市民研主催・共催の講座・イベントへの参加者の感想から

市民科学研究室が主催あるいは共催した講座やイベントに参加くださった皆様から、集会直後にお書きいただいた感想を、名前を伏せて、ここに掲載いたします。
2023年12月18日以降の集会からのものとなります。また、いただいた感想は趣意を変えない限りで、一部の文言の削除や修正を加えているものがあります。

 

****************************************

2024年8月10(土)実施 
土曜講座Ⅱ「生活と科学技術―問題解決のための見取り図」第3回「生命操作」(講師:上田昌文)

▶・積極的な延命を望まず、胃瘻や中心静脈栄養を避けることがあるが、これを「消極的な安楽死」と呼ぶことには違和感もある。
当人が意思表示できたとして、家族がそれに反して行うことはどう考えれば良いか? 事前に意思表示しておいたものは尊重してほしいと願う。
・映画「PLAN75」(2022)をどう考えるか。制作者・監督の意図とは逆の(受け入れる)反応も少なくないらしい。
「ありえないと言えるか、高齢者の安楽死を認める映画『PLAN 75』の世界」
・動物の扱い(実験・家畜)
家畜と野生動物で「生命」に違いがある、と考えるか否か。
家畜は特別な存在と認めたとした場合でも、家畜のケモノはよくても、野生の魚類はどうなのか?
・映画「ブレードランナー」(1982)は過酷な環境の労働力としてヒトに似せた「レプリカント」を企業が開発する話。レプリカントの寿命を短く設定してあるというお話し。
・すでに現代社会で高価・高額な医療を選択できる富裕層と、一般的な治療さえも受けられない貧困層が分断されている。国民皆保険というのはごく限られた国・地域で行われているだけで、これが未来永劫、持続できるかどうかは不明。
・最先端の科学・技術をどうするかの議論以前の問題・課題として、そもそもどういう社会を志向するのかについて、容易に合意を作れるとは思えないし、たとえ国レベルで合意ができたとしても人類全体が合意できるとは思えない。だとしたら、科学・技術のコンセンサスをどう作れるのか、予想がつかない。どうしたらその社会の志向の合意を作れるか。

▶「生命はどこまでどう操作するのか」は「どんなものをどう食べるのか」と並んで、「自分はどう生きるのか、どう生きたいのか」が自分だけの問題ではなく、科学や技術の現状、政治や経済のしくみ、社会のあり方によって規定されており、それらをどうしたいのかを含めて、一人ひとりが日々考え、発言し、行動していかなければいけない問題だと感じました。

▶生命操作の前の段階で、現状の医療という生命を「操作」する技術に問題を感じました。
病院で生まれ、病院で死ぬことが標準になり、それ以前に不調を感じたら、病院に行くことが常識となり、「どうして病院に行かない・行かなかった」と非難されることも当たり前になっています。専門家である医者に、自分のからだを全面的に任せることに疑いを抱く人はほとんどいません。
現代の医療には経済的、社会的、文化的な背景があり、安楽死を認めるかどうかという議論の反対にある、延命治療や過度の治療が蔓延していることが問題であるように、私には思えます。
すでに私たちの大多数は、自分のからだを操作することに抵抗、違和感をまったく感じなくなっていて、遺伝子や受精卵をいじるような「生命操作」は、ほんのすぐ先にある出来事であるように思われます。

2024年8月1日 (木) 実施
第61回市民科学入門講座「トイレの世界~まるで秘境のようなその奥深さを探る~」(講師:小関 由佳さん)

(主催者より:大変好評な講座となりました。参加者からたくさんの情報提供や長文の感想が寄せられましたので、PDFにして掲載しています。)

参加者から寄せられた情報や感想はこちらから


2024年7月6(土)実施 高木基金との共同企画

シリーズ「市民科学の調査の現場から」第5回 岡村幸宣さん(原爆の図丸木美術館学芸員)

▶図書館のレファレンス、地域資料から調査されていたのにとても感銘を受けました。美術、展覧会ならではの、手で作る、足で広げていく、活動的なところもなるほどと思いました。独立のアーカイブの活動としても参考になるお話でした。

▶何より3億円にビックリ。等身大の絵画そのものインパクト、学芸員として引き受けている勇気、さらに平和を希求する国内外の市民を巻き込んでいこうというパワーに脱帽です。

▶岡村さんのお話は京都のギャラリーヒルゲートで何度かお聴きしましたが、最新の情報を知ることができ、改めて、丸木美術館が作品の保存にとどまらず、次世代に継承し発展し続ける、大変アクティブな美術館であることを再認識しました。
50年代から、反戦運動をしたい人たちが巡回展を支えてきたことで、広く原爆の図が認識された一方で、丸木夫妻の仕事は「運動が美術を利用している」または「美術が運動を利用している」という批判にさらされ(現在もそのような批判は続いていますが)、日本の美術界からはほとんど評価されず、新聞の社会面で紹介されても、美術評論家からは長く無視され続けてきた経緯があります。
岡村さんもおっしゃっていたように、日本の美術史には「原爆の図」が出てこないのです。
それを、美術と社会の関わりを重視する現代美術の視点を踏まえ、改めて、海外巡回展などを通して再評価を得て、美術的な価値を揺るぎないものにしてきたことは、岡村さんの、学芸員だからこそできた本当に大きい功績だと感じています。
岡村さんの姿勢はとても柔軟で自然体で、その根底にはやはり美術作品への深い洞察があると思います。
若い人の間では丸木美術館は現代美術を発表する重要な美術館との認識が高まっているようです。
寄付の集め方も、時代に合うようにアップデートされ、世界中の多様な人々に支えられているという丸木美術館に希望を感じました。
40年前に行ったきりですが、機会を作って再訪したいと思います。


2024年6月29(土)実施 高木基金との共同企画

シリーズ「市民科学の調査の現場から」第4回 澤田慎一郎さん(中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会)

▶アスベストが身近に隠れていて、建物の解体等で現れてくることは、義務教育で教える必要があるように思います。

▶常に弱い立場にしわ寄せがいく社会構造的な部分は何とかしていかないといけないと思いました。澤田さんの損得抜きに現場に寄り添う真摯な姿に、感動を覚えました。原発事故や公害なども同じような構造で、より弱い立場の者にしわ寄せがいく今の社会は変えていかないといけないと強く思います。

▶現場の実態や、当事者の求めていることから問題を知るという活動、それが市民科学であるということがよくわかりました。アスベストの規制の後に、同じ用途で使用される代替的な物質はどうなっているのかも気になりました。

▶2月にキャラバン隊の皆様に助けられた夫を亡くしました。今後私が中皮腫遺族として何か役に立てる事があるのかあらためて考えさせられました。澤田さんの真摯に中皮腫と向かい会う姿勢には頭が下がりました。

▶2014年、最高裁が国の責任を認める判決を出したとの事ですが、既に、政府は2012年にアスベストの全面使用禁止を発令しています。ここでも最高裁は政府の顔色をみながら、政府が結論を出した後に判決(忖度)を出しているようです。最高裁判決をもっと急ぐべきでは無かったのかと……そうでなければ司法の存在価値はありません。最近の最高裁の劣化が日本の社会を歪めています。日本の公害問題は高度成長期における日本政府の怠慢・無知・人権無視によるものです。しかし13年前に起きた福島原発事故に起因する放射線被ばくによる甲状腺がんも、典型的な公害問題でありながら、被ばくの影響とは考えにくいとする日本政府と御用学者達の倫理感、人権無視には怒りさえ覚えます。ここでも政府に忖度する司法の劣化は甚だしいものがあり、国民やメデイアが司法を監視し、声を出し続ける事が大事です。

▶とても簡潔なまとめに良く訴えが響きました。体内でアスベストの毒性が直ぐに現れるのではなく60年後に発症することもあると聞いて驚いたのです。長期にわたる支援の必要を感じます。中皮腫月間がおおいに広まると良いです。

 

2024年6月12日(水)実施
第88回TV科学番組を語り合う「追跡・“紅麹サプリ”健康志向の死角に迫る」

▶・献血時の質問票や問診では、薬(医薬品)の服用については確認されるが、サプリ等の摂取に関して特に尋ねられない。同じ献血者から繰り返し輸血を受けることはほとんどあり得ないので特に問題にはなっていないのだろうが。
・義務教育として、医薬品/医事との付き合いかた教育が必要なことを改めて考えた。
・「リスクがゼロではない」こととどう付き合えば良いか、学校でも社会でも学ぶ機会を設ける必要もあるだろう。
・紅麹サプリがこれほど問題になっているのに、機能性表示食品全般についてはテレビCMがほとんど変わりがないかのように見えることをどう考えたらよいだろうか。
・「食中毒」という語が使われてないことにも注目したい。

▶日本人の結果検証の姿勢が甘すぎることを痛感しました。

▶食は科学だけでなく企業や社会、法制度や行政の問題でもあると、あらためて確認できました。

▶サプリメント、機能性食品、特保、薬、あるいは食品全般に対しても、効果・効用の「科学」的説明を盲信してしまう怖さ・危うさを感じました。すべてを疑い、自分で考え、試していく、本来の「科学」の基本姿勢が大切であると改めて思いました。

▶機能性表示食品の問題は、次に述べるような「曖昧さ」を許容していることに由来するのではないだろうか。
①「効く」ことについて:
1)きちんとした証明がなくても売っても良い(企業側に譲歩した規制)
2)そのかわり、はっきり「効く」と謳ってはいけない(効能が実質ないことへの言及を封じる、逃げ口上として機能している:「誰も効くとは言っていませんから」)
②「効かないこと」について:
3)何の検証もなされない(服用する消費者の「選択」責任への問題のすり替え:「効かなかったとしてもそれは選んだあなたが悪い」)
4)消費者自身に検証する方法がない(企業の言うことを信じる他ない)
③副作用や健康被害を生じる恐れについて:
5)「食品」だからそもそもそんなものは考えにくいということが前提になってしまっている(企業も消費者も、生モノや調理モノよりも、清潔で安心できる、と考えている)
6)①や②の曖昧さ、今述べた「食品だから安心」の前提、といったことがあるために、副作用や被害は「想定外」になりがちで、それが発生した場合に的確に対処できない(原因の究明のための調査、被害の実態把握などに多くの不備や障害が出てきて、うまく進められない)
「効くこと」をきちんと証明して市場に出していくというやり方は、裏返せば、市販前の副作用のリスクのチェックや、市販後の(出るかもしれない)被害のモニタリングも、厳格に行うということに通じる。それが欠落したものを、極めて多くの消費者が持つ「手っ取り早く健康になりたい」という志向を付け込んで、販売できるようにしてしまっている(「あたかも薬であるかのように印象付ける」ことを許容してしまっている)ことが、この問題の本質ではないだろうか。
開発企業側が提出する「研究レヴュー」がおよそ証拠とはみなし難い、おそらく企業側にとって都合の良いデータだけを寄せ集めてきたものが大半であろうことが、今回の番組で示されていたが、このことは特に問題にされるべきだろう。
私自身は、今述べたように、「曖昧さ」が多くの問題を生む恐れがあると考えるので、「機能性表示食品」は廃止したほうがよいと思っている。食品はそもそも曖昧さを含むものだ。でも人工的に作った「食品」も曖昧なままでいい、ということにはならない。その区別が必要だろう。

 

2024年6月8日(土)実施  
シリーズ・土曜講座Ⅱ「生活と科学技術―問題解決のための見取り図」第1回「”科学”をどう捉えるか、”市民科学”をどう作るのか」

▶用語の使い方の課題:・純粋科学と応用科学・自然科学、社会科学、人文科学と区別する時の科学と、もっぱら自然科学を想定する使い方の違い。・「生活者と科学」の見直しの方向に関して:障害者対応が、バリアフリー→ユニバーサルデザイン→インクルーシブデザインとフェイズが変わることと共通。「インクルーシブ」が重要。・芸術と科学;社会との断絶という共通項・科学はまだ実用と結びつく可能性。一方で、高度な数学は科学よりも「純粋」な傾向。
※専門家はその特定分野についての専門家であって、それ以外のすべての分野に関しては「生活者」でもあるということをどう考えたら良いか?
※科学・専門家への信頼がヘゲモニー争いになろうとしている世界の現状は危機的と改めて考えました。そこにおける市民科学の役割に対する上田さんの見解を聞けて良かったです。

▶きょうお話しされた「市民科学とは何か」(すごくやさしいバージョン)から始めて、「好きなことと科学の関係を考えてみよう」のお話を、きのう提案した「市川の私立高」で(可能ならば)するのがいいと思いました。

▶土曜講座 Ⅱ「生活と科学技術―問題解決のための見取り図」に参加いたしました。自分の科学者の定義がガラリと変わり、科学の知識や経験が無い自分も市民科学者として出来ることは多くあることに気付きました。市民科学のみならずですが、大切なことは全て現場にあるようです。

