ノーマ・フィールドさんと語り合う集い

投稿者: | 2001年9月21日

土曜講座 9周年記念特別企画

◆ノーマ・フィールドさんと語り合う集い◆

生きることと語ることの間で

2001年7月28日(土)
環境パートナーシップオフィス会議室にて

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■はじめに 薮 玲子(司会進行)

この集いは企画から3年越しで実現しました。
たまたま土曜講座のメンバーの中にノーマ・フィールドさんと親交のある人がいて、その方を通して土曜講座での講演をお願いしたのが2年前の夏でした。ノーマ・フィールドさんはシカゴ大学の教授でいらっしゃるので、ふだんはシカゴにお住まいなのですが、ご実家のある東京には毎年夏に帰省されます。昨年の夏、まずは土曜講 座のことを知っていただこうと、数人のメンバーがノーマさんとお会いすることになりました。食事をしながら、楽しいお話が弾みました。そして「来年にはぜひ土曜講 座でお話をしてください」という私たちのお願いに快く承知してくださったのです。

その際、ノーマさんからひとつリクエストがありました。それは、ノーマさんが一方的に話をする講演会という形ではなく、双方向で話しあう形式でしてほしいということでした。
今年の春になり、いよいよ日程が決まった段階で、土曜講座の中で「ノーマ・フィールドさんと語り合う集い実行委員会」が結成され、7名のメンバー(薮玲子、後藤高暁、永添泰子、林衛、尾内隆之、森元之、上田昌文)で、まずノーマさんの著書や雑誌のコラム、対談や論評などを読みあい、どういう形式でやるか、テーマはどうするかを話し合い、ノーマさんとメールで連絡を取り合い、準備をすすめてまいりました。テーマは「生きることと語ることの間で」に決まりました。

私たちはノーマさんの生き方と言葉に強くひかれています。聞き上手であり、洞察眼を持ち、問題の本質は何かを常に探ろうとする。強くて、しなやかで、思いやりに満ちている、決して人に押し付けない、異なるものをも包み込む大きさが、ノーマさんにはあるように思えます。
集いの数日前にノーマさんはお忙しいなか、私たちとの打ち合わせの時間を作ってくださいました。食事をしながら、さまざまなことを語り合い、充実したひとときを過ごすことができました。

ノーマさんといっしょに語り合う楽しさを参加者の方たち全員で分かち合えれば幸いです。
プログラムは、まず準備をすすめてきたスタッフの中から4人がノーマさんへの問いかけをします。その問題提起を踏まえながら、「生きることと語ることの間で」というテーマに沿って、ノーマ・フィールドさんに自由に話していただきます。その後、休憩をはさんで、今度は全員が4つのグループに分かれ、それぞれのグループでノーマさんの話をもとに話し合い、リーダーが意見や質問をまとめます。各グループで話し合ったことを発表し、さらにその発表からいくつかの議題をえらび、全員でいっしょに語り合いたいと思います。

■準備スタッフの4人からの問いかけ

● 森 元之

私からの第一番目の問いかけなのですが、ノーマさんをお呼びするにあたって『天皇の逝く国で』や『祖母のくに』その他、ニューズウィークなどに連載されていたコラム等を読ませて頂きました。そうしたものから受けた最初の印象は、子供の頃から日本とアメリカという二つの国の中で生きていらっしゃって、疎外感や違和感を感じたりして、いわば一つの国の文化の中で生きてきた人間とは違う環境の中で育った方ということをイメージしていました。
ところが『祖母の国』という本を読んだ時、学生の時にフランスに留学されていた経験があると記述されていました。それを読んだ時に二つの文化の中で揺れ動いて来られた人がさらに第三の文化に触れた時にどういう印象を持つのかなと思いました。
というのは、学生の頃ですから、日本とアメリカの間を行き来した間にノーマさんなりの人格はある程度出来ていたと思うのですが、そこに第三の文化に触れたときに、純粋に日本とかアメリカの中でだけで育ってきて、大人になって違う文化に触れる触れ方とは、やはり違うのではないかと勝手に想像しているのです。そういったあたりのことについてお尋ねしたいと思います。

<森 元之による補足>
1999年から2000年にかけて、Newsweekの「コラム・オン・ジャパン」というコーナーに断続的に執筆されたノーマ・フィールドさんの文章を読んでの感想を書きます(とりいそぎ二編について)。

