
穀物 投入物 収量 粗収入 純収入
ファバ豆 堆肥
化学肥料
照合基準 2,900
1,100
766 8,700.00
3,300.00
2,298.00 8,700.00
2,923.00
2,298.00
フィンガー・ミレット 堆肥
化学肥料
照合基準 2,000
1,433
500 3,400.00
2,436.10
850.00 3,400.00
2,059.10
850.00
トウモロコシ 堆肥
化学肥料
照合基準 2,000
1,133
680 3,200.00
1,812.80
1,088.00 3,200.00
1,435.80
1,088.00
オオムギ 堆肥
化学肥料
照合基準 2,193
1,283
900 4,386.00
2,566.00
1,800.00 4,386.00
2,189.00
1,800.00
コムギ 堆肥
化学肥料
照合基準 1,020
1,617
590 2,550.00
4,042.50
1,475.00 2,550.00
3,665.50
1,475.00
テフ 堆肥
化学肥料
照合基準 1,650
1,150
390 4,620.00
3,220.00
1,092.00 4,620.00
2,843.00
1,092.00
*化学肥料の価格は100キログラムあたり377ビル
 残念なことに、過去50年あまりの研究は主として、灌漑と化学肥料を用いたときに収量を最大にするにはどんな品種にすればよいかに、焦点をあててきました。土壌の肥沃度をます有機農業において収量を最大にするにはどんな品種にすればよいか、ということの研究に、同様の努力が傾けるならば、結果は遜色ないものになると信じています。そしてそれはもちろん、工業的農業と比べるなら、より持続可能なものになるに違いありません。
 有機農業は世界を養うであろうと、私は確信します。有機農業がふたたび拡大しなければ、この地球上での人間の活動は劇的に縮小するでしょう。そして、もし気候変動がおさえられなければ、いまあるような食糧はおろか、いまあるような生物圏はなくなってしまうでしょう。■

1.Heywood, V.H. and R.T. Watson, 1995, Global Biodiversity Assessment, Published for UNDP by Cambridge University Press: Cambridge, p.443.
2.Ibid, pp.402-405, p.448.
3.Ibid, pp.326-452に、土壌劣化がなぜおこるのかについての追加的な説明がある。
4.特に排水が適切に実施されていない場合の、灌漑の結果としての塩害は、よく報告されている現象である。塩分の過剰と水分の過剰とをむすびつけるのは一見奇異に思えるかもしれないが、たん水と塩害を同時におこすのは適切な排水の欠如であり、このふたつで劣化した土地は通常まとめてとりあつかわれる。Brown, L.R. and C. Flavin, 1997, Vital Signs, World Watch Institute: Washington, p.42 は、毎年200万ヘクタールの灌漑地が、たん水と塩害によりうしなわれているという。Pretty, J.N., 1995, Regenerating Agriculture, Earthscan Publications Ltd.: London, pp.126-127 は、年150万ヘクタールと、より低い推定をあげている。だがいずれの数字も衝撃的である。
5.World Resources Institute, United Nations Environment Programme, United Nations Development Programme and The World Bank, 1998, 1998-99 World Resources- A Guide to the Global Environment, Oxford University Press, Oxford, p.157は、世界的にみれば、土壌は形成されるのよりも16倍から300倍も速く浸食されているという。このことは、われわれが自然の投資を食いつくし、未来世代のために死にむかって投資していることを意味している。
6.1995年10月24日、シンポジウム「天啓と環境、紀元後95年から1995年まで」の参加者らは、古代都市エフェソスの遺跡を訪問した。考古学者に発掘された遺跡にいるあいだ、われわれは、周囲の丘から浸食された土壌が、沈降して都市をうめたときかされた。その丘はいまではほとんど岩だらけである。
7.Howard, A., undated, An Agricultrural Testaments, The Other India Press (Reprinted, First Published in London, 1940), pp.1, 32-38 がその体系を記述している。工業的農業に混合農法はないことに注意。しかしこの方法は、アフリカをふくむ南の農業社会ではさかんにもちいられている。
8.管見のかぎりでは、現代の土壌科学の文献は、土中有機物質(腐植)の作物の健康への重要性についてはふれていない。研究者らの関心が化学物質の病虫害への影響にむかっていることも、そういう自然療法に注意がなかなかむけられない理由のひとつであろう。しかし農業化学の発達以前に出版され、広く参照されている文献もある。Howard, Ibid, pp.143-174は、腐植の比率を高め農業生態系を均衡させることが、作物を生理学的に最適な状態におき病虫害への耐性を高めるうえで重要である、とのべている。病原体や害虫は化学物質に適応してしまうので、農薬の効果は限定されたものでしかない、ともこの著者はいう。より最近の文献としては、やはり農薬が今日ほど一般的になる以前のものではあるが、Russel, E.W., 1961, Soil Conditions and Plant Growth, Longman, Green and Co. Ltd., London が同様の主題をより詳細に論じており、pp.210-221では均衡した土中微生物相の重要性を、pp.523-524では土中有機物質が植物の健康と耐性をたもつ経緯を、それぞれのべている。
9.Fowler, C. and P. Mooney, 1990, Shattering: Food, Politics and the Loss of Genetic Diversity, The University of Arizona Press, Tuscon, Arizona, p.135 は、1974年から1977年までのあいだに、イギリスのオオムギの新品種が耐性を喪失していたことを報告している。
10.Fowler, C. and P. Mooney, 1990, The Threatened Gene: Food, Politics and the Loss of Genetic Diversity, The Lutterworth Press, Cambridge, pp.115-139.