▶科学が高度化され、細分化され、専門化された。ごく限られた狭い分野を、大学の教員や研究機関の職員などの地位や学歴で認められた「専門家」が実験し、研究する。最新の研究成果を上げるためにも、研究を続ける環境を維持するためにも、お金が必要である。「専門家」はお金に依存し、その多くが大学や企業、国家から供給されている。
また、ごくごく狭い分野の「専門家」たちも、自分の「蛸壺」、「サイロ」以外では、「専門家」ではあり得ない。
私たちは意識しないままに西欧近代科学や技術の恩恵に浸りきり、(医療をはじめとする)科学を信じ込んでしまっている。自分の頭では理解できないかもしれないが、多大な便益を科学から得ているので、私たちは「専門家」を盲信し、依存する結果になる。一方で、もし科学によって自分に不利益が降りかかるようなことがあれば、「専門家」を一切信用しないという態度に簡単に反転してしまう。
つまり、ほとんどの人が最も「非科学的」な態度で科学と向き合っているのが現状であると私は認識している。
何事も盲信しない。疑う。自分の頭で考える。確かめる。そしてそれを伝える。その反応を受け取り、また検討する。そういう「科学」の最も根元にあったはずの態度を取り戻していきたい。

 

2024年5月18日(土)実施  高木基金との共同企画
シリーズ「市民科学の調査の現場から」第3回 和田央子さん(放射能ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会)

▶不当な対応の中で活動を続けていらっしゃる和田さんたちに励まされました。

▶東電原発事故による放射性物質を含む廃棄物の問題は、いわゆる「発生者責任原則」に基づいて解決を図るべきと考えます。ものづくりでは原材料の発掘・採取という最上流から、使用後の廃棄・リサイクル等の最下流までの環境・人権等すべてに責任を負うという意識が求められるようになりつつあると思います。福島での廃棄物処理では、自治体・事業者が自分たちの手元から離れた時点で考慮しなくなっている現状と見え、現状・将来の汚染が大いに心配です。地域の博物館、(公設・私設の)アーカイブスなどで震災やその遺物など、資料や情報を蓄積・継承しようという動きがありますが、今日のお話しのような廃棄物処理の問題等には手がついていない感があり、難しい問題だと思います。

▶調査をせざるを得なくなるケースの市民科学がどういうことであるか、とてもよくわかりました。この問題の全体像について、お話を聞いて認識が大きく変わりました。

▶環境省が本来の役割を発揮すべきだ/いや、環境省には任せられない、という相反する議論は、原子力市民委員会の第1部会のなかでも両論あって折り合いがつかず、『原発ゼロ社会への道 2017』の第1章では「両論併記」になってしまいました!

▶どのように調べを進めていったのか(公開情報をどう読み、整理するか)、というプロセスを具体例にそくして説明いただく、というかたちのお話ももう少し聞きたいと思いました。

▶特に「イノベーションコーストで軍需開発がすすめられる懸念がある」という問題に対しては、一方では「社会的責任投資」などの潮流も(「国際金融資本が支配する」アメリカもふくめて)世界的に強まっているので、SNSでの情報発信を「地元だけでなく広く世界にむけて」していく、という対応策もありうるのではと思いました。

2024年4月27日(土)実施 高木仁三郎市民科学基金との共同企画
シリーズ「市民科学の調査の現場から」第2回 永野いつ香さん(水俣病環境福祉学研究会)

▶茂道の表だと人口が500人程度で200人以上認定ですか?さらに認定されていない方がいるとすると、人口の大部分に何かしら異変があったということでしょうか?

▶今度で良いので、永野さんが最後に言っていた「一つ変えれた制度」の内容も教えてください

▶永野さんが高木基金に応募された際、選考に関わっておりました。地道な社会調査に取り組んでくれる方が応募してこられたことが嬉しかったですし、その後、ずっと継続して取り組んで下さったので、ほんとうに有難いです。たいへん高木基金らしい取り組みになったと思っています。

▶参考までに: ニュージーランドの核実験被ばく兵士の補償制度について調べたことがあるのですが、認定審査会には被ばく兵士会の代表が参加を保障されています。当事者の声が認定に直接反映される仕組みをつくることが重要と思います。(もちろん、組織代表が当事者個人を本当に守ってくれるか、という問題は生じるわけですが)

▶若い世代が活動されていることに敬意を表します。基本構造は何十年も変わらず、改められないが、地道に続けるしかない。大手メディアの知らせることは大事。「知らせない」「知らされない」は「ない」にされる。記録と声を上げることの大事さ。道路公害など大気汚染のぜんそく患者も同様の状況。

▶わたしは1957年生まれです。胎児性水俣病認定患者の最後の方々と年齢が近く、先ほど同様のご発言もありましたが、ほぼ同じ世代ということで、水俣の問題は自分の問題でもあるようと思えるようになりました。山上徹二郎さんのワークショップに参加したのがきっかけでした。それ以来、水俣フォーラムに関わり、公害資料館フォーラムで水俣病センター相思社とも関わるようになりました。生活の聞き取り、重要な仕事だと思います。プライバシーには配慮しつつも、その結果を公開・残せるようにしたいものです。

▶大学で水俣病のことがさかんに教えられているとのことで、「さすが」と思いましたが、しかし小中学校では「水俣病の授業は当然あるけど、でも裁判のことはほとんど教えられない」…。地元にも偏見はあることといい、「地元の問題を学校(など)で教えること」は、まったく当然のことのようでいて、本当はとてもむずかしいことなのだな、と考えさせられました。自分も市川市や千葉県に関する活動をしているので、(地元に特に深刻な問題があるわけではないけれど、)特にそう思いました。

▶今日の朝日新聞BEの記事(介護民俗学)が永野さんの活動と重なりました。川島秀一氏が福島県新地町の漁師、小野春雄さんについて書いた「春を待つ海」には漁村の民俗について記していますが水俣でもそういう視点が大事かもしれないと感じました。

▶日々のお仕事(職業的)と聞き取り調査・研究との関係はどうなのか、苦労など、お聞きできれば、と思いました。(最後のほうで、法学の大学生とのやりとりのお話がありましたが、そうしたことを含めて)

▶市民科学の原点を感じるようなお話で、感銘を受けました。科学とはなんなのか、生活史の記録を続けていく、とても共感しました。

▶悲惨な公害にまつわるご研究ではありますが、たしかに研究を永く続けていくために楽しいと感じる瞬間も必要ですね!関係者のお話を聴きながら家系図を作り、繋がりがわかったり、裏が取れた時の喜びなどの小さな積み重ねも、モチベーションになるのだろうなと感じました。

▶永野さんとは大学時代・院生時代、一緒に学ばせていただいておりましたが、本日あらためてお話をお伺いできよかったです。貴重な機会でした。目をそらさずに向き合い声をあげ続けること、現場に成果を返していくこと、自分自身も仕事や仕事以外のあらゆる場で自分のできることをやっていきたいと思います。

 

2024年4月24日(水)実施
第85回TV科学番組を語り合う「ディープフェイク リアルが揺らぐとき」「生成AIの正体シリコンバレーが触れたがらない代償」

▶生成AIがここまで発展したのは、わずか10年前の2014年から、というのは驚き。オープンソースで開発することで、急速な開発が進んだと共に、規制的なルーチンを意図的に外すことができてしまうという両面がある。

