欧州STS大学院サマースクール参加記

投稿者: | 1999年1月10日

平川秀幸

8月17日から21日まで,オランダのエンシュヘデにあるトウェンテ大学で開かれた欧州STS(科学技術論)大学院サマースクールに参加した。真夏というのにオランダの気候は日本の初秋を思わせるほどで,夜は若干寒いくらいだった。とはいえ夏時間で夜は9時になっても明るい。到着した夕方,ホテルでうとうと眠ってしまい,目覚めたらもう9時。「いかん,朝まで眠ってしまった」と思ったらまだこれから夜の帳が下りるところだったのには,夏のヨーロッパ初体験の筆者には驚きだった。
さてサマースクールには,オランダ国内を中心に,ドイツ,スイス,スペインなど欧州各国の他,カナダ,アメリカ,そして日本(筆者)からの大学院生26名が参加した。このプログラムは,1986年より,オランダの「科学・技術と現代文化」という大学院カリキュラムの一環として開かれ,オランダ国内を中心に欧米のSTS専攻の大学院生を集めてきた。今年度は「科学,政治,法」という総合テーマのもと,米国コーネル大学のシーラ・ジャザノフ教授(Sheila Jasanoff)を主講師として迎え,彼女の専門領域である科学と法,リスクと公共政策をめぐる諸問題を中心に5日間朝9時より夜9時(といってもまだ明るい)まで濃密なワークショップが開かれた。各日のトピックスは下記の通り。

17-18日 司法の場における科学とSTS
19日 リスクと規制: リスク社会,公共政策,規制科学(regulatory science)
20日 国際政治経済と地球環境科学の発展
21日 国際関係,規制,科学専門知識

これらトピックはどれも科学・技術が,司法,政治,産業,日常生活など社会のさまざまな場で果たす役割や影響と,社会の側が科学・技術に及ぼす影響など,科学・技術と社会の双方向の関わりを分析・評価するとともに,その研究成果を積極的に社会に役立てていこうとするSTSの「公的役割」に関する課題と展望をさぐることを意図したものだった。

1, 2日目は,法廷で用いられるDNA鑑定の信頼性を,その鑑定作業と反論双方の論理の組み立て方を辿ることで評価することや,証拠陳述の信頼性演出のためのレトリックの分析,専門的知識と常識的感覚のバランスの問題や,どのような専門知や専門家が信頼されうるかに関する文化的な違いなどが論じられた。スイスから参加した院生の発表では,あるバイオテクノロジーの実用化に関するスイスの国民投票についての報告があった。

3日目のリスクと規制に関する話題では,いわゆる科学的方法によるリスク評価の手法だけではリスク問題は理解も解決もできず,リスクの認識や評価のプロセスやその背後にある社会的問題に関する社会科学的な分析が不可欠だという共通認識についての議論の他,ドイツにおける福祉国家の枠組みの下でのリスク問題の制度的対応の変遷や,カナダでの化学物質過敏症をめぐる論争が紹介された。とくに後者は,カナダではこの症状の原因として,それを心理的な問題と見なし化学物質とは関係ないとする傾向が強いことが報告された。これはSTSでは「境界編成作業(boundary work)」といって,ある問題を具体的にどのような分野のどんな方法で定式化するかに関する駆け引きや選択の事例である。通常「科学的」という一言でいわれてしまう専門的議論の内部にあるこうした力学に目をむけることは,問題が正しく扱われるか否かに直接関係している点で社会的に非常に大切である。

4日目の午前中は,STSの研究の妥当さや役割に関するやや理論的なディスカッションが行われた。ジャザノフ教授からは,STSの理論や分析は,基本的には自然科学のようなタイプの客観性をもつものにはならないが,しかし人々が共有している「意味」―ある問題をどのように考えどのような解決を求めるか―に基づくことによって,人々がそのヴィジョンを明確化し行動するのを助ける「物語り(story-telling)」の働きができることが指摘された。

