生命科学の爆発的な進展によって、人の誕生から死にいたる一連のプロセスの中で、生殖、生と死の境界、老いや病の概念などを大きく変えてしまう可能性を持つ、さまざまな技術が生まれるようになりました。出生前診断、体外受精、卵子提供、代理出産、臓器移植、サイボーグ技術や脳科学を応用した心身の機能の増強(エンハンスメント)……私たちが漠然と共通の認識にしていたこれまでの生命観(命のとらえ方)が揺らぎ始めています。この趨勢の中で、何よりも心がけなければならないのは、「技術にふりまわされる社会」ではなくて「技術を皆で議論し適正に選んでいく社会」にするためには何が必要かを、個別の問題を扱いながらも考え抜いていくことです。この研究会では、「生命を創る」ことを目指した領域(合成生物学)を中心に据えて、不妊治療・生殖補助医療およびエンハンスメント技術などにも目配りしながら、これらをめぐる市民や専門家のさまざまな声や意見を収集して整理し、議論の機会を設けます。問題点を明確にして、どのような対応策が有効なのかを提起していきます。
原則として、毎月第4回曜日の午前10時から正午まで、オンラインで実施しています。
参加を希望される方はこちらのフォームからご連絡ください。
<項目>
・「アシロマ会議から50年」(2025-06-09)
・異種間移植の現状と展望(2025-03-31)
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●「アシロマ会議」から50年
アメリカ科学振興協会(AAAS)の雑誌『サイエンス』のホームページに2025年3月5日のニュースとして、「「アシロマ会議」から50年後、科学者たちはバイオテクノロジーの現代の脅威について議論するために再び集まった」(原題:Fifty years after ‘Asilomar,’ scientists meet again to debate biotech’s modern-day threats)が出ていたので紹介する。
「アシロマ」はカリフォルニア州にある会議場の名称で、1975年に約140人の生物学者が集まって会議を開いた。今回は2月23日から26日にかけて、世界中から約300名のより幅広い参加者があった。「アシロマの精神とバイオテクノロジーの未来」という名称で、科学史研究所の生物工学者と科学史家が主催している。
記事は、会議冒頭に近くのビーチでの50年前の「アシロマ会議」を葬る儀式から始まっている。なぜ葬らなければならないのか。どんな精神をどのように受け継ごうとしているのか。
50年前の会議は「組み換えDNAに関するアシロマ会議」という名称である。主催者の一人がやっていたがんが生じるDNAを大腸菌に組み込む実験をどうするかという具体的な問題から始まった。前年に米国科学アカデミーが組み換えDNAの実験を中止して国際会議を持つべきだとしている。会議では、現在バイオセーフティレベルと呼ばれる実験室への封じ込め措置を求める声明が発表された。各国の法令に取り入れられて、組み換えDNA実験による様々な成果の礎となった。科学の研究を通じて新しい技術がもたらす危害の可能性を軽減するために、一部とはいえ科学者による自主的な統治の試みとして「アシロマ会議」は必ずと言っていいほど想起されるようになっている。
今回の会議では声明の発表はなく、最先端の研究ツールが持つ危険性について、いくつかのワーキンググループに分かれての議論があった。
合意されたのは、
・生物学を兵器として利用してはならない。(※1)
(※1)今年は生物兵器禁止条約から50年でもある。
参照:市民科学研究室「いま「生物兵器」はどうなっているか 生物兵器禁止条約発効から50年」
・ミラーライフ(※2)は、動物の免疫防御をすり抜け、植物や生態系全体を破壊する侵略的生物を生み出す可能性がある。
(※2)天然の右巻きDNAおよび左巻きアミノ酸とは逆の配列を持つ細菌
意見が分かれたのは、
・AIの絶大な可能性と危険性。あるいはいずれもそれほどではないとする見方。
・ヒトの人工染色体は、大きな遺伝子を体内へ輸送し、治療や組織の改変に役立つ一方、危険な免疫反応や変異を起こす可能性がある。さらに、コストや時間が大きくなるかもしれない。
議論されなかったことに驚きや失望があったのは、
・ゲノム編集で遺伝性の変化を起こす技術。3人の赤ちゃん誕生で中国の研究者が投獄されたり、前回の「アシロマ会議」でも組み換えDNAによりヒトを改変する考えが出てきたりしているにもかかわらず。
・病原体の毒性や感染性を高めることによる元の株を防ぐ方法の研究。十分安全でない実験施設で危険なコウモリコロナウイルスを培養していた中国の研究にも関わる。
会議では中国のみならず、欧米以外からの参加者や発言がどれだけあったのだろう。
今後、各ワーキンググループが声明を発表するにしても、トランプ政権による科学研究費の大幅削減を踏まえ、「リスクの議論では慎重にバランスを取り、技術の可能性を強調するべきだ」と、バイデン前政権におけるパンデミック対策・政策局長の発言があった。
共同主催者が会議終盤で述べているように、現在の変化は50年前よりも速く「私たちに残された時間はあまりない」。
(2025年6月9日、瀬川嘉之)
●異種間臓器移植の現状と展望
心臓や腎臓などの臓器が重篤な状態におちいった時には、臓器移植という治療方法がある。ヒト間の臓器移植が簡単にできればよいのではあるが、日本でも同種臓器移植は、諸外国に比べて進んでいない。同種移植に用いられる脳死社からの移植は、日本では法律が制定されているものの、移植できる臓器が絶対的に不足しているのが現状である。そのために近年、ゲノム医学の進歩に伴い、異種間臓器移植に期待が集まっている。この方法は、体外培養したブタの細胞を最新の「ゲノム編集」によって遺伝子改変を行い、核を除去した受精卵に導入する。これを更に代理母ブタの子宮に移植し、子ブタを出産させる。その後、ゲノム編集された必要な臓器を取り出し、患者に移植するという手術が試験的ではあるものの開始されつつある(※1)。
※1:異種間移植の手法については以下の記事の図を参照のこと。
「異種臓器移植は実現するのか 小林 孝彰氏に聞く」(2023.11.06 週刊医学界新聞 第3540号より)
ブタの臓器の大きさはヒトのそれらに類似しており、血清的・組織学的にも類似点が多いので、他の動物よりもヒトへの移植に適していると考えられている。アメリカでこれまで移植を受けた患者のほとんどは、ブタのウィルス感染や心臓疾患などによって成功しなかったものと考えられている。昨年末に一人の女性患者がこの種の最新の腎臓移植を受け、現在まで生存を続けているということである(※)。
※2:2025年4月11日にこの女性、Towana Looneyさんが亡くなったとの報道がなされた。
Pig kidney transplant fails after patient rejection
異種間臓器移植には、まず免疫学的な問題を解決する必要があり、1990年代に免疫抑制剤を用いた手法によって、移植が行われている。しかし、最終的には免疫不適合となって、失敗に終わっている。そこでヒトと免疫的に近縁の霊長類による異異種移植が試みられたが、それらはウィルス感染などが原因で、成功例は得られなかった。
日本でも明治大学が、海外の研究所と携帯して、企業を樹立し、臓器移植のための「ゲノム編集ブタ」が数匹誕生しているとのことである。この技術の背景には、長年ブタの繁殖生理を研究してきた長嶋教授の貢献が大きいものと考えられる。
以上のような状況で、ゲノムノム編集技術を利用して、ブタによる異種間移植が試みられている。アメリカでも移植希望者は殺到しており、患者の病状に応じて、優先順が決められ、異種移植が開始されつつある。しかし、この動きの背景には医師・研究者などの功名心からの動機があることも完全には否定できないといえよう。日本でも脳死に関する法律や臓器移植に関す研究を推進する審議会などが続々と設立されており、一見して、厚生労働省は異種間臓器移植に前向きであるように見受けられる。
日本における異種間臓器移植をどのように考えればよいのだろうか。平均寿命の延長とともに、種々の臓器が低下する悪性の疾患が増えており、日本では脳死移植による同種移植が期待できないの、ブタによる異種間臓器移植は前向きに検討してもよいかと思っている。
一方で、日本を中心として、ヒトiPS細胞を活用して、卵子と精子を体外で作成する研究が進み、それらが受精できるような段階にまで進歩している。それらを受精させて、次世代のヒトを作成する手前の段階まで研究が進んでいるのが日本の研究の現状である。現在の日本は少子化状態であり、政府もこの種の研究を推進しているように感じられる。しかし、安易な「少子化対策」には、将来世代にわたるその安全性などが研究的にも保障されることが必須である。生殖細胞の生体外での作成に関する研究に関しては、生命倫理の観点からも、研究者の自制および法律による制約を早急に整備することが必要であるものと考えている。
(2025年3月31日、澁谷徹)