特別寄稿 追悼・松井やよりさん 薮 玲子(市民科学研究室運営補佐)

投稿者: | 2003年4月9日

特別寄稿 追悼・松井やよりさん
薮 玲子(市民科学研究室運営補佐)
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元朝日新聞の記者で、アジア女性資料センター代表の松井やよりさんが2002年12月27日1時16分に亡くなりました。昨夜(12月28日)、その訃報が朝日新聞の夕刊に載っていると上田さんに教えてもらい、驚きました。つい1週間ほど前に、バウネットのメンバーに会った時、「かなり悪いらしい」と聞いていたのですが、これほど早く逝ってしまわれるとは・・・。
ずいぶん前から滝光子さんから松井やよりさんのことは聞いていましたけれど、5年ほど前にアジア女性資料センターの会員になって以来、通信を通して、女性問題、特にアジアの女性の問題に精力的に取り組んでおられる松井さんの仕事ぶりに接してきました。
2000年の12月には松井さんが中心となって、東京の九段会館で「女性国際戦犯法廷」を開催し、戦争時における性暴力の犯罪性を全世界に訴え、今も繰り広げられている戦時性暴力の輪を断ち切ろうとされました。それは昭和天皇をはじめ、日本軍のトップの戦争犯罪を裁く法廷でした。会場には第2次世界大戦の時の元慰安婦の人たちが大勢集まったほか、元日本兵だった方も証言され、戦争の怖さ、残酷さに心が痛みました。私はこの時、ほんの1ヶ月間ほどボランティアで関わったのですが、海外では大きく報道された「女性国際戦犯法廷」が、主催国である日本でほとんど報道されていないことに対して、他国の人たちに「どうして日本ではこれを報道しないのか?」と聞かれ、恥ずかしく情けなく思いました。
その後、松井さんは右翼の標的となり、さまざまな嫌がらせを受けました。「女性国際戦犯法廷」の取材をしたNHKが、その報道番組をずたずたに改ざんしたのも、右翼の脅しがあったからと言われています。圧力をかけたのは、右翼だけではないだろうと思われます。
2001年8月15日に、平和遺族会の大会で行なわれたノーマ・フィールドさんの講演を聞いた後、飯田橋から御茶ノ水まで平和行進をした時、たまたま来ていた藤田康元さんに「これから松井やよりさんの講演を聞きに行くけれど、一緒に行かない?」と誘われ、出かけました。松井さんは力強い口調で、しかもユーモアを交えて、いかに日本のマスコミがふがいないかを訴えられました。ご自分も朝日新聞社にいらして、ずいぶん干されたようでした。
松井さんの話が終った時、会場のまわりで右翼が騒ぎだし騒然とした雰囲気に包まれ、会場内の聴衆たちが松井さんの周りに人垣を作り、警察官の警護の中を足早に会場を脱出したことも思い出されます。
2002年の10月はじめ、松井さんはアフガニスタンを訪問中に体調を崩し、現地の医師からすぐに帰国して検査を受けるようにと言われたそうです。その時、死の予感がして眠れないでいた時に、「女たちの戦争と平和資料館」の構想が湧き上がり、松井さんは帰国後すぐにその実現に向けて働きはじめました。医師の診断によると末期の肝臓ガンで余命はわずかということでした。それを聞いてうろたえる人たちに対して、「私にはやることがいっぱいあります。泣いている時間などありません」と叱咤激励し、精力的に人に会い、自分の思いや夢を多くの人たちに伝えることに最後の最後まで力を尽くされました。
10月なかばには、アジア女性資料センターをはじめ、松井さんが関わっていたNPOの会員たち全員に「つらいお知らせ」が届き、自分の病状を説明し、「女たちの戦争と平和資料館」の構想について話し、これを実現してほしいというメッセージが伝えられました。
10月末には、「松井やよりさんの健康回復を願う友人たちの集い」が開催されました。その集いはまったく素晴らしいものでした。全国から集まった大勢の人たちを前にして、松井さんはいつものあの魅力的な笑顔をふりまき、淡々と自分の病状や自分の思いを伝え、夢を語りました。その後は、これまで松井さんと関わりのあった大勢の人たちが、松井さんの何かちょっとした楽しいエピソードを次から次へとスピーチをしました。学生時代の友人や、職場の同僚、上司、NPOで一緒に活動した人たちなどが、微笑ましいエピソードをひとつずつ披露し、笑い上戸の松井さんはそれらのスピーチを聞きながら笑い転げ、それを見て、まわりの人たちもつられて笑い、心からリラックスしてほんとうに素晴らしいアットホームなひとときを過ごしました。
あまり人が大勢なので一会場に入りきれなくて急きょ2つの会場が用意され、途中で会場を入れ換わったのですが、ビデオで様子を見るほうの会場には、ブッフェ形式でお寿司やサンドイッチやケーキなどが用意され、それを食べながらスピーチを聞き、会場には笑いが渦巻き、それは、まるで結婚式みたいな雰囲気でした。このスピーチの人選などはすべて松井さんが取り仕切ったそうです。
今思うと、スピーチする人には「松井やよりを笑わせるように」とリクエストがあったのではないか、それをしたのは松井さんご自身ではないかとさえ思うくらいです。活動家であった松井やよりさんの人間的な微笑ましいエピソードの数々は、聞いている人に「どんなに厳しい状況でも、希望をもって乗り越えていこう」という力を与えてくれるのでした。松井さんの考え方、行動、生き方の原点が、それらのエピソードを聞くことによって、垣間見れるのでした。
死ぬ間際に、こんなに心温まる楽しいイベントを自ら演出して、魅力的な笑顔を振りまいて多くの人たちを魅了し励ました松井さんのすごさには感動しました。
『週刊金曜日』12月19日号には松井さんのインタビュー記事とともに、いつもの、あの魅力的な松井さんの笑顔が載っています。
松井さんの構想された「女たちの戦争と平和資料館」は、慰安婦問題に関する内外の文書、写真、映像などの歴史的記録を一挙に集めて保存すること、米国の反テロ戦争や各地での武力紛争などをテーマに、いかに反戦や紛争解決に貢献できるかを話し合い行動する平和の拠点とすること、そして次世代へと継承するとともに、教育のために役だてることを目的としたものです。
3年後のオープンをめざして、資料館建設準備委員会が活動を開始します。
松井やよりさんのご冥福を心より祈ります。■

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