猪野修治
★はじめに
2000年3月11日(土)、シンポジウム「市民がすすめる大学改革」(主催:科学と社会を考える土曜講座、協賛:東京理科大学サイエンス夢工房)が東京理科大学神楽坂校舎で実施された(14:00~18:00)。その後、東京理科大学理窓会館に場所を移し懇親会がもたれた(18:00~21:00)。私はシンポの実行委員会(上田昌文・森 元之・加納 誠・猪野修治)のひとりに名前を連ね、わずかながらシンポジウムの準備段階からかかわったこともあり、このシンポジウムの準備段階から当日のシンポまでの様子を私が見て感じたことを時系列的に報告しておこうと思う。これはいわば私自身の備忘録とでも言ってよいものである。このシンポジウム終了後の核心的で内実的な議論と今後の問題については上田さんが論じるであろうからである(次号「どよう便り」参照)。
★1.そもそも、なぜ「市民がすすめる大学改革」なのか
科学と社会を考える土曜講座(以下、土曜講座)で「大学論」問題がいつから語り始められたのであろうか。おそらく代表の上田さんの心のなかには、1992年5月16日の発足記念講演会「英語支配を超えて」のときにすでに暗黙のうちにあり、それ以来、今回で第111回目にあたる大学論まで、既成の大学で行われている学問研究とは別な形の知的な営みをめざしてきたのである。最近の言葉で言えばオールターナティヴな知的活動と言える。その具体的な運営手法は、これも既成の研究会によく見られる有名専門家講師の話を聞き、それで終わりという形態ではなく、土曜講座に集う科学の「素人の仲間」が科学と社会にかかわるテーマを設定し、わいわいがやがや手探りで戸惑いながらも、自分たちの手で物事の本質をさぐろうとするものであった。これが土曜講座の基本的な視点と哲学であったと私は解釈している。
ここで既成の大学の知的営みではないオールターティヴな知的営みと言うからには、その背景には既成の大学の知的営みと対抗する精神があるはずである。最近上田さんは、季刊雑誌『ひとりから』(2000年3月号、編集室 ふたりから 発行。東京都豊島区西池袋2-43-5 日神バレステージ西池袋1101、tel:03-3985-9454 fax:03-3985-9434)の座談会「学校をひらく 世界をひらく--高木学校の高木仁三郎さんと若い科学者に聞く」(56頁~87頁)で、次のようなことを述べている。大学院で生物学を専攻しつつ、原子力・核問題の市民運動に関わっていた彼が、アカデミズムの世界から身を引いた動機に関連して、「アカデミックな研究者が構造的に持てないものは何かと言いますと、市民との対話なんですね。
もちろんジャーナリズムが市民の立場からいろんなことを取り上げますから、アカデミックな研究者もいろんなものを感じてはいるでしょうけれども、市民の側が、自分たちが生み出した知識とか技術というものをどう受けとめているか、何を問題にしているかということを、実際に共有できないことが最大の問題だと思うんです」と語っているように、アカデミズムの研究者であった上田さんは実際の生活で「市民と共有できる科学技術を希求する方向」に自らの立場を転換させる。この問題意識が土曜講座の出発点となり、この8年の年月を市民の自立的な立場から社会性の強いテーマを手探りで探ってきたと言えるだろう。
こうして、市民と対話することを主要な目的とする土曜講座は、しだいに大学内部にいる良識的な研究者の賛同を呼び起こしつつあるという現状認識と学生数減少期の真っ最中にある大学が生き残りをかけた存亡の危機に瀕している現状を踏まえ、市民の側から打って出てた。上田さんは「市民に開かれた大学を求める--市民がすすめる大学改革シンポジウムに向けて」(『科学』2000年3月号)と大学研究者に向けて16項目にわたる詳細な大学問題アンケート・質問項目を独自で書いたのである。
★2.シンポジウム「市民がすすめる大学改革」資料-『大学問題アンケート回答集』
実行委員会は、上記の呼びかけと質問項目を含む文章を土曜講座に関係する14名の方々から200人近い大学関係者を紹介していただき郵便と電子メールで送り、そのうち20数名から寄せられた回答をまとめたものがこの回答集である。この回答数を多いと見るか少ないと見るかは判断が分かれるところであるが、実に多岐にわたる質問事項に頭を悩ませた方々も多かったことだろう。実際、私のある友人は「趣旨は理解できるが、このアンケートを読めば読むほど、そう簡単に応えられるようなものではない」という返事をもらった。そのことを考えると、記名・匿名を問わず、短期間のうちに詳細な回答を寄せられた方々には感謝の言葉以外ない。貴重な回答集となった。この回答集は大学関係者と市民的な運動研究団体の土曜講座の共有財産となることはまちがいなく、今後の生きた資料となるであろう。
★3.シンポジウム当日(3月11日)の概要
●13時00分ころ土曜講座スタッフと理科大学加納誠さんと日下部慧さんの研究室の学生さん数名が合同で事前準備の打ち合わせを行った。その後、直ちにそれぞれの担当の仕事に散っていった。私は掲示係として学生さんのひとりと会場周辺と大学周辺に案内の掲示物を張り付けた。私は会場校(理科大学)の卒業生だが、このような「健康的で社会的な仕事」をするのは卒業以来初めてのことである。不思議な巡り合わせである。その作業中後ろから私の教え子で大学生の野村さんと松本さんが突然に表れた。手伝いに来たという。 うれしかくもあり頼もしかった。