★「本当にアメリカが手本か」(1999.11.24号掲載)
内容以前にノーマさんの文章スタイルについてひとこと。このコラムを読んだ時の印象は、「なぜ、雑誌の見開き2ページ分の中に、こんなにたくさんの断片的な情報を詰め込んでいるのか」と感じた。しかし、実はその後で単行本の『天皇の逝く国で』の方を読んでみてノーマさんの文章スタイルにほれ込んだ。
彼女の文章はアクロバティックだ。取材対象者の人生を語りながら、自分の家系や親族の話と重なり、また政治的な問題を語る合間に、生活感にあふれた風景や雑感などが描かれ、しかしいつの間にか彼女の投げ掛けた大きなテーマに読者が引き込まれている。まるで夜空を背景にして走るジェットコースターのよう。ジェットコースターを遠くから眺めながらも、背景の星座という話題の部分にだけ気を集中していれば、あっちにとんだりこっちに動いたりして、その本筋のテーマを追うのが時に難しく感じられる。しかしそれは背景に気を取られているからであって、ジェットコースターにのってみれば、宙返りや急降下などどんなに上下左右に移動しようともレールは一本で繋がっていることがわかる。そんな文章だ。 このコラムの中でも、競争、教育現場の混乱、労働者の生活水準、自殺者の増加などいくつものエピソードちりばめられ、日米の比較をこころみている。そして最後には「同じような志をもつアジアの人々と手を携え、真にグローバルな『世界標準』を構築する。それこそが二一世紀にふさわしい目標だ。」というアメリカ追随型ではないビジョンをしめしてくれている。

★「慎太郎発言を解剖する」(2000.5.24号掲載)
ノーマさんは「アメリカ人の父と日本人の母の間に東京で生まれる。」という境遇のために、ものの見方捕らえ方が重層的だ。日米両国を移動し滞在する生活の中から、どちらにもいい面・悪い面があることを冷静に捕らえている。だからマスコミでよく行われる「アメリカのいい面と日本の悪い面を比べての劣等感にみちた自己批判」や「日本のいい面とアメリカの悪い面をくらべての優越感にみちた驕り」などの単純な図式は感じられない。
このコラムでも石原知事の政策や差別発言を問題視しながらも、それを批判する側にも問題点がある、ということを語っている。「……批判は必要だが、それだけでは何も変わらない。おそらく、政治家の暴言騒ぎが『儀式』になっているからだ。」とか「石原を批判する人々は、彼の気まぐれな世界観に魅せられた市民にも届く言葉を見つけなくてはならない。石原の柔軟性に対抗する 必要もある」、「石原のポピュリスト的な主張の魅力を真剣に受け止めないかぎり、批判派は彼に対抗する政治的想像力をもちえない。」という主張にはとても納得してしまう。なぜなら冷戦時代の二項対立の図式の延長で「いくつかの部分が駄目だから全体も駄目だ」という論法で批判するスタイルしか持たない人達と、問題発言をしつつも、同時にリーダーシップを発揮して、これまでの都政が放置してきた環境対策や財政再建を推し進めようとしている複雑な現実を見比べる時、ノーマさんの主張はとても素直に受け止められるからだ。

● 永添 泰子

今年の5月頃から、数人の方たちと「ノーマさんと語り合う会」の準備をしてまいりました。たしかこの集いは今年のお正月頃から話題になっていたかと思います。
ノーマさんのお名前を、初めてうかがったのは去年の暮れ、「女性戦犯法廷に行く」と藪さんがおっしゃっていた時じゃなかったかと思います。その時までは私はノーマさんがどんな方なのかを全く知りませんでした。その後この集いの準備として、みんなでノーマさんの御著書や『ニューズウィーク』や『世界』、『みすず』などにノーマさんがお書きになったコラムを読みましょうということになりました。

私がこの集いに参加しようと思った動機は、「従軍慰安婦や日本の戦争責任などについて話は避けたい」という後藤さんの意見に反対意見を述べてしまうようで言い出しにくかったのですが、雑誌『世界』3月号「女性国際戦犯法廷が裁いたもの」や『みすず』2月号「法律と悲しみと--女性戦犯法廷傍聴記」を読んで、ノーマさんの持っていらっしゃる健全な共感能力に惹かれたためです。

