ダワーを読んでの発言(2) 個人と国家:戦勝国への教訓

投稿者: | 2002年4月18日

ダワーを読んでの発言(2)
個人と国家:戦勝国への教訓
ロバート・リケット
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はじめに、私の話が途中で分からなくなったときには、私が何を言いたいのか、レジュメに結論まで書いてあるので見てください。今日は少人数で内々で討論しようということだったのですが、こんなに大勢の方がおられるので、ちょっと戸惑っています。なによりも皆様のご意見をお聞きしたいと思います。今日、アメリカ人としては言いたくはないんですけれども、やはりアメリカ人ですからしょうがない。アメリカ人としてダワーさんの『敗北を抱きしめて』を読むことの意味を考えたいのです。 くだけた感じで、自分の個人的な経験をふまえてこの本を読んで感じたことを中心に話したいと思います。
僕は歴史家でも占領史研究家でもありません。ですから、この本を読む動機がなければ取っつきにくいのです。アメリカではすでにこの本はハードカバーだけでも5万部売れたという。珍しい話です。さらにソフトカバーが出ていますから、おそらく100万部は出ているでしょう。大変なことだと思います。
個人的なことから入った方がいいかなと思います。
私は猪野さん、笹本さんとほぼ同じ年齢ですが、みなさんと僕の戦後体験はおそらく正反対のものだと思います。僕は1950年代のアメリカで育って60年代は20歳代でした。食べ物が足りなくなったことはまずないし、割と裕福な中産階級の北ヨーロッパ系の白人として生まれました。それで、かなり裕福な生活をしてきました。僕には戦後という意識がなかったし、敗北の意識もなかったのです。アメリカの科学技術の象徴である原爆は誇るべきものであると教えられ育ってきました。そういう環境のなかで育ち教育を受けたので、戦争に勝つのは当然のことで民主主義の勝利だと思うようになりました。
その裏にあるものが何なのかとか、根拠があるのか、敗北にあわざるを得なかった国がどうなったのかとか、私の意識にはまったくありませんでした。日本に初めてきたのは1966年でした。広島・長崎は話はもちろん知っていたし、悪名高いキノコ雲の写真も知っていたのですけれども、勉強する時間はまったくなかったわけです。
まあ、その意味では僕の戦後は日本にきてから始まった。日本に来て6ヶ月もたたないうちに、当時22・3歳だったかと思うんですけれども、軽い気持ちで広島に行って見ようと思いました。お金がなかったから無銭旅行のヒッチハイクで3日間かけて広島まで行ったのです。
お正月の途中だったんで、さまざまな日本人に会いました。たいした日本語もしゃべれなくて、集中的に日本語を勉強して行ったのですが、挨拶程度しかしゃべれなかったのです。
当時の日本にはアメリカ人の存在はめずらしかったのでしょう。ヒッチハイクの私のために、車を止めて乗せてくれたり、夜になると家へ連れて行ってくれたりしました。はじめて日本の「おせち料理」を食べました。学生でもインテリでもサラリーマンでもない一般人が非常に心温かく歓迎してくれました。そういう体験をしつつ広島に着きましたが、この目で広島を見たとき、非常にびっくりしました。原爆の跡を見たときに、こんなものがあったのかという一生の衝撃を受けました。アメリカが原爆を落としたのに、なんでだれも知らないのかと思いました。またさまざまな戸惑った気持ちもありました。
結論として、原爆を落とされたところの下で死んだ人たちは、僕に親切にしてくれた人たちとまったく同じ人たちなんです。そこで、はっと巻き返しを食らった気持ちでした。そのときからアメリカを見る目が変わりました。ちょうどベトナム戦争が勃発したころなので、広島の体験からベトナム反戦へと気持ちが変わっていったのです。私の家族は海軍軍人なので、反戦と言ってしまうと、ただちに逮捕ということになるんです。ただ私は広島に行ってしまったので、自分の世界が逆さまになってしまいました。そこからさまざまなことがあって、結局、召集され兵隊に取られましたが、2年後に脱走をしました。日本に戻って地下生活をしました。
