「21世紀の科学技術を考える」に参加して

投稿者: | 1999年4月14日

「21世紀の科学技術を考える」に参加して/古田直子、上村光弘、上之園幸子

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はじめて参加して
古田直子
今回はじめて参加させていただきました。池内先生のお話の中で特に印象に残っているのが、次のようなお話です。
「大量生産・大量消費・大量廃棄がすっかり定着してしまった現代社会では、科学がすぐさま技術と結びつき、その結びつきについてじっくり考える余裕がなくなってきている。そのために、我々が技術を使うのではなく、まさに我々が技術に使われるという状況が出現している。」「このようなことを学校でも家でも教えられてきたのだろうか」と私は疑問に思いました。高校時代、ゴミについてレポートを発表したことがありました。その時私は、リサイクルするまでの過程が大切と発表した覚えがあります。我々が技術に使われないためにも意志をもって、もっともっと授業や市民講座で、家の中で、話合う必要があると思いました。そういう意味で、土曜講座は貴重だなぁと思います。

 

夢としての科学――池内さんのお話を聞いて私が感じたこと
上村光弘
池内さんのお話が一通り終わった時点で、私は「池内さんの研究している宇宙論はなにか社会の役に立つんでしょうか」という趣旨の質問をしてみました。池内さんの答えは「役に立ちません。それでもそういった研究が許されている余裕のある社会というのは、大切なことではないか」ということでした。要するに「文化的活動」としての科学を言われたのだと思います。しかし、私には宇宙論が社会とまったく関わりなく、文化としての営みだとは残念ながら思えません。
最近はオウム事件やら環境問題との関係で、科学者の社会的責任が話題になったりします。池内さんの大学でこのような話題を扱う授業を開講したところ、何百人という学生が押しかけたというお話を講演の中でされていました。もちろんこれはプラスの意味でされていたわけで、まだまだ昨今の学生も捨てたものではないということでしょう。しかしこのお話を聞いたときには、少々複雑な心境でした。
今は「自然の真理を探求する」とかいう言葉が気恥ずかしく感じられる世の中です。そのような中で、学生は新たに自分の価値軸を求めてこのような授業に何百人も押しかけたのではないか。別の言い方をすれば、夢としての科学を社会との関わりを抜きに単純に語れなくなってしまったということではないか。そう感じたのです。
私は大学では数学を専攻していました。数学を専攻した理由の一つは、まさに池内さんの「役に立たない」という回答とほぼ同じでした。他の社会的なわずらわしいことと無関係に研究できると思ったからです。
今は残念ながらこのような考え方を持てなくなっています。科学者が自身の営みの結果について、社会との関わりを常に考えなければならないというのは当然だし、我々にはそれを監視し要求する権利があるはずだ、と考えてしまいます。しかし、それは科学者がある現象に感じるだろう不思議さや、わくわくするようないかがわしさの喪失と軌を一にすることなのかもしれません。

 

「21世紀の科学・技術を考える」に参加して
上之園幸子
数年前、池内了さんの著書、岩波ジュニア新書『科学の考え方・学び方』を本屋で見つけて買い求め、一気に読ませられてしまったことがありました。その本のあとがきに、池内さんが日頃思ったことをあれこれ書いていったら2週間足らずで書いてしまったとありました。この本には、私自身の日頃の科学について思っていたことが書かれているようで、一気に読みきってしまったのだと思いました。その後、東京新聞夕刊の「放射線」というコラムで池内さんの文章を目にするようになりました。そして今度は直にお話を伺いたいと思っている矢先、この講演がありました。
私は、20数年前化学科を卒業したあと、史学科に学士入学し、卒業後社会化教諭の道を歩んできて、日頃から科学と社会のドッキングの必要性を感じておりました。そんな折り、「科学と社会を考える土曜講座」に、知人(林榮介先生、かつて「沖縄戦について」の講演を行う)の紹介で出会いました。「21世紀の科学・技術を考える」というテーマはたいへん壮大な話ですが、そのためには20世紀科学をふりかえらねばなりません。それをふりかえることは一時期20世紀科学の道を志した自分をふりかえることでもあると思い、参加しました。
その日用事で遅れ、はじめからお話を聞けませんでしたが、「どよう便り」特別号で補いながら、感想を述べたいと思います。