会場の隣の控え室の教室では出版物展示担当の森さんがどっさり本を出している。出された出版物は森さんが編集した北斗出版の本、雑誌『科学』(岩波書店)、そして私が出している「湘南科学史懇話会通信」などである。先ほどの2名の教え子と私の息子が森さんの助手として働いてくれた。会場前の受付は藪さんと古田さんがセッテイングを始めた。そこでアンケート回答集は配布された。古田さんは学生さんとともに受付に居続けている。
●14時すこし過ぎた頃、シンポが始まった。まず初めに第一部の総合司会の藪さんが開始の挨拶と土曜講座の簡単な説明をした。次にこのシンポの協賛者で会場を提供してくれた理科大学から挨拶があった。その挨拶は日下部さんが行った。そのとき、私は加納さんが急病になったことを現実のこととして深刻に受け止めた。予定では実行委員でもある加納さんが話をすることになっていたからである。日下部さんは、このシンポへの西川哲治・東京理科大学学長の私信を読みあげた。その私信の全文は次のとおりである。
●私信
2000年3月11日 「シンポジウム・市民がすすめる大学改革」実行委員会御中
西川 哲治(東京理科大学学長)
日本は科学・技術の導入により、現在、高度な工業化社会を実現しました。その過程で、皆様もご承知のように心の痛む状況が派生しております。その様な中に在って、この度、本学を会場として貴実行委員会が「シンポジウム・市民がすすめる大学改革」を開催されますことは、私としても誠にうれしく思います。そして、市民をも交えて「何のための学問か」という問いを忘れず、学問の健全なあり方を実現するための「改革」を真剣に構築しようとしておられることに敬意を表します。
私共の大学でも、何年も前から様々な形で改革が進められてきましたが、市民のサイドから改めて大学改革を提言していこうとする試みはありませんでした。確かに大学は、多くの予算と優れた人材、歴史的に積み上げられた知的資源などに支えられながら、研究・開発と教育をすすめるという大きな役割を担って参りました。そして自然法則を言葉にすることと、人が求める品々を科学し作り出すことに力を入れてきました。
しかし大学はこれまで、市民社会全般に対して本来果たすべき社会的貢献を十分になしてこなかったことも考えられます。 私たちとしては、時として忘れ勝ちである、人の心を大切にする科学・技術を推進して行きたいと願っています。
その中にあって貴委員会が、これまでと全く趣の違う「大学を社会に対してもっと開かれた存在にする」ということがらに本格的に取り組み、生活している多くの人々のみならず、教育委員会や市役所等を含む地域社会と交流する開かれた大学を目指した市民の側からの新鮮な問いかけになることを期待してやみません。
以上が西川学長の私信であるが、この文案作成の過程で、この私信にもあるように、市民側から提起した企画を大学側が受け入れるという初めての試みであり、学内教員で実行委員でもある加納さんのご努力は並大抵のことでなかったことは言うに及ばないであろう。感謝に絶えません。
★第1部(主催者からの問題提起とパネラーの講演、司会は上田昌文)
●14時10分、シンポジウム第一部の司会者・主催者で土曜講座代表の上田さんがアンケート回答集の内容を踏まえつつ、次に示すレジュメにそって問題提起を行った。レジュメのタイトルは「アンケート回答から考える:大学をどこからどう変えていくべきか」である。それをそのまま以下に掲載することにする(内容の詳細は次号「どよう便り」を参照のこと)。
1.情報公開:・研究予算の使われ方、人事面に関する徹底した情報公開(文部省に科研費情報などHPで一覧できるように要請、各大学でもHPなどで同様の情報公開を要請(財務資料など)/・大学の方針自体の公開と市民の意見の受け付け(市民も意見の発信し、相互に議論できる環境を作る)/・学者の審議会などへのかかわりをすべて公開、理事会、教授会の原則公開
2.財政:・財政源の多様化、財団法人方式、寄付への税制優遇措置/・「金は出させるが、口は出させない」かつ「使った金についてはきちんと説明する」(大学の自治の貫徹と事後評価の徹底)/・大学の授業の「切り売り」(聞きたい人はその授業を金を出していつでも聞ける)/・地方自治税の「大学税」で、地域サービスを無償化
3.評価:・第三者公的機関(オンブズマンなど)による評価システムの確立(各地に)/・評価の方法・システム自体を多様なアクターを交えて検討する研究会を発足(「業績」「教育活動」「社会貢献」の3者を関連付けての評価)/・教育内容の公開(市民向けの発信)も評価対象にできる
4.人事(公正性、流動性):・公募制の大幅導入、すべて情報公開することが前提、評価委員会がかかわる
5.研究と教育:・大学教員の事務的負担の軽減、競争原理からの解放/・「教養的教育」の担い手の多様化(リベラルアーツ的な教育を、より広い層で担っていく)/・「課題の意識化」が目的(地域コミュニティも参画しての教育、カリキュラムの共同検討)/・「市民研究事業」の担い手を養成するコース:多様な専門家を呼び込んだ専門社会教育、大学独自の「ラジオ公開講座」/・「教育業績」に対する給与の増額
6.市民との交流、地域の知的センターとして機能:・「地域アカデミー」多様なアクターで共同運営する市民のニーズに応じた講座/・大学もかかわる「市民研究事業」、市民が運営、それを公的に支援するシステムも必要/・市民からの「委託研究」とその財政支援、その成果の適切な評価/・年齢枠やペーパー試験の撤廃
