「エンハンスメント」と言う名の「サイボーグ技術」

投稿者: | 2008年3月4日

写図表あり
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「エンハンスメント」と言う名の「サイボーグ技術」
小野直哉(京都大学大学院博士課程)
最近「エンハンスメント」と言う、聞き慣れない言葉を耳にするようになった。「エンハンスメント:enhancement」とは「高揚、増大、増進」と言う意味の英語である。「エンハンスメント技術」となると、何かが「高揚、増大、増進する技術」となる。また、似たような言葉に「サイボーグ」がある。「サイボーグ:cyborg」とは、「サイバネティック・オーガニズム:Cybernetic Organism」の略で、人工臓器等の人工物を身体に埋め込む等、身体の機能を電子機器をはじめとした人工物に代替させることで、特殊な環境下でも生活できるように、身体機能の補助や強化を行った人間のことを意味する。元々米国の医学者、マンフレッド・クラインズとネイザン・S・クラインらが1960年代に提唱した概念で、当初は人類の宇宙進出と結び付けて考案されていた。そのため、米国のサイボーグ技術の研究は、NASAを中心に行われていた経緯がある。「サイボーグ技術」は人間の「エンハンスメント」を目的とした手段であり、現在では「サイボーグ技術」と「エンハンスメント技術」は同意語のように用いられることがある。また、「サイボーグ」はSF小説や映画で好まれる題材である。単に「超人」を登場させるための理由付けとして用いられる場合もあるが、「人間性の喪失」や「最先端の科学技術と人間の調和」と言った現代的かつ文学的・社会的なテーマを、「サイボーグとしての人間の存在」は「人間なのか、機械なのか」と言う極端な形で提示することが出来ることから、物語の主要テーマに関わる形で取り扱われることが多く、時には差別的にネガティブな意味合いを含んだ言葉として「サイボーグ」が語られることも多い。そのため、ネガティブなイメージを避けるために、今日では「サイボーグ技術」を「エンハンスメント技術」と言い換えて使用することもある。本稿では、「サイボーグ技術」と「エンハンスメント技術」は同じものとして扱う。
日本では、ここ数年、サイボーグ技術に関するテレビ番組や書籍が、邦訳も含め、立て続けに放映、出版されている。2006年には、立花隆氏がナビゲーター兼ファシリテーターを勤める幾つかのテレビ番組がNHKで放映された。昨年、2007年には、サイボーグ技術の未来をネガティブにもポジティブにも概観する幾つかの著作が書店の店頭に並び、その筋では話題を呼んでいた。
また、日本の学術界においてもサイボーグ技術に関する動きが胎動し始めている。1960年代に盛んであった未来学を論ずる日本未来学会では、長らく休眠状態であったが、昨年「新日本未来学会」と名称を改め、再稼動し始めた。その活動第一弾として、昨年11月に東京経済大学で行われた新生「新日本未来学会」第1回大会において、エンハンスメント技術を取り上げた分科会が設けられた。さらに、昨年から始まった「サイエンスアゴラ2007」(主催:JST(科学技術振興財団)、共催:日本学術会議、他、後援:文部科学省、他)においても「サイボーグに未来はあるか?~エンハンスメント技術の光と影」と題したシンポジュウムが開催された。何れの議論の場においても、文系理系、職域を問わず、多くの分野、職域から活発な議論が交わされていた。さらに、本年1月には京都大学において、ワークショップ 「脳科学と社会的価値との相克を超えて」(主催:「脳を活かす」研究会、共催:文部科学省平成19年度科学技術振興調整費「意識の先端的脳科学がもたらす倫理的・社会的・宗教的影響の調査研究」研究班)と国際公開シンポジウム「人間改造のエシックス ブレインマシンインターフェースの未来」(主催:文部科学省平成19年度科学技術振興調整費「意識の先端的脳科学がもたらす倫理的・社会的・宗教的影響の調査研究」研究班、共催:「脳を活かす」研究会)が開催され、国内外におけるブレイン・マシン・インターフェース(人間の脳とコンピューターを繋ぎ、脳の神経活動を入力信号として、機械を操作する仕組)に代表される脳科学の最先端の現状と宗教及び哲学的考察によるニューロエシックスでの問題について、文系理系を問わず、異分野の研究者達によって、講演と議論が行われるようになった。