★20世紀の科学を振り返る
最初に池内さんは「われわれは科学の知識を単に切り売りしているだけで、その科学や技術の成果が社会の中でどのように機能しているのか、どんな問題を引き起こしているのか、科学者とか技術者はそういうことをどのように考え、対応すべきなのかといった教育を我々はあまりやったことがなく、それは問題なのではないかと思った」と語り、それがきっかけで、「科学技術論」という講義を始めたとありました。私はこれには驚きました。やっと4年前がこの状況か、と。

オウムのサリン事件が解明されていく中で筑波大で化学を志した土谷という人間の、オウムにのめり込んでいった発言の中で、「大学の研究室は旧態依然たる感じで好きな研究を自由にやらせてもらえない」という不満がありました。20数年前同様、まだ、大学はそうなのかと唖然としました。私的なことですが、私が化学の道を止めようと思ったのは、今思うと、私が20世紀科学ではなく19世紀科学をイメージしていた過ちに気づいたことにありました。

長じていくに従い、この世が男性優位社会と知るにおよび、女性が男性と対等に生きにくい社会であるということを皮膚感覚で感じました。また、当時の池田首相による「期待される人間像教育」にマインド=コントロールされていたところもあったのでしょう。マリー・キュリーに憧れ、大学受験の志望を考えるとき、傲慢にも文科系は自分でも学べるが科学はいろいろ設備が必要だし、大学に行くことが先決と化学科を志し、当時数学が苦手であったにもかかわらず、人間の発明したものだし、やってやれないわけはないと一浪して克服し、なんとか化学科にすべり込みました。

昨年、日仏友好年と、マリー・キュリーがラジウム発見から100年ということで「キュリー夫妻」の映画を見ました。その中のセリフでマリー・キュリーが、「物質文明を豊にすることが人類の幸福」というところを見て、19世紀の人々は20世紀に豊かな物質文明を期待したことを考えました。しかし第二次世界大戦で、一旦は物質文明が破壊されました。しかし、復興する中で先進国と考える国(日本は特に)は、物質文明を豊かにすることに反比例して、精神的豊かさを失っていったのだろうと、今は思います。豊かな物質文明に取りまかれながらも、なぜか心に巣くう虚無感(たぶん消費社会の中で、物を生産できない、商品を生産したとしてもその商品が労働を、労働者を疎外するというマルクスの「資本論」にもつながっているのでしょうが……)埋めるものとして、土谷はオウムにのめり込んでいったのでしょう。

1968年1972年の大学闘争の中で内面が混沌(カオス)となったとき、私が非常に学びたかったのは、哲学でした。キルケゴールやサルトル(実存主義)、坂口安吾『堕落論』に非常にひかれたのも、そんな心境からでした。しかし私自身は懐疑的思考を払拭できず、信仰にはのめり込めませんでしたが、日頃、懐疑的思考のない人は簡単に宗教に走ってしまうことはあるだろうという気はします。

★科学と資本主義社会
池内さんは製品を通じて、科学が社会に流れ込み、人間に大いに影響を与え、その結果科学・技術・社会のつながりが非常に強くなることを「科学の技術化」と言っていらっしゃいますが、理科系の方によく見られる考え方だなと思います。池内さんのおっしゃり方だと、私たちを取りまくところに科学が位置しているように聞こえますが、私たちを取りまくところは、まず人間のいる社会で、家族がいる場合は家族共同体、さらに地方自治体から国へ、政治、衣食住のところでかかわる経済の動いている社会があり、都市生活を営む者はその外側にむしろ自然環境があると考えた方がよいのではと思います。つまり、科学の発見による科学の技術化は、資本主義経済の営みの中で出てくるので、利潤追求をめざす、資本主義経済の中で、エジソンは人類をろうそくなどの火から解放したとは言えるであろうけれど、エジソンと彼を取りまく企業家の利潤追求を志す動きが、技術の改良を重ねていく方向に導いたのだと思います。

