「ベトナムの工業化・近代化と環境問題」に参加して

投稿者: | 1999年4月16日

「ベトナムの工業化・近代化と環境問題」に参加して

室井千晶

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第98回土曜講座、中野亜里さんの研究発表に参加されたお二人の方の参加報告を掲載します。中野さんは『ベトナム ‘工業化・近代化’と人々の暮らし』(三修社1998)を著してこれまでの研究を一般向けに集成されています。また近く発刊される『アジア環境白書1999 / 2000』(日本環境会議編・東洋経済新報社)では「ベトナム」の項を執筆されています。当日の発表も、一筋縄では捉えらない第三世界の開発と環境の複雑な様相を伝えてくれるもので、経済協力の今後のあり方についても深く考えさせられました。(上田)

中野亜里さんの「ベトナムの近代化・工業化と環境問題」についての話は、86年のドイモイ政策によって始まったベトナムの経済発展が繁栄のかげで生み出した問題を大きく映し出してくれました。雁の群れの後続組として飛び立ったばかりのベトナムは、今までの考え方によれば、韓国や台湾のように、先発者から効率的な国際協力や技術移転によって短期間に経済発展できる「圧縮型工業化」が可能であり、しかも、韓国や台湾、あるいはタイですら防げなかった「公害輸入」の経験を学び、専門用語でいえば「後発国の利益」を大いに享受できるはずの国でした。しかし、中野さんによれば、利益を受けるどころか、どんどん矛盾点ばかりが浮き彫りになってくるのでした。上記三国は防ぐことはできなかったとはいえ、それぞれに最小限の被害にとどめようと自助努力を重ねてきた形跡があるのですが、ベトナムにはそれもないようです。ベトナムはまだまだインフラ整備やエネルギー開発が遅れており、開発の速度はそれなりに抑えられているはずなのに環境破壊は増すばかりで、都市部の大気汚染や河川の汚染は進んでいるのです。

これは、ベトナムが戦争による戦時体制が長かったということと、東欧・中国のように中央計画経済路線を進んでいた国であった、ということと関係するでしょう。「全人民所有・集団所有」という所有形態の中で、物を大事にするという意識が生まれにくくなりました。新しい「市場経済」という名の下に、高額な外国資金が流れてくると「汚染産業の源」といわれ、スクラップ率が低かった古い工場や設備を棄てて新しいものを建てたとしても「財産」に関する意識は変わらず、中野さんによれば「リサイクルより使い捨て」の傾向が強まるばかりです。さらに、長い間、フランスの、アメリカの、ソ連の、そして日本を始め、その他多くの先進国の援助にどっぷりと使っていた体制は、自分で何かをしようという芽を摘み取っていたのです。つまりベトナムは雁の飛び立つ時点で、長く続いた戦争による国土の破壊という物的な負の要素のほかに、既にこうした精神的な負の要素も持っていたのです。それにもかかわらず、ベトナムに対しては「アメリカに勝った」ということで生まれた「ベトナム神話」が、こういった面にも目をつぶらせる状態を長い間放置させてきたのです。それでは、その「神話」とは、どこから生まれたのでしょう。

私が「戦後日本のベトナム復帰」という題で修士論文に取り組んでいた時、日本の戦後賠償について調べました。するとベトナムとの「賠償協定」が当時の岸内閣と反対者の間で、激しい論争を呼んだだけでなく、1959年衆議院を通過したその夜にはデモ隊が国会に乱入するというかつてない事件を生んだあの「安保闘争」時代の熱気を背景として生まれたことを知りました。新世代の一人として、政権側にも、また、運動家たちにもこんなに熱い時代があったのだと正直いって驚きました。その後、岸、佐藤内閣の打った「手」は1964年を境に日本を高度経済成長へ導き、やがて、デモ隊側の活動は下火となっていきました。

