「御用ジャーナリズム」イメージはどこからきたのか(その1)
林 衛
(その2)はこちら
(◆2011年10月2日に誤植や文言を訂正いたしました。◆筆者:林衛)
原発震災報道のまちがいはどこに?
東京電力福島第1原発における原発震災発生以降,東京電力や政府による事実公表の不足や遅れ,原子炉での事態の進行や放射線健康影響に関する楽観的な説明に終始する姿勢に対して,強い批判がおこった。その批判はまた,東京電力や政府を取材・報道する大手メディアにも寄せられた。
例えば,「筑紫哲也NEWS23」編集長,TBSテレビ執行役員など歴任してきたテレビジャーナリスト金平茂紀は,原発事故の重大性をテレビが報じそこねている問題,政府指示の相対化をNHKが放棄した問題を分析し,報道検証の必要性を唱えている(1)。NHK報道局は,2011年3月21日付内部文書で「取材は政府の指示に従う」という報道姿勢を示したり,「1mSv/年という公衆の被曝限度はきわめて保守的」と決めつけたりしている問題をとりあげられる。筆者からみても,5月15日ETV特集(ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2か月)で放射線研究者との汚染値同行取材成果を報道するまで,NHKはこの文書どおりに完全に「従順」であったと評価できる。外国人特派員のデビッド・マックネィルは,「安心してください」といった言葉を繰り返し冷静を装いながら情報を隠している日本のメディアの実態はジャーナリズムといえない指弾する(2)。
多くの視聴者,読者が同じようなイメージを抱いたと各所で話題となっている。このイメージをここで仮に「不安解消・楽観論」イメージとよぼう(楽観的な公式発表を無批判に視聴者,読者に伝えたという点では「御用ジャーナリズム」イメージともよべる)。もちろん,テレビや新聞などの大手メディアの報道が100%「不安解消・楽観論」にとどまっていたわけではない。しかし,「不安解消・楽観論」が目に余るという印象が多いという事実には注目せざるをえない。国難ともいえる事態への総力をあげた対処が必要なときに,肝心の政府発表や大手メディアが事態の推移についての事実を十分伝えず,楽観的な予測ばかりを強調していたとしたら,社会全体で取り組まないとならないリスクへの対処が入り口でつまずいてしまうからだ。とくに,原発周辺でいちばんさきに高線量の被曝を受けることとなった地域住民が,正確な情報提供がされないまま,原発から北西方向の汚染地帯に避難してしまったという事実には胸が痛む。小佐古敏荘東大教授が内閣官房参与を涙の会見で辞任表明するまで,子ども20mSv問題を正面切ってとりあげられる大手メディアは限られていた(事件があると一斉に動き出す「事件ジャーナリズム」の典型例だ。東北放送のオフレコ破りに端を発し,大手メディアが後追いで批判を浴びせた結果である松本龍復興相辞任もしかり)。
そこで,「不安解消・楽観論」が強かったというイメージを報道機関がなぜもたらしてしまったのか,個々の報道内容の問題点を吟味する作業を通して,「不安解消・楽観論」に代わりうるジャーナリズムのあり方を探りたい。それは,現在進行している原発震災への報道や社会的な対処をよりよいものにするためにも役立ちうるし,いわゆる科学の負の側面をきちんととりあげていく科学コミュニケーションや科学ジャーナリズム,科学教育確立にもつなげられるだろう。
こういった問題意識のもと継続中のメディアウォッチングの一端をお知らせしたい。
政府プロパガンダvsオルタナティブ情報発信
日本新聞協会加盟の大手新聞社,放送局は,経営規模や影響力の点で大きなものをもっている。首相官邸や主要省庁に記者クラブをかまえ,長年にわたり,プレスリリースされる官庁情報を伝達する役割を独占してきた(3)。いい意味でも悪い意味でも,日本社会における役割は確かに大きい。福島第1原発震災の直後から,東京電力詰めになった朝日新聞奥山俊宏記者によるルポには,記者会見・リリースを追いかける記者たちが,発表者の情報をたんに受け取って記事にまとめるだけではなく,使命感をもってオープンな情報提供を迫るシーンが臨場感をもって描かれている(4)。