7.図書館の開放:・多様な利用法の発見・開拓(共通入館証、臨時入館証、書誌データベース公開、地域図書館との連携、低額な入館手続き費用の徴収……)/・図書館、博物館を市民との交流の1つの「窓口」として機能させる
8.非常勤問題:・組合などによる組織的取り組みの必要、法制度改革、基本的に「専任」体制だけにする:非常勤の位置付けを変える/廃止する■
上田さんの話は膨大なアンケート回答集を踏まえての全体的な問題提起であったため、
予定の15分をだいぶオーバーし、30分近く続いた。
●3人のパネリストの方々の講演概要
◆◆渡辺勇一さん(新潟大学理学部)
新潟は今、いろんな問題を抱えています。まず初めに今日ここに来るまで、回答集を読んできましたが、これを議論するには相当の時間がかかるのではないかと感じた。お話の概要を述べておきたい。まず市民とはなにかということです。市民と大学を対立させて考えなければならないという構造自体が問題ではないかということ。それに大学の現状で、教官の意識、学生の動き、管理システム全体の動きなどです。
まず市民の問題だが、私の見た日独裁判官の比較の物語です。日本の裁判に比べると、ドイツの裁判官は非常に開かれている。日本では職業を持っている人が市民という意識が薄れてしまっている。あるいは家族を構成する人間からも薄れている。つまり職業人が生活の場で何もしていない。研究者や大学の先生はひとつのパターンを持っている。大学に関わる人たちを考えてみると、官僚や教育委員会、しして財界人がある。具体的には経団連はひと作りから始まって教育政策まで、非常に大きな組織的な力を持っている。経団連の議論が外在的に急に教授会におりてくる現実がある。横文字を使った怪しげな「改革」を押し付けてくる。そういう言葉を出してくるのは財界人です。
大学生の質は、今、底をついている。たとえば大学教育学会で、「授業中携帯電話で話している学生を注意していたら、私立の先生はつとまらない」ということを聞いた。そういう学生が非常に増えてきている。
日本では文部官僚、大学の教員、高校、中学、小学校の教員、それから財界人が相互不信の中で、いろんな教育や研究活動を繰り広げている。たとえば高校と大学の関係で言うと、学力論争については、高校の先生からみるとすべての大学入試が悪い、大学の教員からみると、高校の教科書のあり方が悪いという。大学と企業の関係で言うと、企業から見ると大学は役に立たない。日本は科学技術立国を打ち出しまたが、これで企業はかろうじて大学に期待している。大学から企業をどう見るかというと、私たちの世代では、産学協同は軍学協同と同じくらい良くないことだ、という意識がある。それは第一世代と言われている。
あまりにも安易に金になるような方法を望むために、かえって技術の底が浅くなると、ノーベル賞を取った学者でも言っている。大学と企業の間にも信頼関係が少ない。企業が大学に金を出したときに、アメリカの場合、その内容についてはまったく自由である。日本の場合は、大学と企業の間で、そこまでは行っていない。
最後の問題は文部省と大学の関係です。国際比較では大学に来る予算は、日本は他の先進国の半分くらいです。それから大きな問題は授業料です。ドイツ・フランスは無料です。日本の場合はかなりの金を取っておいて、大学内の施設が貧しい。本当は学生が反乱を起こすべきだと思う。
文部省はそういうなかで教育行政を担っているわけです。教育改革を進める審議会という機関がある。審議会はさきにシナリオが容易されている。官僚が用意してそれを仕切る、そういうものです。官僚の隠れ蓑です。先に結論ありきです。つまりウォルフレンの言う責任主体の喪失です。教育改革をやるときに、どこが発案して、それが失敗したときにどこが責任を負うのかが、日本の社会で全くはっきりしない。そこで市民の立場で監視することが重要です。それでは市民はどれくらいの力を発揮するか。大学の教員や官僚が市民のなかに入って来ない限り、大きな力を持ち得ない。日本の裁判官がドイツの裁判官のようになるのは非常に難しい。ただし、裁判官と大学の教員とでは違っていて、大学の教員は自由、自治がある、といわれる。しかし日本では、その自由、自治とかが、どれくらい制約されたものであるか。大学の教員が新聞に投稿する勇気を持っている人間が何人いるか。今回、独立法人化問題について投稿したのですが、デスクで握りつぶされました。
大学に関わる問題に大学の教員が世の中に訴える行動をどこまでできるか。これは勇気のいることです。たちまちその投稿した教員は大学の中で、一種の視線にさらされることになる。授業を受ける学生と同じような構図がある。屈折した妬みみたいなものです。自分の意志を明らかにして教員とコミュニケートする学生は一割くらいでしょう。教員の方にも、非常に鬱屈した中で、抑圧された中で、マスコミに書くことになるのだという、潜在的な抵抗感があるかも知れない。
私と井口さんは「高等教育フォーラム」に出たことがあります。立場は違います。私の方は大学の中にいますが、教授会とか協議会で言うことは、外にでるというだけで守秘義務違反になるという意識があるわけです。科学や技術の崇高な問題を論ずる前に、大学のこのような体質は大変な問題です。しかし、大学の中にも、これではいけないという教員が多数います。このアンケートも非常に、多分出された方が驚くほど反応があったのではないかと思います。
