【訳者よりひとこと】
環境疫学のアメリカ、WHOの最新の動向がまとめられています。旧来の動物実験との関係も明確に記述されていますので、内部被ばくやナノリスクなどに関心の高いある程度専門的素養のある方々、特に科学ジャーナリストの方々に読んでほしいと思います。
要旨
環境中の化学物質の有害な影響を理解し防止することは,公衆衛生を守る上で基本的なことであり,化学物質リスクアセスメントはアメリカ合衆国ばかりでなく世界中に公衆衛生の決定を知らせるために有用である。伝統的な化学物質リスクアセスメントは化学物質一つ一つをもとに環境中の汚染物質が及ぼす健康影響に焦点を当てており,ヒトが経験する曝露より概して高い曝露のもとで得られた動物モデルによるデータに殆ど依拠している。環境疫学研究の結果は, ヒトの曝露レベルが動物実験研究の曝露に比べて低いために動物研究では観察されない影響を時には示す。加えて,21世紀の毒物学(Tox21)と曝露予報(ExpoCast)のような新しいアプローチは, 改良された曝露推定値にそって広い範囲のケミカルスペース,化学混合物,潜在的に関連する健康のアウトカムを提供する機械論的なデータを生みだしている。未来のリスクアセスメントは複数のタイプのデータを統合し非伝統的な健康アウトカムとエンドポイントを考えるために,全範囲にわたる有効な機械論的なデータ,動物およびヒトのデータを使用する必要性がでてくることが明白になりつつある。
“化学物質の安全性評価の科学的根拠の強化”のためのワークショップにおいてこの見解が全米環境保護機関および環境健康科学国立研究機関により共同提案された。そこでは,新興サイエンスと伝統的な化学リスクアセスメントのギャップが探索され,そしてそのギャップを乗り越えるアプローチが検討された。
緒言
1) 環境中の化学物質の有害な影響を理解して防ぐことは公衆衛生を守る上での基本であり,科学的にしっかりした化学物質リスクアセスメント(リスク評価)が米国ばかりでなく世界中の様々な環境保護の意思決定を支持するために必要とされている。リスクアセスメントは化学物質の健康影響についての定性的な情報ばかりでなく,国の規制の決定,州や共同体の決議,産業界の実践の範囲を知らせるために定量的な情報を提供するものである。
2) 全米国家研究評議会(NRC: the National Research Council)(NRC 1983)によって開発された1983年の4段階の枠組み(ハザード確認,用量反応,曝露評価,リスク判定)は世界中に化学物質のリスクアセスメントを方向づけてきた。しかし,広い範囲の政策と規制への適用は米国連邦政府機関,州機関の内々ばかりでなく,横断的かつ国際的にリスクアセスメントの実践を均等に広い領域にまで導いてきた。これらのさまざまなアプローチは矛盾した結果を生み出す可能性があり,リスクアセスメントと関連するリスクマネジメント決定において科学的信頼性が気がかりの一因となってきた。コンピュータ計算を用いた毒性学,曝露科学,疫学,さらに系統的再調査の中から生まれてきた新しい手法はリスクアセスメントを推進させるための大きな約束を用意している。 しかしながら,これらの新しいアプローチを定着された規制の枠組みに統合することは科学的かつ政策的挑戦であるといえよう。
3) 大半の規制の枠組みは製品の製造の段階で単一な化学物質または成分であるという見方に立ってリスクアセスメントを導いており,多様な化学物質汚染やそれらの混合物については説明していない。さらにヒトの健康への潜在的な影響に関するほとんどのリスクアセスメントは,ヒトが経験した曝露より高い量を用いて動物モデルでなされた試験に依存している。この試験用モデルでは,専門の査定者は種を越えてより低い量に外挿する必要があり,そのために種の中での変動は限られた形でしか考察できない。これらのすべての要因は最近のリスクアセスメントがヒトの健康を守るという信頼を,特に脆弱な個人,共同体,生活の場面で弱めてしまう。