困った問題の一つは,東京電力や原子力安全保安院,首相官邸の発表に頼った速報ニュースは,どうしても発表側の意図に引きずられやすい点にある(5)。全電源喪失,ステーションブラックアウト状態に陥った福島第1原発では,温度や圧力といった原子炉の状態すら正確に把握できない状況のなか,炉心溶融や原子炉損傷,水素爆発にともなう放射性物質の大量放出,汚染水漏出といった事態がつぎからつぎへと生じたため,記者たちは公式発表をもとに速報に追われることとなった。「事件ジャーナリズム」と似た,後追い型の「発表ジャーナリズム」の典型例ともいえる速報ニュースが「不安解消・楽観論」イメージをもたらした一因であると考えられる。
考えられる原因はそれだけではない。金平茂紀も指摘しているとおり,速報ニュースの際にスタジオやビデオのなかでコメントをする専門家の人選,発言内容の偏りから「不安解消・楽観論」イメージを受けた視聴者も少なくないだろう。筆者のウォッチングのなかでは,原子炉建屋が水素爆発で吹き飛んだあとの記者会見で枝野官房長官が「原子炉格納容器の健全性は維持されている」と何度も繰り返すいっぽう,スタジオに呼ばれた多くの専門家が水を注入し冷却さえできれば大丈夫だと声を揃える場面をみせられ,政治家,専門家に対して主張の根拠を問うこともないニュース番組から,本当のことが皆目わからないことによる恐怖感が感じられた。政府や東京電力の「不安解消・楽観論」の問題点を大手メディアが追及しないならば,楽観論どおりにならず,事態が深刻化したときに取り残される犠牲者が現われるにちがいないと考えられたからだ。
「不安解消・楽観論」がとりあげない放射性物質の振る舞いに関する大事な情報として,雑誌『科学』編集者時代に掲載した青山道夫ほかによる数値シミュレーションのデータが思い出された(科学,1999年1月号掲載:http://scicom.edu.u-toyama.ac.jp/aoyamaetal.pdf)。1997年3月11日20時ごろに発生した東海村アスファルト固化施設爆発事故によって飛散した微量の放射性セシウムが北東の季節風に運ばれ深夜には関東一円に達し,その後,西風によって房総半島を越えて太平洋上に進み,東風によってまた関東地方へと戻ってきている。この結果は,2km,3km,10kmといった同心円での避難や屋外待避の範囲を大きく越え濃度の高い放射性物質が運ばれていくことを示している。官房長官が,みなさん冷静に,念のための措置ですと強調したところで,いったん放射性物質が漏れ出してしまえば,自然の現実は長官の願いどおりにはならないのだ。であれば,おこりうる事態の実像を伝え,政府にできる範囲が限られているのであれば,それをも明示して,地域住民と行政機関の的確な役割分担や協力関係をめざすべきだろう。しかし,政府にそのような気構えはないらしいし,大手メディアもそんな政府の方針に従うらしいのである。ならば,政府への過剰な信頼を棄て,情報収集を含めた自衛手段をとるしかない。
「不安解消・楽観論」どころか,「政府プロパガンダ」とさえ評価できる報道がつぎつぎ流れるなかで,それを批判し,不足を補う「オルタナティブ情報」をいかに共有するのか,それが肝要だと思われた。コンピュータのなかにあった上記シミュレーション結果の地図をネット上に置いて,MLやツイッターで情報発信をすることに決めた(6)。以降,「政府プロパガンダ」vs「オルタナティブメディアによる情報発信」という単純な構図を作業仮設においてメディアウォッチングを継続しつつ,「風評なき風評被害」批判などのいささかのオルタナティブ情報発信をしてきた(表参照)。
表 「政府プロパガンダ」vs「オルタナティブ情報発信」の構図で分析できそうなテーマ例
