「スウェーデンを訪問して」を読んで

投稿者: | 1998年4月16日

「スウェーデンを訪問して」を読んで

H.M

doyou_wellfare199801.pdf

「スウェーデンを訪問して」を読まれたMさんが、昨年参加された土曜講座合宿での議論や発言を思い返しつつ、3つの文章をつづってくださいました。土曜講座メ―リングリストにも掲載していますが、Mさんの問題提起に対していろいろな意見を寄せていただけることを期待しています。

 

私は10年程前ノルウエーのオスロに2年ほど滞在しました。その後、何度かオスロの友人たちを訪れています。ノルウエーの社会はスウェーデンの社会とは異なっているのですが、スウェーデンの社会について今回のレポートの内容はほぼノルウエーにもあてはまるものと思います。私はノルウエーのオスロとそこに住む人たちやその社会がとても好きです。また、私の北欧型社会に対する感想は 概ね土曜講座でレポートされている内容と同じです。日本の社会福祉を考える上でとてもいろいろな問題を提起しているものだと思います。しかしレポートや感想の中に述べられていないことを少し書きます。
北欧型高福祉社会はどうしてすばらしいのでしょう? 伝統的な北欧型の流線型の合理主義という土台を伴っているからだと思うのです。 北欧型の合理主義はアメリカ型、イギリス型、フランス型、ドイツ型の合理主義とは異なる物だと思います。北欧型高福祉社会は北欧型合理主義から生まれて来た物であり、北欧型合理主義という土台を伴って北欧型高福祉社会は意味があると思うのです。北欧型高福祉は日本社会に色々な問題提起をしてくれます。 北欧型高福祉を観察することは日本人にとって、とても有意義なことだと思うのですが、北欧型高福祉の制度を日本にそのまま導入しても、どの程度、意味があるのか疑問だと思います。

フランス人のミシェル、フーコーはかつて若いころ北欧で生活、研究活動を行っていたことがあります。彼は、北欧型高福祉社会は、個々の人々の生き死や、金の使い方まで国家に管理された社会ではないか?と疑問をなげかけました。フランス人の超合理主義者には北欧の高福祉社会と北欧型合理主義はそのように見えたのです。
実際、高福祉社会を作り上げてきた北欧型社会民主主義は今、色々な問題を抱えていて、今後とも変貌して行くものと考えられます。

日本は今後急速に高齢化社会に突入していくのでしょう。日本は手持ちの独自の貧弱な”近代”と”合理主義”で高齢化社会に対処し、自らのための福祉社会を自ら模索しなければなりません。時間が足りないのは目に見えていますが、それが進むべき道ではないかと思います。 レポートの中での日本の生活は幸せなのかという問いに対して、文章の筆者はNo!だと言っています。もし日本の生活が幸せではないというのなら、似たような理由で北欧型福祉社会での暮らしも幸せではないのでは?と言いたい! 日本人の生活は幸せなのかという問いに対して日本人には色々な答えがあると思います。幸せな人もいれば不幸な人もいるのです。同じように北欧型福祉社会の生活にも色々な答えがあるのだと思います。

 

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