放射線被曝に関わる問題は、
低線量被曝研究会では、この数年間は、
低線量被曝研究会は、2003年に発足し、
研究会は原則、毎月の第3回曜日の19時から21時にオンラインで実施しています。
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<項目>
・「安定ヨウ素剤投与指示」の失敗(2025-07-24)
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●「安定ヨウ素剤投与指示」の失敗
雑誌『世界』2025年6月号(岩波書店)で連載「原発事故 検証の空白」が始まり、その第1回は吉田千亜さんの「『安定ヨウ素剤投与指示』はどこで止まったのか?」でした。おおいに参考になる記事だと思い、低線量被曝研究会の5月の定例研究会で、この記事を紹介し、議論しました。
(★ 吉田千亜「原発事故 検証の空白 第1回 『安定ヨウ素剤投与指示』はどこで止まったのか?」、『世界』第994号(2025年6月)、138-147頁)
というのも、低線量被曝研究会では、放射線防護のあり方を市民的観点から見直していく取り組みを続けており、その一環として、昨年(2024年)の夏から継続して、安定ヨウ素剤の配布・服用に関する問題群を調査・検討しているところだったので、私たちにとっても、ちょうどタイミングよく、よい記事が出たので、取り上げたわけです。安定ヨウ素剤というのは、原発事故等で発生した放射性ヨウ素の被ばく影響を低減させるために、適切なタイミングで速やかに服用することが必要であるとされるものですが、東電福島原発事故の際には、ほとんどの所で投与指示・服用がなされなかったのです(例外的に、双葉町や三春町では町独自の判断で配布・投与指示がなされた)。
吉田千亜さんの記事では、2011年3月16日10時35分に国の原子力災害対策現地本部長から福島県知事と県内12市町村長宛に発出された「避難地域(約20km以内)からの避難時における安定ヨウ素剤投与の指示」に注目している。実際には、ほとんどの人たちが安定ヨウ素剤の服用はできなかったのだが、「投与の指示」は出ていたのだ。その指示がなぜ伝わらず、実行に至らなかったのかを取材、検証している。ちなみに、この投与指示のことは、今回の記事ではじめて明らかになったわけではなく、政府事故調報告書や国会事故調報告書においても言及されている。しかし、それらの報告書では、住民の避難が完了しており対象者がいないという理由で福島県は投与指示を出さなかったとされていて(実際には、20km圏内にもまだ住民は残っていたので、間違っている)、再検証が必要だったのである。
著者の吉田千亜さんは、元県庁職員へのヒアリングなどの取材を重ね、なぜ投与指示に至らなかったのかの経緯を探っている。しかし、事故時のキーパーソンと考えられる内堀副知事(当時。現在の知事)らのヒアリング記録が未公開であることなど、さらに多くの情報が開示され、検証する必要があるという課題が示された。(記事内容の詳細については、ぜひ『世界』掲載の記事全文を参照していただきたい)
現在の原子力災害対策指針やマニュアルでは、安定ヨウ素剤の服用が必要なタイミングについては、国(原子力規制委員会)が必要性を判断し、その判断に基づき、原子力災害対策本部または地方公共団体が住民に指示を出す、とされているが、その判断の基準や根拠は明確になっているとは言い難い。国からの指示が出されたとしても、福島原発事故時のように、指示が伝わっていかないおそれもある。地方自治体等が独自に判断することも可能なのだが、「適切なタイミング」をどのような根拠や基準で判断するのかが明確でないと、「独自に」判断するのは難しいだろう。
このような諸課題について、低線量被曝研究会では、現在、検討を重ねている。さらに検討を進めて、市民科学の観点からの提言をまとめ、提示していきたい。
(付記:なお、ちょうど直近の、2025年7月18日までパブリックコメントを受け付けていた、原子力災害対策指針の改正案では、避難よりも屋内退避を徹底させる案となっており、重大事故等の際にも対策が奏功し、屋内退避をすれば、安定ヨウ素剤の服用が必要と判断される可能性は低いとする前提となっている。対策指針にはこのような大きな問題もあることを付記しておく)
(2025年7月24日、柿原泰)