テーマ例:「政府プロパガンダ」:「オルタナティブ情報発信」
原発震災の原因と今後の対策:想定外の津波が原因:津波対策があれば安全
原子炉の状況:健全性が維持されている:破損によって汚染水がダダ漏れになる
低線量被曝リスク例1:直ちに健康への影響がない:急性症状がなくとも発がんに要注意
低線量被曝リスク例2:科学的な証拠なし:直線閾値なし仮説が妥当
低線量被曝リスク例3:政府のルールを守れば問題ない:子ども20mSvは回避すべき
エネルギー政策:原発がないと日本経済は失速:代替エネルギー開発こそ急ぐべき
電力不足:原発再開しないと計画停電:原発なくとも電力は足りる
風評被害:防止するために冷静に:風評なき風評被害は直接被害(筆者)
パニック防止1:正しく恐れましょう:不安を力に正しく対処しよう(筆者)
パニック防止2:正しく恐れましょう:正しいパニックをおこせ(広瀬隆)
なお,筆者とは異なる立場の論者もいる。ジャーナリスト武田徹による震災後の緊急出版,『原発報道とメディア』講談社現代新書(2011)では,「日本政府が避難勧告に消極的なのは,危険性を指摘したり,避難勧告を出して,もしも何も問題がなかった場合に,指示を出して日常生活を断たせてしまった「副作用」の方が重篤となり,「作為責任」を問われかねないからだ。実際,避難所で亡くなる高齢者や病人も多くいた。ありえるかもしれない放射線の被害を重視して避難させ,かえって不幸な結果に至らしめることを避けるために,日本政府が情報の出し方において慎重になることはそれなりの合理性がある」(65ページ)と,政府による情報操作にすら(この場合,リスク情報伝達に慎重になってやらないこと)合理性があるとしている。政府による情報操作に合理性があれば,それに従ったプロバガンダ放送にも合理性ありとなる。こういった解釈も理屈としてはありうるが,「不安解消・楽観論」報道の是非を深く検討するためにも,解釈の妥当性は吟味する必要があろう。
吟味のために大事なのは,政策の決定過程だろう。同心円での限られた措置をとっただけでなく,SPPEDIの拡散予測を隠し続けるなど,日本政府が住民による適切な自衛手段のための情報提供さえ怠った理由が積極的な「副作用」の回避だった証拠があるというのならば,ぜひ検討したいと思う。もちろん,指示を受けた避難であろうと自主的な避難であろうと避難の過酷さがもたらす副作用とその軽減には政府が注意を払うのは当然だ(払ったにちがいない)。他方そもそも,避難勧告をするためには移動手段や避難先,経費の確保などの手続きの膨大さに政府担当者が直面することも想像にかたくない(7)。情報提供をしたうえでの「副作用」軽減は,手続きを増やし,複雑化させる。膨大で複雑な手続きをどこまでできるか,実行するのかという現実的な判断のなかで,「副作用」の回避は一要素(あるいは言い訳)でしかないと考えるのが自然で妥当な解釈だといえる。
NHKニュース解説の検証
「不安解消・楽観論」イメージがどこからきたのか,ニュース速報や同席した専門家による解説という比較的短い情報発信ではなく,解説委員による時間をとった解説にも注目したい。短いニュースの際に盛り込めなかった幅広い見方や未解決問題についての言及のための時間的余裕があるからだ。解説委員の解説内容は,視聴者だけでなく,他の報道内容にも影響をもたらすだろう。時間的余裕があるなかでの解説が,「不安解消・楽観論」を上塗りする形になっていれば,報道の大きな方向性が確認できる。
印刷メディアとちがい放送は記録に残りにくく検証に困難があったが,ハードディスクレコーダへの記録が可能になり,放送局が開設するブログ,ホームページに解説原稿のテキストや図版が掲載されるデジタル時代を迎えたため(さらにはオンデマンド放送や映像アップロードサイトもあるので),放送を見逃しても検証がしやすくなっている。
