東京から地方へ、そして地方から東京へ

投稿者: | 2015年10月5日

東京から地方へ、そして地方から東京へ
山下洵子
(市民研会員、一般社団法人農・食・医同源研究センター事務局)

PDFファイルはこちらから→csijnewsletter_032_yamashita_20151004.pdf

「もうじき定年ね。これまでいっぱい働いてきたのだから、これからは暇が一杯あっていいよね」

周りでちょこちょこそんな会話が聞かれるようになった数年前、定年後をどう過ごすかを考えるようになった。定年後を趣味や旅行などでゆったり過ごす人もいれば、現役時代と変わらず動き回っている人もいる。私はといえば、「生涯現役社会づくり学会(2015年閉会)」の会員であったぐらいだから、当然、後者。
取りあえず、定年1年前の2009年4月から、職場の仲間と「農・食・医同源研究会」という任意団体をつくり、月1回、市民を対象に公開講座を開くことにした。ネーミングに、「医食同源」という言葉があるが、「医」が先ではなく、「食」が先、その前に農業・漁業・林業など第一次産業とそれを囲む環境があるという気持ちを込めた。

講座の講師は、東京から広島へ異動して10年、その間いろいろな形でご縁をいただいた様々な分野の方にお願いした。講師料は、直前の打合せを兼ね朝食を同伴する形で朝食代と交通費をお支払することで了承してもらった。会場は、大学生にも受講の価値があると説明し、当時勤務していた大学の一室を無料で借りた。しかし、大学とは独立した活動であるから大学からのそれ以外の援助はなかったし、会費も講座参加費も無しとしたので、手弁当で諸経費も自分で負担した。

講座の初回は、80代の元看護師による剣舞で、続いてご自身の第二次世界大戦時に海軍兵士を看護した回顧談であった。2回以降は、地元の牡蠣養殖業の若者による牡蠣業の実情と地元での位置付け、地元の蜜柑農園主による1本の木に成る一つひとつの蜜柑の個性、家族にも語ってこなかった海軍兵士を看護した元看護士の語り、自称百姓による「百姓は蔑視用語ではない」という気概・・・など、多様な内容が1年間計12回披露された。

どの講師も「講義するのは人生で初めて」ということであったが、見事であった。「この機会に、初めてパワーポイントを勉強した」「しばらく会っていなかった30キロ先に住む姪っ子が、親と一緒に聞きに来てくれた」「あがって頭が真っ白になって何をしゃべっているか分からなくなった」と言う本人の回顧とは別に、会場では権威ある専門家とは違うぼくとつな話しぶりが大うけした、苦労話を語っているうち涙声になり会場にいる者まで「もらい泣きした」「非日常の世界と出合えて、期待していたより楽しかった」「講義の後、講師と参加者との交流ができたのがよかった」など、終わってから寄せられた感想に私達も毎回「やってよかった」と思った。
【続きは上記PDFでお読み下さい】

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA