気候変動という国際政治問題 COP3をめぐる雑感

投稿者: | 1999年3月31日

気候変動という国際政治問題 COP3をめぐる雑感

上村光弘

doyou_gwwarm199912.pdf

地球温暖化防止「京都会議」が終わって、その成果やいかに? タイムリーな論考を上村さんより寄せていただきました。土曜講座ではいずれ近いうちに「温暖化」を研究発表で取り上げたいと考えています。ご意見ご感想をお寄せください。

 

二酸化炭素と気温の上昇に関連のあることは、一世紀ほど前から知られていた。また、二酸化炭素の大気中濃度が増えてきていること、世界の平均気温が上昇傾向にあることは少なくとも第二次大戦後から記録されている。一方、気候予測に関する科学的知見は、現在のところ極めて初歩的段階にあるといえ、多くの科学者がその気候予測についての不十性を認めている。
私の疑問は、なぜ20世紀も終ろうとしている今、国際政治の中心課題として二酸化炭素の排出が問題とされるようになったのかという点である。課題となる時期は、もっと早くても、もっと遅くてもよかった。なぜ今なのか。 1997年12月、京都で開催されたCOP3(気候変動枠組条約第3回締約国会議)の動向をフォローしながら考えてみた。

●なぜ「温暖化防止」京都会議なのか
今回の京都会議の正式名称は「気候変動に関する国際連合枠組条約 第3回締約国会議」である。しかし、ほとんどの新聞、雑誌などは「温暖化防止京都会議」と表現していた。
条約の第二条には、本条約の目的として「気候系に対して危険な人為的干渉を及ぼすことにならない水準において大気中の温室効果ガスの濃度を安定化させることを究極的な目的とする。そのような水準は、生態系が気候変動に自然に適応し、食糧の生産が脅かされず、かつ、経済開発が持続可能な様態で進行することができるような期間内に達成されるべきである」とある。一読してわかるように、ある我慢できる水準に温暖化を押さえるのが目的である。

もし、IPCCの科学者たちの報告を取り敢えず認めるとすれば、そして現代石油文明の享受の権利を第三世界にも認めるとすれば、我々はすでにもう限界を越えているのである。決して温暖化を防止することはできない。我々に残されている選択肢は、温暖化の程度を緩和した上で、その状態に適応してゆくということだけである。
さらに言うと、「気候変動」であって「温暖化」でもない。確かに地球上の平均気温は上昇するとされているが、全地域で気温が上昇するわけではない。平均気温の上昇によって海流が変化し、かえって気温の下がる地域すら出てくることが予想されている。そして、本当に懸念されているのは、極端な多雨や乾燥など、現在言うところの異常気象が、より頻繁に起こるようになる可能性である。

今回の京都会議の目的は、資源やエネルギー消費に大きな割合を占め、かつ削減の余裕もある「先進国」に温室効果ガスの排出削減数値を定めること。そして、今後進めてゆかねばならない世界的規模での対策の露払いをおこなうことにあった。

●米国と「開発途上国」の「対立」
今回の会議で注目すべき点は、米国と「開発途上国」の「対立」であろう。米国は「開発途上国」の排出削減義務を明記するよう、強硬に主張した。逆に「開発途上国」は、米国が不可欠とする「排出権取引」に反対した。
今回の数値目標設定には、そもそも「先進国」を対象とするということが第1回締約国会議(COP1)で合意されている。米国が今さらこの決定を覆そうとするのは、明らかにルール違反である。にもかかわらず米国が「開発途上国」の参加を主張したのは、国際的な譲歩を引き出すためであろう。米国という世界最大の二酸化炭素排出国が条約に参加しないのでは、条約自体の意味が失われてしまう。結局最終的に、米国は「排出権取引」を手にした。

一方、「開発途上国」は、「自発的参加」という文言すら議定書に含ませることを拒否し、その主張通り認められた。 世界は冷戦後の世界的議題として環境問題を取り上げている。環境問題とは突き詰めれば、資源・エネルギー利用と人口の問題に帰着する。世界人口の20%の「先進国」が世界の80%の資源を消費する。「開発途上国」はこの点を大いに問題とし、これまでの二酸化炭素排出の責任の多くは「先進国」にあると主張する。そして我々にも経済成長する権利を認めよと迫る。一方、人口の増加が著しいのは「開発途上国」である。すべての人々に権利を認めるためには、人口増加をこのままにできないと「先進国」は危惧するのである。結局、環境問題は冷戦後、国際政治舞台の前面に出てきた南北問題といえる。
世界でもっとも資源を消費する米国と、経済成長の権利を主張し人口増加も著しい「開発途上国」。二酸化炭素の排出制限によって、もっとも影響を被るであろうこの2つの立場が、会議の主軸となったのは当然である。

●シミュレーションは科学か
今回の議論の土台となっているのは、いうまでもなくこれまでの知見の総集編と言える「IPCC第二次報告1995」である。IPCCは3つの部会に分かれているが、特にその中で議論の大前提となる温暖化の科学的根拠とその兆候などを議論している第一作業部会の報告が重要である。
報告書の大きな特徴は、未来予測をコンピュータ・シミュレーションで行っている点である。この報告書ではいくつかの排出シナリオにしたがって、2100年までの排出と温度上昇、海面上昇などのグラフを作成している。
環境をテーマにコンピュータ・シミュレーションで未来予測し、一般に意味を問うたという点では、『成長の限界』が嚆矢であろう。このときはずいぶん批判があった(一番大きな批判は技術の発達を考慮に入れていないということであった)。ところが今回の報告書は一部に批判はあるものの、おおむね常識的な議論と目されているようである。この温度差はいったいどういうことだろう。

ところで気候現象に限らず、一般にシミュレーションは、複雑な現象を複雑なまま表現しようという手法だ。もちろんその背景には科学的知識が必要になるわけだが、結局のところ当の複雑な現象をいかに忠実に再現できるかで評価される。未来予測の場合、そのシミュレーションの評価は、究極的には未来になってみないとわからない。
また、シミュレーション設計の過程では、しっかりした論拠のある説明ができなくても、つじつまあわせのためにアドホックな解決手法もとられる。また、すべての関係要素を盛り込めばよいものではなく、主要な要素に限定した方が良い結果を出す場合もある。

結局のところシミュレーションが妥当なのかどうかは、実績によるしかないのである。そういう意味では、気候のシミュレーションはほとんど実績がないに等しい(明日の「お天気の予想」と、地球規模の気候の予想はまったく違う問題である。時々両者を混同している人がいるので注意しよう)。
コンピュータ・シミュレーションについては非常に興味があるのだが、別の機会にゆずることにする。

●合意された数値目標は低すぎるのか
京都会議の話題に戻る(右に掲げた「京都議定書骨子」を参照のこと)。
合意された各国の数値目標自体は、NGOが一様に批判する通り、温暖化対策としてはまったくお話にならないものである。しかし、そもそも今回の会議は「先進国」の決意のほどを示すという以上の意味は持っていないと考えるべきである。

そう考える理由は2つある。ひとつは、今後大きな排出量の増加が見込まれる「開発途上国」の目標値設定が、COP1のベルリン・マンデートに従って最初から議題からはずされていること。もうひとつは各国の数値目標の設定について大前提となりうる、地球全体としての許容量をどのレベルに設定するべきかの議論が、まったくされていないことである。

後の理由についてもう少し考えてみる。(1)まず我慢できる温暖化の程度を決め、(2)そのための温室効果ガスの安定濃度と期限を決め、(3)最後に、その時点までに目標をクリアできるよう、削減スケジュールを決めるというのが、一般的に物事を考える上での手順であろう。実際、このような手順を踏むべきであるとの主張も、一部の新聞では見受けられた。しかし、今のところ各国の利害調整が可能であるとはとても思われないし、科学的知見も不十分である。

よく引き合いに出される値はある。2100年で550ppmv(産業革命以前のおおむね2倍の濃度)というのは、かつてEUと日本が言及した数値らしい。しかし、この数値も特に国際的に合意されているわけではない。また、IPCCが報告書の中で、450~1000ppmvの間のいくつかの数値を安定化目標としてシミュレーションをしている。温暖化をどの程度で安定化させるべきかという議論は、各国の価値観が大きく関わるところである。各国が温暖化で受ける影響もよく分かっていない。島嶼国は、国土がなくなる可能性があるということで、大きな脅威であろう。しかし、砂漠の国ではそれほど影響を深刻に考える理由はない。国土が年中凍結しているところでは、温暖化で耕作地が増え、得をするかもしれないのである。

性急に温室効果ガスの上限値を決めることには、温室効果ガス削減に積極的なEUでさえ躊躇するであろう。上限が決まってしまうということは、おのずから各国にどう排出量を割り振るかという視点でしか議論ができなくなるということである。当然、条約から抜ける国が相次ぐであろう。温暖化に関する議論は、全世界の国々が参加しなければ意味がないのである。この条約が「枠組」条約であったことを思い出して欲しい。
今回の会議はとりあえず成功と見たい。なぜなら、まがりなりにも数値目標での合意が達成されたからである。

★京都議定書骨子★
・先進国(付属書1締約国)は、2008年~2012年までに、温室効果ガス6種の二酸化炭素換算総量を少なくとも5%削減する。
・削減率は各国別に付属書Bで定める。例えば、EU8%、米国7%、日本6%。
・森林などの吸収量は排出量から差し引くことができる(ネット方式)。
・排出権取引を認める(詳細は次回締約国会議の検討課題)。
・複数の国での共同削減(バブル)を認める。
・先進国が途上国の削減策を実施した場合、一部の削減分を自国の削減分として繰り込むことを許す(クリーン開発制度)。
・削減目標は法的拘束力を持つ(罰則等の具体化は今後検討する)。

以上は(1)55カ国以上の批准、(2)批准国の排出量が先進国全体の55%を越える、の両方の条件を満たした日から90日後に発効する。

●なぜ今か
さて、なぜ国際政治の中心課題として二酸化炭素の排出が問題とされるようになったのであろうか。まだ十分納得できる解答を得ることができないでいる。
この課題について私が興味を持つきっかけになったのは、米本氏の本(参考文献4)であった。その中では、まさに温暖化問題が冷戦における核の問題と同型であることが論じられている。したがって、世界戦略を考える上で、冷戦構造後の空白を温暖化問題が埋めることになったのは不思議なことではないのである。
では、なぜ今なのか。一つは、気候変動に関する研究は、米国の「核の冬」研究がその土台になっているということがあげられるかもしれない。「核の冬」研究と「気候変動」の研究は連続している。実際IPCCの中心メンバーは、米国の研究者である。
世論形成という点では、チェルノブイリの経験が大きな契機であったのかもしれない。NGOが国家の枠組みを越えて、国際社会で大きな役割を果たすようになったことも無縁ではないだろう。
また、国際政治を見る視点として、国家あるいは国家群の間のパワー・ポリティックスとして理解することも、まだまだ有効であろうと思われる。世論と国家の行動の関連も考えてみる必要がある。冷戦時代と現代の連続性を、見直してみることが必要ではないか。この課題は今の私には荷が重すぎるというのが正直なところである。