1976年になり、カーター大統領のときにやっと恩赦をうけてアメリカにもどることができました。そういう経験があったものですから、13年前だと思うんですけれども、私達の占領史研究会の共通の友達である小杉昌一さんに会いました。彼は当時和光大学の教員だったのです。彼から「リケット、自分の戦争体験を話してくれないか」と言われました。和光大学に行って講演をしましたけれども、講演が終わったところで、杉山靖彦先生に出会いました。杉山先生は終戦のとき、将校日本兵としてベトナムにいたのです。たぶん、2年間くらいいたと思います。講演後、杉山先生がよってきて「君の話を聞いて思ったのですが、やっと日本人とアメリカ人が共通の話ができるようになった」と言いました。この言葉を非常に印象深く覚えています。さすがだなと感心し、うれしく思いました。
戦争が終わってから半世紀以上たっていますが、ダワーさんの本は日本人とアメリカ人が苦しいアジア太平洋戦争を語り合えるための土俵を作ってくれたのではないかと思います。非常にうれしいのです。共通の土俵を作ってくれたというのは何かというと、ダワーさんの本が出されるまでは、アメリカ人たちは、日本人の気持ちなどまったく知らなかったのです。どんな苦しい生活であったのか。どういう生き方をしたのかなど、まったく想像がつかなかったのです。平和運動をやっているアメリカ人は広島や長崎にでも来ればわかるんですが、一般のごくごく普通のアメリカ人はわからないのです。そのことに興味もないし、どうでもいいわけです。昔はアメリカの敵はイラクとか北朝鮮ではなく日本だったので、その気持ちが大きな流れの底にあって、あまり変わらなかったのです。ただこの本『敗北を抱きしめて』ではじめて当時の日本人の顔が見えてくるのようになったのです。日本人の生の声が伝わってくる。再読したところ、いくつか思ったことがありました。
本をお持ちの方がいらっしゃれば、日本語版では前巻の54頁、英語版では57頁です。そこに写真が出ていますね。これは行方不明になり離散した家族を捜している写真です。日本各地でなになにさんの行方を知りませんかという、人捜しの写真です。それで、何ヶ月前、いや現在でもそうですけれども、ニューヨークの世界貿易センタービル近くで、これとまったく同じような風景が見られます。テロ事件後、行けばまだ貼ってあると思うんです。日本の場合は、この貼り紙がやっと消えたのは1962年です。つまりこの状態が十何年間も続いたのです。むしろテロ事件後、まったく異なった読みをせざるを得ないんです。この写真は強烈な衝撃を私に与えました。つまり日本人の戦後とはそんなものだったのです。
細かいところは猪野さんがレジュメに書いて下さったので、おおまかに感じたことを述べて行きたいと思います。原則としてちょっと、はしょりながら話します。
ダワーさんの昔からの見方なのですが、democracy in box , 翻訳では窮屈な民主主義、箱庭式民主主義というイメージなんです。つまりアメリカ占領軍が民主主義を日本に与えたというのは、本当はそうではなくて、一定の枠を作り、その枠のなかでしか民主主義がなかったわけです。実際、笹本さんの話のなかにもありましたが、英語を直訳すると、新植民地主義的・軍事独裁主義的民主主義となります。英語を直訳するとこうなるんです。民主主義も大きな矛盾をはらんでいます。その結果として、占領の終結にあたっては天皇制そのものが評価されていたわけです。マッカーサーのカリスマと天皇のカリスマが一緒だったのです。象徴天皇制とはいえ、そのシステムはいっそう強いものになった。
