運営委員を体験して

投稿者: | 1999年4月21日

薮玲子

1998年の春から一年間、土曜講座の運営委員をさせて頂きました。パートで仕事をしているとは言え月の半分は自由になる私の身分は、さまざまなボランティア活動の標的となっていましたが、昨年土曜講座の運営委員がしばらく欠員のままになった時には、それまで三年以上も関わっていた手前「私がやるしかないかなあ」とおこがましくも思ったのでした。

「科学と社会を考える土曜講座」は1992年の夏に上田昌文さんが立ち上げられて以来、その活動は定例メンバーによって支えられていたものの、実質的には講座の運営や通信の発行などほとんどの仕事を上田さんは一人でこなされてきました。その大車輪の頑張りは四年続き、一人ではこなし切れないほど活動の幅が広がった1996年の秋、多くのメンバーとの話し合いの末に、新しく運営委員体制が導入されました。これが運営委員の始まりです。当初は「運営委員」という呼び方ではなく「常任編集委員」と呼ばれていまして、これに一カ月交替の「通信編集委員」が加わり、上田さんと三人で講座の運営や月に一度の「どよう便り」の発行に携わることになりました。そのための運営会議が月に二度開かれました。
初代の運営委員は藤田康元さんが引き受けられました。藤田さんは大学院の博士課程で科学史を勉強されています。上田さんとはタイプが違いましたが、二人は気の合うところが多かったようです。

私が通信編集委員を担当した月に、編集会議のために社会問題研究所(通称「社研」と呼ばれています)に出かけてゆくと、すでに上田さんと藤田さんはいらしていて、廊下まで二人の声が響いていました。部屋に入ってゆくと、二人とも何かとても興奮した様子です。会話から察するに、藤田さんが1995年に公布された「科学技術基本法」の市民版を土曜講座で作れないかと話され、その思いつきに上田さんが大乗り気になられたのでした。これが「市民版科学技術基本法」の発端です。ご承知の通り、これは後に土曜講座の目玉プロジェクトとなりました。

藤田さんが一年数カ月で運営委員を降りられた後、はじめに述べたようないきさつで、私が二代目を引き継ぐことになりました。その際、再び運営体制の見直しをし、次の点を改正しました。

1. 「どよう便り」は1ヶ月に1度発行する。
2. 編集委員は2カ月交替とする。
3. 運営会議は月に1度開く。
4. 運営委員の任期は1年とする。

これまで毎月発行していた「どよう便り」を隔月に発行することによって、時間的にも精神的にも余裕が生まれ、より充実した紙面作りができることを期待しての改正でした。

運営会議は月に一度、上田さんと私と編集委員の三人の都合の良い日に行います。場所は三人が集まりやすい所、たいがいは三人の住まいの中間点です。 98年度の編集委員は上村光弘さん(5,6,7,8月) 後藤高暁さん(9,10月) 森元之さん(11,12 月)平川秀幸さん(1,2月)古田ゆかりさん(3,4月)が担当されました。

いつも感心するのですが、運営会議の度に上田さんは、その日話すべき点がびっしりと書き込まれたレジュメを用意されます。「次号のどよう便りの予定」「原稿の集まり具合」「2、3カ月後までの講座の準備状況」「それ以降の講座の予定」「合宿の計画」という具合です。会議はそれに沿って進められます。とは言え、それから脱線することしばしば。最近の科学技術研究の動向、社会や政治の問題、パソコンやオーディオの選び方、本や音楽や旅行の話、メンバーの近況など……。運営会議のレジュメは、いわば脱線するためのレールのようなものだと言えましょう。

科学の専門家でない素人による研究発表が売り物の土曜講座では、発表者のサポートは欠かせません。前もって聞きたい点を知らせておいたり、集会や資料の情報提供、準備状況の確認、発表の打ち合わせ、スランプ時の激励など、最近は専門家が聴きに来ることも多いので、ことさら気合いが入ります。