最後に大学がどのように何をもって変わりつつあるかを述べます。ひとつは先ほど言った科学技術基本法が成立して「科学技術立国」がうたわれるようになって、1996年から2000年の間に17兆円のお金を注ぎ込むことになった。そのために、生活や福祉に関係あるところがしわ寄せを食らっている。これは同僚教員に言ってもまったく理解されません。保険、年金、介護保険などの金がほかに回っていく。その中で17兆円というお金が使われているという論議が驚くほどありません。一つのプロジェクトで、一年間、3億という金です。これが5年計画の研究ですと、一つのグループの研究者あるいは特定のボスのところに15億のお金が集まることになっている。こういうお金の動き方に市民の方々がきっちりと、どこでどいう予算が動いているのかの実態を把握することがある。現在の17兆円の予算の中で、県や市のレベルからくるものがあるわけです。しかしそれを使って地方自治体のレベルで市民的な研究所を作るとかしているわけではない。その県レベルからくる予算の使途を見て驚きました。コンビニ、ドラッグストア、住宅リフォーム、など全部含めて何に使ってもいいというのが科学研究の予算の17兆円の中身です。もしそこに市民が県民としてこのお金を地方のために分けるとか、という形で参加して行けば、新たに市民が懐を痛めて集めなくてもいいのではないか。こういう形で市民が知らないうちにお金とかシステムが動いているわけです。
もう一つ、市民が知らないうちにできてしまった、市民が参加できるシステムがあります。大学の中に大学運営諮問会議というのが、新しく法律ができてあるわけです。ではたとえば新潟大学ではどういう人がその諮問会議のメンバーになるのか。新潟には農民のお金を預かる第一銀行というのがあります。その第一銀行の頭取とか、知事とか市長とか、そういうような人がメンバーになっているわけです。山口大学では市民から作文を募集して、その作文に一定の見識がある人を運営諮問会議のメンバーにした。結果的に、これは医師とか肩書きのある人が入りましたが。
最後に独立法人化の問題です。これも大学の方も市民と一緒に議論する機会がなくて困っている。組合でもいろいろ勉強して市民に訴えたいと思っています。今大学は前よりいっそう激しく変わりつつある。以上です。
◆◆井口和基さん(フリーランスの物理学者)
お招きしていただいてありがとうございます。本日の議題は大学改革です。今、独立行政法人化の問題がでましたが、私が関係しているところで言うと、筑波にある工業技術院は筑波は独立行政法人で、電総研から含めて全部新しいアカデミズムを作ろうと議案化しています。そこもやはり大学改革と一緒に焦点になっています。僕の予想では大学改革をもとにして官公庁の間でなわばり争いの動きがある。
アカデミズム・セクターというのは、このアンケート回答集になんども出てくるので、ご理解いただけたと思います。僕は10年前、ユタ大学物理学部を卒業して日本へ帰る夏休みに今までに経験してきたことをまとめようと思いました。どうして日本には受験戦争が起こるのか。どうしてアメリカの学生はバイタリティがあって、どんどんつぎからつぎへとトップスターがあらゆる分野で出てくるのか。その差はどこにあるのか。これをまとめた論文を「科学・社会・人間」という雑誌に投稿したら運良く採用されました。それがこの本のもとになったものです。その後、理化学研究所というところにいたときに、「第3セクター分立の概念--日本社会の構造的問題のその解決の方向」を本にまとめて、その後ろに、いろいろコメントを付けました。これを88万円ほどかけて500部ほど自費出版しました。当時1995年2月に発表したのですが、これを100ほどの国立大学に自腹を切って送りつけました。あるマスコミの人が僕の本を見つけまして、立命館大学の改革をもとにアカデミズム・セクターという概念を初めてマスコミで議論した。あまり知られて本ですが、私はあくまでもメッセンジャー・ボーイのつもりで書きました。僕がその「アカデミズム・セクター」という概念を創始したわけではない。今の欧米社会でアメリカが一番そのシステムが進んでいるわけで、そのアメリカの社会にはもうすでにあるのです。たまたま私がそこに留学して行って正しく認識してそれをみなさんに伝えるということです。丹波哲朗さんは大霊界のメッセンジャー・ボーイと言われますが、僕はアカデミズムのメッセンジャー・ボーイの役割として参加することにしたわけです。
まず理解してほしいことは、われわれが事業というときに考えることは金儲けということです。このようにしか考えられない。だけど事業の中にはもっと別の事業もある。新しい知識を生み出すとか。要するに新しいものを構築するとか、そういったものがアカデミズムです。その事業をやったから直接にお金に結びつくわけではない。僕自身24年前にここへ大学入試に来たことがあります。僕は理科大学出身者なのですけれども、理学部をおちて理工学部へ行くことになったのです。理工学部でサッカー部にいて、天理大学と試合で開始5分でゴールするなど、本格的にサッカーをしていまして、なつかしいんですけれども、とにかく、そのようにサッカーしたからといって、直接にお金に結びつくことはない。ただそれを楽しみにする人たちがいて、それをみたいと、そこでお金が動くのです。
アカデミズムは基本的にそういう動き方しかしない。われわれの活動である物理の論文を作り出すことに感動したり、それが将来、何かに役に立つものに対してお金が二次的に動いていくもので、その活動そのものは何もお金を生み出さない。そこをまず理解してほしい。
