地球温暖化の政治学

投稿者: | 1999年3月31日

地球温暖化の政治学

上村光弘

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第99回研究発表を担当された上村さんに、地球温暖化をめぐる最近の話題をまとめていただきました。この問題に関する皆さんの自由な意見をお寄せください。(上田)

一昨年末の京都会議前後と違って、最近は温暖化を巡る話題はあまり大きく取り上げられません。最近の環境関連の話題の中心はなんといってもダイオキシンと環境ホルモンです。有害廃棄物や科学物質の問題であるという点で、「地球環境問題の時代」からひと昔前の「公害の時代」に戻ったような錯覚を覚えます。より身近なところに視点が移ったわけで、ある意味では健全といえば健全なのかもしれません。
生物にとっても非常に有害な反応性の激しい物質は局地的規模で早々に被害を引き起こし、反応性の低いあまり危険でない物質は反応しないがゆえに地球規模に広がりじわじわと効いてくるという話を読んだことがあります。この代表的なものがフロンと炭酸ガスなわけです。でも炭酸ガスとてダイオキシンと同じく、人間がエネルギーの消費に伴って出した廃棄物の問題には違いありませんね。

●温暖化問題は冷戦と同じく政治的フィクションである
先だって土曜講座で「温暖化の政治学」と題して研究発表をおこないました。ついつい話が得意な科学的側面に片寄りがちで「政治学」というには物足りなかったかもしれません。この時、私が「政治学」という言葉で含意したかったのは、温暖化というのが冷戦とおなじようにフィクショナルなものであるということです。「嘘」か「真」かはともかく、積極的に行動するか行動を拒否するかはともかく、これによって国家を始めとして企業やNGOなどの国際舞台の役者が動くということです。

ではなぜ、80年代後半になって温暖化問題をはじめとするいわゆる地球環境問題が国際政治の中心課題として浮上してきたのでしょうか。それは、80年代のデタントの進展、さらには東欧・ソ連の崩壊によって冷戦というフィクションに説得力がなくなった結果、各国は米国とソ連という二大国のどちらかに所属するという形での行動の枠組みを失ってしまったからです。国際社会の中で、国家は自身の行動を決めるに当たってなんらかの根拠を必要とします。その根拠を与えるものとして浮上したのが地球環境問題だということです。

地球環境問題を安全保障概念で捉えようとする見方がありますが、こういった見方自体がまさに地球環境問題が、国家としてのアイデンティティを支えるものであることを示しているような気がします。みなさんはどうお考えになるでしょうか?

●温暖化問題は形をかえた南北問題である
温暖化問題を巡る国際社会での各国の動きを見ていると、発展途上国と米国の行動が際立っています。京都会議の議論はこの2者の拒否によって特徴付けられるといっても過言ではありません。
発展途上国はこれから自国の経済発展のためにエネルギー消費を引き上げなければなりません。これらの国々にしてみれば、これまで先進国はさんざん炭酸ガスを排出して経済発展をしてきたのだから、自分達にその権利がないのは不公平だと考えます。

一方、米国は世界最大の炭酸ガス排出国ですが、国内の産業界から強い反対があります。発展途上国が何らかの形で削減に参加するのでなければ、米国は京都議定書を批准しないと言っています。発展途上国が参加しないと実質的な炭酸ガス排出の削減ができないわけで、これも純科学的な議論を前提にすれば正しい話です。駄々っ子のような気がしなくもありませんが。
「持続可能な発展(開発)」というのはリオサミットでのキーワードですが、環境は大切と言いつつも経済発展は必要ということで、これはまさに南北問題の解決を見据えたキャッチフレーズだと言えるでしょう。

●冷戦後の国際政治分析には決定版がない
第二次大戦後、冷戦を経て経済や環境問題について国家どうしの相互依存関係はますます深まっています。さらに企業やNGOなどの国境を超えた動きはますます活発になってきています。技術の発達で情報はほぼ瞬時に共有されます。国家どうしの経済・軍事等の力関係で分析する従来の方法では、国際社会の動きは捉え切れなくなっていると言えるでしょう。国家の重要性は相対的に低下しています。そもそも「国際」という言い方自体が国家を前提としている見方でした。

この混沌とした世界を分析する道具はあるのでしょうか。私は今回の発表にあたって、国際関係や政治の文献をいくつかあたりましたが、どうやら、現状を的確に分析できる枠組みはないみたいです。相対的重要性は低くなったと言っても、条約締結などはいぜんとして国家が主体です。国家(を動かすパワーエリート)の認識・目標がどのように変化するのか、その学習過程がどうなっているのかなどという問題は「国際政治学のほとんど未知の領域」だそうです。

唯一おもしろそうなのは「国際レジーム論」というものです。「レジーム」とは狭義には条約などを示し、広義には国家が動くときの取り決めやモラルのようなものも含んだ概念だそうです。そして国家の行動がどのようにレジームに影響されるか、また国家どうしがどのようにレジームを取り決め管理するかといった問題を扱います。
環境関連の条約はまさにレジームなわけです。参考書として『入門地球環境政治』ガレス・ポーター/ジャネット・ブラウン(有斐閣、1998)をあげておきます。

●前途多難な温暖化問題
昨年11月13日、米国がやっと署名しました。この時点で京都議定書の署名数60ヶ国、批准はフィジー1ヶ国でした。先日の3月15日で署名受付は終了しましたが、おそらく数字はそれほど変わっておらず、批准は1ヶ国のままでしょう。ブエノスアイレスの第4回の締約国会議でも実質的な議論は進みませんでした。温暖化問題の解決にはほど遠い状況です。

しかし、この地球環境問題という国際政治のフィクションはそうそうすぐには崩れないでしょう。少々遅れることはあるかもしれませんが、確実に進展してゆくはずです。これからも折に触れてフォローしていきたいと思います。

 

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