専門家を招いて講演をしていただくこともあるのですが、その場合は「いかに有意義な議論を戦わせるか」が課題です。関連資料には目を通す。著書があれば読んでおく。講座の「傾向と対策」を「どよう便り」に掲載する。さらに念を入れたい時には、講座を一回費やして「準備のための講座」を開きます。

もっとも、そんな受験対策的な手の打ち方ばかりではありません。先日の中野亜里さんによる「ベトナムの環境問題」の講演に際しては、みんなでベトナム料理屋に繰り出し、レシピの収集、食材の調達、自宅での予行演習と準備を重ねて、講座の後にベトナム料理を出しました。

運営会議は、このように一つ一つの講座を「いかに成功させるか」の作戦会議でもあるのです。

昨年(1998年)7月と9月に、私は上田さんと一緒に土曜講座で発表する機会を持ちました。テーマは「環境ホルモン」です。やりがいのある問題でした。

勉強に取りかかったのは5月末、マスコミでは連日「環境ホルモン」が取り上げられ、その過熱ぶりはピークに達していました。脅威を感じたカップ麺業界が新聞一面に安全宣言を掲載したのもこの頃でした。問題のあまりの急浮上ぶりに、専門書の出版が追いつかず、その替わりという訳でもないのでしょうが、毎日のように各地で勉強会が開かれていました。手始めに二人はいくつかの勉強会に参加してみました。

専門家による勉強会は「環境ホルモンとは何か?どんな化学物質がリストアップされているか?」という内容といい、問題へのアプローチの仕方といい、どれも同じでした。そしてこれもお決まりのセリフ。

「ホルモン撹乱の実体はまだ解明されていない」「ただちに人体に異変をきたすわけではない」「パニックに陥るな」

それらの勉強会参加の成果として、上田さんと私は「こういうありきたりの内容はやめよう」と言う点で一致しました。

同じ「環境ホルモン問題」に向かい合っても、二人の関心の持ち方や見据える視点は全く違いました。上田さんは「ホルモン撹乱のメカニズム」を生物学的に詳しくひも解いたり、「化学物質のリスク評価」について細かい数字とグラフを使って論理を組み立てたり、といったことが好きでした。いっぽう私は『奪われし未来』のシーア・コルボーンやひいては『沈黙の春』のレイチェル・カーソンの研究や生き方に魅かれ、また、化学物質にまみれた現代社会の構造をあばいてみたいと思いました。

関心のあるがままにそれぞれが勉強に取り組み、週に一度ほどの割でその成果を持ち寄りました。その打ち合わせのなんと充実して楽しかったことでしょう。市民側とはいえ「科学の素人」とは言い難い上田さんと、正真正銘の「素人」である私との、この共同研究はそっくりそのまま「専門家」と「一般市民」という構図に当てはめて考えることができましょう。たとえ両者の間に圧倒的な知識量や理解力の差があったとしても、それぞれの立場で一つの問題に取り組むことは可能だし、その成果を持ち寄り一緒に考え、議論を戦わせ、互いに刺激しあうことは可能なのです。そして、それは実に楽しく、どっさりと収穫をもたらします。これこそ、上田さんが土曜講座の中で実践なさろうとしていることなのだと、深く感銘を受けました。

早いもので運営委員をしてもう一年。四月末には私の任期は終わります。土曜講座もついに四月には100回を迎え、その記念講座には池内了氏(名古屋大学)に講演をしていただくことになりました。

先日、上田さんと古田さんと三人で、会場となる表参道の「環境パートナーシップオフィス」の下見に行き、そのついでに講演後の懇親会をするお店を探すことになりました。感じの良い店があると片っ端から入って交渉をするのですが、なかなか予算面で折り合いません。青山学院大学の周辺を歩き回りながら、私はまるで三人が「土曜講座」という一つの同好会に所属する学生にでもなったような気分に陥り、愉快に思ったものでした。

来たれ、土曜講座の新入部員!来たれ、運営委員! 来たれ、編集委員!

今、新しい季節を迎えて、土曜講座に新たな風が爽やかに吹き始めることを願っています。

(『どよう便り』第21号1999年4月より)

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