「食」から見える社会の変え方

投稿者: | 2005年8月4日

金丸弘美
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スローフードとは
 素材や種タネ、地域にある食材を検証することがとても必要な時期に来ています。例えば種に関して言えば、日本で改良された種が中国に持ち込まれ、生産され、外食産業を通して日本に逆輸入されている現状があります。その種はもともと、アメリカの大企業が大量生産・流通に向くように改良したものであったりするのです。新鮮な野菜だと言って食べていても、ルーツをたどるとアメリカの独占企業が種をもち、地域により多様だった野菜や食材も画一化されてしまっています。そういった食のグローバリゼーションに対して、スローフードといった運動があるのです。
 スローフードのことをゆっくり食べること、安心安全な有機野菜を食べることだと考えている人が多いのですが、そういうわけではありません。スローフードとは1986年に設立されたイタリアにあるNPO団体の名前です。現在は110人のスタッフをかかえています。
 元は1970年代に北イタリアのピエモンテ州で始まった地域の食文化を守る活動でアルチゴーラという名前でした。1986年にローマにマクドナルドが進出した際、商店街やレストランの人たちは反対運動をしました。なぜなら、マクドナルドの進出が食の画一化や低価格化を招き、地域の農産物や加工品、飲食店、それを取り巻く地場産業に多大な損害を与え、また、ローマの景観を乱すことを懸念したからです。その時アルチゴーラのメンバーも反対運動に加わりましたが、反対をしているだけでいいのかという点が課題となりました。反対だけでは地域が守れないのではないか、具体的な地域の食文化を守るために経済的な活動をし、お金が地域の中でうまく循環し、レストランや商店街、生産農家が繁栄するような政策を自ら提案していこうということで、アルチゴーラスローフード協会を立ち上げました。具体的にグローバリゼーションの代表格であるマクドナルドに対して、伝統的食材を守り、味や料理を楽しみ、次世代にも本物をつたえていくこと、その根幹にゆっくり食事をし、これまで食べてきた食の環境を見直し、人とじっくり語らうことができる食空間、地域食文化を守る運動をやろうということが、スローフード協会のはじまりなのです。
スローフード協会の活動
 スローフード協会の本部は、北イタリア・ピエモンテ州のブラというところにあります。スローフード協会がブラに拠点を置く理由は、ブラではマクドナルドが参入する前から、200~400年前の建造物を生かした景観に配慮した街づくりがされていたからです。現在、ブラでは景観そのものの価値が見直され、世界遺産になったことを受け、観光資源として活用するという政策がとられ始めています。
 スローフード協会は非営利団体ですが、110人のスタッフをかかえています。協会の運営は会員からの会費収入や、食文化に関する出版物の販売や地域のイベントをすべて請け負うことで、収益を得ています。110人のスタッフのうち9割が地元の人であり、地域の雇用につながっています。
 具体的な事業としては、
1 味の箱舟とプレシィディオ計画―地域にしかない伝統的な食材を経済的にも支援する体制を組んで本やイベントで宣伝し、販売の手立てを作っています。企業からの寄付や事業の収入があてられています。プレシィディオに認定された農家と協約書を結びます。
2 味覚の教育―食材の背景、味わい、歴史、生産方法などを、生産者が実際に説明し、消費者が学ぶプログラムです。どんなにいいものをつくっても消費者がいいものとわからなければ売れません。そこて消費者教育をするという方針があり、1983年設立当初から行われています。一般向けのイベントでのワークショップは有料です。また、学校の教師1万5000名が受講しました。学校向けは教育省の予算で行われています。
3 サローネ・デル・グスト―協会が偶数年にトリノで行う最大のイベントです。地域の農産物、加工品などが展示され、農家と消費者、取引業者が直接出会う商取引の場になっています。またワインコーナー、味覚教育やマスター・オブ・フードなどの食材の基本を学ぶ講座、レストランと提携したディナー、町の名勝地を訪ねて食事をするツアーなども開催されます。州からの予算、企業協賛、入場料収入でまかなわれ、地域活性化と観光の資源ともなっています。
