雑音帖 No. 1 ~「蘇音カフェ」の試みから~

投稿者: | 2017年8月31日

雑音帖 No. 1 2017.8.20.
~「蘇音カフェ」の試みから~

瀬野豪志(蘇音)

6月から「十一人劇場」で、レコード、放送、映画などの音声を聞きながらおしゃべりする「蘇音(そおん)カフェ」を始めています。これまでvol.1「まだ戦後だったころ(1945-1955)」、その続編「もはや戦後ではない」、vol.2「東京オリンピック」というテーマで開催しています。

「蘇音」という名前は、1877年にトーマス・エジソンが発明した録音再生の機械「フォノグラフ」が日本では「蘇言機」や「蘇音機」と紹介されていたことにちなんでいます。また、二つの「よみがえる音」の意味で使っています。一つは、音声を「復刻する」。録音された「音声」を資料として扱い、調査し、それをもとにした研究や制作を行うということです。もう一つは、「再生音」。いわゆる「再生音」の科学技術についての歴史研究や実態調査を行うこと、そして「再生音」を使った制作を行うということです。

音を紹介する「雑音帖」の第一回目は、「蘇音」についての紹介をしながら、それに関連する音声も紹介しましょう。

1. 資料としての「音声」

復刻する - よみがえる音を聴く

レコードやカセットテープとともにCD(コンパクトディスク)が店頭に並んでいた頃、CDはレコードの倍くらいの価格だったように記憶していますが、わたしはCDプレーヤーを持っていないうちからCDを買っていました。CDはきれいな音で長持ちするらしいから、将来のために買っておいてもいいだろうという、今からすれば妙な考えですが、「半永久的」に保存ができると考えてCDを買い始めました。

そのうち、輸入盤ではCDが安く買えるようになり、国内盤のCDでも「再発盤」が輸入盤と同じくらいの価格に下がり、その頃にはもちろんCDプレーヤーで聴くために「再発盤」のCDをたくさん買うようになっていました(「海賊盤」のことではありません)。価格の差もありましたが、「新譜」は期待が膨らむ反面、聴いてみるとがっかりすることも多かったのに対して、「再発盤」は貴重な作品や名作ばかりですし、多くのことがわかるようになり、自分にとっては新鮮な音だったということもあります。店頭でも「新譜」と同じように過去の作品をCD化した「再発盤」がたくさん並ぶようになると、それらを「古い」作品としてだけではなく、「新鮮な」音としても聴くようになっていました。

また、どうしても聴きたいがために高額の中古レコードを買っていたのに、しばらくして「再発盤」のCDが出るということもよくありました。どういう内容なのかを知りたいだけなら、安い価格で再発されたCDがあれば十分ですし、レコード屋の店員さんや友人に聴かせてもらえばいい。記録された「音声」を聴こうとするのは、レコードやCDを所有したり保存したりするのとはかなり異なることです。それは、その「音声」を聴いて初めて何かに繋がっていくようなことを求めています。

録音作品の「再発」は、レコードの規格がかわったときも、レコードからCDにかわったときも、現在の「デジタル化」でも繰り返されていますが、録音作品の流通のための記録メディアの規格がかわるということは、それらの音声を聴こうとする者からすれば、埋もれていた「音声」が新しいメディアで再発されるかもしれないという、「復刻」の機会でもあります。同時に、新しいメディアに「復刻」されないままであれば、それまでの「音声」の記録は、聴くことができないまま、埋もれてしまうことにもなります。

デジタル化

レコード、フィルム、磁気テープ、そして、音声ファイルへと、音声を記録してきたメディアの変遷とその多様性は、音声を資料として扱う上で、深刻な問題をもたらしています。それらの記録メディアをきちんと保存していたとしても、記録されている音声を聴くことができなければ、その音声は誰にも知られないままです。つまり、記録メディアがモノとしてあっても、音声を再生して聴くための方法がなければ、よみがえる「音声」を資料とすることはできない。そのため、再生するための機材や知識がなくなってしまう前に、互換性のあるメディアや新しいメディアに記録し直すことが必要になります。そうすることで「音声」は継承され、「音声」が資料として活用できる形で保存されることになります。現在、録音のメディアに記録されている音声を「デジタル化」する作業が進められていますが、音声ファイルも現在のフォーマットでの再生環境に依存しているので、「音声」を資料として保存するための方法はまた変わるかもしれません。

サウンドアーカイブ

エジソンの「フォノグラフ」の発明から今年で140年となり、これまでの様々なメディアに記録されてきた「音声」は、歴史的な資料として扱われる可能性があります。これまでの「音声」とともに、これからの「音声」もデジタル化されることによって、音声ファイルの「サウンドアーカイブ」においては、それらの「音声」は聴かれうるものとして整理され、並べられていきます。「サウンドアーカイブ」は、1969年に設立された、International Association of Sound and Audiovisual Archives(IASA)という組織があるように、音声の記録メディアの保存に始まり、現在はデジタル化による音声ファイルへの「置き換え」や「復刻」のための役割が増しています。インターネットが普及してからは、ウェブ情報を集めることから始められたインターネット・アーカイブ(Internet Archive)でデジタル化された音声も保存されるようになり、ウェブサイトで聴くことができるようになっています。日本では、デジタル化による「サウンドアーカイブ」として、国会図書館の「れきおん」があります。NHKでも、NHKアーカイブス、戦争証言アーカイブスなどのデジタルアーカイブがあります。

しかし、デジタル化による「サウンドアーカイブ」には、多くの課題があります。音声の記録メディアを所有している図書館や放送局に「デジタル化」を任せておけばよいかというと、そうでもありません。デジタル化のような変換の作業で完了するのではなく、どのようにその音声を聴くことができるのか、誰がその音声を資料として扱うことができるのかという利活用の問題があります。また、音声を聴くだけでは内容がわからないということもあります。特に、日本では「戦前」の音声を理解することは難しくなっています。今後、音声資料については、デジタル化だけでなく、あらゆる角度からの研究成果が蓄積されていく必要があります。そのためには、音声資料が公開され、サウンドアーカイブとしての利用であれば誰しも音声にアクセスできることが前提となります。技術的には、ストリーミングで「聴く」ことができればいいのではないかと考えますが、音声記録を作品とする著作権と音声を資料として「聴く」利活用との関係について、言い換えれば「サウンドアーカイブ」としての音声資料の利活用について、まだ明確には区別して考えられてはいません。現状では、図書館での「複製」つまり保存のための「デジタル化」の変換作業まではできるものの、その音声を資料として聴くための利活用については、館内かインターネットかの問題として処理されてしまいがちで、まだ議論の余地が残されています。

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