家庭生活の中で科学の芽を育む
(『産経新聞』2009年8月1日)
上田昌文
学校の夏休みを迎えたこの時期に、親子で考えていただきたいクイズがある。日本の食の大きな柱である発酵に関するものだ。次の11種類の食べ物は、「細菌」「カビ」「酵母」のそれぞれ単独の、あるいは複数の働きでできる発酵食だが、各々の食べ物にその3者のどれが働いているのかを言いあててほしい。
●発酵食品: 甘酒、かつお節、酢、醤油、白カビチーズ、納豆、パン、ビール、味噌、みりん、ヨーグルト
●微生物: 細菌、カビ、酵母
どれも身近な食べ物でありながら、この問いに正確に答えることは、大半の人にとっては大変難しいだろう。言うまでもなく、日本は発酵や醸造の技の大いなる伝統が生きている国であり、それらに関する学問も世界一流である。私たち一般の生活者は日々その恩恵に浴しているのだが、発酵自体についてはほとんど何も知らない。それについて深く知り、生活に生かすための対象としてとらえていない。
しかしこれは、逆に言うと、日常の食経験が、栄養、微生物の生活史や代謝、バイオテクノロジーなどについて理解を深めるための確実な端緒となっていることを意味する。じつは先のクイズは、微生物について教わったことなどない小学生たちにやってもらうことが多いのだが(市民科学研究室が主催する「子ども料理科学教室」での「発酵という魔法」という授業で)、目の前にこの11種類の食べ物を並べ、味や匂いをしっかりと確かめながら、食材どおしのつながりを感じ取ってもらうようにすると、頭だけで考えようとする大人に比べて、子どもの答に正解が多かったりするのである。
このクイズは今の理科教育にも一つの問題を投げかける。過度の洋食化による栄養の偏り、肥満、朝食抜き、ジャンクフードやファーストフードへの依存の大きさなど、子どもたちの食習慣の乱れや食環境の歪みが指摘され、「食育」の推進が国の政策(農林水産省や厚生労働省)にも取り上げられている。では、子どもたちの食の改善の問題は、「保健」や「技術家庭」や給食には関係しても、理科は関係がないのだろうか?
いや、そうではあるまい。微生物の世界を理解することは、発酵の価値の認識することにつながり、それを上手に食生活に取り込むことは、健康と環境の改善につながるだろう。問題は、生活の改善のために科学技術の既存の知を編集し利用するという、生活者の側の主体性が貫かれた探求の形が、理科教育の中で打ち立てられていないことにあるのではないか。家庭や地域の仲間で味噌作りやパン作りを手がけている人は決して少なくないはずだが、それが科学教育の重要な起点の一つとなり得るし、そうあるべきだと考える人は少ない。学校で習う理科の知識が、いわば「理科室の中だけ」にとどまっていて、よりよい生活に向けての問題解決のために、日々ふれあっている現象を読み解くのに使えないようでは、意味がない。
ことはむろん「食」に限らない。毎日使う水はどこから来てどこに行くのか? 我が家の家電製品の待機電力はいかほどか? 我が家ではどう省エネすることが一番効率的か? 携帯電話のつながる仕組みはどうなっていて、その電波の強さはどれくらいか? 今まで受けてきた医療検診は何がどう役だったと言えるのか? 昔はよく見かけたのに、近頃はめったにお目にかからない小動物は何で、そうなった原因は?……「答」はすぐには得られないけれど、暮らしの中で出くわし、それを解く手だてを考えることで(計測したり計算したり観察したりすることを含めて)、よりよい暮らしの実現につなげられる「問い」は、きわめて多い。
学校外の「科学実験教室」や科学館の特別展示やサイエンスショーに足を運び、そこに行かないとできない体験をすることも大切だが、「科学=非日常のイベント」というとらえ方が固まってしまうようでは困る。今の生活をどう変えてみたいか、そのために何をどう調べていくか――生活の中にも科学の探求の意義深い機会と場があることを、親子で発見していただきたいと思う。■