それでは、「サイボーグ技術」・「エンハンスメント技術」とは具体的にどのようなものなのであろうか。現在、これらの技術で実用化しているものには、心臓のペースメーカーや人工心臓、人工関節、人工内耳、白内障の手術に用いられる人工眼内レンズ等が挙げられる。また、古くから用いられているコンタクトレンズや義歯等も広義のサイボーグ技術に含まれる。近年、これらの技術革新は目覚しい発展を遂げており、従来SFの中でしか語られることがなかった各種の技術が、現実のものとなりつつある。例えば、筋電の信号を読み取ることで義手を使用者の意のままに動かしたり、義手に取り付けた圧力センサの情報を逆に神経へ送り返して感覚を取り戻したりする筋電義手などの技術は、既に基礎研究段階を終え、実用研究段階に入りつつある。また、脳へ直接電極を差し込み、聴覚・視覚の情報を直接脳へ送り込んだり、脳へ部分的に 電気刺激を送りパーキンソン病等の症状を和らげたり、鬱病を治療したりする技術(脳深部刺激療法)の研究開発も発展している。
これらサイボーグ技術は、その技術の応用目的や分類方法によって幾つかに分けることができる。目的による分類としては以下のようなものがる。先ず医療目的としては、主に失われた四肢や臓器・感覚器の機能を代替・回復させるためにサイボーグ技術が用いられている。代表的なものとして、義肢、人工関節、人工内耳、人工眼内レンズ、人工網膜、人工臓器、人工心臓等がある。手足の震えを和らげたり、鬱病の治療に用いられる脳深部刺激療法もこれに含まれる。機能強化目的では、健常者に用い、人間本来の機能を強化・増強するためにに用いられる。代表的なものとしては、パワード・スーツ(人工外骨格)や追加四肢(3本目、4本目の手足)、追加感覚器(より鋭敏な感覚が得られたり、後方や遠隔地の情報が得られる目鼻)等である。ID機能(医療記録やクレジット等)に無線やブレイン・マシン・インタフェースを応用するような、現状では何らかしらの道具を用いて記録の照合や確認を行っているものの利便性を高めるためのサイボーグ技術の応用もある。
形態による分類としては以下のようなものがある。非侵襲型の技術としては、身体の外部に取り付けて動作するタイプのものがある。取り外し可能な義手や義足、パワード・スーツ等があり、侵襲型のような危険性が少ないため、比較的実用化しやすいものもある。侵襲型の技術としては、身体の内部に埋め込まれて動作・機能するタイプの技術である。人工心臓や人工関節、人工内耳、人工眼内レンズ、脳深部刺激療法等があり、これらのタイプは、故障や誤動作の際に使用者に危険が及ばない様に、十分な対策を取る必要がある。また、このタイプのように身体に埋め込むものをインプラントと呼ぶこともある。
サイボーグ技術は、一般に機械工学的技術が身体に侵襲的に取り付けられるイメージがあるが、実際にはITや脳科学、遺伝子工学、ナノテクノロジー、ロボット工学、再生医学、組織生体工学等、多岐にわたる学術分野、科学技術の知見の融合と統合により、今後益々発展していく人間集約型の科学技術である。これらの関連学術分野や科学技術の発展に伴い、人間の寿命は延び、人間は病気や外傷、老化や障害により、生体の失った、あるいは弱体化した機能を補完するために、今後も身体に機械や遺伝子操作を施した組織を組み込もうとして行くであろう。しかし、そこには様々な危険性を孕んでいる。先ず生体内の異物は感染のリスクが高く、一度感染すると重症化しやすく治癒しにくい。身体内部に機械を組み込んだ場合メンテナンスが難しくなり、現在のところ機械には自己修復性がないため、機械の故障時には致命的事態になりかねない等の問題が存在する。脳刺激療法では、患者個人本来の性格を変えてしまいかねないという倫理的問題もある。また、生体内に埋め込む素材に対する危険性も否定できない。現段階では体内インプラントRFID(Radio Frequency Identification:電波・電磁波等、無線利用により、認識や証明を行う非接触識別)チップに発ガンの危険性を指摘する報告もある。
