『米軍占領下の原爆調査』以後今後の研究を構想する

投稿者: | 1999年11月10日

笹本征男

9月の土曜講座では笹本征男による「原爆加害国になった日本」と題した講演を行い、約20名の参加者が熱っぽい議論を交わしました。その記録はビデオに収めました。ここでは、笹本さんに今後の研究構想を語っていただき、私たちがこれから「原爆・原子力」問題を考えるための1つの手がかりにしたいと思います。あわせて、ビデオを見られた田中浩朗さんに感想を寄せていただきました。なお、遠方にいらして土曜講座研究発表に参加できない方で、発表を映像で見てみたいという方は、どうか事前に上田までご連絡ください。ビデオ撮影を検討いたします。

 

上田昌文さんから、私の「今後の研究構想」について何か書いてほしいということである。1995年に拙著『米軍占領下の原爆調査 原爆加害国になった日本』(新幹社)を上梓してから4年になる。原爆問題をめぐって本をまとめる時、自分として研究したいと考えながら研究出来なかった問題がある。以下、それらの問題について思い付くままに述べてみたい。
(1)アメリカによる広島市、長崎市に対する原爆攻撃は戦時中のことである。日本側の原爆調査体制と日本軍による原爆製造計画(陸軍ーニ号作戦、海軍ーF号作戦)との関係がどのようになっているのか。原爆調査に動員された軍人と科学者は原爆製造計画に参加していた者が多かった。このことは、原爆攻撃したアメリカ側にもいえる。マンハッタン計画と原爆調査の関係がどのようになっているのか。

(2)日本側で原爆調査に参加した科学者・医学者たちの個々の責任の問題である。私は自分の本では、この問題に重点を置かなかった。むしろ原爆調査を天皇制軍事国家の国策を明らかにすることが主眼であったからである。国策に動員されたのが科学者・医学者たちであった。しかし、科学者・医学者たちの責任は問われるべきである。原爆加害国アメリカの原爆調査に全面協力しながら、戦後を始めた科学者・医学者はどのような責任の観念を持っていたか、あるいは持っていなかったか。このことを明確にする必要がある。

(3)原爆調査の各専門分野に関して、それぞれの分野に関心のある人たちが研究する必要がある。「学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会」という大調査プロジェクトは、当時の自然科学のほとんどの分野を網羅している。調査の目的、内容、結果、分析などが研究されるべきである。

(4)アメリカが1946年原子力法に基づいて設置した原子力委員会(AEC)体制のもとで行われた原爆の長期調査の問題である。特に、その調査の中心となった「遺伝計画」について研究を深める必要がある。なぜなら「遺伝計画」は今後、何世代にもわたって継続することを当然とすることだからである。なぜ、アメリカ側と日本側は原爆被爆者の「遺伝計画」を必要としたのか。

(5)上記(4)との関連で、占領下に実施された妊産婦、乳幼児の全数調査、呉市を比較対照都市(コントロール・シティー)として設定し、非被爆者を調査対象としてことを洗い出すべきである。私は1999年8月6日に広島市の市民集会で米軍占領下の原爆調査について話をした。そのとき、参加者の1人の女性から思いもかけないことを聞かされた。その女性は1946年に呉市で生まれたという。当然、原爆調査の対象者となり得る年齢である。彼女の母親は当時呉市で保健婦をしていた。自分の母親に当時のことを聞いてみたいというのである。しかも、彼女の弟は1949年の生まれである。彼も対象者になり得る。呉市に生まれた自分たちが調査対象となり得たかも知れないということを50数年経って聞かされたのである。私にとっても、その女性との出会いは忘れられない。

(6)朝鮮人被爆者と原爆調査のとの関係を明らかにしたい。

(7)上記(5)との関連で、優性保護法体制と原爆調査との関係を明らかにできればいいと思う。

(8)日本における原爆被爆者の歴史と日本の原子力開発とを併せて研究し、現在の原発大国になった日本を検証できればいいと考えている。

(9)「昭和天皇と原爆」、「吉田茂と原爆」など政治との関係で何か明らかにできらればいいと考えている。
以上、とりとめもなく思い付くままを述べた。どうか読者の皆さんも興味があることを共に考えていただければいいと思う。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です