▶AIはBlackBoxで、途中の経過、判断の理由は示されないし、わからないものだということを再確認。多数の難民・移民を受け入れているドイツで、コンテンツ・モデレータとして過酷な労働に多数の移民らが従事している問題は重大。モノづくりであれば、資源の採掘から生産・流通・消費・廃棄に至るまで、最上流から最下流までに、環境・人権を含めて責任を持つことが求められるようになってきている。AIに関する仕事でも、同様に、あらゆるフェイズで環境・人権への配慮が求められるはず。番組で扱っていたように、巨大企業にしかAIを作る力がないというなら、そのような巨大企業でこそ、環境・人権配慮は追求されるべき。キーワードとして、「統計」と「ステレオタイプ」が気になった。わたしたちのあることへの認識は結局は統計的に行われてしまう。それをステレオタイプと言われてしまうとどう接したらよいのか、途方に暮れる。この番組が反植民地主義が広がっているオランダで作られたことはうなずける。

▶AIはブラックボックスで、今はデータを学習するために人間の手を借りているが、今後はAI自身でできるようなり、ますますブラックボックス化が深まっていく。

▶とりわけ海外ドキュメンタリーの番組は衝撃的で、AIブームに冷水を浴びせるほどの説得力を持っている。ぜひまた別の機会に観て、議論を深めたいと思う。社会の様々な面にAIが浸透すればするほど、私達の生活や様々な活動、そして行く末は思考や感情のやりとりまでもが、少数の巨大企業の手のひらの上にのかってしまい、下手をすると途方もない「均一性(平均化)」にとりこまれてしまう―それは言ってみれば独自の思考や判断の放棄につながる―ことになりはしまいか、という不気味な将来が到来しそうな気がする。だからこそ「AIを安易に使わない/使わせない」という選択がとても大切になってくるのではないか。コンテンツ・モデレータの過酷な労働状況は、この番組でも一部可視化されたAIの影の部分だとすると、まだ十分に可視化されない影の部分が、レアメタル採掘現場、電子廃棄物の越境移動、増殖するデータセンターの電気消費量……など相当にあるだろうことが、この番組からも垣間見えてくる。AI兵器の非人道性に対する倫理的な規制にとどまらず、こうした「AIの影」を暴いて、論じていくことは、市民科学にとっても非常に重要な課題になってきていると思う。

<1本目に関して> フェイク画像がどんどん「改良」されていく一因が技術のオープン化にあったというのは皮肉なものだなぁと思わされました。今でも全体主義の国では使われているのかもしれませんが、民主主義的な国であってもフェイク画像が権力を握る側に操られることになれば、かなり恐ろしいことになるでしょう。一番恐ろしいのは、私たちの「真贋を見抜く目」がもはや全くアテにならないものになりつつあることかもしれません。
<2本目に関して> 最近ではAIは我々の日常生活にも深く入り込んでいますが、それを使っていることがあたかもより信頼できる報道であるかのような言い方がされてしまっているのが気がかりです。AIは確かに、膨大な情報を極めて短時間に処理することは出来るけれど、決して思索を深めることも、想像溢れる新たな発想を生み出すことも出来ないことを認識しておかないといけないと改めて思いました。また、このことが「前例」を偏重しがちな日本社会の価値観と変に親和性があるように感じ、我々日本人はよほど気をつけておかないといけないと思いました。このドキュメンタリーを製作したのがオランダの会社、登場するのが、セルビアのアーティストやアイルランドで活躍するエティオピアの女性というのもとても象徴的に思えました。また、AIを機能させるためには、膨大なデータを分類する人手が大量に必要で、そのため途上国の劣悪な労働環境下で、悲惨な労働搾取が続いているということも、表からは見えにくいAIの実態を示すという意味で、大変興味深く拝見しました。
現代文明を考える上で、出色のドキュメンタリーだと思いました。

 


2024年4月6日(土)実施 高木仁三郎市民科学基金との共同企画

シリーズ「市民科学の調査の現場から」第1回 高島美登里さん(上関の自然を守る会)

▶10年ほど前でしょうか。北京でドキュメンタリー祭があり、祝島をあつかった纐纈あやさんと話したことがあります。中国人で上関を知っている人もいるということを言っておきたいと思います。

▶1999年から2000年に報道機関の山口支局に勤務し、上関にも何度か足を運びました。環境影響評価をめぐり、希少種の生き物1種で戦えるか気になりましたが、その後、多くの分野の生物学者と市民の広がりになっていったことに、自然を舞台にした貴団体の取り組みがあったからこそと感銘を受けました。

▶上関音頭は傑作だと思います。

▶高木基金との共同企画、初回は大成功だったと思います。というのは、住民と専門家がたがいに学び合う「市民科学の教育効果」の潜在力があきらかになったからであり、それから「地球基金・パタゴニア・ラッシュ」など、助成してくれた団体の具体名もわかったからです。

▶市民科学のひとつの形が見える素晴らしいお話でした。

▶安渓ご夫妻とは、日本生態学会や環境社会学会で面識があります。原発反対と自然環境調査がうまく分担できているのが素晴らしいことだと思います。他に例があるか、知りたいところ。市民が軸となり、研究者が自らフィールドと選んでくれているというのもユニークな市民科学の例と言えるかと思います。こちらも他に例があるかどうか、知りたいです。

▶持続的に、観察会などの参加者は広くありそうで、すばらしい活動だと思いました。会の活動・運営を担うメンバーには、どれくらい新しい人が加わっていくのでしょうか(観察会などの参加だけではない人)? 稀少な自然が特別なものがない所だったら、どうすればよいのだろうか、などとお聞きしながら、考えていました。稀少生物がいなくても貴重な自然だと思う、といううえでの疑問です。

▶昨日、放射能を海だけでなく陸にもばらまくなという話を環境省としたので、上関や辺野古のことを環境省がどう認識しているかが気になりました。11日まで第六次環境基本計画のパブコメをやっていて、「ネイチャーポジティブ」といった言葉が盛んに出てくることもあって。

▶しばらく上関の海を見ていないので、きょうのお話を聞いていたらうずうずしてきました。まだ落ち着くまでしばらく時間が掛かりそうですが頑張ります。

▶偏西風吹き込みと黒潮ゆえだとのご説明がありましたね。調べるという人間の努力が生態学的価値を高める、もともと調べたいものさえあれば。

 

2024年4月4日(木)10:30-  実施
調布市・外環トンネル工事陥没事故エリアで行われている地盤補修工事の現場を巡る見学学習会

<高木基金関係者6名のご参加のうち菅波完さん(高木基金事務局長)及び永田浩三さん(武蔵大学社会学部教授(メディア社会学)、元NHKプロデューサー)がお書きになった、それぞれのFacebookの記事を転載します>

菅波さんのものはこちらから
永田さんのものはこちらから

 