その後この集いの準備をしながら『天皇の逝く国で』や『祖母のくに』についてみんなで話し合いをしました。
この2冊で私がより好きな方は『天皇の逝く国で』です。ノーマさんは日本文学と日本文化の研究をしていらっしゃる方とおうかがいしているのですが、同時に優れたジャーナリストなのではないかなと思いました。「きっとすばらしい話し手だけじゃなくてすばらしい聴き手でもあるのにちがいないわ。秘訣を是非お尋ねしたい」とわたしが言うと、他の人たちに「どうしてそう思うのか。もっと具体的に例を挙げて、さらに永添さん自身の経験もまじえて言ってください」と言われて、この本を読み返している所なんですが、ここに出てくる3つの話の主人公の3人の方々やその周囲の方々の言葉はよく出てくるのですが、意外にも、ノーマさんご自身の質問や受け答えのことばは、わずかに本島等さんへのインタビューに続けて出てくる以外はとても少ないのです。驚きました。

でも、登場する人たちが話す言葉を読むとき、私はその言葉と言葉の間に、共感を持ってその話を聴き取ろうとする、ノーマさんのあいづちや質問や賛同や驚きなどの言葉を確かに読んだように思っていたんです。おそらく勝手に心の中で補ってしまっていたのでしょう。

この本は、私には不思議に共感することの多い本です。たとえば私が読んで衝撃を受けた本を登場人物達が読んでいたり(p.148の本多勝一著『中国の旅』や、p.306スーザン・ジョージ著『なぜ世界の半分が飢えるのか?』)。知花昌一さんが日の丸を焼いたことも、中谷康子さんが裁判を起こしたことも、本島等さんが天皇にも戦争責任があると言ったことにも、事件が起こった当時から私は心から共感を持って記憶にとどめていました。

これらの方々の勇気ある生き方にはとても励まされるのですが、その周りに、この方々を支える多くの心ある人たちが励まし支持していたことももっと私を勇気づけてくれます。おもてで脚光を浴びることはなくてもこの人達も勇気ある人達だと思います。そして、人並み外れた勇気を持った人しかこんな行動はとれないわけではないんだとも。

天皇制や、日本が戦争時に犯した残虐な侵略行為の数々(従軍慰安婦問題もその一つですが)を話題にのぼらせることは日本ではいつもタブーです。つい先日もある知人の男の人と、例の「新しい教科書を作る会」の第二次世界大戦の記述や従軍慰安婦が載っていないことについて口論になってしまいました。(気の良い方なんですけど。)天皇制が残ってしまったことは、今の日本が戦前と根本の所ではちっとも変わっていないこととすごく関係があると私はずっと思っています。(でも人前でそんな話をすることはできないのです。この種の話題では、私はすぐ意見の対立からけんかになってしまうのです。)

戦争時にひどい目に遭わせてしまった国々の方々全員に十分な償いをして、どこが間違っていたのか十分議論して検証することができれば、天皇制と今の体制を維持するのに都合の良かった今も続く日本の悪い慣習や息の詰まる相互監視システムも変えていく希望が持てるのではないかと思っています。このまま補償もせず、検証もせず、子供達に事実を隠して昔からの罪を隠蔽しようとすることは、被害者にとっても私たち日本人にとっても、不幸なだけです。負の歴史に自国も他国との関係も縛られたままになって硬直してしまうからです。

自分の国の負の歴史の後始末が終わっていないことは、私には体のどこかに棘が刺さったままのような嫌な違和感があります。
日本では、大多数の人が便利な生活を送るためや、社会の見せかけの秩序を維持するために、他国のもしくは自分の国の少数の人が人権侵害を受けても仕方がない、我慢しろ、という暗黙の了解があるように思えてならないのです。私はこの考えが我慢ならなくていつも衝突する羽目になるのですが。

さて、ノーマさんへの質問です。
避けて通れない大切な、でも立場が鋭く対立することがあらかじめ予想される話題を話し合うとき、望ましい自己主張の仕方、意見がまったく対立する相手の話を十分相手が納得するように聴き取るにはどうしたらいいのでしょうか。
そんな白熱する議論でなくても、日常家族やごく親しい人たちとの会話の中で、互いの意見の違いに驚くことなく、相手が十分に話を聞いて貰ったと満足してくれるような話し方聴き方を、テクニックとしてではなく、磨くにはどうしたらよいでしょうか。