4 チーズのイベント―協会本部のあるブラで奇数年に行われるチーズの生産家をメインにしたイベントです。1000種類近くのチーズが出品され、各地の生産農家、チーズ職人が来て、展示、試食、即売が行われます。運営費は、町からの予算、企業協賛、入場料などでまかなわれています。テントでの出展の条件は必ず生産者、すなわち作り手がくることです。地元の農家が出展し、地元レストランのバイヤーが来て、農家が直接取り引きすることができるなど地域経済の活性化に貢献している活動なので、生協や地方銀行が協賛します。イベントではワイングラスを首に下げ、街を散歩することもでき、町の観光資源にもなっています。スローフード協会にはデザイン部があり、イベントの看板などの作成もてがけています。日本では大手広告代理店などが請負い、たくさんのコストがかかる上、ノウハウやお金が地域に留まることができませんが、スローフード協会では業務すべてを担うことで、お金やノウハウが地域に還元されるようにしているのです。
5 スローフードの食の大学―2004年開講。州政府、不動産会社なども出資し、スローフード協会が運営の中心を担い、食文化のマネジメントやジャーナリズム論などを学ぶ場となっています。古い城が使われ、観光資源にもなっています。大学内にレストラン、ホテル、ファーマーズ・マーケット、ワイナリーがあります。
6 スローフード・アワード―世界の地域の食を守る生産者を表彰。運営には、イベントでの収入や会費の一部があてられています。日本からは2002年、佐賀県の古代米を栽培する武富勝彦さんが受賞しました。
7 出版活動―約60種類の出版物を発行。一般書店でも販売。『ワインガイド』は毎年18万部が出るベストセラー。これにより、ワインのブドウを生産する農家の経済的基盤を押し上げました。地域の小さなレストランが紹介される『オステリア・ガイド』も、年間8万部が出ています。地域に人が集まり、地域の農産物、加工品、ワインなどが食され、地域の活性化につながっているのです。本の販売は、食文化の啓蒙に大きく貢献するばかりではなく、地域活性化、スローフード協会運営の重要な資金源にもなっています。
8 機関紙『スロー』の発行―会員向けのもので、全世界の食とその周辺の文化を紹介しています。10万部発行。日本語版もあります。スローフードに賛同する企業の広告も掲載されています。
9 テッラ・マードレ(母なる大地)―2004年にトリノで初めて開催された地域の食の多様性を知らしめる世界生産者会議。131カ国5000名が参加し、地域の種、家畜、伝統的農業、有機農業など60のテーマで話し合いました。日本からは73名が参加しました。例えば、長崎県の農家の方は火山灰地区における農業共生は可能かというテーマについて、長崎県普賢岳噴火の際、農業従事者がどのように切り抜けたかという話をしました。
10 支部活動―イタリア国内に400、世界45カ国に800の支部(コンビビウム)があり、全世界の会員は10万人です。支部は、地域の人たちが自主的に立ち上げ、本部に申請すれば認可されます。支部活動は、地域に根ざした食のイベントを年間3回以上しなければなりません。そして、個人の集まりであることが条件で、特定の企業の運営は認められません。
 スローフード協会の活動をみると、注目されるのは、日本の農業がもっとも苦手としてきたことに民間団体が着手し、地域の事業として経済活動の新しいシステムを築いたことでしょう。旅行などのさまざまな取り組みを多面的に行っています。
日本のスローフードの話
 日本では、ここ2、3年、「地産地消」(地場の産物を地場で消費すること)、「身土不二」(周辺の食べ物と体と健康は切り離せないということ)、「環境保全型農業」(近代農業が大量の農薬・化学肥料を使い、農業そのものが環境破壊を産んできたことが背景にある。環境と共存する農業の必要性が問われ始めた)、「有機農産物」(農薬や化学肥料を使わない農産物)、「地元学」「帰農」という言葉が盛んに使い始められてきました。それらの言葉すべてを、うまく包括できる、なじみやすい言葉が「スローフード」と言っていいでしょう。
 日本にスローフードが広がった背景は
1.  バブルが崩壊して、これまで優良と思われた大手企業、銀行などが次々に崩壊し始め、それまでの価値観が激変し、次の社会的な目標が見つからない中で、伝統的な食を楽しみ、一度自分の周辺をゆっくり見直してみるというスローフードのコンセプトが、新しいライフスタイルとして注目を浴びたこと。