これはたとえば,ある新しい技術に問題点を見出し取捨選択や改善を行うためには,客観的・技術的に分析できるようなテクニカルなことに留まらず,自分たちがどのような生活を求め大事にするのかという価値観が大きな役割を果たすことを考えればわかりやすい。また午後には国際政治と地球環境科学の発展に関していくつか報告があった。たとえば生物多様性条約において保存の対象とされる「植物遺伝資源」という概念は,基本的に経済的利益の観点から作られた問題含みのものであるという議論があり,南北問題との関連が論じられた。夕方には,グループごとの演習課題だった「民主社会におけるリスクの諸問題とSTSの課題」が全体討論で話しあわれた。

最終日は午前中に,欧州での狂牛病研究に見られる科学と国家政策の関係のスペインとイギリスとでの文化的な違いや欧州統合の影響についての報告などがあった後,昼食後は総括討論で今年度サマースクールの反省点が話し合われた。3時過ぎにこれもお開きとなり,5日間のサマースクールの幕が閉じられた。またいつか学会などで再会することを約束して,スイス人とアメリカ人の友人と一緒にタクシーで駅へと向かい,アムステルダムへの帰路についた。

全体を通じて印象に残ったのは,ヨーロッパでは,リスクを社会的問題として扱い,何よりも民主社会の枠組みでいかにその意思決定を行うかという政治的問題としてのリスクという見方がすでに定着しており,人文・社会科学的な取り組みや市民参加の意識が進んでいるということだった。ヨーロッパを美化するわけではないが,このようなリスクへの取り組みの姿勢は,その工学的側面(あるいは経済的側面)ばかり論じられ,人文・社会科学的研究も皆無に等しく,非専門家・市民も意思決定の場から決定的に締め出されている日本とは大違いである。また院生の参加者の半分以上が女性だったことも印象的だった。とくにオランダ現地の院生の2/3はそうだった。それからオランダ人の学生と休み時間に話していて面白かったのは,「日本の大学進学率は4割以上」といったら,「えっ?大工さんやパン屋さんは誰がなるの?」と驚かれたこと。「大学」というのがエリート養成機関であり,日本やアメリカのように大衆化されていないヨーロッパならではの反応だなぁ,と印象深かった。

オランダの食事は,日本人としては物足りなさがあった(とくにアムステルダムに着いた日の夕食のシャケには醤油が欲しかった)が,ビールはやはり美味かった。サマースクールの夜も毎晩宿舎で飲みまくり。いい夜を過ごせた。ちなみに3日目の夕方は,今年でスクールの校長を退くロブ・ハーゲンダイク氏の謝恩会で街に繰り出したのだが,そこまで行く間に「オープンバス」というトラックの荷台に座席をつけたようなバスで,小一時間ほど郊外をドライブ。山というものがないオランダの風景はどこまでも真平らな田園風景で,ビールやらワインやらを飲みながら歓談する合間には時折「田舎の香水」が香ってきた。(ちなみにアムステルダムから来る二時間くらいの間の風景も同じで,いつ窓の外を見ても牛や羊がいた。オランダの人口は1400万人たらずだから,もしかしたら家畜のほうが多いかも。)また講義の合間には,フリスビーやサッカーをやって,年甲斐もなく若い連中と久々に体を動かした快適で愉快な数日間だった。

ところでもう一つ,オランダ訪問でどうしても書かねばすまないことがある。オランダには,その前に別の学会出席で滞在していたボストンから来たのだが,その途中に預けていたスーツケースが紛失。乗り換えがチケットの都合で2回ということもあったし,これだけならまぁよくある話なのだが,通常最高でも48時間以内には見つかるはずの荷物が出てきたのは,到着日時から数えると80時間以上過ぎた後。さらに手元に荷物が届いたのは,結局サマースクール最終日の朝。着替えはもちろん,ポスターセッション用の原稿,パソコンの電源,目覚し時計その他ほとんどのものが入っていたものだから,とても苦労した。おまけにケースにはボストンで買った本が10数冊入っていてかなり重い。結局,その日の朝届き何の役にも立たなかったそのケースを抱えて,それがやってきたスキッポール空港近くのホテルへと向かったのだった。ちなみに荷物はどこで発見されたかというと,なんとお隣のベルギーのブリュッセル空港。最初の予定では,到着した日はそのまま電車でベルギーに行って美味しい食事にありつこうと計画していたのに…! その夜のシャケがあまり美味しくなかっただけにとても悔やまれた。

 

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