4) 環境疫学の研究結果から, 伝統的な動物の毒性研究が住民の健康影響を適切に予測できるのかという疑問が生まれてきた。これらの環境疫学的研究は時には動物研究に見られない効果を報告しており,仮説に基づく疫学的研究は今ある枠組みやガイドラインを用いた化学物質のリスクアセスメントに容易に役に立つデータを提供できない可能性がある。無数ともいえる程の環境と公衆衛生のジャーナルの発表は伝統的な毒性試験では捉えられないある住民の健康影響を難解な化学的・生物学的相互作用を用いて表現している。疫学研究の分野で観察される健康影響は,化学物質のリスクアセスメントのハザード6)評価のための動物を基礎とした毒性試験で評価されるエンドポイントとは概して異なっている。伝統的に毒性試験に用いられる曝露はヒトの集団で経験する曝露よりしばしばかなり高く,疫学研究で描かれる現実の世界の曝露イベントとは対応してはいない。その上,疫学研究は伝統的な毒性試験において考慮されないバックグラウンドや慢性的に低い量の曝露を組みこんでいるばかりか,ヒトの母集団変動を捉える事ができるかもしれないので公衆衛生を守るという義務を負った組織にとって大切である。
5) 21世紀のサイエンスはシステム生物学,ゲノム研究と発生遺伝学,バイオインフォマティクス,曝露サイエンス,環境疫学の分野を驚くほど躍進させ,化学的測定と分析的技術において技術革新を推進してきた。このような進歩は化学物質が生物系といかに相互作用するかという疑問に対して我々の理解を拡げてきたのである。21世紀の毒性学Tox21のような新しいアプローチと曝露予想ExpoCastはケミカルスペース,化学混合物,そして可能性のある関連した健康アウトカムの広い範囲でのデータを提供し,曝露推定値はそれらにそって改善されていった。さらに系統的な調査の発展と利用によりリスクアセスメントの実行のために機械論的なデータ,動物および人間のデータが統合され,一層透明でより高い一貫性と信頼が提供されるであろう。
6) アメリカ合衆国環境保護局(the U.S. Environmental Protection Agency :EPA), 米国国立環境健康科学研究所(the National Institute of Environmental Health Sciences :NIEHS)は21世紀のサイエンスがいかにしてリスクアセスメントの手順の改善に貢献するのかを議論するフォーラム開催のための準備を始めた。このフォーラムでは“化学物質安全評価のための科学的基礎の強化”ワークショップが共同提案された。このワークショップは2015年7月15日-16日にノースカロライナのリサーチ・トライアングル・パークで開催された。参加者として個人も加わっており,彼らは毒性学,疫学,リスクアセスメントの多様な専門知識をもっており,この議論を推進させた。このワークショップでは,参加者たちは新しい科学的方法と従来のアプローチの理解のギャップを議論し,これを克服するための活動を提案した。
7) 序の講演では,米国の日常の生活で遭遇する様々な幅広い化学物質による曝露が健康に有害な影響を及ぼしていると紹介された。その中には子どもたちや大人の神経障害,ぜんそく,心臓血管の疾病, がんも含まれており,これらの証拠は年々増加している。また, 招待講演者が発表したケーススタディでは重要なトピック的な分野の背景について以下の点である。①重大な発達期間(critical developmental windows)における曝露を説明すること,②住民の感受性の変動性をとらえること,③実験動物での発見をヒトに当てはめること,④累積的曝露に取り組むこと。あるグループは米国EPAとその他の機関によって近年なされている化学物質のリスクアセスメントが健康を守るために十分ではないとする公衆衛生コミュニティで普及している見解について論じた。参加者の中での強力なテーマは, 新しいアプローチが米国の人々の健康への有害な影響を防ぐことに成功した化学物質の安全性評価を支持するために伝統的な実験研究や動物研究を越えてデータを取り込んで発展されるべきであることであった。
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『環境健康展望』124巻4号、2016年4月より
翻訳:五島綾子、五島廉輔、上田昌文
原題:Informing 21st-Century Risk Assessments with 21st-Century Science
【著者】
Linda S. Birnbaum (1), Thomas A. Burke (2), and James J. Jones (3)
(1) アメリカ国立環境保健科学研究所(NIEHS), アメリカ国立衛生研究所(NIH),アメリカ合衆国保険福祉局(DHHS), リサーチ・トライアングル・パーク、ノースカロライナ州、 USA. (2) アメリカ合衆国環境保護庁(U.S.EPA)研究開発室、 ワシントンDC, USA. (3) 化学物質安全性汚染防止局、U.S.EPA、ワシントンDC, USA.