今回分析するのは,2011年3月28日(月)おはよう日本「ここに注目!」で放送された「”ただちに影響なし”の意味」と4月26日(火)時論公論「放射能とどう向き合うか」の二つである。前者は,原子炉からベントや爆発,原子炉そのものの損傷によって漏出した放射性物質が各地で検出されるようになり,官房長官らが「ただちに健康に影響がない」とのコメントを繰り返した時期(原発震災発災から17日後)に,後者は事態の長期化が避けられない事態となったことが明白になった時期(原発震災発災から46日後)にそれぞれ室山哲也解説主幹が解説している(9)。
同主幹は,6月19日開催の理科カリキュラムを考える会シンポジウム(東洋大学白山第2キャンパス)に招かれ,14回にわたるチェルノブイリ取材の経験があってが,専門家のあいだで意見が対立する放射線健康影響についての報道はむずかしかったことを報告した。会場からの質問に対し,NHKの報道全体への批判は編成局長がいないと受けられないが,自らかかわった報道は適切であった旨の発言をしている(9)。原発震災発災から3カ月以上がたち事態が進行している時点で,原発震災発災から17日後と46日後の解説を適切だったと振り返っていることから,放送内容に誤りや問題点がとくになかったと考えていると判断できる。
さて,3月28日(月)おはよう日本「ここに注目!」で放送された「”ただちに影響なし”の意味」をみていこう。問題の第1点は,「ただちに健康に影響がない」を「急性症状がみられるレベルにない」とするのではなく,文字どおりにみると「現時点では問題はない」と,被曝が始まっているのに症状どころか問題までないのだと言い切っていることにある。
そしてその根拠として,「野菜と飲料水の暫定規制値は,1kgとったらという前提なので,実際には一度にそんなにとらないので、さらに数値は下がる。また放射性ヨウ素は半減期(放射能が半分になる)が8日なので,日がたつにつれて影響が減衰していく。このことから現状では,「ルール」を守っていさえすれば心配ないといえる」と説明している。暫定規制値の1kgあたり○○ベクレルというのは絶対量ではなく濃度を問題にしているのであって,上記の記述はまちがいである。この解説をもとに,ホウレンソウのおひたしだったらおよそ100gしかとらないだろうから1kgの10分の1だと判断すると,危険性が10分の1に過小評価されてしまう。また,暫定規制値を決めるのにも放射性物質のもつ半減期という性質は考慮されているので,上のような記述は半減期を二重に強調することになる。科学の法則性をゆがめて,「ルール」を守ってさえいれば心配ないとするのは,たんなる勘違いなのだろうか。いずれにしろまちがいならば,至急訂正されるべきだろう。
解説の結び近くには,「私の話は2つのことが前提。ひとつは,「放射線測定を頻繁にし,速やかに公表したり対策を講じる」こと。もう一つは「原発からの放射性物質の排出をストップさせる」こと」とある。朝の忙しい時間帯の放送で,最後になって結論の前提がでてくるという表現作法にも問題を感じるが,政府がSPEEDI(放射性物質の拡散予測システム)公開をしていなかった事実がすでに新聞報道され,また,官房長官は格納容器の健全性の維持を会見で強調し続けていたもののオルタナティブ・メディアではその根拠の乏しさが指摘されていた(メルトダウンがもたらした容器損傷はやがて公式発表される)時期に,この二つを前提にしていた問題性も大きい。崩れかかったあるいは崩れるかもしれない二つの前提によりかかった本論も危ういからだ。
「御用ジャーナリズム」イメージやむなし
4月26日時論公論「放射能とどう向き合うか」は,どうだろう。本州の東側海岸線に原発が位置し,冬型の気圧配置のもと北西の季節風が卓越していたにもかかわらず,放出された放射性物質が北西方向に浜通りから中通りへと海からの風によって流れ,南北に流されながら滞留,降雨によって福島県内を広範に汚染していた状況がわかってきた時期の放送である。さらにオルタナティブ・メディアでは,県境を越えて首都圏までホットスポットが存在することが示唆されてもいた。広範に濃度高く拡散した「放射能とどう向き合うか」,大事な問題について,どんな解説がされたのだろうか。解説全体は解説委員ブログ(8) (http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/80387.html)で確認していただくとして,その問題点を中心に指摘していきたい。
