ひとつは、福島第一原発の事故が東京電力という一企業で対応できる枠を超えた事象であることを認識し、世界的な専門知を結集して、取り得る最善の収束策を確定することだろう。原子力委員会、原子力安全委員会、原子力安全保安院がそれをなし得ないとするなら(残念ながら現在までは東電に事故処理を任せているだけに見える)、解散してその任を担う人物たちを新たに据えるべきだろう。
次に、放射能汚染による健康被害と社会的損害を抑えていくための前提として、大学や公的機関や民間が発揮できる放射線計測の能力を結集し、例えば100キロ圏内でのきめの細かいモニタリングを実施できる体制を直ちに確立することだ。むろん、原発近傍での計測データと気象データを使っての拡散予測を行ってはじめて、ある程度効果的な人的・物的防護策を取れるようになることは言うまでもない。この「放射能予報」を担うはずの、文科省のSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)がまったく機能していないのは、国の危機管理能力のなさが露呈したものであり、世界的な恥と言える。
さらに、「自主的避難勧告」「計画的避難区域」といった指示や、文科省による「20ミリシーベルト/年の被曝であっても子供に影響は出ない」との見解に典型的に表れていることだが、確固とした根拠を示さないままの場当たり的な対応が、「放射能放出が長引けば、また区域指定を変え、基準値を緩和させるのではないか」との疑念を人々に抱かせ、混乱に拍車をかけている。このまま放射能が出続ければ、累積線量で年間1ミリシーベルトを超える可能性が高いと判断できる地域では、妊婦と子どもらから優先的に一時避難させる、というのが予防的観点に立つまっとうな指針だろう。こうした指針のもとに、全国の自治体に協力を求め、”疎開”受け入れ体制を整えていくのが、国の役目であろう。生活と生業の保証、コミュニティの維持の問題が、事故の収束が遅れれば遅れるほど、周辺地域ではますます深刻になる。このことは政府が地元の住民との話し合いを入念に行った上で、なによりもまず住民の意向を尊重する姿勢で臨まなければ、打開はできないだろう。
上田昌文(市民科学研究室・代表)
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