池内さんのおっしゃる、20世紀の我々が抱えているいちばんの問題、大量生産、大量消費、大量廃棄も、市場経済で動く資本主義経済を語らずには諸刃の剣というかつての単純な議論に終わってしまうと思います。’69年、’70年の大学時代、民科(民主科学者運動)等が”諸刃の剣”を述べていましたが、私は違和感を感じていました。そういうときに、広重徹さん(70年代に亡くなられてしまいましたが)が、ビッグサイエンス(巨大科学)等と言い、現代の科学は、科学技術そのものが加速し巨大化していくことを解き明かし、科学技術とともに動いていく社会(資本主義社会)への目を向けさせてくれたのです。私は史学を学ぶまでは、科学を原点から見なおしたいと思い、卒論をロバート・ボイル(「ボイル=シャルルの法則」のボイルです)までさかのぼったのですが(彼は錬金術師パラケルス等との格闘の中で、近代化学を打ち立てるべく『懐疑的な科学者』という著作を出しています)、結局のところ、中途半端で終わってしまいました。しかし『科学革命の構造』(トマス=クーン著、中山茂/訳みすず書房)に目から鱗が落ちる思いでした。

パラダイム論を通して、科学の営みが見えてきたところがあったのです。史学科に学ぶうち、もっと複雑な社会の動き、経済、政治などに影響され、また中山茂氏や佐々木力氏の科学社会学等に関心を持ちました。また、さらにビッグサイエンスとミクロサイエンスを取り込んで利潤を追求していく資本主義社会の動き、企業と利益を共有しつつ資本主義発展をおいすすめていく国家の営為−他国との競争と言いつつ軍事科学技術を強化していく(日本の場合は国際競争に勝つために、防衛のためにという言葉を最近耳にしますが)ことなども、目が離せません。

池内さんは、物理学者ゆえか、話が量子力学から核兵器の方へと進んでいきましたが、私は化学科でしたので、水俣病に出くわしました。つまり、キュリー夫人的19世紀科学に幻惑され、大学に入ったとたん、そこに屹立していたのは20世紀後半からのビッグサイエンスだったのです。私のイメージしていた試験管、ビーカーを操作する実験室は教養2年までで、3年からは量子研、高分子研での危機による実験等が待っており、折しも水俣病が公害認定されだした頃。人類の幸福のための科学が一挙に人類を地獄に突き落とす科学に思え、ショックを受けました。そのころ進みつつあった産学協同も、今思えば、資本主義社会の中に大学が取り込まれていく過程では当たり前なのでしょうが。しかし、私のイメージの大学は、国家権力、企業から独立した「大学の自治」「学問の自由」というものがあり、産学共同反対の路線は当たり前でした。今もって私のその態度はそれでよかったと思っていますが、大学の方は、高度資本主義社会を生き延びるためには、産学共同路線を取り始めていたのだと、今は思います。

★国家のため、経済のための科学
私の幼い頃、土曜日の放課後などに小学校で他校の子どもも含めた「科学教室」があり、私も参加していました。国家は、国際競争の中で生き延びるために、経済成長をめざし、科学技術庁長官であった中曽根のもと、理科振興教育のマインドコントロールを行っていたのです。ですから戦前戦時批判もなんのその、戦後しばらく経つと徐々に国家のための科学になりつつあったのです。企業がおこした水俣病も、高度成長を促す国家は企業を保護し隠蔽せねばならないものでした。産学共同で生き延びようとする大学では、国家のための科学に滅私奉公したくない学生にとって、大学闘争は必然でした。

お話にあった、ベータ方式とVHS方式のビデオの例は、科学技術も市場経済が推進することをよく物語っています。そもそも科学技術が産業革命以後発達する中で、マイナス要因が考えられたことがあったでしょうか。結局、資本主義の利潤追求を合理的に効率よくすすめるというプラス要因を追求した結果が水俣病の原因物質であるメチル水銀の廃棄でした。しかし、政府・企業は懲りずに今また大量生産、大量消費を推進する中で塩化ビニル、コプラナPCB、ダイオキシン、フラン、などの問題も浮かび上がってきているのです。