2点目は、GHQそのものが軍事的な組織だったので、それによって日本の官僚体制の管理がいっそう強くなった。ですから出発点からすると、非常に矛盾したものであったわけです。アメリカの民主主義と権力志向というふたつの相容れない予想があって、その枠のなかの民主主義でしかない。これはさきほどの小関さんの話ですけれども、日本の民主主義は日本人のみの民主主義であった。つまり占領軍にとっては、日本には日本人しかいなかったのです。そんなことはもちろんないわけです。戦争が終わった時には、120万人ほどの在日朝鮮人・台湾人がいたのです。そのなかには70万人ちかい人々が本国(祖国)に帰れないでいたのです。この人たちは占領改革から見捨てられ排除されていったのです。かれらの存在が日本国憲法に適用されなかった。ダワーさんはこの問題に触れてはいますが、詳しくは書いてはいない。書いていないということはちょっと残念なことです。彼もある意味では、意地の悪いことを言えば、その枠・箱にとらわれているのではないかとも思います。まあ、ダワーさんはもちろん意識しているでしょうが、日本人はどう受け止めたのかという視点なのです。アイヌ民族はどうなったのか、非差別部落はどうなったのか、という視点です。
こうして一部の人たちは完全に占領改革から排除されたのです。自分の戦後体験といっても広島体験からベトナム反戦までありました。もうひとつの戦後体験は在日朝鮮人との出会いです。そこで笹本さんと出会ったのです。その関係で、今日、ここにいるわけです。指紋捺印問題という外国人登録法の枠の話でしたが、外国人登録管理体制そのものがアメリカ占領軍によって日本に導入されたものです。
このあたりはもっと詳しくあってもよかったかとも思いました。日本人には民主主義ですけれども、在日朝鮮人にはむしろ新植民地体制です。それも新植民地体制に対して脱植民地運動をせざるをえなかったのです。その関係では、1948年神戸・大阪・阪神・民族教育事件が起こります。それを機に在日朝鮮人は弾圧の対象になりました。弾圧をしたのはアメリカ占領軍と日本当局です。
これも合作でした。箱の中ですからアメリカは日本の民主主義をやり抜いた。アメリカのおかげで日本は民主主義国、場合によってはアメリカの同盟国になった。箱の中で占領軍から見ると、この民主主義はやはり白人至上主義の上に成り立つものです。
当時の占領軍の人たちはまったくそういう意識はなかったのですが、この影響はものすごく大きいものです。今現在の日米関係にも響いています。その辺でダワーは非常に優れた分析をしていると思います。
それから、あまり知られていない話ですけれども、たとえば、東京の近辺では、さまざまなGHQの建物があったのですが、そのなかに関東軍政本部がありました。第8軍の米軍人がいたのですが、圧倒的に日本人が多かったのです。少尉だとか専門家だとか翻訳家などです。その建物のなかでも、ある種の隔離制度がありトイレは別々だったのです。白人は白人用のトイレ、日本人は日本人用のトイレです。これはあまり書かれていないのですが、そういう事実がありました。西洋文明の優越性が前提としてありました。その関係では、さきほど、笹本さんが民衆の歴史のなかでは個人のレヴェルの従属と支配の従属関係がありましたと述べています。
売春とかパンパンとかRAAとかです。そういう箱のなかの民主主義はひとつの側面ですけれども、アメリカでは、ほとんど無視されてきました。日本人にはだいたいわかっている話ですが、アメリカ人には初耳の話が多いのです。一般の大衆には初耳な話で相当なショックを受けるはずです。権力を持つこと、白人至上主義を持つこと、それに性的表現を持つことがまったくちがうところで現れてくるのです。
米軍の男たちが日本人女性を性的な対象にする。物扱いするわけです。また、皮肉な形でカストリ文化のところでは日本人の男性が白人女性を性的対象にしたり、おもしろい相互的な関係が生まれてくるのです。果たして望ましいことではないのですが、そういう戦勝敗戦関係のなかで発生したこともありました。それをきちんと見ておかなければならないというのが、ダワーさんの姿勢であるようです。大変大きな影響を与えたと思います。
箱のなかの民主主義ですから、当然、その箱から日本人はアメリカ人しか見えなくなる部分もあるわけです。これは占領軍の検閲制度のせいでもある。冷戦時代にアメリカは日本を同盟国にしました。はたまた保守権力と密接な協力関係をもつのです。そのダワーさんの分析は非常に優れていると思います。