それで、基本的に社会にはそういうアカデミズムを担う役割の部分、実際に物を作ったり物流などの企業活動の部分、それに法律をやる部分もある。あるいは宗教がある。正確には4つのセクターがある。われわれの日本に足りないのはその中の、特にアカデミズム・セクターと言われる知的な部分に相当するものです。われわれがここで悩んでいるのと同じことを、たとえばスケートの清水選手は自分の技能と才能をいかに発揮するかで悩んでいる。これは同じ問題です。スケートでいくら世界一早く走ったところで、彼自身、全然、お金になることはない。それにトレーニングするにはすごくお金がかかるんです。まったく物理学者が悩むことと同じ様な状況なんです。それはアカデミズム・セクターが日本にないからなのです。僕はそのように理解しています。だから基本的に大学改革というとすぐに物理とか数学とか産業に結びつきそうなのが優先されますが、僕はもっと広く考えて、スポーツ、芸術もそういったものと同じ状況にあると思う。だから、それがアカデミズム・セクターが経済的にも社会の中で維持される方向へいかに持っていくが問題であろう。
もうひとつは大きな定義の問題ですけれども、日本人が大学と言っているものは、アメリカ人が言っているユニバースティというものとは違うということを、まず理解してほしい。そもそも大学の定義が違うということです。日本の大学はアメリカで言うとインスティテュートなんです。理学部、工学部、経済学部、経営学部とか。基本的にユニバーシティの定義は何かと言うと、要するに英語でメジャーです。物理学、数学、音楽など、そういうひとつの教科書の名前になっているものが、ひとつの学部をつくるんです。僕が卒業したユタ大学では物理学学科ではなくて物理学部なんです。理学部物理学科出身ではなくて物理学部出身なのです。つまりカレッジです。そのカレッジが複数集まってより総合的に大学になっているものをアメリカではユニバーシティと定義する。だからひとつひとつは単科大学として経営が成り立つようなものが集まらなければならない。そういう考え方がアメリカの大学なのです。だから日本の大学はインスティテュートなのです。それはひとつの目的を達成する組織なのです。たとえばアメリカン・インスティテュート・オブ・フィジックスというのは、アメリカの物理学のすべての雑誌(科学雑誌)を出版する業務を取り仕切る組織なんです。そこは科学者がいるわけではなくて、世界的な物理学雑誌を出版する目的のためにできたのがインスティテュートなんです。
日本は明治時代以来、早く西洋に追いつけということで、そういうインスティテュートを作ったのです。大学ではなかった。その伝統が明治以来、現在まで来て、東京大学と言っていますけれどもいますけれども実質的にはいくつかのインスティテュートの集まりに過ぎない。だからサッカー選手が出なくてもいいわけです、そういう目的を持っていないから。ところがアメリカの大学はすべての学部があり、たとえばスポーツ学部というのだってある。そこがスタジアムを運営しているんです。音楽学部はすごいコンサートホールを持って運営しているんです。だからアメリカの大学と言ったら、コンサートホールはある、シアーターはある、映画学部は映画館を持っている。これが大学の中にあるんです。ユタ大学でもあるんです。それがアメリカで言う学問の理論と実践ということである。理論というのは研究で、実践というのは、それを実際に運用することを大学の中で勉強して模擬的に運営する。だから経営学部は当然、銀行もある。アメリカの大学は銀行を経営しているんです。日本で言えば大学信用金庫を運営しているんです。財源をいろんなところから取ってきて自己運営している。実際、私は、去年物理学100年祭がアトランタであって、その後、ユタ大学にちょっと寄って来たんですが、私が泊まったユニバーシティ・パークホテルは大学が経営しているんです。大学がホテルを持っているんです。それがごく普通のアメリカの大学なんです。東大がホテルを持っていますか。そのように定義からしてまったく違う。その定義を日本が知らない限り、日本の大学の世界ランキングは、下がってしまう。まず施設がない。ほとんど定義を満たしていない。ただ、研究ランキングになると、これは個人的なペーパーですから、大学のそれとは別のものです。
だから日本の大学を改革するんであればまず、数学学部とか物理学部とかをひとつに集めてできるようなまったく新しいものを作ることだ。ようするにアメリカ的な大学を作るというのは、ひとつの方向になるんだろうと、僕は思いますし、そうあってほしい。実際みなさん、アメリカの大学に行ったことありますか。まず、ハワイに行ったらハワイ大学を見て来てください。ハワイ大学も立派な州立大学で、天文学では世界のトップレベルです。言語学部、海洋学部などがあります。要するに、ハワイなのちっぽけなところにそんな立派な州立大学があるんです。そこでいっぱい日本人も教えています。僕の義理のお姉さんはもうすぐ結婚するのですが、そこで日本語を教えています。日本語を教えながらそこに住み着いて、自分は大学院生になって、今や10年くらいかけて博士号を取りました。そいうことがアメリカの大学ではできる。そういうシステムが日本には欠落している。だから、みなさんが大学の定義を認識してより現実に合う大学に近づいてほしい。