● 尾内 隆之

ノーマさんの文章は、どれもが強く心の中に反響しつづけていますが、最近特に気になっているのが、ノーマさんが道浦母都子さんとの対談(1994年)でお話になった「根拠地を持ちたい…」という言葉です。この〈根拠地〉への希求、というお考えに、私自身が以前から考えあぐねてきた問題が重なって、強くひかれると同時に、ではそれは一体どういうことかという問いに帰っていかざるを得ませんでした。そして、この〈根拠地〉をめぐる思索がその後ノーマさんにとってどう展開しているのかな、という思いがあるのです。

私自身の生活は、典型的な都市型住民の生活で、生まれた土地からはほとんど切り離されています。たとえば自分が政治社会に関与していこうとすると、〈根拠地〉を持たない身であることをよく感じます。これは大都市の「市民社会」の実体でもあるのではないかと思ったりもします。都市住民は〈根拠地〉へのアンビバレントな感情を持っているのではないか。そして「失われた10年」といった言葉に示される日本人の〈喪失感〉と、〈根拠地〉へのアンビバレントな感情とは、大きな危険を含みながら、非常に深く関わるのではないか。最近のナショナリスティックな政治傾向と、強い指導者への待望論は、たぶんその関係の中にすっと入り込んでいるのではないかな、と。

そこで〈根拠地〉です。〈根拠地〉は欲しい。私を受けとめてくれる土地という意味で、素直にそれを欲しいと思います。しかし、そこでいくつか問題が出てきますね。
まず、「ユートピア」的発想は拒否しなければならないという問題。一元的な世界観は受け入れがたいですから。そこで、差異を許容する、ゆらぎの中の〈根拠地〉というものを想定したくなりますが、現実にノマド的な生存を受け入れてくれる〈根拠地〉を想定できるのか、それもこの日本で、と考えこんでしまいます。

あるいは、これは〈根拠地〉の「定義」にこだわりすぎかもしれません。むしろ、〈根拠地〉とはshareしようと努力する私たちの行為の中にこそある、としたら、私たちはその行為を保証する〈語り〉をどう身に付けるのか、どう実体化したらよいのだろうか、というふうに問題を立て直すべきでしょうか。

ここでshareという英語を突然使ったのは、どうも日本語でぴったりする言葉が見つからなかったからです(英語の理解も正しいかどうか自信ないですが…)。私の印象では、shareには「共有」と「分有」の意が兼ねられていて、ひとまずふさわしいかと思いました。日本語で「根拠地を共有する」と言うと、ムラ社会的なあり方が思い浮かんでしまいます。しかし「分かち合う」と言っても、それは所有領域をはっきり区分しているようで、これまたしっくりきません。

だから〈根拠地〉を考えることは、領域や領土という言葉を経て、私の中ではどうしても「所有」という言葉につながります。根拠地をshareするとは、所有の問題を何か今とは違うかたちで止揚することにつながり、ひいては、いかにして〈私たちの歴史〉に責任をとるか、という問題に至る、と。

責任・義務・人権といった観念は、いつも「誰かの所有」にされることで、問題の解決に都合よく(もちろん強者に都合よく)使われてしまいます。そこに付きまとう違和感をあらわにし、「所有」の概念をひっくり返し、新たな〈根拠地〉をshareすることが根本に必要なんじゃないか、と思ったりします。これを表す言葉は、「コモンズ」でもちがうかな。水俣病を生んだ水俣の土地の言葉で言えば「もやい(舫い)」かな? そうかもしれない。でも他にないだろうか。マタギの言葉やアイヌの言葉、うちなぁぐち(沖縄語)などなど……。

やはり〈根拠地〉は、面として、物理的に存在するのではなくて、〈行為〉として〈関係性〉として存在するならば、それはますます〈語り〉に頼ることになるかもしれません。そうなると、vernacularな言葉や関係や親密性にさらに重きが置かれることになるでしょう。

