第19回 湘南科学史懇話会 第137回 科学と社会を考える土曜講座 日本の戦後民主主義とアメリカ

投稿者: | 2002年4月18日

第19回 湘南科学史懇話会
第137回 科学と社会を考える土曜講座
日本の戦後民主主義とアメリカ
猪野 修治
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はじめに
2001年9月11日、アメリカで同時多発テロが発生した。ブッシュ政権はテロ撲滅の名のもとに報復戦争を開始した。日本の小泉政権は間髪を入れず米軍の報復軍事戦略に追随し自主的に自衛隊を派遣した。小泉政権はいとも簡単に戦争放棄の理念をもつ日本国憲法をかなぐり捨て戦争国家に走り出した。
 同時多発テロが発生した前後、私はジョン・ダワーの著作『敗北を抱きしめて』上・下(岩波書店2001年3月21日、5月30日)を丹念に読んでいた。本書の読み込みを進めてみると、小泉政権の米軍追随の政治姿勢が手に取るように理解できた。第二次世界大戦終結57年を経ても、日本の政治・文化・思想は米軍の占領期に形成されたものと全く同じである。具体的には象徴天皇制、保守勢力と官僚制の温存であり、「下からの革命」を絶対に容認しない政治制度の確立である。
 1945年生まれの私のこれまでの人生は、自我形成以前から青年時代を経て現在の中年中期にいたる精神文化をジョン・ダワーが述べる占領期の日米合作の政治・文化・思想を無条件に吸わされて生きてきた。つまり、私の歴史認識には戦後日米関係の精神文化が空気のごとく深く染み込んでいるのである。
 そこで私は、小泉政権が戦争国家の仲間入りを果たした基本的な政治思想的源流はすでに占領期に作られた日米合作の政治・文化・思想にあると断定した。そこで私が主宰する「湘南科学史懇話会」(第19回)で、「討論:日本の戦後民主主義とアメリカ」を企画したのである。また、私の趣旨に賛同された「科学と社会を考える土曜講座」(代表上田昌文氏)[第137回]の共催となった。
 討論会は、上記のダワーの著作『敗北を抱きしめて』をたたき台にした。日本の敗戦直前、日本とアメリカで生まれた二人の研究者に登場を願った。日本側から占領史研究者・笹本征男氏(市民歴史家)、アメリカ側から日米比較論研究者・ロバート・リケット氏(和光大学)に登場してもらい、活発な議論を展開してもらった。但し議論では主宰者の立場から「日米合作の談合」を硬く禁じてもらった。本稿ではその報告を兼ね、多少の論点から議論する。
1. ジョン・ダワーの同時多発テロ報復戦争批判
はじめにジョン・ダワーをすこし紹介しておきましょう。1938年、米・ロードアイランド州生まれ。アマースト大学を卒業。金沢の女子短期大学で英語を教えた体験から、文学志望を変え、日本の戦前・戦後史に関心をむける。帰国後、ハーバード大学で日本歴史研究で博士号取得。カリフォルニア大学を経て、現在、マサチューセッツ工科大学教授。著作には『吉田茂とその時代』上・下(TBSブリタニカ、1981年邦訳出版)、『人種偏見-太平洋戦争に見る日米摩擦の底流』(猿谷要、斎藤元一訳、TBSブリタニカ、1987年)などがある。『敗北を抱きしめて』は2000年度ピュリツァー賞受賞、第1回大佛次郎論壇賞特別賞受賞作品である。ちなみに、お連れ合いは靖子氏(日本人)である。
 アメリカのナショナリズムにとらわれない歴史家ダワーの名前を私が発見したのは、1995年、アメリカの国立航空宇宙博物館(マーティン・ハーウィット館長・当時)が企画した「原爆展」論争の内実(いわゆる米国社会を二分した歴史認識をめぐる大論争)を追いかけていたときである。この論争は博物館側の挫折に終わったことは記憶に新しい。この論争に歴史家として積極的に関わったダワーの見解を簡単に要約して紹介する。