では敗北国日本をどう見ればよいのか。ダワーさんの『敗北を抱きしめて』が非常に優れているのは、敗北の両義性をうまく描いている点だと思います。敗北以前の日本は軍国主義国家だったのですが、アジア太平洋戦争はある種の聖戦だったという指摘もある。国家神道、天皇制、家族国家とか、そのようなイデオロギーのもとに戦争が行われたわけですが、戦争が終わってから驚くほど素早くそのイデオロギーが無くなってしまう。そんなに脆いものかと、ダワーさんは驚いています。アメリカ人の視点から見ると、これは日本人の本質的な性格ですと教え込まれてきたのですが、そうじゃないと、はっきりダワーさんは言ってくれています。この指摘は一般のアメリカ人に大変なインパクトを与えました。
敗北のなかで、虚脱だとか食えないタケノコ生活など大変な苦労をしながら、新しい価値観を自分たちで作っていこうとした一般の人たちのバイタリティはどこから湧いてきたのか。むしろ戦時中、一般民衆が権力に対して抱いていた疑問あるいは反感が全部ある種の感動的な瞬間として現れてきたと思います。その描き方は非常にすぐれているなあと思います。個人と国家の関係を捉えなおしている。それ自体は日本だけの話ではなくて普遍的な話であり、どこの民族、どこの国にも当てはめることができる。これからアメリカを理解するときには大きな鍵になると思います。
ダワーさんは三つの例を上げています。性産業、闇市、カストリ文化、それぞれ両義的なものです。ただ意外な分析なんですが、性産業、パンパン、RAAの話などは、国家による性差別に基づいたものですが、その中では多民族的な交流もあります。ゆがんだ形ではあるけれども、多民族的な関係もありました。他者を知り合えたのです。従属的な関係のなかでありましたけれども、また女性の立場から見ると、伝統的な女性像、女性のあり方、あるいは男性を中心とした社会への否定と批判でもあり、男女関係の捉え直しでもあったのです。これは非常に新鮮な分析でした。
闇市・ぼろ市そのものは戦前戦時中の国家が植え付けた価値観を否定するようなものであって、非常に非日本的な行動ではありましたけれども、みんなそうせざるを得なかったのです。そういう関係のなかでも、在日朝鮮人、在日中国人と日本人の交流の場でもあったのです。みなせめぎ合いながら、争いながら、競争しあいながら、ひとつの民族関係が結ばれたと言ってもいいのです。それをふまえてさまざまな分析ができると思います。
3点目はカストリ文化です。ダワーさんは細かく説明していますけれども、自分が読みとった結論にはふたつの要素があります。一つは絶対的な価値観への不信感、あるいは拒否です。これは一般のカストリ文化にたずさわった人たちのなかにあっただろう。これは非常に健全なことです。アメリカ民主主義に対しても同じような不信感があって、むしろアメリカとは関係ない日本の独特なものとしてあったと思います。カストリ文化のオリジナリティがあったのではないか。ひとつのカウンター・カルチャーと言っていますが、もちろんその反面もあるわけです。つまり両義性です。
まあこのあたり、戦争責任の問題ですけれども、長年、日本の左翼は戦争責任の回避を批判してきたわけです。けれども、その回避にも占領軍の責任があるわけです。レジュメに細かく書いてあると思うのですが、結論は、ダワーさんの言葉ですが、「戦争は主に日本人に破壊的な影響を与えたのだと理解され、その観点から戦争は否定された」のです。この観点からしか反戦運動が生まれてこなかったのです。悲しいと言えば悲しいことですが、これは事実なのです。
では敗北国日本から裏読みをすると、勝戦国アメリカはどうであったのか。さきほど笹本さんの話にも出てきましたが、アメリカ人としてこの本を読むと、考えざるをえないものがたくさんあります。ひとつの大きなテーマは勝利の両義性ではないでしょうか。ダワーさんは、アメリカの勝利、連合国の勝利はキリスト教の勝利でもあった、と分析しています。ダワーさんはマッカーサーの言葉を細かく引用しているけれども、聖書から借りた表現が多いのです。精神構造がそうなんです。実際、そうかどうかは議論する余地がありますけれども、ただ言葉のうえでも思想のうえでもそういう側面がありました。