2024年3月17日(日)実施
市民科学入門講座特別編「市川市・大町自然公園観察会3『湧き水がはぐくむ春の生命』」

<7名の参加者のうちのお一人、吉田幸之さんに感想をお書きいただきました>

▶市民科学研究室のイベントに初めて参加させていただきました。
市川市は母の実家があるので、子供の頃は年に2〜3回は訪れる馴染みの場所でしたが、大人になると縁遠くなってしまっていました。
そんな中、懐かしさもあり昔の事を想い出しながら今なお残る貴重な自然を観察できました。
正直言って、ここまで自然が残されている事に驚きました。しかし説明を伺っているうちに、この自然をあるがままに残す為には繊細で大変なご苦労があるのだと言う事も分かりました。
最後に自然博物館の展示を見られたのも良かったです。
ありがとうございました。

 

2024年3月20日(水)実施
テレメンタリー2024「今来てますよ、津波が!」届かなかった絶叫…放送で命は守れるか 大災害発生時もう一つの最前線 アナウンサーたちの葛藤
ヒューマニエンス 「“土” 生命の星の小宇宙」

●テレメンタリー2024 「アナウンサーたちの葛藤 「来てますよ、津波が!」届かなかった絶叫…放送で命は守れるか」

▶これは短いけれど感動的な番組ですね。災害の発生時という極めて危機的な一瞬に、実際に人を避難に向かわせ、その人の命を救う言葉を、アナウンサーとしてどう伝えることができるか―アナウンサーという仕事の重みと、過去の災害時の経験をふまえて、少しでも改善していこうと努力している、そのひたむきさと誠実さに、感銘を受けました。

▶「アナウンサーがどのように情報を発信するか、発話するか、避難を促すか」よりも、地震を感じたら、危険な場所であれば直ちに避難することを事前に承知しておくことの方がより重要かもしれません。その意味では、2022年1月のトンガ沖海底地震発生時、夜中に行政が避難をよびかけたにもかかわらず、4%しか避難しなかったというのは問題の根深さを感じます。

●ヒューマニエンス 「“土” 生命の星の小宇宙」

▶これまた、食や農に関心のある人には必見の素晴らしい番組です。土壌が日本酒の味を決める大きなポイントであるなんて、どれくらいの人が知っているのでしょうか。でも何でそうなるのかは完全には今の科学ではわかっていない。土は大変な複雑系で、その科学的解明は端緒についたばかり。土には1000万から一説には一兆種類の微生物が住んでいるけれど、人間が培養できるのはその1%くらい、とのこと。団粒構造のおかげもあって、それらの微生物が一人勝ちしないように、譲り合いをしているのだという(そうできる微生物たちだけが生き残った)。これまでの農業が「耕しすぎ」であったのでは、という大きな転換に向けての示唆が、土の科学から得られつつあるように思えるのが、非常に興味深いです。

▶ちょっとした森の土には、たくさんの土壌動物がいることはもっと知らせたいと思いました。自然観察では「落ち葉めくり」と言われます。伊豆大島などでわかるように、溶岩が流れたところから2~300年ほどでスダジイの森ができま、これを一次遷移と呼びます。これは溶岩から土が作られるプロセスでもあるわけで、そちらもぜひ取り上げてほしいものです。不耕起栽培は土には良いのかもしれませんが、手間がかかり、収量が少ないのは難しい現実なのかもしれません。草本作物の栽培は大変です。一方、果樹園はほぼ不耕起で、夏場は何度も草を刈って根元に積むことをするようです。

▶今日の2番組、面白かったです。土については、また考えて見たいですし、ぜひ映像化してみたいですね。

▶土はすごい。何億もの生物が共生する複雑な宇宙そのものです。すぐそばにあって何も知らなかった。

▶土の凄さを知ることができたが、それに終わらせることなく、一般の市民が「土」とどうかかわれるかを考えてみたい。広い意味での土の教育、とも言えるが、農業や環境の危機の中で土の科学でわかってきたその凄さや価値をどう生かしていくか、ということだ。

▶どこにでもあるように思える土がこれほど貴重なものだったのかと改めて驚きました.

 

2024年3月6日(水)
第82回TV科学番組を語り合う「フランケンシュタインの誘惑 タスキギー 史上最長の人種差別実験」「ETV特集 膨張と忘却 ~理の人が見た原子力政策~」

●「膨張と忘却~理の人が見た原子力政策~」

▶19兆円を「薄く広く」負担させられないように、利権を持って儲けている奴らの責任を追及して、奴らに返させないといけないと思いました。

▶吉岡斉(1953-2018)が残した吉岡文書(九州大学文書館)。政府が事実や都合の悪い情報を隠して「委員会」を都合よく操縦して、規定の政策を軽視的には学識経験者・専門家の意見を聞いて決めたという経緯が明らかに。裏委員会の存在の証拠の書類を示されて狼狽する近藤氏の姿が撮れてNHKは満足なのだろうが、それで終わってよいとも思えない。

▶原子力の利権構造の堅固さとレトリックの巧みさ、世論を上手く誘導する手綱さばきに市民がしっかり目を凝らす姿勢を持ち続けることの難しさを改めて感じました。

▶吉岡ファイルで明らかになったことを「今でもこうだよな」と思うだけに終わらせることなく、委員会や審議会のあり方を実際に変えていく手立てにしなければならないと思う。重要な政策決定のプロセスをどう民主化できるのか、各分野で、政治家・官僚・有識者のやり取りの姿をみてきたことのある市民が集って、改革のための本格的な議論ができるようにしてみたい。

●「タスキギー 史上最長の人種差別実験」

▶話にでたように、人種差別と(ヒトを対象にした)実験の話は区別すべき。Covid-19の初期流行時にワクチンや新薬の有効性を測るためには、ヒトを対象とした実験が行われ、有効性が認められて初めて、実際の治療や予防に使用される。こういったことも義務教育で学んでおくべき知識だと思う。

▶タスキギー研究がひょっとしたら形を変えて、意識化しにくい差別と、科学の論理からの要求とに応じて、なされていることはないか、と問わねばならないのだろうと思う。

●両方の番組について

▶「TV科学番組を語り合う」で2つの番組を1回で取り上げることはあまりなく、偶々近日に取り上げたい番組があったからなのか、他に意図があったかは、聞いていない。タスキギー実験が歴史上の事件である一方、吉岡さんは科学技術現在史の歴史家である。吉岡さんは原子力委員会などの審議会に当事者として参加しつつ、記録を残した。看護師リバースは、人体実験を進める中心メンバーでありながら、被験者のためにも働き信頼された。科学研究でも歴史研究でも外側から観察する研究者自身もまたさらに外側から見れば歴史や現実に参画する当事者である。何が正しく、何をすべきかもまた、科学研究や歴史研究で見い出されもする事実から始めるしかない。

 

