[書評] 『生殖医療の未来学-生まれてくる子のために』

投稿者: | 2011年4月24日

『生殖医療の未来学-生まれてくる子のために』
吉村泰典・著 2010年4月 診断と治療社 2800円+税 
評者:白井千晶(リプロダクションの社会学/日本学術振興会)
    サイト「出産と妊娠の社会学」を主宰
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 本書は慶応義塾大学医学部産婦人科教授、吉村[泰]典氏の単著である。吉村氏は産婦人科医の権威ある学会である日本産科婦人科学会の理事長、日本生殖医学会副理事長、日本受精着床学会理事などを務めているほか、この領域の法制化や方針の提示に大きな影響を与える様々な審議会の委員も務めてきた(たとえば厚生科学審議会生殖補助医療部会、法制審議会、日本学術会議生殖補助医療の在り方検討委員会等)。また、吉村氏が臨床の場としている慶応義塾大学病院は、日本で初めて非配偶者間人工授精(DIないしAID)による児を誕生させた病院で、以降60年以上にわたって、DIの施術数も方針も同院が日本をリードしてきた。
 このように、日本の生殖補助医療(ART)の要となってきた吉村氏によって記された本書は、第1章「生殖補助医療の進歩」、第2章「生殖医療の問題点」、第3章「生殖医療の特殊性」、第4章「第三者を介する生殖補助医療」、第5章「生殖医療と生命倫理」、第6章「法的諸問題」、第7章「子どもの権利」、第8章「着床前診断」、第9章「生殖医療と再生医学のかかわり」、第10章「生殖補助医療の規制」という構成になっている。
 医師を目指そうという医学部初学者が本書を読むとしたら、初学の時点で、DIで子どもをもった親の思い、DIで生まれた子の思いなど、「人間」の生活と人生が医療の向こう側にあることが当然の前提として学べる意義は、非常に大きいだろう。
 「はじめに」の末尾に、同書を貫く筆者の姿勢が毅然と示されている。「新しい医療技術を社会はどのように受け止め、家族としてどのように子どもを受け入れ、育てていくのか改めて問題となるであろう。自己決定に基づく生殖医療であっても、生まれてくる子どもの同意を得ることはできないということである。」
 生まれてくる子が同意書にサインできないのは当たり前ではないかと読者は思われるかもしれない。だが、これまで長きにわたり、「自己決定」や「患者の幸福追求権」、および医師の応召努力(患者のQOLの改善を含む総合的なニーズに応えたいとする態度)という観点から、生殖技術が対象にしているのは(生まれてくる子ではなく)「子どもを求める夫婦」であり、(生まれてからの幸福よりも)「妊娠・出産」がゴールであった。
 実は同じ文章は、2002年に同社から刊行された吉村氏による『生殖医療のあり方を問う』の「おわりに」に書かれた文章でもあった。2000年に専門委員会が「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療のあり方についての報告書」をまとめてから前書が刊行され、厚生労働省の審議会が2003年に「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療制度の整備に関する報告書」をまとめ、学会や日本学術会議の方針提示があって刊行されたのが本書である。もちろん、吉村氏は委員として両報告書に関わっている。
 これらを踏まえた本書は、慶応義塾大学が導いてきたDIの経緯を考えると、隔世の感がある。本書の冒頭にも「パターナリズム」という用語が使用されている通り、それまで医師は夫婦に良かれと考えてDIを施術し、誰にも話さないよう指導したりサインを取ってきた。また、どちらの子かわからない方がベターではないかと、夫の精子と提供者の精子を混ぜて移植したり、複数の提供者の精子を混ぜて使用したりしてきた。
 こうした歴史的経緯が一部でも述べられていれば、医学は社会のただ中にあること、医師もまた悩み、学び、考え、方針を改める潜在力をもつことを示せたのではないだろうか。