もうひとつ違う話です。先ほど、渡辺さんが言ったことと関係する話題です。今後、ミクロに見て物理学部でなんで大学教授は忙しくなってしまうのか、という問題です。アメリカの場合はサポート・システムあり、どうなっているのかというと、プロフェッサーというのはプロフェッシンですから、要するに自分の専門の研究や教育を徹底的に追求するわけです。それに対して事務系という人たちがいる。その人たちの中で、事務の一番のボスになる人は、だいたい物理学のphDを取っている人です。まったく物理を知らない人にはその仕事はできない。そのまわりに若干の秘書がいる。それ以外にテクニシャンという人がいます。あくまでサポートする人です。アメリカの大学院生の場合、勉強もものすごくさせられますけれども、何が期待されるのか。要するに新しい概念を生み出すものをプロモートすればよい。たとえば数値計算が苦手でもいい。自分より数値計算がうまい人を雇えばいい。自分は試験管を動かしてやるのは得意ではない。そのときには予算を取ってきて雇えばよい。俺はこいつが知りたいんだ。俺はこの現象を解明する。俺はこれに命を懸ける。これができるかどうかを、アメリカの学生は問われる。
要するに自分自身、なんにもできなくてもいいんです。アカデミー賞を受賞した監督がいましたね。俺はこういう映画を作りたいんだ、というビジョン、これなんです。これはほかの人にはできない。イサム・ノグチという画家いますが、自分が名工で作っているんではない。作る人がいるんです。実際に加工する人が。だけど、彼はこう設計しろとか、ここへおけとか、指示するだけなんです。あるインタビユーアーがその作る人に、「あなたはイサム・ノグチの下で作っています。じゃ、なんであなたは独立して作らないんだ」と聞いたら、そうしたら、その人は「自分にはどこへおいたらいいとか、そういうことは一切わからない、言われたことはできる、だからペアを組むんだ」と答えている。これと同じことなんです。テクニシャンというのは、技能が好きだという人なんです。才能としてまったく違う。サッカーでもそうです。本質的に質が違うものなんです。日本では学者をそういう風にとらえられてないから、数値計算ばかりしている物理学者の助手が独立して教授になっときに、その人が果たしていい論文が書けるかというと、実際はそれは無理なわけです。そういう才能ではないのです。いままでなかったまったくあたらしいジャンルを作り出すことです。現象を発見するビジョンがなければならない。日本人が、ノーベル賞をとったアメリカの物理学者・生物学者を見たときに、なんでこんな人がノーベル賞を取れるのか、と多くの人は思うかも知れない。なぜかと言うと、必ずしもその人がその分野のエキスパートとは限らないように見えることがある。だけどそいつがいなくては、そのプロジェクトは実際に始まらないわけです。
アメリカの大学の教授は日本の政治家なんか問題にならないくらいスケールが大きくて、まあ、見た感じからして違います。迫力がすごい。それくらい強烈な才能を持っている人を教授として残して行こうとする。だから、日本で大学改革などと言っているが、 まず基本的なビジョンを持って、目的がわからない限りは改革しても変わらない。クリアーなビジョンを持って議論してほしいとということです。
◆◆新田照夫さん(長崎大学生涯学習教育研究センター)
みなさん、こんにちは。私の所属は長崎大学生涯学習教育研究センターです。長崎大学は8学部あって、私のような研究センターが8つあります。私は社会科学ですので他の2人の方と分野が違う。ものの発想が全然違うのです。私は大学を市民に開放するということを研究している。もうひとつ、みなさんも問題関心があるかもしれませんが、学部に所属せずに独自のセンターで全学から委員が出ているところです。
今日は市民に開かれた大学改革ということです。私は社会システムと大学のことを議論しないと改革案も出ないと思って、ちょっと資料を用意しました。が、話の流れによると、時間もないし、別の角度からレジュメを無視して簡単にしゃべります。私は一貫して20年ほど、大学の開放・大衆化を研究テーマとしてやってきました。地域経済とか地域文化とか結びついた大学改革はどうあるべきか。これを見るとき、いままでの日本の大学は一体、どこと結びついていたのかというのがやはりしっかり見なければいけない。そこのところが、さきほど渡辺先生や井口先生の話にもありましたし、日本の大学は諸外国の常識と言われる大学とは、全然ちがうんです。私は大学設置基準研究で、アメリカと日本の大学を比較調査しました。世界中のユニバーシティを比較研究すると、研究体制とか大学の自治とか、早い話が教育・研究の自由など、いろんな項目があったのですが、はやり低いのです。極端に言えば、特に文化系に傾向が強いのですが、国公立を含めてですがこれは専門学校ではないか。アメリカのハーバードとかプリンストンなどの大学は国がつぶれても存在するんです。いろいろな意味でそういう社会的基盤を持っているんです。日本の大学は国がつぶれたら全部がつぶれる。東京大学が世界の10番ぐらいに入っているのだろうというのは日本人くらいです。実際は本当に低いのです。これが現実です。では一体日本の大学はいままで何をしていたのか。立派な研究者もいっぱいいるんです。しかし、大学総体として非常に評価が低いのはなぜなのか。それは政策的な目的が大学のあり方を決めていたからです。全国津々浦々から人材を中央に集めるシステム、つまり日本の経済発展のための社会システムを作り上げたわけです。大学の入学制度とか、高校もそうですが、これが果たした役割は大きい。だからほんとうのリベラリズムではない。あるいは学問を研究するよりも経済的な目的、政治的目的がはやり大学のあり方をかなり規定していた。リベラリズムというのは人間の精神を支配していたものから人間を開放すること、そのときの世界観・科学観がもとめられるのですが、そういうものとは違うところから、日本の大学が出発したのではないか。ここが壁になっているのです。日本の経済主義的・政治主義的なコントロールのもとでできたことが、皮肉にも企業にも壁となっています。そのぐらい日本の経済は危機的です。