2.  ファストフードに代表される現代の食そのもののグローバリゼーションに危機感を持った人が多くいたこと。
3.  食のグローバリゼーションが一般的になり、輸入農産物が多くなり、食糧自給率が低下していること。日本の食糧自給率は年々下がり、1960年カロリー自給率にして79%、穀物自給率で82%あったものが、1998年には40%、穀物自給率26%にまで落ち込み、世界175カ国中128番目。世界の人口は約60億人、年1.6%の増加率、2050年には97億人に達するといわれています。50年後は確実に食糧不足になると多くの学者が警告しています。農水省も「地産地消」を呼びかけています。
4.  「食育」。1960年代後半から、日本では、急激な洋食化、インスタント食品や外食の急増、また大量生産、大量消費の食材作りなどによって、食のバランスを乱し、大量の添加物の摂取で、子どもたちにアトピーや肥満をはじめ生活習慣病をもたらす深刻な事態も招くようになった。このため、厚生省は「食育」を提唱し、バランスの取れた食事を採るようによびかけています。
5.  BSE(いわゆる狂牛病)にはじまり、雪印や日本ハムなどの食品会社や農家の代表であるはずの全農による表示偽装、中国野菜の農薬問題などがあいつぎ、食の安全性が問われ、消費者の安全志向が急速に広まったこと。鳥インフルエンザの事故もBSEと同じで、大量生産大量消費から生まれたアクシデントと言えます。
6.  新しい農業の誕生。これまでの大量生産大量消費型で農薬や化学肥料の大量使用の農業、また大きな規模の農家を優遇し小さな農家を切り捨てていく政策に、反発を覚え疑問を感じた農家の人たちが、直接消費者に販売したり、農協や一般市場を通さずにデパートやスーパーと直接取引きすることが多くなったこと。
 伝統的な郷土食の栄養価や地域伝統野菜を見直す人、食文化の危機を感じる人が増え、スローフードが急浮上したといえると思います。実際、スローフード協会の日本支部を掲げた地域は36にものぼり、協会に所属せずともスローフードと地産地消や食育を同格に扱い、地域での取り組みのスローガンにするところが各地に現れました。
事例1: 伊賀の里 モクモク手づくりファーム
 三重県伊賀市西湯舟の山間にある農業公園。1988年に、養豚農家を中心に出資し、ハム、ソーセージの加工から、地ビール製造、レストラン経営、通販まで乗り出し、自ら直接消費者に販売しています。人口8,000人の山村で、動員50万人、売り上げ26億円をあげるようになりました。三重県産の農産物を使ってオープンキッチンのレストランも展開しました。
 1983年、経済交渉の果てに、農産物の輸入自由化が認められ、家畜肉の輸入自由化も始まりました。その頃の農水省の指導は、今も同じですが、対抗策としてたくさん飼育し輸入農産物に対抗できるような安いブタを生産しなさいというものでした。しかし輸入品は安く、なかなか対抗はできなかったので、地元ブランドの伊賀豚を開発しました。
 そして、養豚農家の人は自分たちの食材がどこで売られているかわからないので、スーパーの店頭に立ちました。伊賀豚の説明を行うと、顔が見える安心感から地域の知名度が上がり、ハムやソーセージの加工にも乗り出しました。そのころPTAから体験学習としてハム作りができないかと連絡が入りました。農家の中では意見が分かれましたが、メーカーから出たものをただ買うだけではなく自分たちが食べるものをきちんと選ぼうと考える消費者が出てきた、と考え、イベントを行うことにしました。はじめて生産者と消費者が会い、一緒にハム・ソーセージを作る場所となったのです。 その後は地元の小麦を活用し、自分たちでモルトから作り、地ビールを作ろうと考えました。モルトは小麦を焦がして作るので、お茶の焙煎器を利用し、手作りでモルトを作って、ビールの造り方の見学などにも行き、地ビールを出し始めました。小さいタンクに入れて、それぞれの季節のビールを少しずつ、ここにしかないビールを実現させました。地産地消にこだわり、地元の小麦と天然酵母を使い、石釜で焼き上げたパンまで出しています。
 ファームでは年に50回以上のイベントを行っています。園内に田んぼを作り、子どもたちの学習講座をしています。夏休みにはテントを張り、田んぼの生体調査・観察をしています。食材と同時に農の現場を知ってもらい、信頼関係を築くことで年間50万人というお客さんを呼んでいます。最近では牛を飼い、自分の朝ごはんの乳搾りから、野菜を自分でとって食べるという体験までを組み込んだ宿泊施設「OKAERIビレッジ」を考えました。食品会社の企業研修にも利用されています。