戦勝するという意味で、アメリカは自分の戦争責任はどうなのか。戦争に負けることは大変なことですけれども、度合いは全然違いますが、戦争に勝つことも大変なことだということを言いたいのです。違う意味で、違う大変さがあります。それは何かと言うと、自分なりにダワーさんの言葉をアレンジして書いてみると「戦争はおもにアメリカ人に破壊的な影響を与えたと理解されるが、戦争は未だに否定されず、勝利の象徴として肯定される」わけです。これは大変に恐ろしいことです。
4点目は戦勝の二重構造の問題です。
具体的な話として勝戦のイデオロギーの二重構造の問題です。原爆と正義、権力主義と理想主義です。これが一緒になっていますから、これを切り離しては分析しづらいのです。ですから勝戦国の場合はさらなる戦争を起こしていくわけです。アメリカの場合は、朝鮮戦争の場合ですけれども、38度線を越えて北朝鮮を制覇しようとしたところで、とんでもない仕返しを引き起こしたわけです。ベトナム戦争もそうだし、ベトナム戦争で実質的にアメリカは負けたわけですが、「負けた」ということを言えないのです。
第二次世界大戦を勝った国だから、原爆を落とした国だから、世界の最も貧しい国のひとつに「負けた」とは言えない。プライドが許さない。許さないからこそ、その戦争に参戦させられた若者たちがアメリカに帰ってきたら、終戦後の当時の日本兵とまったく同じ扱いを受けたのです。つまり英雄として戻って来たわけではないです。戦争の負け犬としてアメリカに帰ってきました。しかもベトナムで戦った兵士たちは虐殺を起こしたり、村に入って火を付けたり、とんでもない被害を起こしたのです。
その側面では、アメリカの民衆レヴェルでは、政府にだまされたとう意識があります。これは終戦後の一般の日本の大衆の気持ちと似ていると思います。旧軍人もまったく同じ扱いをされました。
だけど、公に政府として戦争に負けたとは認められない。ポスト・ベトナム症候群という言葉がありますが、ベトナム戦争で負けた。負けてからアメリカより弱い国、カリブ海のグラナダを侵略していくわけです。小さな島なんです。大した兵隊もないのに、米軍が送り込まれて占領したわけです。湾岸戦争もそうだし、ユーゴスラヴィアのコソボの爆撃もそうだし、最近のアフガン攻撃もまったく同じ構造になっています。
ですから懲りなければ、戦争を終わらせることはできない。戦争を勝ってしまうと懲りることはないのです。この恐ろしさは現在の世界政治を見ればおわかりになるかと思います。ちょっと乱暴な分析ではありますけれども。
5点目は、日本にとって、与えられた民主主義の意味は何なのかということです。限界と可能性の問題です。これはここにおられる皆様にお聞きしたいことです。
6点目は、アメリカの場合、民主主義を与える意味はどういうことなんでしょうかということです。日本占領という近代史には例が見出せない、数少ない成功とされているわけですが、日本占領はひとつのモデルになっています。日本占領が終わってからすぐ、農地改革だとか、対共産主義対策だとか、さまざまな政策モデルにおいて、日本モデルを使って、アメリカはまず沖縄、台湾、フィリッピン、ベトナム、イラン等々に、農地改革のモデルを当てはめようとしました。しかし、ほとんど失敗に終わるわけです。ソ連崩壊以後、資本主義のグローバル化と侵略戦争が大問題になっていますが、日本では成功したかもしれないが、第3世界ではほとんど失敗に終わっています。そして今身近な問題として同時多発テロ事件とアメリカ民主主義が問題になっています。ダワーさんの本を読むと、戦勝国としてのアメリカは、あまり日本の敗北に学ぶことがないと思いこんでいます。新しい戦争から新しい戦争へ進むという感じで、やっと付けが回ってきたという見方もできます。
人を殺しては行けないのは原則です。ただ、なぜこのことが起こらざるを得ないのか。そのあたりを一般のアメリカ人はまだ分からない。歯止めが利かなくなっている気がする。ベトナム戦争のときに反戦運動に関わった人たちでさえ、やむをえない、もしかして、正当な戦争かもしれない、正当な仕返しかもしれない、あるいは避けられないものかもしれない、と言っている人たちもいるほどです。もちろん反戦運動はありますけれども、アメリカのマスコミではほとんど報道されていません。テロ事件に対してそれを理解するのではなくて、勝戦国アメリカの仕返しとしてしか振る舞ってこないのです。