解説では,大気中の放射線量の分布図が最初に示され,汚染地域が同心円にならず複雑な形状をし,飛び地状に分布することが語られる。問題点の一つ目として,「チェルノブイリでもそうでしたが,放射性物質の分布は,このように予想できない形になります」とあたかも予想不能な結果だと述べている点を指摘したい。もちろんのこと,このような形状を寸分たがわず正確に予想するのは不可能であっただろう。しかし,原発から数kmから数十kmのあいだでもまだらな分布をすること,20km,30kmの同心円を越えて汚染地帯ができることは予想どおりだともいえる。だからこそ政府は当初からSPEEDIを運用していたが,予測結果が一般には非公開になっていたことが問題になっていたことを棚上げした表現だといえる。
ついで,放射線人体影響の解説へと進む。「年間100mSvは,通常の緊急作業員の被ばく限度で,健康被害の目安とされています。それ以下の場合は,放射線によるいわゆる急性症状が出ず,将来がんになる確率も下がっていきます。 4年前、国際放射線防護委員会ICRPは,これらの研究成果も踏まえ,原発事故など緊急時の一般人の被ばく量を、年間20-100mSvにとどめるべきだと勧告しました。今回の方針は,その考えを取り入れ,最も厳しい「20mSv」を採用したものです」と政府方針が解説される。しかしそこには,公衆の年間被曝限度が1mSvであるが非常時のために20mSvに高められているという指摘はない。目安を下回る100mSv以下ならばとくに問題ないし,さらに20mSvならば問題はないと示唆しているとしか読みようがない。
国の原子力災害現地対策本部が飯舘村や川俣町での15歳以下946人を対象した甲状腺の被曝量測定した結果(「問題なし」)や,住民一人ひとりの今までの行動と居場所を照合し,被曝量を広範囲に調査する必要性を認めた4月20日の衆議院厚生労働委員会での細川厚生労働大臣の発言などを紹介したあと,文部科学省が4月19日に福島県内の学校などの限界放射線量を1時間当たり3.8μSvと設定したことがとりあげられる。
「この数値は,ICRPが示した,事故復旧時の放射線基準にもとづいたものですが,測定の結果,13の保育園,幼稚園,小中学校で目安以上となり,屋外活動を1日1時間に制限することにしました。また、福島県内の5つの公園でも,基準以上の数値が測定され,同じ措置が取られました。学校では,今後週一回程度の線量調査を続け,2回連続で基準を下回れば,通常の状態に戻す計画ですが,子供の健康にかかわることだけに,一刻も早い対策が必要です。すでに,一部の地域では,表面の土を削って取り除くことも検討され始めています」という解説には,「一刻も早い対策が必要」との一般論は述べられているが,1時間あたり3.8μSvという基準が高すぎるという意見は紹介されていない。基準さえ下回れば問題なしとする表現だといえる。
福島県内ではこの子ども20mSv問題をめぐる議論が始まっていたが,この時点で1時間あたり3.8μSvという基準そのものへの疑いあるいは疑う意見を提示できていなかった。批判精神の現われは感じられない。その後,小佐古辞任によって各メディアが一斉に政府の判断を批判するようになったが,この解説には汚染地域の住民の苦悩や政府への批判精神は感じられない。
産業技術総合研究所による地下水の流れの調査結果は,山から海へと地下水が移動するという常識的な結果が中心だが,汚染地域の地下水が当然のように汚染されてしまう結果であるにもかかわらず,汚染地域の外に広がらない可能性を強調した流れになっている。