* * *
今後、1998年11月アルゼンチン・ブエノスアイレスにて第4回締約国会議が開催され、IPCCは2001年初めをめどに、「第三次評価報告書」を完成させることが予定されている。
〈参考文献〉
●1.『グリーンピース・レポート 地球温暖化への挑戦』ジェレミー・レゲット編著、西岡修三・室田泰弘監訳、ダイヤモンド社1991年10月、特に第7章の原子力発電の評価(否定的)。日本政府やIPCCは原子力を肯定的に考えているので対比させて見ると面白い。
●2.『二酸化炭素問題のウソとホント』小島紀徳著、アグネ承風社、1994年1月、特に二酸化炭素固定化などの対策技術について参考になる。
●3.『地球温暖化と海』野崎義行著、東大出版会、1994年3月。気候と海の関係をかなり専門的に解説したもの。気候というものがいかに複雑なものかというのがよくわかる。
●4.『地球環境問題とは何か』米本昌平著、岩波新書、1994年4月。冷戦構造終結後の世界枠組再編の軸として、温暖化を始めとする地球環境問題を扱っている。このアプローチによる一般向けの日本語の類書を私は知らない。
●5.『国際政治と科学技術』ユージン・B・スコルニコフ著、薬師寺泰蔵・中馬清福監訳、NTT出版、1995年9月。特に第5章「地球的危機」が参考になった。
●6.「二酸化炭素−地球温暖化の元凶?」、『逆説・化学物質−あなたの常識に挑戦する』ジョン・エムズリー著、渡辺正訳、丸善、1996年8月。筆者は温暖化否定論者。温暖化説は研究者が予算欲しさにいい加減なことを吹聴しているのだと断罪している。
●7.『IPCC地球温暖化第二次レポート』環境庁地球環境部監修、中央法規出版、1996年7月。IPCCの「総合報告書」と、3つの部会が各報告の前につけている「政策決定者のための要約」の翻訳。
●8.『地球温暖化の実態と見通し』気象庁編、大蔵省印刷局、1996年10月、バイブルであるIPCC第一作業部会第二次評価報告書「Climate Change 1995 – The Science ofClimate Change」IPCC,1996,University of Cambridge の日本語訳。IPCC3部会の「総合報告書」の訳も巻末にあり。
●9.「京都議定書・グリーンピース・ジャパンの視点」グリーンピース・ジャパン、1997年9月24日。世界的な環境NGOグリーンピースが京都会議で何を問題としているかよく理解できる。
●10.「リサイクル文化」56号、「特集:地球温暖化防止に向けたアクション」、リサイクル文化社、1997年10月、特に私が面白かったのは「地球温暖化防止の政策意思決定と市民の役割」(国立環境研究所の川島康子さんへのインタビュー)。お国柄がよくわかる。「関係資料一覧」には関連するホームページのアドレスなども充実している。
●11.『地球温暖化を防ぐ−20世紀型経済システムの転換−』佐和隆光著、岩波書店、1997年11月。京都会議ぎりぎりに上梓された。最新の話題がよくわかる。特に私が面白いと思ったのは、温暖化を巡る議論を「マルサス主義対反マルサス主義」の論争として解読している点である。
●12.「温暖化説に根拠はない−反地球温暖化論者のリチャード・リンゼンMIT教授に聞く」、「NEWSWEEK日本語版」1997年11月5日号、TBSブリタニカ。リンゼン教授は
温暖化否定論者の一人。
●13.『地球温暖化の経済学』天野明弘著、日本経済新聞社、1997年11月。経済的手法の評価。
●14.「世界」1997年11月号、「特集:CO2−どうすれば減らせるか」、岩波書店。古沢広祐「文明の転換が必要だ!」での、アメリカの条約反対キャンペーンテレビCMの話が面白かった。
●15.「科学技術ジャーナル」1997年12月号。「特集:地球フロンティア研究システム始動」。(財)科学技術公報財団。日本の気候科学の研究体制の最新動向の紹介。
●16.米本昌平「文明論としての地球温暖化」、『中央公論』1998年1月号。「価値創造としての自然科学研究」を提言。結論自体はタイトル倒れだとは思うが、温暖化問題の政治を冷静に分析している。
●17.トマス・シェリング「地球温暖化対策の盲点」、『中央公論』1998年1月号。「発展途上国」に対しては、温暖化対策よりも優先課題があるのではないかという問題提起。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です