そこで、いわゆる「市民社会」での言葉の問題の重さが、ふたたび私にのしかかってきます。日本の市民社会はvernacularな言葉を理解しないどころか、遠ざけようとしていると感じます。特にNPO・NGO的な組織化された市民活動は、その傾向があると感じています(反論はあるでしょうが)。だから私は、〈For and Against 市民社会〉という立場です。これは、オーストラリアのテッサ・モーリス=鈴木さんの”For and Against NGO”という論文題から、そうか、と思ったものです。でも、その立場で私は、日本の市民社会において何ができるのだろう…。一つの導きの糸は、『天皇の逝く国で』に描かれる三人の方の姿と、その語りを受けとめ、言葉につむいだノーマさんの姿です。

そして私は、その〈言葉〉のやりとりを支える場にこだわってみたいのです。〈対話〉は、この集いのキーワードでもありますが、中立で無色透明な空間にあるのではなく、必ず何らかの具体的な場にのっているはずです。そこでは〈対話〉のパフォーマーである一人ひとりの〈拠り所〉が問題となるわけで、それを私は、「いま/ここ」という位置と、〈根拠地〉の代表格である「故郷」というものとの関係から考えてみたいのです。そこから、〈対話〉の拠り所についての課題を見ることができるのではないかと思っています。というのは、「故郷」は重要な「拠り所」でありながら、その「故郷」をめぐるさまざまな感情や行動は、しばしば〈対話〉を抑圧すると感じているからです。

「いま/ここ」がそのまま「故郷」である人もいるでしょうが、現在の社会では「故郷喪失感」、あるいは「喪失する不安」が大きく、その喪失の不安から、争いや排除が起こったりします。それは様々なレベルで顕われていて、「故郷」を国家に重ねる人もいますし、地域社会であったり、はたまた会社であったり…。

「故郷」をめぐる愛情や反発やさまざまな思惑が、〈対話〉の「拠り所」を不可能にしている場面はいろいろと見られるように思います。そうした状況の中で、どうしたら拠り所を分かち合って〈対話〉の場所を確保できるのか。ノーマさんにとっての「故郷」の意味や、位置付けや、向き合い方がヒントを与えてくれる、という期待感を、今回の〈対話〉の場に抱いています。

● 上田 昌文

私はここ9年ほど、科学技術がからんでいる様々な社会問題を解決するために、市民は何をなすべきかを考えつづけてきました。そのときに大切なのは、特定の科学や技術に対して知的な理解があるかどうか、ということでは必ずしもない、と考えるようになりました。決定的に大切なのは、科学技術の問題には必ず政治的な側面があり、往々にして隠蔽されがちなその面を表に引きずり出しながら、「自分が生きる上で何を一番大切だとみなしているのか」ということと関わる本来誰もがないがしろにできないはずの価値観や感受性の世界と、利害や権力の対立的な力関係で成り立っているかに見える世界とを、どこまで深く交わらせて共通の地平を切り開くか、という点ではないかと思えるのです。

こうした考え方に立つと、天皇の戦争責任、いわゆる従軍慰安婦をめぐる謝罪と補償の問題、あるいは米軍基地問題や死刑制度など、厳しい政治問題をどう見すえて、意見の対立が引き続く状態をどう乗り越えていくか、が大きな意味合いを持ってくるのです。こうした問題での見すえ方、乗り越え方が、本質的な重要性を持っているように思えます。

私は、端的で明快な対処法があるとは考えませんが、先に述べた価値観や感受性の世界が政治に向かって閉ざされた方に向かうのではなく、開かれつつ従来の政治の力学を変えていくこともできる、そういったあり方を想像します。それには、ひとことで言って文学、すなわち言葉を用いて内面的世界と外面的世界の関係に新たな光をあて、異質なものを受け入れることのできる想像力を鍛える仕事に、大きな意義を見出すことができるのではないでしょうか?

科学技術が文明を牽引しているかに見える現代の世界にあって、「文学の力」が衰弱してしまっていることが、じつは私たちを回復不能な地点にまで落とし込めてしまうのではないかという恐れを、私は持ちます。ノーマさんが、今の時代において文学や人文的教養の価値をどのようにとらえていらっしゃるのか、そのご意見の一端を聴かせていただければ、嬉しいです。

<上田昌文による補足:集会名について>
私は、ノーマさんをお呼びして語りあう集いを「生きることと語ることの間で」と名付けることを、皆に提案しました。このタイトルは、考えてみれば、奇妙なタイトルです。語ること--つまりことばを使って他者に向けて何かを表現すること--も明らかに生きることの一部です。この2つのことがらの「間」など、一体あるのものなのでしょうか?