2024年2月21日(水)
第81回TV科学番組を語り合う 「欧州最大級!新型原発が本格稼働 北の地で見た「原子力」利用の今」

▶自分が食べているもの、着ているもの、使っているエネルギー・資源、歩いている道路etc.様々な問題を自分ごととして考えることはなかなか難しいことに改めて気づきます。一つずつ、少しずつでも気づいて、自分にできることを実行し、自治体や政府の取り組みに働きかけることを進めていきたいと思います。便利さを自主的に捨てていくことも必要でしょう。

▶議論が必要というのは、自分と異なる意見を聞いたり自分の選択の問題点や弊害への対処を知り考えるためだと思いました。

▶ヨーロッパ諸国も決して1枚岩ではないと知ったことは大きな学びではありました。

▶日本とフィンランドと何が違うのか、ずっと考えていました。まず地震があるかないか、地層の強さという自然条件。それから人口552万人という少なさ。核のゴミに関して、10万年後の人へ危険を知らせるための対話をしようとする長期的な見方、考え方。それが原発に対する態度の違いとなっているのでしょうか。

▶ヨーロッパの各国、そしてEUなどのエネルギー政策がどのように決められているのか、例えば原発政策はどれくらい時間をかけて、どんな合意形成に向けたステップをふんで、作られているのか。そのあたりのことを、私たちはもっと学んで日本の政策の作られ方に対して問題提起していかねばならないだろう。エネルギー問題に関して、市民がどう当事者として政策形成に関われるか、その自覚を高めるためにこそ、ヨーロッパ各国の市民と実際に日常的にやりとりできるような場を設けていけたらと思う。


2024年2月7日(水)

第80回TV科学番組を語り合う 「フランケンシュタインの誘惑 鎮痛剤 オピオイド・クライシス」

▶オピオイドとは直接関係ないかもしれませんが、一番基本にあるのは、薬とどう向かい合うのかというところを、一人一人がもう一度考えてみることだと思いました。広告はもちろん、時には医者の言うことさえ疑ってみることが必要なのかもしれません。

▶オピオイドクライシスの問題、私達が思っている以上に米国では深刻で、「逆アヘン戦争」の様相も加味されて、国際的な危機にもなりかねない感じです。米国の、政治家、行政官僚のトップ、そして巨大起業のトップらが癒着して様々な問題が引き起こされている事例は、特に科学技術がからむ領域では、どうもひっきりなし、という感じもします。一方で、巨大な訴訟や賠償、そしてこのオピオイド問題でも映画やテレビドラマを作ってまで国民全体にアピールしようとする熱意……やはりなかなか日本では想像しにくい側面もあり、そのあたりも興味深いです。

▶再放送の時間を見間違えて見られなかったのが見られ、介護があって30分遅れでも参加でき、薬や米国の状況について有益な情報やみなさんのお考えを聞くことができて幸運でした。自分の飲んでいる薬や病院での診療や人の身体についてもっと知って考えたいものだと思いました。

▶オキシコンチンについては、FDAによる認可時の不正がとても罪深い。日本でも、転売目的の処方箋入手の話を時々は聞くので、注意が必要である。市販薬を含めた薬の飲み方、医者との付き合い方などは、学校ではほとんど学ばないが、義務教育の中でしっかり身につけておくべき事項もあるように思う。高校以上でも、その年齢に応じた危険回避も学ぶ必要があるだろう。
国内でも、中学校から「薬物教育」が行われているようだが、麻薬や覚醒剤ばかりではなく、一般の市販薬や処方薬との付き合い方をしっかり学ぶことは生きていく上で重要だと思う。

▶疑問だったのが、裁判後の展開でした。司法取引後にアメリカ合衆国全土に他の製薬会社も入って被害が拡大というのがちょっと理解しがたい点でした。


2024年1月31日(水)
市民研代表・上田によるインタビューシリーズ第1回 むらき数子さん(第58回市民科学入門講座)

▶30年以上の知り合いではありますが、初めて伺う内容もあり、興味深かったです。聞き取りは録音せず、メモのみで対応し、1週間以内に文字にする等。古々路の会の調査では、初対面でかつ今後も会うことはまずないだろう、正に一期一会の出会いに限定されていることに驚きました。
上田さんたちの活動は今回初めて知りました。HPが充実していて驚きました。今後もご活躍を期待しています。

▶産婆/助産師さんの話が中心かと思っていましたが、はるかに幅広い市民運動の話も伺えてよかったです。
地に足がついた研究というのはこういうものだと思いました。
知り合いの博物館学芸員も古々路の会で寄稿しておられたので驚きました。今度、話を聞いてみます。

▶むらきさん、市民科学研究室の皆さん、とっても勉強になるイベントとお話しをありがとうございました! 感想は、私のつたない日本語で失礼します。
今回のお話を聞きながら、日本では、(自分の母国のアメリカでもそうなんですが)、産むか産まないかという、本当に大切でパーソナルな選択であるべきところに、国が介入しようとする歴史は、昔から始まって、今も継続しているということを実感しました。「むらき数子 情報ファイル」についてのご説明から、参加できなくても、集会の情報を知ることだけで、人々の孤立感が少しでもなくなるという話に、共感し感動しました。そして、「聞き取り」の方法では、自分の知りたいことではなくて相手が話したいことを中心にすること、そして他の人たちへの思いやりと配慮を中心とする勉強のあり方、調査のあり方が大切なのだと、感じさせられました。

▶たとえば「国際NGO/NPO学会」の雑誌において、最近では「統計的な」研究がへって、「構成的インタビュー」を用いた「質的研究」の論文がふえて読みやすくなったのだけど、それなのになんだか「当たりさわりのない」話が多くておもしろくない気もするなあ…と思ったのですけど、なんとなく理由がわかったような気がしました。

▶お産ということだけをとっても、『国策』はこうもコロコロかわるものなのかと改めて驚きました。私も昭和27年生まれなのでおやは戦争経験者でしたが、その頃のことをもっと聞いておきたかったと、 今になって思いました。

▶民俗学で産婆さんがどう思っていたのかについてあまり取り上げられていなかったこと、戦前戦時戦後の産婆さんの思い、とても関心を持ちました。グループで調査に入るのがいい面があると思うのですが、産婆さんにどのようなルートでつながるのか、聞きたいと思いました。


2024年1月25日(木)実施

連続講座「サイエンスライターP.B.の作品世界を逍遥する」第7回「複雑性と組織化について」

▶フィリップ・ボール(PB)が書いている領域の広さにはいつも驚かされる。PBが羨ましい。
一方で、PBの本が成り立つのは英語圏の作家で、読者の絶対量が多いからかもしれないと思う。日本語で本を書いても、読者が少なくて成り立ちそうにない(翻訳も少ない)のは、致し方ないことなのだろうか。
ミクロとマクロを結ぶ? 統計力学の考えは非常に興味深かった。

