[巻頭言] 気後れしないこと、怖がらないこと

投稿者: | 2011年4月24日

 このたびの東日本大震災で被災された皆様方に心よりお見舞い申し上げます。被災地に赴くことができなくとも、一日も早い復興に向けて精一杯の支援をしていくことで地元の方々や企業に力を与えることができます。しかし今回は、自粛ムードだけではない気後れがどことなくつきまといます。地震がまだ続いていること、原発事故の終息が遠いこと。被害の全容がいまだに把握できていないこと。多くの方々による避難生活が続き、街の復興も進まないこと。水や土壌の放射能汚染が拡散し続ける心配があること。計画停電や自主節電が実施されていること。そして、物資の不足やインフラの破壊によって製品やサービスが行き届かないこと。いわゆる「被災地」以外で、今まで見えない形で享受していた安全や安心というものが複合的に脅かされるという感覚は、初めてに近いかもしれません。
 寺田寅彦はかつて、浅間山噴火を目にして、「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい」と書きました。より難しいのは、個人が自分の感情の「正しさ」をどのように示せるのか、また、怖がるだけで済ませていいのか、というところにあります。情動をどう制御するかだけでなく、事態にどう対処するかが必要なのではないでしょうか。そのためには信頼できる情報源を見つけるか、多様な情報を自分で整理して判断しなければなりません。「誰かに任せてきた部分」や「狭い問題関心だけでは見えない部分」をどれだけ自分のものとして引き受けられるか。市民研は危機管理や原子力、街づくりに特別の専門性があるわけではありません。しかし、市民研の特色というのは個別の課題で見落とされていたものをつなぎ、市民の目から科学と社会全体の姿を描くことにあります。これを胸に、できることから少しずつ前に進んでいきたいと思います。
吉澤剛(市民科学研究室・理事)
pdfはこちらから→csij_newsletter_007_2011.pdf

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