 天皇と日本の指導者は、沖縄決戦の指示を含め戦争を引き延ばした責任において曖昧である。一方、アメリカはアジアで植民地主義を復元し、ベトナムでの行為を謝罪していない。アメリカはアジア諸国の軍事支配の必要性から天皇を免責し保守勢力と手を組むことで戦争責任を曖昧にし過小評価したのである。
 (『朝日新聞』1995年12月4日)
 この発言から5年後、ダワーはアフガニスタンに対する報復爆撃をどう見ているのであろうか。『敗北を抱きしめて』で第1回「大佛次郎論壇賞特別賞」を受賞した直後、ダワーは特別寄稿して手厳しいアメリカ批判を展開した。まずダワーは、ブッシュ政権のアメリカはライバルのいない「理性の声を聞かない」巨大国家となった。自由と道徳の国家という言葉は軽蔑語になり、もはや「他国を犠牲にする帝国主義国家」となったと自国を断罪する。
 アフガニスタン報復爆撃以後のアメリカの軍事作戦の展開を見ていると、その戦略的思想はダワーの見解と見事に一致するので詳細に読んで考察しよう。
 アメリカの政治勢力のうち最も保守・右翼的なブッシュ政権は、9月11日以前から、その牙をむき出しにした。その主要政策は、富裕層への大幅減税、理由なき軍備増強とエネルギー産業への支援、死刑愛好、銃規制反対、そして環境政策の蔑視等々である。
 9月11日以後はこの時を待っていたとばかり「反テロ戦争」の名の下に、市民的自由、司法手続きを骨抜きにする政策を開始したばかりか、独裁的国家の「即決裁判」に近い特別軍事法廷の創設を提案した。自らをアメリカ主義者と自称する超タカ派が主要ポストにつけたブッシュ政権は、人権を無視し、国連など鼻であしらい、弾道迎撃ミサイル(ABM)制限条約の一方的破棄、そして地球温暖化対策の京都議定書の破棄などの政策を取った。
 こうしたアメリカ単独行動主義は次のターゲットはイラク、シリア、ソマリア、イエメン、レバノン、パレスチナ解放機構の名前を公然と上げている。まさに帝国主義国家そのものである。
 (『朝日新聞』夕刊、2002年1月29日)
 この原稿を書いている現時点(2002年4月3日)で世界の政治を見ると、ダワーの政治的見識がまさに現実のこととなっている。その端的な事態はイスラエルのパレスチナ解放機構攻撃を容認する政治姿勢である。イスラエルの背後にブッシュ政権がいることは子供でも知っている。
 いずれにしてもアメリカ国家が一丸となって団結し「反テロ戦争」を支持している政治状況のなかで、日本史家ジョン・ダワーは冷静な理性ある見識を世界に表明している人物として私は評価したい。
 ついでに「反テロ戦争」を非難する二人のアメリカ人を紹介しておきたい。著名な言語学者ノーム・チョムスキー(マサチューセッツ工科大学)と米国議会下院議員バーバラ・リー(民主党)である。
 ノーム・チョムスキーによると、アメリカはテロ国家の親玉であり、報復する資格はないとする。ワシントン指導部の行動は常軌を逸脱している。膨大な数の民間人を深刻な飢餓の危機に曝すことを予期するうえで、犠牲者の数は数百万に上る。これは米国のテロリズムであり、テロに対する戦争ではない。バーバラ・リーは、ブッシュ大統領に武力行使などの強大な権力を与える議決をした際、下院でたった一人で反対した勇気ある人物である。
 こうした良識ある批判もなんのその、無競争の巨大国家として暴挙を繰り広げるブッシュ政権にすぐさま追随した小泉政権はまさに米国の一つの州に成り下がったといってもいいだろう。その源流こそが占領期に日米合作の日本の戦後民主主義だというのが私の問題意識である。いよいよ本論にもどってダワーの精緻な研究書を繙いていくことにしよう。
2. ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』を読む