▶複雑系、自己組織化現象はものの見方、見え方にかかわる話。確かに面白いが、それを突き詰めていって、どんな世界が見えるようになるのかがはっきりしない。

▶部分と全体というのをいろいろな側面で観察し思考し続けることが出来るこの人の才に改めて驚きました。

▶ビデオで出てきたのがほとんど生物なのに「統計生物学」ではなく、「統計物理学」なのは何だろうと思いました。ボールも「統計物理学」の研究をしていた? 対象が生物なのに。「生物統計学」があるならますます「統計生物学」でいいような。もともと生物学ではなく物理学の人がやっているのかな。統計物理学は統計力学の別名でもあるようで、こちらの方が紛らわしい。でも今日出てきたのは上田さんの解説のように発端は統計力学でも、やっぱり統計生物学のような。

 

2024年1月24日(水)実施
第79回TV科学番組を語り合う NHKスペシャル「まちづくりの未来~人口減少時代の再開発は~」

▶高層化で増えるフロアを販売することと、補助金を原資とする「高層化再開発」は50年前の高度経済成長時代に開発された方法で、社会・経済情勢が大きく変わりつつある今でもそれが通用している、ことにとても驚く。国は特区の設定や補助金でそのような再開発を進めてきており、責任は大きい。
Covid-19流行以来、資材価格の高騰で事業費が膨れ上がり、高層化による再開発が可能な地域・箇所は限られるはずなのに、見直しは進んでいないようだ。129の計画の半数以上で追加の補助金の要請があったり事態は危機的。計画変更が求められるがなかなか難しい。
わたしは「時間軸」がポイントだと思う。社会・経済情勢が目まぐるしく変わる現在、的確に予想することは困難かもしれないが、たとえば30年後、60年後、というように区切って将来像を考えて、そこからバックキャストしてまちづくりを考えるようなやり方はできないだろうか。
番組中、福岡市の市長が「天神ビックバン」計画について、旧耐震のビルが多いので国家戦略特区の指定を受けて高さ制限を緩和することで100棟のビルを建てる、というのは一定の説得性を持っていると感じた。

▶再開発するためには、補助金をもらって、高層化して床面積を増やすことで建設費を補うしかないというのは、高度経済成長時代から変わってない、古いやり方であるというのは、よくわかります。しかし、それ以外に具体的にどうすればいいのでしょうか。
もしも小さな土地と古い家(マンションの部屋でも)を所有していて、老朽化して立て直さなければならないとしたら、収入も増えないし、どうすればいいのでしょうか。思い悩んでしまいます。そう思っている人は多いのでは? 都市計画とかコミュニティとかの前の段階のようです。

▶まちづくりがそれなりにうまく進んでいる事例を詳しく知りたい。現在再開発している地域の将来図(人口や経済活性の度合いや人の流動性など)が本当に正しい見通しとなっているのか、国家戦略特区の補助金を受けている地域も含めて、全部をつないで計算すると、きっと過大な見積もりになっていることが明らかになるのではないだろうか。各地の住民がその事実を知ったうえで、軌道修正するための話し合いの場を、それぞれの地域で開いていかねばならないのでは、という気がする。

▶いつまで経っても「昔、かろうじてあったかもしれない夢物語を追っている人がいて、多くの再開発事業がそうしたストーリーに沿って過大な予測と、超楽観的な期待の上に乗って展開していることに驚きます。
また、こうした事業の主体はディベロッパーや大手ゼネコンであることが多く、一般の市民の目の届かない所で、知らないうちに、いつの間にか決まってしまっていることが殆どです。
生活者である市民の目・声が反映されず、地域の特性が顧みられず、各地でコピペのように見える同じような再開発事業が展開していることは残念です。現在は市民の声は「反対」の意思表明でしか届かないと思いますが、これが、「市民の一人一人が再開発事業の大切な構成員なのだ」という視点に変わることを望みたいところですが、現状ではその糸口さえ見当たらないのが淋しいと感じました。
逆に言えば、私たち一般の市民の側も、個性もあり、責任ある自立した市民であろうとするよりも、コピペでも良いからより便利で快適な生活を求めてしまってはいないかとも思いました。

▶中国の土地はすべて国有地で、使用権は70年間と留学生から教わりました。これよりは日本の制度の方がコミュニティを維持できそうに思っていますが、70年経った事例があるのかきいてみたいと思います。比較都市計画論のようなことを、中国、韓国、日本でできそうなので、来年度は生田で院生たちと考えてみます。
【追記】
日本では行政の職員は不正防止のため、原則的に3年で異動します。私の13年間の都庁勤務では、1年間が2回、3年間が1回、4年間が2回でしたが、4年目はがんばって残留活動をした結果でした。
登戸土地区画整理事業は、1975年 登戸地区都市整備懇談会発足、1986年 登戸区画整理事務所開設、1988年 都市計画決定・事業計画決定、とホームページに書かれていますから、50年弱、3年単位で考えると15回人事異動があったという計算になります。陸上競技のリレーや駅伝と比べても、引き継ぎの回数がやたら多くて、初期の担当者はとても竣工時や将来のまちづくりを考えることができなかっただろうと同情したくなります。一方、中国では異動はなく、賄賂が横行しているといううわさです。千代田区でも汚職のニュースがありましたから、日本の異動システムでも完全に汚職を防ぐことはできません。また、イギリスでも基本的に同じ職階のままのようであり、在外研究に行く前に、イギリスはコネの社会だからと教えられました。弊害はあるにせよ、一生同じ仕事をするのなら、さまざまな目標(企み)を持ち続けて仕事ができるだろうと思います。
ただし、イギリスでは企業の方が役所よりもいい職場とされているそうです。確かに、エコロジーセンターの職員は責任のある仕事を避けていましたし、協働しているトラストに頼りきりのようにみえました。
私たちは「職員には異動があるけれども、市民には異動がない」を合い言葉にして生田で30年近くやってきました。しかし、行政だけが持っていて公表されない情報がかなりあって、市民が完璧に職員や指定管理者を使いこなすのには限界があることも明らかになってきました。里山ボランティアについて感じるのは、異動がなくても、一人の市民が活動を続けられるのは30年間程度だということです。多摩川を本来の環境に戻すのに必要な時間は1万年といわれています。300世代あまりの市民が保全のためのリレーを続けられるのか、自信はないけれども、私たちは市民に働きかけ続けています。いまや、行政は防災一色ですから。


2024年1月10日(水)実施

第78回TV科学番組を語り合う NHKスペシャル「最新報告 能登半島地震 〜命の危機いまも〜」

▶日頃の緊張感と今、日本人になくなっている危機意識、野生感覚を持って生きていきましょう! 3.11は、津波が主だと思いますが、今回は建物内圧死が多い。原因は古い住宅が多く、瓦屋根もあったと思います。