全体を通してみると,政府方針や政府系研究機関の広報にとどまり,結び近くでは,「私たち市民は,放射性物質に対して,科学的な目を持ち,冷静に,向き合う必要があります。風評に惑わされず,過度に恐れず,正しく怖がる」と「不安解消・楽観論」イメージに駄目を押すかたちになっている。
これでは,ほかの速報ニュースからもたらされるイメージとあわさって,「御用ジャーナリズム」だとの印象を視聴者にもたれるのはやむをえないだろう。
このような分析をさらに深めていきたい。
◆(ご意見・ご批判もお待ちいたします。hayashi@scicom.jp
参考文献と脚注リスト
(1)「ジャーナリズム」朝日新聞社,2011年6月号,http://www.asahi.com/digital/mediareport/TKY201106090286.html
(2)デビッド・マックネィル:外国人特派員から見た「原発報道」,日本のメディアは政府広報か,週刊金曜日2011年6月17日号
(3)権力のチェック機能をはたすべきジャーナリズムが政治権力と癒着しているという構造的問題を,例えば,川崎泰資・柴田鉄治:検証日本の組織ジャーナリズム–NHKと朝日新聞,岩波書店(2004)も指摘している
(4)奥山俊宏:ルポ 東京電力原発危機1カ月,朝日新書(2011)
(5)2011年7月5日のCS朝日ニューススター「ニュースの深層」で,福島の子どもの被曝問題をとりあげた,フリーランスジャーナリストの上杉隆は,放射線健康影響に関して楽観的な,情報隠し報道が目立っている事態を問題視したうえで,そのような事態の渦中にあって報道の担い手となっている大手メディアの記者たちが自覚的でもないことを指摘している。
(6)数値シミュレーション結果の地図をMLなどで紹介,引用先としてhttp://scicom.edu.u-toyama.ac.jp/aoyamaetal.pdfに筆者が置いた直後,雑誌『科学』編集部も記事全体を岩波書店ホームページからダウンロードできるよう無料公開した。
(7)NHKスペシャル6月5日放送のシリーズ原発危機第1回「事故はなぜ深刻化したのか」で,細野豪志内閣総理大臣補佐官(その後,原発担当相)が避難のためにバス借り上げに奔走したと語っていた。
(8)それぞれ以下のURLで,NHK解説委員室ブログにテキストと図版が掲載されている:http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/300/76351.html濃度と絶対量の混同は2011年10月1日現在,修正されていないまま;http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/80387.html。
(9)同解説主幹はまた,社会的な影響が大きいゆえに報道内容に慎重にならざるをえないNHK解説委員の立場に会場で言及している。14回にわたるチェルノブイリ取材を重ねた経験をふまえ,チェルノブイリ原発事故で生じた事態を10項目メモにまとめ,福島第1原発報道にかかわるNHK職員を集め,説明したのだという。事態はその予測どおりに進んでしまったが,メモの内容をふまえた取材がされただろうと同主幹は語った。当然そこには,放射性物質汚染が同心円状に広がらないないことや各地にホットスポットができることなどが含まれていたであろう。しかし,10項目のメモの内容そのものは報道にはかけられなかったとしたのに対し,その理由を問われ,「できるわけないでしょ」と同主幹は回答した。それ以上の説明はなかったが,推して知るべしとの回答からは,影響の大きさゆえの政府当局からのプレッシャー(あるいはたんなる自粛)の存在が見え隠れする。それが,「公共放送」の実態なのだとしたら残念でならない。理科カリキュラムを考える会ホームページでは,6月シンポジウムの際の同主幹発言がUst中継アーカイブへリンクされていて閲覧できる。■
林 衛