 本書は1945年、第2次世界大戦の日本敗北から連合国軍(事実上、アメリカ軍)の日本占領期の間に、日本社会に何が起こったのか、何が作られていったのか、広い分野から考察した労作である。日本人の敗戦体験を考察する本書が対象とするのは「みんな」である。みんなとは、名も無き民衆から天皇まであらゆる階層の人々のそれぞれの敗戦体験である。私は敗戦直前の1945年7月7日、山形県に生まれた。振り返ってみれば敗戦直後の幼年期は、敗戦数年後の日米合作「戦後民主主義の誕生と形成」の時期と完全に重なる。そして、自我形成期・青年期・中年期を経て今日まで、私の人生は事実上、日米合作の民主主義を空気のように吸いながら生きてきたのである。これはあとで気がつくのだが、歴史の宿命であったのかも知れない。
 なぜ、アジア諸国侵略の張本人の天皇が処刑されないでいるのか。人間の平等を高らかに歌い上げる日本国憲法のもとで、なぜ階級社会の典型である「天皇制」が存在するのか。なぜ日本国内の膨大な地域に米軍が存在するのか。なぜアジアの諸国の政府と民衆から日本政府と民衆は戦争責任を問われるのか。なぜ、憲法9条があり、自衛隊があるのか。民衆の生活はどうであったのか。文化、思想を求める知識人たちはどのように対応したのか。日本の侵略戦争で日本人を含むアジア諸国の人々が何人死んだのか。生き残った人々の生活はどのようなものであったのか。私自身を育ててきた日本の精神・文化・思想とはどのようなものであったのか。
 こうして、日本占領史の専門家ではない私自身が漠然と抱いて数々の疑問を大きな枠組みと内部の緻密さで見事に解いてくれたのが本書であった。ダワーは本書で何をやりたかったのかというと、「敗戦のあとで複数の日本が直面した苦難な課題、敗戦後に日本人が見せた多様かつエネルギッシュで矛盾に満ちたすばらしい反応を描くこと」であった。 複数のとは、日本文化たち、日本の伝統たち、日本人たちである。そして、最後にダワーは「アメリカ人が奏でる間奏曲を好機と捉えた多くの日本人が、自分自身の変革の筋立てを自ら前進させた」からであり、多くの日本人は「敗北を抱きしめた」のだと結論する。
 本書のキーワード「敗北を抱きしめて(embracing)」とはどんな意味か。作家のリービ英雄氏によると、抱きしめる、受け入れる、機会をとらえる、教義を奉じる、状況を見て取る、悟る、さらに、見知らぬ何かに直面したときにやがては積極的に反応する精神の動きの意味もあるという(『朝日新聞』朝刊、2001年4月1日)。占領する側と占領された側は「抱擁」したのである。日本の戦後民主主義の根幹となる思想を、日米合作で作り上げたのである。
 その日米合作の戦後民主主義の内実はなにかを明らかにするのが本論である。
 日本の占領期間は1945年8月~1952年4月までの6年8ケ月である。この間、日本は国家主権を喪失する。権力機構の頂点にいた占領軍最高司令官マッカーサーは「政府の上の政府」の二重の権力構造を作り上げ、アメとムチを自由自在に使い分け、日本の保守勢力と高級官僚組織を巧みに操るのである。
 本書の大まかな項目は次のとおりである。
序論
第1部 勝者と敗者
 第1章破 破壊された人生
 第2章 天降る贈り物
第2部 絶望を超えて
 第3章 虚脱-疲労と絶望
 第4章 敗北の文化
 第5章 言葉の架け橋
第3部 さまざまな革命
 第6章 新植民地主義的革命
 第7章 革命を抱きしめる
 第8章 革命を実現する
第4部 さまざまな民主主義
 第9章 くさびを打ち込む-天皇制民主主義(1) 4
 第10章 天から途中まで降りてくる-天皇制民主主義(2)
 第11章 責任を回避する-天皇制民主主義(3)
 第12章 GHQが新しい国民憲章を起草する-憲法的民主主義(1)
 第13章 アメリカの草案を日本化する-憲法的民主主義(2)
 第14章 新たなタブーを取り締まる-検閲民主主義。
第5部 さまざまな罪
 第15章 勝者の裁き、敗者の裁き
 第16章 負けたとき、死者は何と言えばいいのか?
