ニール・チェリー博士を悼んで
藪 玲子
doyou67_yabu.pdf
5月26日の朝、ガウスネットの懸樋哲夫さんから電話があり、ニュージーランドのリンカーン大学の教授だったニール・チェリー博士が5月24日に亡くなられたことを知った。偶然にも数日前に読んでいた電磁波の文献にチェリー博士の名前を見つけ、その柔和な笑顔を思い出していたところだった。
私がチェリー博士を知ったのは、2001年に「電磁波プロジェクト」で翻訳に取り組んだ「携帯電話の健康影響に関するザルツブルグ会議の議事録」の中でだった。「携帯基地局に関する予防原則の必要性」というタイトルで、ニュージーランドの基地局の電磁波影響に関する調査研究が詳細に報告されていた。その力強さに圧倒された。
2002 年5 月11 月・12 月に開催されたガウスネットの「電磁波国際フォーラム」に、チェリー博士は海外ゲストとして招かれた。すでに筋肉が萎縮する病気に冒され車椅子での参加だった。海外からは他に、イスラエルの生理学者ザミール・シャリタ博士、英国の電磁波過敏症の専門家アン・シルクさん、米国の市民活動家リビー・ケリーさんが参加された。私はこの4人の海外ゲストのアシストをすることになった。
ハンサムで穏やかでユーモアに溢れるチェリー博士は、いつも4人の中心的存在だった。実際、チェリー博士の車椅子が4人の団結力を固くしているところがあった。誰かが車椅子を押し、それを囲んで、にこやかに話しながら歩く一団の姿はほほえましかった。
フォーラムの翌日、議員会館を訪れ、議員や各省庁の役人たちへのアピールをした時、チェリー博士は力強く予防原則の必要性を訴えられた。普段は穏やかなチェリー博士が、この時ばかりは厳しい口調だった。その姿は威厳に満ちていた。
さくらんぼの出始めの季節で、食事の時に度々さくらんぼが登場した。その度にチェリー博士は「やあ、ここにもチェリーがいました」とちゃめっけぶりを披露した。「チェリーは体にいい」というのはチェリー博士の十八番で、その説明が後についた。電磁波によって減少する脳内ホルモンのメラトニンが、チェリーにはたくさん含まれていると。
大好物は「酢豚」だった。一皿ぺろっと平らげた後に「本当に困りました。美味しすぎて」とすました顔で言う。とにかく優れたユーモアの持ち主だった。
5 月14 日に帰国される時、成田まで送ってゆくリムジンの中で、私がどうしても理解できなかった携帯電話の通信接続技術について尋ねると、チェリー博士はノートに図を書いて丁寧に説明を始めた。贅沢な個人授業だった。成田に着く直前に突然、「私は確実にあと3 年後にはこの世にいません」と言われた時には、悪い冗談かと一瞬思ったが、そうではなかった。あれからちょうど1 年、まだ57 歳だった。
「体の動くうちは、できる限り世界中に出かけたい。だから、こうやって日本にも来たんですよ」
穏やかな声がまだ耳に残っている。
心よりご冥福をお祈りします。