★一人ひとりがどう生きるのかが、21世紀の科学の道筋
今の資本主義経済がどうあれ、私たち一人ひとりが自分はどう生きるのか、というところから考えると、21世紀の科学は、池内さんのおっしゃる小型化、分散化、省エネルギー化となるのでしょうが、私は「等身大の科学」であって欲しいと思います。

人間が等身大の科学を見つめるとき、人間が生態系の循環のなかの一生物であるという謙虚さがもどってくるように思います。循環のためには、大量生産、大量消費、大量廃棄する一方向の経済システムを止めなければならないのです。ある意味で現在の不況は、21世紀の科学を考える上ではたいへんよい転機と言えます。もちろん、この不況で、倒産、人員削減等、当事者にとっては死活問題でしょうからいいかげんなことは言えません。が、あえて醒めた目で見れば、大量生産で大規模化したことに対するツケとも言えるわけです。ですから、若い人たちも就職難にめげず、資本主義経済の行き詰まりと考え、資本主義でないシステム、そこそこに食べられ、他者と精神交流ができる共生社会をめざしていく、等身大の経済システムを求めていく必要があるのではないでしょうか。また、高度産業社会は情報化社会でもあります。

情報の洪水の中で、多くの人は、必要な情報を自らの判断で選び取ることができなくなっています。本当に必要なものを選び取る判断ができなくなっています。
池内さんは「環境圧」が科学技術のあり方や、現在の社会システムを変えていくだろうと話していましたが、こういう転機が来ていることに自覚的ではない国家や今の資本主義社会システムを持ち続けていたら手遅れになるでしょう。その中に暮らす私たち一人ひとりが生き方を変えなければダメでしょう。身近なところから自分の生活を点検し直し、等身大の科学、経済を模索していく、そのために身近なゴミ問題からでも始めていく、それしかないような気がします。

20世紀科学が残した課題は、複雑な系の記述=生物や人間の複雑な機構の解明です。池内さんは生物利用とおっしゃいますが、これはややもすると遺伝子組み換え作物、クローン生物が肯定されかねない問題なので、誤解のないよう慎重に扱う必要があると思います。

高木仁三郎さんも『市民の科学をめざして』の中で述べていますが、21世紀は市民社会に科学技術を取り戻す−科学技術をいかに考え、市民がコントロールできるかをすすめることが必要だと思います。市民(=国家に束縛されないということで国民ではなく市民という言葉を使う)を無視した企業、地方自治体、国家に対し、私たちは今以上にもの申していかねばならないと思います。

私も今年3月からサポート会員になりました高木学校(’73年に都立大におしかけ、高木先生に師事しようとしたとき、先生はすでに大学を辞めることを決心されていて、私も別の道を歩んでいたのですが、めぐりめぐってまた先生をともに学ぶ機会ができました)は、市民科学をめざすためのよりよい学ぶ場となっていくでしょうし、あちこちにそういう場がつくられていくでしょう。すでにあるNGO、NPOの交流も深まれば、今の新ガイドライン関連法を国会で通してしまい、組対法、通信傍受法(盗聴法)、国旗国歌法(悪しき戦前の象徴としての日の丸、君が代の国旗・国歌法制化)、戦前の国家総動員(国家滅私奉公)をもくろむ、形骸化した国家、政府を破綻に追い込むこともできるかもしれません(気の長い話ではありますが)。

その他、質疑で出てきた社会的有用性も、一歩まちがえると戦前と同じ発想になりやすい。ノーマライゼーション、共生というとき、私たちは一見役にたたないようだけれども癒やしや喜びを与えてくれるものは排除してはならないだろうと思います。乙武洋匡さんの『五体不満足』に関心がいく時代、存在を必要とされない命はないだろうと思います。

最後に私が希望するのは教育です。21世紀の科学技術を考える上で欠かせない問題だと思います。文部省は先ごろ総合学習とうたいはじめたようですが、かつて現代社会が出てきたときのように、国家の意図は国家に滅私奉公させる公民の養成でしょうが、私たちは社会と理科をドッキングさせ、その他、家庭科、保健、国語、数学などさまざまな連携のもと、考える市民を養成する教育を考えていきたいと思います。土曜講座でも、「21世紀の科学教育を考える」といった試みが行えればいいなと思います。

 

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