恐ろしいのですが、海外に対しては完全に国際法を無視してテロに対する拡大戦争に向い、こんども日本を引っ張って、一緒に戦争をやりましょうと言っている。
アメリカ国内はもっと恐ろしい状況です。戦場での検閲制度です。マスコミの自由をまったくうばっています。戦場ですからしょうがないと思う人もいるんですけれども、ベトナム戦争のときにはマスコミの役割は大きかったのです。マスコミのおかげで反戦運動は盛り上がったのです。
今回、ペンタゴンはそれに懲りて完全な検閲を行っています。上からの一般の世論に対する働きかけ・世論作りをしています。テロ事件が起こってから、反対というようなことを言うと大変なことになります。米国連邦議会では戦争反対と言った人はひとりしかいなかったのです。みなさんご存知だと思いますが、バーバラ・リーですね。アフリカ系アメリカ人です。彼女だけが戦争をやるべきではないと言ったのですが、その後始末が大変でした。恫喝とか、殺してやるぞとか、さまざまな大変なことが起こりました。
有名なテレビ・コメンティターが、テロは自爆するのだから「個人としてそれなりの勇気が必要だ」と言ったところ、もう首になりそうになったり、とかがありました。日本の新聞はそのへんは報道しています。しかし、ある種の自粛ムードです。これはとても皮肉なものだと思いましたけれども、昭和天皇が死にかかっているときに、日本のマスコミだけでなく、日本社会全体が自粛したわけです。そのときアメリカの特派員とかジャーナリストたちは「ほれ見ろ、日本にはまだ民主主義がない、真実な国ではない」と、なにか優越的な報じ方をしました。どこかで喜んでいました。それ見ろという感じでした。今回は、アメリカが自粛ムードになっています。思っても言えない。自分の意見を自由に言えない状況になっています。記者が書いても上から握りつぶされるのです。
もっと恐ろしいことがあります。戦時立法に基づいてアメリカ人じゃないアメリカ住民に対して軍法裁判を仕掛けたりとか、あるいは、19世紀半ばころ南北戦争時代に作られた治安立法がまた適用されるのです。シディシャン・ローという、めったに発動されない法律、つまり破壊活動法です。実は、この法律は、日本の破壊活動法と密接な関係があるのです。占領軍は持ち込んだのです。アメリカ国内では、プエルトリコ独立運動に対して適用されたことがありますが、それ以外はほとんどないのです。今度適用しようということになった。もちろんアメリカ市民に対しても適用されるのです。私はいやみ半分で「治安維持法」と訳しました。破壊活動防止法に近く、めったに発動されないんですが、こんど発動されました。これからどうなるのか。本当に歯止めが利かなくなってしまうと、アメリカは軍国主義の道を歩むだろう。その可能性も十分にあると思います。
結論になりますが、新しい「聖戦」の時代に救いになる思想は何かということです。この思想、あるいはアメリカへの教訓は日本の敗北のなかにあると思います。3人の非常に共鳴を覚えた文章を読みました(注1・注2・注3)。尾崎秀実さんのことはもちろん、南原茂もそうだし田辺元もそうです。この間(1・2ヶ月前)、英訳が講談社から出たばかりです。思わず買って読みました。おもしろいと思いました。まさか、ダワーさんの本のなかで出会うとは思っていませんでした。ここで読み上げませんけれども、お読みになっていただければおわかりになると思います。やはり、この視点が、敗北に合わない限り、この視点は出てこないのです。ちょっと悲しい話です。でも、そうだと思います。ですからダワーさんの『敗北を抱きしめて』から何を学ぶべきなのかというと、このあたりにあるんじゃないかと思います。
これで終わります。■

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