ベトナムの中部高原地方の避暑地ダラットに日本の賠償で1964年に建設されたダニム・ダム水力発電所があります。このダムは稼動するやベトコンによって使用不可にされたため、戦争中はとうとう発電することがなかったのですが、南北統一後、再び日本によって復旧され、戦後復興の原動力となった貴重なベトナムの財産です。建設中、南ベトナム政府軍がベトコンからの襲撃にそなえているにもかかわらず、何人か、関係者が時々誘拐されます。すると日本人は、危害を加えるつもりはないので、とすぐ解放されたそうです。これは、日本人の技術の高さにベトコン側も敬意を払っている、とベトコン側のパフォーマンスであったでしょう。戦時中、ベトコンの陣地を取材し、歓迎された開高健は、ベトコンがどんなに友好的で、知性があるかをその著『ベトナム戦記』に書いて、誘拐した人を解放するときベトコンは次のように言ったと感嘆しています。「発電所のことはすみからすみまでわれわれは知っている。破壊しようと思えばいつでも好きなときに破壊できるよ。けれど、安心してよろしい。われわれは破壊する意志はない。立派なのをつくってくれ、いずれわれわれが頂戴する。日本人は殺さない。むしろ尊敬している。」  ベトナム共産党員は、1945年のベトナム民主共和国成立時、科学のレベルが高かったことについては、ホアン・ヴァン・チーというフランスへ亡命した元共産党員が書いています。よって開高健がさらに、発電所建設の時、ベトナム側作業員にベトコンを入れてスパイさせ、いずれ北ベトナムが勝利をおさめたときに、その発電所を使う予定だったと、書いているのは信憑性があります。しかし、一方では日本と南ベトナムの間の賠償交渉中には、しきりに日本共産党や社会党に働きかけ「南北分裂中」という理由で反対させていました。締結してからは「いただけるものはいただこう」というベトコンの態度はまるで日本人を子供扱いしているのですが、逆に開高健は感動したのです。これこそ「ベトナム神話」の原点だと思うのですが、いかがでしょうか?

私は、日本が国際協力でベトナムに発電所をつくることは悪いことではないと思います。工業化にとって必要なエネルギーが全く不足しているからです。本来国際協力とは、資金的にも技術的にも自力ではできない国が、行く行くは自立していくのを助けるものです。
先進国はこれからも続けるべきでしょう。上記のダニム発電所も、当初は日本人技師が操作していましたが、ベトナム人に指導し終えると引き上げています。引き上げてからは、その国がこの技術や財産をどう活かすかにかかってきます。それこそ指導者の「知性」が試されるです。戦争で一時中断していたとはいえ、日本人が復旧させ、ベトナム人に操作全部を引き継ぎ帰国しましたが、現在、設備の老朽化のため再び協力を請われています。しかしながら、もっとメンテナンスが良ければまだまだ使えるはずなのです。実際、同時代あるいは南北統一後建設された発電所も保守・点検次第で今でも使われているからです。

ホアン・ヴァン・チーが言っていた「科学のレベルの高さ」はどこへ行ったのでしょうか?今でも、国際協力なしでは計画を立てられず、専門家の数も少ないので、発電所を建設するために先進国が資金やフィージビリティ調査面で協力するだけでなく、環境問題にまで配慮を配らなければならないのです。2007?2010年までに運開すればベトナム最大の240万kWの発電量となるであろうソンラ水力発電所計画では、日本が13万人を超えるといわれる住民移転計画の補償問題にまで見積もりを建てる協力を行なっています。それだけのことをしても、実際ベトナム政府はこの経験を次の計画に生かせるのでしょうか?もしも、うまくいかなければ日本が責任を問われるのでしょうか?私は、これまでの開発援助と日本の責任について、日本が何でも悪いという論議には賛成できません。

いずれにせよ、大変な犠牲を払っても水力発電所の発電量は、火力発電所の能力に比べれば限りがあります。これまでは、「環境」を考慮して「水主火従」の方針できたのを、技術の進歩で、石炭より環境に配慮した効率の高いガスと石油による火力発電所が主流になりつつあります。こういった時代の動きに乗れずに新しい技術も、古いのもと立てた計画も一色単にして全部行っていけば、現在の日本の地方自治体が抱える「新幹線整備」問題や「埋めたて地」問題の二の舞になるでしょう。ベトナムの場合は、国家存亡がかかっているので、そろそろ危機感をもって対策にあたらなければなりません。恐らく一番「神話」を信じ、依存していたのは、ベトナム国民であり、政策決定者たちだったのではないでしょうか。

 

土曜講座に参加して
石田裕人
この講座は、私にとっては大変有意義なものでした。
その理由は、仕事の関係で昨年2回訪越しベトナムが大変身近に感じていたこと、また私の仕事が少々環境装置に関係があることから「ベトナムの環境問題」にも関心があったことです。
とはいうものの一口に「環境問題」といっても、テーマが大変大きいのでまとめるのは至難の技だと思っていたのですが、この講座に参加してあらためて現状把握の困難性を痛感しました。

しかし、この講座で少々ベトナムの環境問題の概要が見えてきたような気がしました。特に私は排水処理関係に興味があったので「河川の汚染」のデータは大変興味深かったです。また、「環境問題解決の阻害要因」については解るような気もしましたが、今後その点を深めるためにはベトナムの国としての環境政策の状況や到達点を具体的に指摘することも必要なのではと感じました。(絵に描いた餅のようなものもなければしょうがないのですが、なにかしらのものは有ると思いまして。)
中野さんはこの「ベトナムの環境問題」について近々まとめて発表なさると聞いています。私としては大変楽しみにしています。それは内容も楽しみなのですが、まとめる過程でベトナムの研究者などとの人的交流が進むことを期待しているからです。

 

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