「市民の科学」の意義

投稿者: | 2008年3月4日

上田昌文(特定非営利活動法人・市民科学研究室 代表)
 私はここ3年ほど、コミュニティ・ウェブサイトbabycomと共同で、子どもの健康・環境リスクをテーマにした連載を続けている<◆注1>。現在連載中の「環境と健康に関する科学報告書を読み解く」では、WHOや欧州委員会などが発刊している重要な科学的合意文書を随時取り上げている<◆注2> 。これは、妊娠・出産・子育ての体験や情報を伝え合う助け合いサイトにしては奇異なことに思えるかもしれない。だが、そうではない。
 そこには、(1)「子どもは小さな大人ではない」というごく当たり前の認識に立った(子どもに特異的な感受性や脆弱性をふまえた)リスク論や疫学調査は今まさに本格化する段階にあり<◆注3> 、この動向が、例えば若い母親たちが子どもの健康を考える上でも重大な意味を持つ、(2)科学的に未解明で不確定な部分を含むにしても、リスク対策が依拠すべき、現時点で最も信頼できる科学的事実とは何であるかが市民に示されねばならない、といった事情があるからだ。
 (1)は、例えばアレルギーの急増や低体重児出産の増加にみられるような小児の健康の危機に向き合うことからくる要請だろうし、そうした危機の中でえてしていい加減な情報に翻弄されがちな、しかし切実に対策を求める市民にとって、(2)は自らのリテラシーを鍛える意味でも格好の学びの対象たりえるだろう <◆注4>。「市民の科学」とは、現実の危機と市民の不安をみすえて、例えば(1)のような学問的対応を専門家らに向けて促し、(2)において専門知への市民のアクセスや活用を支援するような活動を意味する。
 
 市民の科学の広がり一端には、理科教育の見直しがある。現行の理科教育で教えられる知識は、残念ながら、市民が現実に遭遇する科学技術絡みの様々な社会問題への対処にはほとんど役立たない。生活に浸透している商品・サービスの中には高度な技術の成果が組み込まれていて、その仕組みや原理の理解が難しいことも一因だが、しかしより重大なのは、図に示すように、技術の進展によって生活が変化するという現実と、理科教育での学びが分離したままであるということだ。これを一体化して、「生活をよりよく変える」という主体性を起点にして、「生活の中の技術をとらえなおし適正化する」ことへの道筋を示し、そのために「科学的事実や原理を学ぶ」、という転換が必要だ。私たちの「子ども料理科学教室」は、健康的で環境的負荷の少ない和食を作ることを基本にすえて、簡単で美味しい料理に仕上げる術を身につけことと、そこに潜む科学原理を実験をとおして学ぶことを同時に達成することを狙ったものであり、この転換の具体的プログラムの一例である<◆注5> 。いわゆる”理科離れ”は子どものせいではまったくない。「予め用意された正解を導くための問」と「その正解にいたり着く過程を覚えさせることによる理解」という様式に固執することが、子どもたちを科学から遠ざけている。「体験をとおして自ら問いを立て、それが必ずしも学習の過程で解かれなくても、生活の中の事象を科学の目でみつめる面白さを体験できればよい」という転換によって、子どもたちが例外なく溌剌とした探求心を発揮するようになる姿は、じつに印象的だ。
 市民の科学の別の一端には、問題解決のために立ち上がる市民をいかに支援するかという問題がある。
 市民が自ら運動を起こし、対峙する事柄に専門の科学が関わっても、怯まずにそれを学び、必要な調査をし、そこから得られた知見を携えて政治を変えていく、というスタイルは、1970年代の反公害運動を契機にして、住民と専門家・科学者との共闘の形で担われてきた。政治的打開のためのいわば対抗的科学の活用において、関わる住民の能動性が著しく発揮された事例は枚挙にいとまがない。科学技術に絡むリスクに関連して、深刻な被害や利害の対立が顕在化してからでは、問題の解決・収拾に大きな犠牲や負担が伴うことを、ここ半世紀に及ぶ歴史において、私たちは経験してきたと言えるが、そのことへの反省もあって、現在では「上流での市民参加」が志向されるようになってきた。ことは科学技術に限らない、例えば自治体の「まちづくり」や環境行政などにおいて、先進的な取り組み事例が輩出するといった様相もある。こうした市民参加の先進事例の分析と、日本の科学技術政策に固有の問題の析出と、そしてGMOやナノテクノロジーなどの問題で欧州などで試みられている参加型テクノロジーアセスメントの評価とを、突き合わせて考察し、日本に適した方法を模索することは、重要な学問的課題であろう。
 市民の側からすれば、問題そのものが自らが解決に寄与できる社会的課題として定位され、その寄与自体が自ら(自分、家族、コミュニティなど)を豊かにするという見通しが持てない限り、主体的に行動を起こすには至らないだろう。その意味で注目されるのは、サイエンスショップ<◆注6> の制度的定着、サービスラーニング <◆注7>の科学技術分野への展開である。地域の課題解決や地域ニーズに応じた研究開発の発案に、市民が何らかの形で関与できる仕組みが存在することは、「科学の市民化」を実現する最も着実なステップになると思われる。
 市民が科学技術との関わりにおいて指向する価値は利便性だけではない。持続可能性や健康、安心と安全、人とのつながり、経済的負担の軽減……といったオールラウンドな価値の指向がある。しかし生活に関わる技術は利便性という面だけを押し出して導入されることが多い。それを適正化するには、市民がその技術を生活圏に引き入れて必要性を問い直し、生活実感とのずれを意識化して表明し、「よい技術とは何だろうか」を開発側とともに考えることが必要だ。これは、広い意味での生活者からの「技術評価」や生活者と開発者の「ビジョン(あるべき社会像)の共有」を意味するだろう。例えば私たちが最近開発した、ウェブサイトを用いた技術評価の試み<◆注8> や「ナノテク未来地図」で手法化した対話の試み<◆注9> は、そのささやかな端緒と言えるかもしれない。
 
 「市民の科学」に決まった方法論はない。科学の素人も取り組めるが、素手ではできない。あの手この手を考え模索する楽しさが「市民の科学」の醍醐味ではないかと思う。■
注1◆babycom エコロジー・コーナー 
注2◆ これまで扱ったのは、第1回:送電線などの電磁波対策に新勧告 WHO『環境保健基準』「超低周波電磁界」、第2回:子どもの化学物質暴露のリスクWHO『環境健康基準』第237巻、第3回:ヨーロッパ全体で40%の節水が可能『節水に関する欧州委員会報告書』
注3◆環境省でこの10月に始まった「小児環境保健疫学調査検討委員会」もこの動向に沿っている。
注4◆残念ながら日本には、例えばベルギーのNPOであるGreenFactsが提供するような、オーソライズされた科学報告書や論文などをまとめて紹介し解説するサイトはない。
注5◆詳しくは上田昌文「リビングサイエンスのアプローチ 子ども料理科学教室の実践から」『現代化学』2007年6月を参照。市民科学研究室のウェブサイトでは内容紹介の映像(5分)を見ることができる。
注6◆大阪大学コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)の「大阪大学サイエンスショップ」のサイトが参考になる。
注7◆国際基督教大学の「サービスラーニングセンター」のサイトが参考になる。
注8◆「リビングサイエンス評価チャンネル」
注9◆吉澤剛「ナノテク未来地図の作成作業から」『市民科学』第8+9号(2007年9月)および11号(2007年12月)参照。市民科学研究室のホームページでも概要を記している。
(岩波書店 『科学』2008年3月号 特集「市民の科学リテラシー」所収)

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