また、サイボーグ技術は、絶えず軍事利用の可能性を秘めている。米国や英国では、これらの技術の軍事利用の研究が行われており、特に米国ではDARPA(The Defense Advanced Research Projects Agency:米国防総省国防高等研究事業局)を中心にこれらの技術の研究開発が活発に行われている。そこでは、パワード・スーツ等を用いた兵士の身体能力の強化や戦闘で手足を失った兵士に義手義足を装着させ、迅速に戦線復帰をさせる等、人間の運動器系機能の強化・増強の研究や医療に用いられている生体情報のセンシング技術やブレイン・マシン・インタフェースの軍事応用として、戦闘機パイロットの身体や脳に各種センサーを取り付け、そのセンサーと戦闘機のコントロール機能を接続し、その戦闘能力を大幅に強化・増強することなどが考えられている。他にも、ブレイン・マシン・インタフェースの軍事応用として、小動物の脳を制御し、遠隔操作で偵察・自爆を行わせたりする動物兵器への開発や、無人航空機(戦闘機)・無人自動車(戦車)等、無人兵器(軍事用ロボット)を、兵士が遠隔地に居ながら、兵士の脳で直接制御を行わせるなどの研究も進められている。
上述のように、既にサイボーグ技術は、空想の世界でのお話ではなく、身近な日常のことである。また、これらの技術は、我々が健康や長寿、障害の克服を願う限り、静かに、しかし確実に進展していくであろう。そして、多くの人類への福音と共に、多くの倫理的問題を内包しながらも、我々の既存の身体観がこれらの技術の発展と共に変化して行き、これらの技術を受け入れて行くのだろうか。しかし、障害とは何か、健常とは何か、どこまで人間は機械化して良いのか、どこまで人間は人間に手を加えて良いのか、そして最終的には「人間とは何か」と言った、人間の存在に関わる根源的な問題を、これらの技術は否応なしに未来の我々に突き付けて来るのは明らかである。そして、その未来社会での倫理観は、従来の倫理観とは全く違う視点が必要になって来るのかもしれない。何れにしても、今後は倫理的側面や軍事的側面でのバランスの問題解決が急速に高まりながらも、これらの問題に対する新たな技術開発と様々な議論を行い、適切な法整備が必要であろう。
本稿の読者が、より良い未来を生きるために、サイボーグ技術を考える際の参考として、日本語の書籍の一部を下記に示す。賛否両論を含め、それぞれの言説に触れることにより、生活者としてご自身でこれらの技術へを理解する際に役立てて頂ければ幸いである。「エンハンスメント」と言う名の「サイボーグ技術」は、決して絵空事ではなく、既に我々の身近な日常の現実なのである。
参考文献
1) 櫻井 圭記.フィロソフィア・ロボティカ ~人間に近づくロボットに近づく人間~.毎日コミュニケーションズ.2007.
2) レイ・カーツワイル(著),井上 健,小野木 明恵,野中 香方子,福田 実(訳).ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき.日本放送出版協会.2007.
3) リー M.シルヴァー(著),楡井 浩一(訳).人類最後のタブー―バイオテクノロジーが直面する生命倫理とは.日本放送出版協会.2007.
4) 鎌田 東二,粟屋 剛,上田 紀行,加藤 眞三,八木 久美子(著),町田 宗鳳,島薗 進(編).人間改造論―生命操作は幸福をもたらすのか? 新曜社.2007.
5) 廣瀬 通孝(編).ヒトと機械のあいだ―ヒト化する機械と機械化するヒト.岩波書店.2007.
6) 日本人工臓器学会(編).人工臓器は、いま オンディマンド版―暮らしのなかにある最先端医療の姿.はる書房.2007.
7) ラメズ・ナム(著),西尾 香苗(訳).超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会.河出書房新社.2006.
8) ウィリアム・J. ミッチェル(著),渡辺 俊(訳).サイボーグ化する私とネットワーク化する世界.NTT出版.2006.
9) 高橋 透.サイボーグ・エシックス.水声社.2006.
10) ビル・マッキベン(著),山下 篤子(訳).人間の終焉.河出書房新社.2005.
11) グレゴリー・ストック(著),垂水 雄二(訳).それでもヒトは人体を改変する.早川書房.2003.

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