私はノーマさんがなさっている仕事の質を、できるだけ的確に短い言葉で表してみたいと思いました。ノーマさんの文章には他ではなかなか出会えない特質があって、それが何であるのかをつかんでみたいという気持を私に抱かせるのです。「語ること」は確かに「生きること」の一部なのですが、それは位相の違ったことがらであり、「生きること」の持つ、語りえない豊穣さ、奥深さ、苦しさや辛さに、ことばをとおして精一杯むきあうことで、「生きること」の内実が照らし出されるような営みです。

私には、「生きること」と「語ること」という異なる位相の間を意識的に往来しようとする精神の働きが、人間には確かにあるように思えます。人と世界のありようと意味合いを、それがなくては写し出し、照らし出すことができないような言葉を探ること--この精神の次元を、私は、「間で」という表現に込めてみたいのです。

お会いしてお聞きしたいこと、語り合いたいことは、それこそたくさんあります。たとえば私は、「科学がなくても世界は豊かであり得るが、文学がなくてはそれは難しい」と考えていますが、そうしたことをめぐって、いろいろなお話がしたいです。しかしここではまず、このたびの集いでどんな具体的個別的な問題を論じることになるにせよ、それを省察し、表現し、他者と交わろうとする人間の精神のあり方に、深い関心を向けていることをお伝えしておきたいと思いました。

 

ノーマ・フィールドさんのお話

6月の末でしたか、私がシカゴを出る前に数人の土曜講座のスタッフの方から質問やコメントを戴いて、その時点ですでに皆さまの真剣さには圧倒されてしまったのですが、それから再度お話しする機会がありまして、どういうふうに皆さまの問いかけにお応えすればいいのかなと考えました。スタッフの方たちの中から出た「生きることと語ることの間で」というテーマは非常に抽象的ですが、それを具体的なものとして捉えてみることがたぶん私に期待されていることではないかと考えて、今日はお話をしたいと思います。

さきほど森さんたちがプレゼンテーションしてくださった時に、対話のむずかしさにはいろんな側面があるなと感じました。まず筆頭の森さんの時には、おっしゃることをメモしながら、答をどこに入れたらいいのかを考えるのに頭がいっぱいで森さんのほうを見るのを忘れてしまい、話も半分くらいしか聞いていなかったり、それから少し落ち着けるようになって、2番目の永添さんの時には落ち着いてじっくりと聞くことはできたのですが、聞くことに集中してメモをしなかったので半分くらい忘れてしまったりという具合です。そうこうしていて思い出しますのは、私が留学した時に講義を聞き取るのとノートを取るのが最初はなかなか一致しなかったということでした。それがどこかの時点で聞きながらノートを取れるようになった。私は今、大学の授業をする時にも、学生さんの言っていることを聞いて、すばやく対応できるような授業がしたいわけですけれども、聴く訓練というのは、筋肉とおなじようなもので、やはり常に繰り返さないことには衰えてゆくような気がするのです。そういうことを最初から感じさせていただきました。

私が講演する形ではない形でとお願いしたのは、みなさんがお互いに個人として、この空間に同席している仲間として意識しながら、話を聞き、質問や意見を言っていただければいいのではないかと思うからです。スタッフの方たちとはメールや事前に会って打ち合わせをしましたけれども、それらのメールや事前の会話に関わっていらっしゃらない方たちにもわかっていただける様にと、今日は私が最近体験した対話についての具体例をあげたいと思います。これはほとんど対話が成立しなかった例や対話のむずかしさをあらためて感じさせられる例です。対話のむずかしさ、たとえば私が対話をもてない人がいるかと考えた時、即浮かぶのは小泉首相やブッシュ大統領で、彼らとはきっと対話は持てないだろうと思います。でもほんとにそうなのだろうか。例えば同じ学校に子どもが通っていて親として接触する機会があったら、ブッシュでも話せるかなあ、小泉さんでも話せるかなあ、と思ったりします。でも、それよりももっとしんどいのは、友人と意見が対立した時に、その問題を取り上げることだと思いますし、近所づきあいの中で政治の問題などを取り上げる難しさもあると思います。

