明石昇二郎 著
『原発崩壊』
((株)金曜日 2007年)
日本のエネルギー供給において原子力発電への依存を続けるべきか止めるべきかをめぐっては、人々の意見の一致をみることはいまだに難しい。しかし、日本が地震大国であり、数ある施設の中でも原発には最も厳重な耐震策をほどこさねばならないことに異論のある人はいないだろう。地震の発生確率と規模の予測を記した、誰もが簡単にみることのできる最新のデータは、文部科学省の「地震調査研究推進本部」のホームページに掲げられた「地震動予測地図」だと思われるが、そこからは例えば、今後30年以内にM7.0以上の地震が発生する確率が10%を超える断層帯や海域が少なくないことが読み取れる(ちなみに東海地震は「30年以内にM8.0程度が生じる確率は87%」)。2007年7月16日に発生した新潟県中越沖地震はM6.8だから巨大地震とまでは言えないだろう。にもかかわらず、世界最大級を誇る柏崎刈羽原発は「想定を遙かに超える地震動に見舞われ」、その損傷は深刻で今だ運転再開のめどは立っていない。誰もがあってはならないと考える原発震災の、その一歩手前にまで至った、本当の理由は何であるのか。
「周辺に活断層のある所には原発は建てない」ことを保証しているのは、かつてなされた活断層の評価(電力会社側の調査)と国の審査である。それを今調べ直してみると、新たな活断層の存在を示す証拠が次々と上がってきた。この重大な「発見」は、何も地震学の最近の進展の成果ではない。電力会社と国に調査や審査を託された一握りの専門家たちが、当時の学問的な常識からしても理解に苦しむような、過小評価を繰り返していたらしい。本書の最大の功績は、この重大な犯罪的事実を、当事者であった専門家や行政担当への取材と報告書や審議会議事録などの読み込みをとおして、実名入りで明らかにし、審査を受ける側と審査する側の”もたれ合い” (その両方に名を連ねた専門家も実在する!)をあぶり出したことだ。「想定外の事態」――すでに、女川原発、志賀原発、柏崎原発と続いている――は、おそらくは意図的になされた過小評価の結果であり、「そもそも原発と地震は共存できるのか」という問いに真摯に向き合おうとしない専門家たちが、国民を原発震災の危険にさらしている、と言えるだろうことを本書は教える。第三章の「シュミレーション・ノンフィクション」で描かれた壊滅的な地獄図が訪れることは決してないと、誰が断言できるのか。
電力各社は今、2006年に28年ぶりに改訂された「耐震設計審査指針」に基づいて、原発周辺の活断層の再評価に乗り出している。その再評価は、原発に設置許可を出した当時の判断の問題点を抉り出すものであるべきだろう(この点を説得的に示す『科学』2008年1月号の鈴木・中田・渡辺の論文「原発耐震安全審査における活断層評価の根本問題」がある)。そして、この新指針には一度建ててしまった原発の運転を止めさせるための審査項目がないとするなら、著者が述べるように、「大地震が繰り返し発生していることが判明した土地には原発を建ててはならず、また、そこに立つ既存の原発は直ちに廃炉にしなければならない、という当たり前の審査項目」を加えるべきである。まっとうな地震の専門家たちの誰もが納得できる形で、この”当たり前”が実現しないのなら、日本に未来はないだろう。■
(上田昌文、『週刊読書人』所収)