▶各都道府県で、1.5次ないし2次避難場所として何世帯を受け入れられるか、常に想定しておくようなことが必要だと思います。 確率はある程度低くても起きる時には起きた地震・災害と考えると、確率とリスクをどう考えるか、大きな教訓を与えているように思います。 復旧・復興の見通しを決定するのは、最終的には国と自治体が行うことだと思います。数年ないし10年単位で考える必要があります。 そもそも、まちづくりも何年先を考えているのか、考えるべきか、改めて考え直しています。

▶地震科学者の意見がどこまで信じられるのかかも疑問点として残ります。

▶映像と現場のギャップが気になりました。いずれ東京にも来るとわかっていながら、なかなか何もできないでいます。

▶首都圏の直下型地震、あるいは南海トラフの大地震が起きた場合に、道路の寸断など、今回と同様に輸送網が閉ざされたときに備え、どういう対策をしているのか。これまで考えてきた防災対策以上の準備が必要であると、気づかされました。 今回の地震に対してどういう想定をしていて、何ができて、何ができなかったかをきちんと検証することが、今後につながっていくと思います。

▶とにかくまずは孤立している人々、住む場所を失った人々を助けるために、国と自治体が全力で対応にあたっていただきたい。その後、ボランティアを含めて現地で支援にあたる人(瓦礫の撤去や清掃や片付けだけも本当に高齢者だけでは大変だと思う)、そしてしばらくの間移住せざるを得ない人々を受け入れて助ける人……など多面的な支援ができるようになっていければと思う。ただ、全面的復旧には非常に長い時間がかかり、コミュニティの存続が難しくなるという事態が起こりそうで、それが本当に気がかりだ。日本各地の防災対策もそうしたことまで視野に入れて、組み直していかなければならないことを、今回の地震災害は突きつけているように思える。

 

2023年12月28日(木)実施
連続講座「科学を変える」第7回「ナイチンゲールの衝撃―感染制御と社会改革」
講師:上田昌文さん

▶ナイチンゲールは超優秀な官僚だった。いろいろな資源を利用し、着実に社会課題を解決していった。さらには偉大な管理者だった。ナイチンゲールに学ぶマネジメント」というビジネス書が、書かれるとすれば、読みたくなりました。

ナイチンゲールの多面的・革新的な役割を一部ですがわかったように思います。ライラックの開花予測の話題はいわゆる「積算温度」で、日平均気温<(日最高気温+日最低気温)/2>の積算が一般的かと思いますが、温度の自乗ということが気になりました。

ナイチンゲールがすごい人だった、と知りました。またすごい人を紹介していただく講座を楽しみにしています。

▶ナイチンゲール=白衣の天使 という思い込みが吹き飛んだ痛快な講義でした。ありがとうございました。
大変なセレブの家で育ちながら、こういう活動に身を捧げる人もいるのですね。仏陀も同じかもしれませんが、こうした稀有な人の誕生によって時代は切り開かれていくのだなと改めて思いました。
また、同じ両親から生まれ、同じ環境で育っても、彼女だけがこうした活動に身を投じたということに、遺伝や科学だけでは説明の付かない、人生の不思議を感じました。
この方の実際の看護経験は2年くらいしかなく、後半生の40数年はベットの上での執筆や提言活動が主だったそうですが、それにもかかわらず彼女の視点が「机上の(ベッド上の?)空論」にならなかったというのは驚くべきことだと思いました。
病院の建築計画にも関わったり、貧しい人々に必要なのは「施し」ではなく、エンパワーメントなのだという視点を持っていらしたということにも大変驚きました。

 

2023年12月18日(月)実施
第57回 市民科学入門講座/アーカイブ研究会公開学習会
シリーズ「アーカイブの思想」第1回「学校の図書館とは」
講師:根本彰さん

▶大学図書館と小中学校図書館との違いやつながりが気になりました。

▶思い出したことに、山梨県の塩山市(過日市民研でエコツアーで訪れた市)には、文化財の古民家の中に、山梨県甲州市立の図書館の分館が入って活動をしています。図書貸し出しだけでなく、地元の絵本作家の方の原画展をやったり、忍者をテーマにした時は、忍者に関係した本を集め、さらに、忍者訓練ができるスペースをとったり、交流プログラムを作られていました。これらに、中高生が企画から運営までお手伝いに入ったりするのもよいなあと感じました。

▶本日は学校図書館の歴史、つくばの図書館情報大学の歴史などを、根本先生からうかがうことができて、知らなかったところを知ることもできましたし、頭の中を整理することもできました。そして、参加者の方から、「チコちゃん」のことや市民科学研究室のアーカイブのことなどもお聞きできて、いろいろ発想も広がりました。それと、学校図書館のことで、今は、情報リテラシーなどの場でもありますが、課題を抱えた生徒、児童の息抜きの場、安息の場所になっていることも重要だと思います。ITについては、スタディサプリなどの業者が入って、必ずしもいいんだか悪いんだかわからないところもあるように思います。また、ジョン・デューイの本、まだ読んでいないので、読みたいと思います。

▶視聴覚資料と学校図書館の関係が、とても興味深かったです。アメリカで科学映画のアイカム社の映画が売れた理由がわかりました。日本での視聴覚資料の可能性を考えてみたいと思います。

▶「地域文化・教育活動の重要性」に、あらためて目を見開かされました。ジョン・デューイや金八先生(チコちゃんも?)といったヒーローにも出会えてうれしかったです。

▶「学校の学びに関して、図書館と博物館も一緒に連携できるとよいと思うのですが、博学連携もなかなか浸透しない中、横の連携がまず少ないので、まだ試したことがありません。学校と図書館と博物館の連携に関して、何かお考えはありますか?」に対して、図書館が地域社会の資料を持っている意識はあっても、利用者は仮に来る人という意識のためまだまだ引き出せていない点、その点で博物館での蓄積と、現在内外の博物館が取り組んでいる「死蔵」されている収蔵品の活用の流れの中で、一緒にやれることをやっていかれたらというヒントを頂けました。

▶学校、博物館、図書館それぞれの制度と政策と為政者の意思が複雑に絡み合っていて、一筋縄ではいかず、やや途方にくれる思いがあります。博物館だけでも十分に複雑ですが、図書館・学校図書館も複雑。各地のよさそうな事例を集めてシェアすることは間違い無く有意義でしょうが、それで制度の改良につながるとも思えません。本日は言及が多くありませんでしたが、職員雇用の問題はきわめて重大だと思います。広義の教育に十分な人と予算をつけるようにならないと先は暗いと思います。

▶根本先生に教えていただいた学校司書さんらを含めた研究会や交流の場に出かけて行って、市民研の方から「探究的な学習として◯◯のようなことを支援することがができる」と示してみたいと思いました。これまでの市民研に関わってくれた様々な専門知をお持ちの方々がそうした連携の輪に加わってくれるとすれば、その意義はとても大きように感じています。