11.工業的農業のために均質な品種を生産するよう特別に訓練された育種業者は、農民も育種業者であるということを否定し、農民はただ自然が供給するものを選別するだけだという。議論の後半は正しいのであるが、しかしそれは農民だけでなく植物学者にもあてはまることである。そこで工業的農業に従事する育種業者は、在来品種をつくるのは農民でなく土地であるとして、「土着種」などということばをもちいて、区別を無理につくりだす。だが今日では工業的育種業者も、しぶしぶにではあるが、農民も育種業者であることをみとめつつある。たとえばDuvick, D.N., “Plant Breeding and Biotechnology for Meeting Future Food Needs”, in Islam, N. (ed.), 1995, Population and Food in the Early Twenty-First Century: Meeting Future Food Demand of an Increasing Population, International Food Policy Research Institute, Washington D.C., pp.221-222は両者をともに育種業者とみとめ、それぞれの貢献を「専門的育種」と「農民による育種」として区別している。
12.Pretty, J.N., in Islam (ed.), Op. Cit., pp.26-93, Conway, G.R. and J.N. Pretty, 1991, Unwelcome Harvest, Earthscan Publications Ltd., London, pp.17-369, Heywood, V.H. and R.T. Watson, in Islam (ed.), Op. Cit., pp.326-452, Shiva, V., 1991, The Violence of the Green Revolution, Third World Network, Peneng, Malaysia, pp.103-150などの文献は、この恒常性の損失がどのようにおこるかを、詳細に記述している。
13.The United Nations Development Programme, 2001, Human Development Report 2001, Oxford University Press, New York, p.35は、「バイオテクノロジーは...世界の最貧の人々の半分以上が居住する...生態学的限界地域にとって、唯一ないし最高の『選択の道具』を提供する」という。そのつぎの段落でUNDPは、「バイオテクノロジーの潜在力が生かされる前には、すすむべき長い道がある」ともいう。つまりUNDPは、「唯一の道具」としてのバイオテクノロジーは、実際には限界地域では、最高の道具としても、あるいは単にただの道具としてさえも、使用を試みられてはいないことを、認めているのである。だからバイオテクノロジーを「唯一の道具」と称することは、ただの夢想にすぎない。もちろん、UNDPの職員をふくむ何人にも、夢をみることはゆるされる。しかし夢を強制することはゆるされない。貧者のすむ限界地域のために開発され、有効性を証明するに十分なほど集中的に使用された遺伝子組み替え作物は、ただのひとつもない。たとえバイオテクノロジーが本当に限界地域で十分な食糧を生産するとしても、しばしば現金をもっておらず、英語はおろか自分の言語でさえも読み書きができない「世界の最貧の人々」が、どうやって、特許権を設定された遺伝子組み替え作物をつかうために、北の外国にいる特許権所有者とややこしい交渉をし、また特許料をはらうというのであろうか。伝統知識特許保全のことを紹介してはいる(pp.102-109)ものの、UNDPはこの問題については沈黙している。こうなると、夢というより悪夢である!
テウォルデ・B・G・エグジアベルは、エチオピア環境保全局の長官であり、持続可能開発研究所の共同設立者である。
スーザン・バーネル・エドワーズは、植物学者であり、著述家である。高等教育機関での教授経験のほか、農業科学研究所で研究に従事したこともある。エチオピアの女性と子どもの仕事と文化的背景についても、積極的な関心をいだいている。■

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