対話というのは自分と人との対話もあるだろうし、自分と自分との対話もある。自分が感じていることでまだ言葉になっていないもの、身体的な思いを心のものとして捉える過程、それが「生きることと語ることの間」の「間」だと思うのですが、それもひとつの対話として私は認識しています。それらの対話をキーワードにして、対話の拠り所が何であるのかを考えたいと思います。

●子犬の若い女性(見知らぬ人との対話)

今年のある猛暑の日、東京の家の近所を歩いていた時、私の前を子犬とその子犬をひっぱっている中学生なのか高校生なのか大人なのか後姿だけでは判断がつかない若い女性が歩いていたのです。彼女は暴力的に子犬をひっぱって、あっちに寄ったりこっちに寄ったりしている子犬をどなりつけている。けっして日陰を選んで歩かないので犬は苦しいだろうし、私はなんか言いたくてしかたがないのだけれど、とても躊躇して3分か4分くらい黙って後ろをついて行ったのです。

私にはいろんな迷いがありました。どういう話し方をしたらこの人は私の話を聞いてくれるだろうか。自分のペットの扱い方に関して他人に声をかけられるというのは、非常に不愉快ですよね。でも、私は彼女の行為が子犬への虐待に思えて、子犬がかわいそうでたまらなかった。いっぽう私は動物に対して異常に心を配ることに対しても違和感を持っているので、自分もそうなのではないか、もしこの子犬が子どもだったら、同じような扱いかたをしているお母さんに対して私は何か声をかけることを考えるだろうかとも考えました。

曲がり角に来た時、どうしても何か言いたくなって、何か言うのが自分の責任のように思えて、テレビを通して知識の豊富な母から以前「暑い時には犬は足の裏が痛むんだ」ということを聞いていた私は、ちょっと近づいて「暑いときは犬も足の裏が大変なんですよね」と声をかけました。すると、彼女は振り返って「そうですね。大変ですね」と言って、そのまま分かれたのです。

後で娘にこのことを話してどう思うかと聞いたら、「それではぜったい不十分だ。これは動物の虐待だというべきだった」と言った。娘はほぼシカゴ育ちですが、日本の生活も長く私と同じような感性は持っているのですが、ただ世代は違うわけです。私と同じ年配の日本人に聞いたら、「それはちょっと弱すぎる。私ならもっと強いことを言っていただろう」と言われた。

「ああ、ダメだったんだ」と思ったのと同時に思ったのは、どうして私は彼女が子どもなのか大人なのかと気にしてしまったのだろうか。大人のほうが声がかけにくいからだろうか。もしこれがシカゴだったらもっと軽く注意をしただろうか。自由に発言できただろうか。ということでした。ただ今では「やっぱり不十分だったんだろうな」というのが私の結論です。些細なことであるけれども、対話のきっかけを自分からイニシエートすることがどれほど大変かということをつくづく感じたことだったのです。

●引越し(過去のものとの対話)

母が今度私たちと一緒に暮らすことになって、今私は引越しの準備におわれています。みなさんご承知の通り、引越しはとってもわずらわしいものです。曾祖母の時代の日常生活に関わった衣類とか食器とか写真、手紙、戦前の母の兄弟の通信簿などが思いのほか多く保存されていたので、どれを取っておくのか、どれを捨てるかと選んでいたのですが、私があまり多く捨てるのを見て、娘は「私はもう何も取っておかない。どうせ捨てられてしまうものだから……」と言ったのです。捨てるにしても私たちはぼろぼろになった手紙とかをひとつひとつ手に取ってみて、古い着物を見てなぜこんな趣味の悪いものを買ったのかしらなどと言いながら、われわれの曾祖母とか祖母の時代に思いを馳せていたのですが、娘にはいろんな思いが走ったのだと思います。

つまり、自分のものも子供たちによって捨てられてしまうのだろうなあとか。人生って何なのだろう、やはり処分されるものでしかないのじゃないだろうかとか。また、娘がそう言ったのは、彼女が25歳の若さで人生って捨てられてしまうものでしかないのかと思ったことを、私に否定してもらうことを期待していたんじゃないかという気もしたのです。……■

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