日本の大学がなにと結びついて行くか、これが非常に問題になっている。はっきり言えば、国家経済、国の経済と結びついている。私は実はもう一方では町づくりとか地域経済をずっとやってきておりまして、それを本当に作るわけです。新宿とか国立とかあの辺はいいんです。一日のJRの乗降客は100万とか200万とかの単位ですから。地方に行きますと、一日の乗降客が数千人とかの自治体は、箱モノ経済効率主義では活性化しない。それで20年あまり町づくりをやってきまして、地方の経済と国家経済とは根本的に原理が違うということがわかりました。たとえば、都市化というは効率主義です。限られた空間をできるかぎり人を集めて効率的に作っていくことです。やはり経済効率主義が優先すると人間性がなくなり、がさつになって行く。私も東京に来るたびに、横断歩道を歩くと人とぶつかるのです。馬鹿野郎と言われる。東京に来るたびにすみませんという。
結局のところ、生態系で動物が自然に生きているのとは極端に違う非常識な密集空間で生活していると、多分、人絵人間が嫌いになって行く。嫌いにならないと生きていけない社会です。経済効率主義というのは結局、そういう社会ではないか。私は町づくりを一生懸命しておりましたけれども、いつもそういうところを変えないと、いくら建物をきれいにしたって活性化しないことはわかっていました。地域経済というのは効率主義ではなくて、まさに一人の生活そのものを変えなくてはならない。人間が生活するということほど合理的ではないものはない。結局、生活というのは非合理的なんです。だから町づくりは合理的にやってはいけない。一人の生活を大切にする非合理的でなければならない。ひとりひとりの生まれてきた生い立ちを大切することです。そういうことをこの20年でしみじみとわかったのです。そうすると、経済効率主義というのは国家政策です。それに大学は手を貸していた。受験体制等。人材とか社会資本は中央に集まったけど、地方はかすかすです。経済というのはバランスを取らないといけない。私は地域経済を活性化する以外に今の日本も経済を救う道はないと思う。地域経済の論理と国家の経済効率の論理はちがう。国土開発は効率主義です。効率主義は生活を破壊するわけです。長崎大学は公開講座として地域に入って行くわけです。公開講座とは環境問題、福祉問題あるいは地域産業をどうするかということを、市民と議論・研究する。私どもは8学部が行くわけです。たとえば環境問題ですと、なぜ海岸がなくなるのか。それは砂を採取するからだ。海岸は非常に安定したところなんです。砂が生産されるところと、それから砂が流れて行くところの均衡がとれたところに海岸ができる。では砂を取らないようにしようということになる。しかし行政はいわない。ところが大学の研究者は責任を持って言えるわけです。科学者として自然現象に関して嘘はつけない。原因は砂の採取だということになると、行政は変えざるを得ない。
あるいは生態系を破壊するから底引き網漁業とか定置網漁業をやめよう。はやり自然の環境を利用して沿岸漁業を作ろう。漁民と調査しよう。そして森を作ろう。そういう地域の課題を市民と調査研究するために大学の果たす役割は大きいわけです。私は、結局、地域経済というのは、ひとりひとりの生活を守る、国土を守ることです。国土開発は生活を破壊する。私は基本的に両者の考え方が違うと思った。今、国はそこのところで破産しているのです。国家経済を守るためには地域経済を活性化させなければならないのですが、しかし活性化させるためには、今の国土開発と違う原理でやっていかなければならないのです。
日本の国は精神的にも肉体的にも末期的状況です。私は今、大学があるいは研究者が市民と一緒になって自分たちの生活を守るための学問を作らなければならない。学問を作らなければならない。そうしみじみ思ったことの1つの例に、自治体がやっているバイオマス研究があります。バイオマスの問題は、その技術を持っていても、なぜそれが実践されないか、ということです。みなさんは科学的な技術をいっぱい持っている。でもなぜその技術が実践されないのか、生かされないのか。その技術がいいのはわかっているのに広がらない。それには理由があるのです。技術(テクノロジー)が作り出す文化を広げていないからです。本来、テクノロジーというのは文化を生まなければならない。その文化を全然考えていないのです。
私はあるところである企業と太陽電池の開発をしたことがあるのです。でも日本の国土で売れないのです。太陽電池では世界のトップクラスの企業です。でも売れない。なぜか。火力発電、原子力発電のシステムが出来上がってしまっているからです。東南アジアやアフリカで売れているのです。ラクダの上に太陽電池を付けて。国内で売れないのです。そうしたら、火力発電という科学技術の文化がいったい何を作ったのか。それは都市文化を作り、経済効率の文化を作ったのです。今の都市文化の問題、経済効率主義の文化の問題を、あなた方がなぜ発言しないのか。開発ばかりやってもだめですよ。太陽電池あるいはバイオマスのテクノロジーでもし今の環境問題や福祉問題を考えたときに、どういう福祉を考えますか。そのことも一方で言わないと、テクノロジーばかり言ってもそのテクロノジーは生きていかないのだ、という議論をすることが必要です。私はやりいろんな技術が必要だと思っています。しかしそれだけではなく、その技術がどういうマスを作るのか、どういう社会システムを作るのか、どういう人間関係を作るのか、どういう教育を必要とするか。そういうところまで科学者が発言しないといけないのです。そうでないとせっかくの科学が文化を生まないし、社会も良くならない。