 安心、安全、おいしい、顔が見える、を貫き、農業や食材の現場を消費者に知ってもらうということを徹底的に行っているのです。
事例2: グラノ24K ぶどうの樹
 福岡県の小倉と博多のちょうど中間、JR鹿児島本線海老津駅、玄界灘のすぐ近くにある果樹園を利用したレストランです。「ぶどうの樹」は、もともと地元農家のぶどう園でしたが、農協に出荷するためには売れる品種に変えなければならず、しかも、パックに何グラム、どう詰めるかまで決められていて、好きなぶどうを作っていたら売れませんでした。そこで、ビニールハウスの鉄骨とビニールを使い、レストランと結婚式場にしました。ここで結婚式を挙げる人やパーティーを行う人は、年間250組もあり、レストランの来客数も含めると年間で15万人もの人が訪れています。素晴らしいのは、ビュッフェ形式のレストランです。自らの農産物、連携している近所農家20軒の農作物を使用したメニューを提供しています。例えば旅館で出る会席料理はいつも決まっていて、魚であればその時取れるものが違うので、結局は市場に行き、地元のものではないものを仕入れることになってしまいます。そこでビュッフェ形式で料理を用意することにしました。例えば、おばあちゃんが一人で育てた野菜は少なく、農協に出荷できないので、そういうものを使うようにしています。メニューは食材先行にし、一月半に一回どんな料理ができるかメニューの相談をして決めて、レストランで出しています。
事例3: 霜里農場
 自主的な活動によって地域を守ろうという運動も各地で起こっています。例えば、埼玉県小川町の金子美登さん。化学肥料や農薬などに依存せず、身近にある資源を生かして、食物だけでなくエネルギーも自給して自立する農法を目指しています。牛を三頭飼い、糞が90kgとれるので、1.5ヘクタールの畑の堆肥にはちょうどいい量といいます。牛がいて、乳を搾ることで生計が成り立っているといいます。鶏を200羽飼っている小屋の床に、わらを30cmくらい積むと自然微生物で発酵し、堆肥ができます。糞尿生ごみは同量の水を入れるとメタンガスが発生し、そのメタンガスを使い、残りは液肥として、田んぼに撒くという循環ができています。霜里農場には年間100人の人が研修として訪れ、住み込みで10人の研修生がいます。
事例4: 長崎県の大崎町
 街ぐるみで霜里農場のシステムを行なっているのが、人口18000人の長崎県大崎町。1997年の調査で、このままごみを捨てていくと10年後には埋め立てでは足りなくなり、ごみ処理施設を作らなければならないことがわかりました。ごみ処理施設を作ると、税金が使われ、住民負担が多くなるので、ごみを街で循環させる仕組みを作ろうと先進市を見学に行きました。今では、ごみの仕分けは27種ですが、資源ごみ回収率は98.8%になります。紙、ペットボトルなどをしっかり分けると、業者が買い取ってくれるので、ごみを資源に変えることができます。回収した生ごみは選定した植物をチップにしたものと合わせ、堆肥にし、街の空いている農地で7人の有志に菜の花を植えてもらいました。それから油を搾り、学校給食や街で使い、それをまた回収して、回収車のガソリン代わりに使います。誘致した生ごみ処理場の周りで畑を作って、有機農業をして、街で売るということまで大崎町はしているのです。街ぐるみで循環する社会を作る取り組みをしています。
 このように、地域景観や地域の食材、地域の安全を守って、地域から発信するという運動が日本でもたくさんなされていて、頼もしい流れとなっています。今後、このような活動は消費者の共感が得られ、これからの未来を考えると、消費者運動の主流になるのではないかと考えています。自治体の中でも今までの縦割り行政ではできないと考え、観光課、農水課、商業課が各部署から横断的に集まって、民間人と組んで打ち合わせを行っているところもあります。地域の経済を考え、地元の産業や環境を守っていくようなシステムを作っていきたいと活動を始めているところが増えてきているのです。
(市民科学第4号 2005年8月)

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