ただ、欲をいうならば、もう少し踏み込んでほしかった、あるいはコラムでもいいから今後の学習の手掛かりを示してほしかった点がいくつか存在する。
 たとえば、減数手術についてである。本書においては、移植数を制限することによって多胎妊娠を予防すべきことが明記されている。しかし現在も減数手術は実施されている。それはガイドライン以上の数の受精胚を戻したから多胎(たとえば品胎以上)になっただけでなく、体外受精ではないケースも相当数含まれていることが予想される。排卵誘発時の排卵数コントロールは困難さを伴うから、品胎以上の妊娠をゼロにする可能性は低いだろう。減数手術を捨象せず、現状と課題を読ませていただきたかった。
 そのほか、性同一性障害で性別変更して婚姻関係にある者へのDIの実施について(法務省からの回答を受けて2011年2月28日に日本産科婦人科学会が会員に通知、メディアや識者は学会が容認したと捉えている)、「救世主兄弟」の問題なども、同様に含めていただきたかった点である。ちなみに「救世主兄弟」(savior sibling)は、将来、兄か姉の「救世主」になるために、受精卵診断をしてドナーとして適合する受精胚を移植して生まれたきょうだいのことである。
 また、医学の適用の問題を考える手がかりも、もう少し示していただけたらさらによかったと思う。日本産科婦人科学会は生殖補助医療の「対象者」を、「他に手段のない婚姻した夫婦」に限っていること、同学会は着床前診断の「対象」を、重篤な遺伝性疾患と習慣性流産に限っていることなどは同書には盛り込まれている。
 この「だれ」が「どんなときに」ARTを利用できるかという「適用」の問題は、「未来学」を考えるときの、もう一つの柱になっているだろうと思う。同書には述べられていなかったけれども、諸外国の中には、レズビアンカップルやゲイカップルが提供を伴うARTを使用できる国・地域があるし、事実婚、シングルなど婚姻関係になくてもARTを使用できる国・地域もある。日本では加齢は不妊症に入らないということで提供を伴うARTの適用にならないが、年齢を問わない、さらにいえば不妊症でない理由でも商業ベースでARTが使用できる国・地域もある。
 また、着床前診断については、染色体異常(18トリソミー、21トリソミー等)を含めている国・地域もある。他の国・地域では、あるいは日本国内の他の団体ではこの「適用」の問題がどのようになっているのか、幅広く見取り図を示していただけたら、読者に有用であっただろう。
 最後に一点、「未来学」には「現在学」あってこそではないかと提言したい。未来学というと、今後生まれてくる子どもたちが生まれてくる環境整備のようであるが(とくに本書の副題は「生まれてくる子のために」だ)、過去60年以上にわたってDIが実施されてきたということは、生まれた子は40歳、50歳、60歳であり、今この「現代」に生きているということだ。『話してやってください』というパンフレットがDIに関わる夫婦に立ち止って考える機会を与える意義は、非常に大きい。しかし、遡及法が制定されない限り(おそらくされないだろう)、遡って提供者の情報にアクセスすることは許されないだろう。提供者を知ることはできないけれども、告知はしましょう、というのが「現在」専門家が勧めていることである。「現在」は、「過去」と「未来」のはざまにあり、そのひずみを受けているのは、DIで親になった人と、DIで生まれた人だといえるだろう。
 今、法制度が適用されない状態であるなら、たとえば自助グループの支援など、「今生きている彼ら」に社会が何ができるのか提案することもできる。施術してきた医学にもできることがある。医学の「責任」という言葉が重いなら「アフターケア」として、DIで親子になった人の相談窓口やカウンセリングを設けることもできる。
 あれこれ要望を述べたけれども、それほど生殖医療の未来に対する期待と責任は大きい。その期待と責任を、吉村氏をはじめとする医療専門家にパターナリズム的に委譲するのではなく、市民として共に担っていこうではありませんか。まずは、非常にわかりやすい同書をご一読下さい。

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