私は上田さんからメールでいただきました。それを読んですばらしいと思いました。こんなに真摯に科学の問題、大学の問題を考えているというのはすばらしい。ここで私はぜひ提案させてほしい。私はこれから東京へ来ることがたびたびあるので、旅費はいらないから、土曜講座でしゃべらしてほしい。そう思います。以上です。
★第2部(質疑応答)
この後、質疑応答が一時間をほど行われた。これは紙数の関係で省略する。理科大学の安藤さんから、土曜講座と東京理科大学サイエンス夢工房の協同企画についての具体的な提案があった。さらに古田さんと森さんから土曜講座の今後の講座の予定(ハッピーマネー)の説明があった。しかし、紙数の関係で省略せざるを得ない。
★おわりに
質疑応答は省略せざるを得なかったが、3人のパネリストの講演要旨だけは知っていただけたと思う。また、理科大学の同窓会館「理窓会館」で開かれた懇親会には、渡辺さ3人のパネラー(渡辺さん、井口さん、新田さん)を含め、20名近い参加者があり、全ての方々から自由な発言をいただいた。そして大変に充実した交流ができたと思っている。3人のパネラーの講演は「市民がすすめる大学改革」を巡って、かなりベクトルの異なるものとなっている。しかし、われわれ市民は、そのベクトルの異なる多様な議論のお持ちの方々が一同に会してそれぞれの立場性を踏まえた議論を吸収して、それらの議論を踏まえ、何らかの市民的な動きを作って行くことだろう。それにしても、今、この「市民がすすめる大学改革」の動きは始まったばかりである。
最後に、会場を提供していただいた東京理科大の夢工房の関係者と今回のシンポのために裏方で支えていただいた理科大学の学生さん達に感謝します。この学生さん達が「市民がすすめる大学改革」のシンポを聞いてどう思ったのであろうか。
大学問題シンポジウムに参加して 藤田康元
3月11日のシンポジウムに参加した。いったいどんな議論になるのだろうと、とても興味を抱いて参加したが、結果的にはやや不満が残ることになった。一人目のパネラーの渡部勇一さんは、アンケート回答に書いたことはわざわざ話さないと前置きしてしゃべり始めたが、最近の学生の問題点から国立大の独立行政法人化の問題点まで、私には要点のつかみにくい雑多な話しを聞かされたように感じた。しかも25分の持ち時間をはるかに超えていた。
二人目の井口和基さんの主張は比較的明快であった。財政的に見て日本の大学は大学ではない、アメリカのほとんど大学のように財団法人にすべきだ、という点。「学問は職人芸ではない」、学者の仕事は新しい知識を生み出すことであり、既知の知識の集積ではない、という点。彼自身が回答に書いたことのうちこの二点を強調した。ただ、アメリカを理想化したうえでのこの主張に私はとても疑問を感じた。
最後の新田照夫さんの話しは「『住民主体』のまちづくりと大衆的大学」と題するもので、土曜講座の方向性と最も親和性のある内容であった。当該テーマを専門に研究しているだけあって、各地の市民の手による「まちづくり」運動の事例について知っているようであったが、前の二人によって持ち時間を奪われたため、あまり詳しい話しは聞けなかった。
質疑応答では私を含む何人かが、井口さんのアメリカをモデルにせよとの主張の妥当性を問うた。彼の応答から私が気付いたのは、彼の問題意識は、生産的な研究者がいかに自由に研究できる環境を確保するかというレベルにとどまっていることであった。このシンポでは、大学の研究者と市民はいかに連携して新たな学問を生み出してゆけるか、といった点が特に重要な論点になるものと思っていたので正直がっくりきた。ただ、井口さんの応答を聞くうち、その時間の長さと内容にいらついてしまい、それを態度に現わしてしまった自分を反省してもいる。と、同時に司会は時間や内容に関してもっと介入して注文をつけてもよかったと思う。
当日配布されたアンケート回答集を読んでここに何か述べようかと考えたが、正直なところ、大学教員らによるこの様々な回答の声を前にして、自分に何が言えるのか途方にくれている。私は大学関係者であるが、アンケートの設問は自分が主体的に答えうるものとは思えない。端的に、今の自分の問題意識とはややずれている。
今の私は科学史研究者を目指して大学院で勉強中の身である。大学は学びの場である以上に就職先として意識している。しかし、近年の大学改革を身近に見て、果たして大学教員として研究を続けることは自分にとって最善の選択か? と自らに問うこともある。よほどの信念と能力がなければ、日々の雑務に埋没したり権力におもねることになり、より普遍的な観点から社会に貢献できる自立した学者たりえないと感じられるのだ。
自分はやはりいまは職人的な学者に近づく努力をしなければならない。職人としての学者とは「既知の知識の集積」をする者ではない。専門的な技量に支えられた独自の知識生産を行える主体のことである。市民との連携もそのような努力なしには自分にはありえない、と思っている。