第6部 さまざまな再建
 第17章 成長を設計する
エピローグ 遺産・幻影・希望
 こうして本書を丹念に読んでみると、広範な分野を取り上げる歴史観いわゆる占領期の全体史観をもくろむダワーの叙述は、あくまでもアメリカ人サイドから見た歴史観であっても、日本人の私が読んでも、先の私の数多くの議論に丁寧に応えてくれる見事な内容となっている。私の人生はダワーの描く占領期の日本からはじまり、ここまで生きて来たのだと納得するのである。
 さて、重要な論点をいくつかあげておこう。
 まず第1は、政治学の歴史において、民主主義の形成あるいは民主主義革命の形成は、通常、反ファシズムの権力打倒に燃える民衆の血で血を洗う闘争の結果としてもたらされるが、これに対して日本の戦後民主主義は、新植民地主義的軍事独裁的政治による二重の権力構造による上からの強制によって初めて形成されたという厳然たる事実である。上からの軍事独裁によって民主主義が作られるという世界に例のない「民主主義革命」であったことである。
 第2は、軍事独裁による上からの民主主義革命であるが故に、当然、作られた民主主義は矛盾に満ち満ちたものであった。先の私の問題意識は、今日の日本の現代政治軍事国家アメリカに追随するばかりで平和憲法の理念をもとに独自な外交を展開できないでいるそもそもの原因が、すでに米軍占領期に日米合作で作られた天皇制と民主主義を共存させるという相矛盾したシステムを作り上げたことである。現代政治がこの矛盾したシステムから一歩も抜け出せていないことである。
 第3は、それにしてもダワーが描く占領期の日本の民衆の姿は、なんとしたたかであろうか。為政者と保守権力者たちが引き起こした戦争で民衆の人生はずたずたに破壊されたが、それでもあの手この手の生きる術をその都度見出して生きていこうとする民衆の姿は感動的ですらある。我々の戦後の歴史はこうして始まり、また私の人生もその中で作られたのである。個々人の生き方や価値観は深く社会的歴史的な存在である。このことをあらためて確認するのである。
3. ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』に対する日米研究者の発言
 私が今回の討論会を企画した重要な目的には、『敗北を抱きしめて』に関する日本とアメリカの研究者の発言を聞くことがあった。今回は日本側から市民歴史家の笹本征男氏、アメリカ側からロバート・リケット氏(和光大学・比較文化論)をお呼びし発言をいただいた。お二人はいずれも、1944年生まれの同年齢である。
 ここでは当日の発言を詳しく再現しておきたい。
 まず最初の笹本征男氏は市民歴史家で日本の占領史、特に科学技術、特に原爆調査・在韓被爆者の歴史的調査を行っている研究者である。彼の著書『米軍占領下の原爆調査-原爆加害国となった日本』(新幹社、1995年)は、市井の研究者の血の出るような作品である。私が占領期の科学技術史に関心を向けるようになったのは、紛れもなく本書からであった。
 また、彼の真摯な市民的立場からの研究姿勢には常々、敬意を表しているところである。 一方のアメリカ生まれのロバート・リケット氏は1960年代に青年時代を送り、北欧系白人の子供としてなにひとつ不自由な生活を送ることはなかったが、ベトナム戦争にかり出されて、人殺し戦争に関わることを拒否し軍隊を脱走した厳しい勇気と決断をした人物である。その後、来日し、広島体験、ベトナム反戦運動を契機に、アメリカ人としての戦後体験を日本で実体験することになる。その後リケット氏の視点と関心は、日本人には見えなくさせられている在日朝鮮人・在日中国人をはじめとする在日外国人、被差別部落の人々、アイヌ民族の人権問題にも移っていく。下記に示したその個人的体験から始まるリケット氏の発言は実に誠実な語り口であり、私は彼の発言テープを正確に起こしながら、感動の念にかられることたびたびであった。
 こうして終戦直前、交戦国の日米に生まれたわれわれがダワーの『敗戦を抱きしめて』をたたき台にして共通の言葉で議論できること、それ自体が、米国人・日本史家ダワーのなせる技であったと言ってよい。では、まずはじめに笹本征男氏の発言に耳を傾けてみよう。
 

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